異動 前編

 職場で使用している機械を巡ってのトラブルから二年半、グループのリーダーであるNさんとのほとんど口も利かないという異常な関係が続いていた。彼はセクハラ等でパートさんに訴えられた経緯があり、僕に対して表立ったパワハラはできないようであったが、陰湿な形をとって、それはずっと繰り返されていた。

 今年の三月から四月にかけて、例年来る大量の仕事が入ったのだが、僕にはそれをやらないでいいという指示が出された。その業務には昨年、僕も関わっていたため、強く抗議したが、「普段から仕事もないのに、遅くまで残っている」という理由で、外されたのである。

 「仕事もないのに、残っている」とはNさんの主張であるが、そもそも仕事を与えようとしないのは彼であるし、「仕事の無い」のはパートのせいではなく、社員または会社のせいである。Nさんは、僕に仕事を与えず、自主退職するように持っていくつもりだったようである。だから、仕事は宅急便の荷受とその在庫管理とし、月に二回の土曜出勤を削り、仕事の無いときは四時で上がるように指示を出してきた。

 しかし、状況は変って来た。少ないと思っていた在庫管理の仕事が思った以上に、増えて来たのである。それは、高級品は売れなくなったが、その代り、価格の安い商品の種類が増えていったためだった。そのため、在庫管理は煩雑になり、四時半とか五時近くまで仕事ができるようになった。それが、Nさんには気に喰わなかったのである。

 月二回の土曜出勤を無くし、毎日、一時間勤務時間を削れば、月三万五千円前後、給料が減るため、いつかは耐え切れなくて辞めるだろうという思惑が外れた。セクハラで訴えられた前科のある彼は、何か表立ったことをして僕からパワハラで訴えられた場合、立場が危うくなるため、どうすることもできず、焦燥感を募らせているようだった。次は何を仕掛けてくるのだろうと思っていたら、会議室に呼び出された。

 会議室にはNさんだけでなく、営業部の課長もいた。そして、僕は営業部に異動ということになったのである。最近、営業部では配送の仕事が減り、四月に七十歳と六十五歳の男性パートが二人解雇され、五月には営業部長が定年退職して、人が減った状態だった。主に、七十歳の男性パートのしていた発送の仕事をやってほしいということだった。時間は九時から五時まで、休日や時給は今まで通りといわれた。

 以前、人の少ないときに何回か手伝いにいっていたことがあり、最近もちょくちょく手伝っていたのだが、その働きが他の人たちの評判がよく、正式に移ってほしいということだった。それが、本当かどうかわからないが、手伝いに行った時の感触から、手が足りなくなっているのは確かで、さらに、Nさんとの関係も切れることもあり、受諾した。そして、週明けから、新しい部署での仕事が始まったのである。

 しかし、その仕事は、精神的に辛いものだった。難し過ぎるのではなく、あまりに簡単過ぎるのである。新聞紙を丸めて袋に入れたり、不要になった書類をシュレッダーにかけ、その細かくなった紙片を袋に詰め、発送に使う緩衝材を作ったり、或いは、発送に使うダンボールを組みたてたりと、そんな仕事ばかりだった。朝から延々と新聞紙を丸めたり、シュレッダーに溜まった紙片を集めて緩衝材作りを繰り返していると、虚しさでどうしようもなくなる。誰かがやらなければならない必要な作業だと心に言い聞かせるのだけど、虚しい気持ちはどうすることもできなかった。さらに、もう十分に緩衝材やダンボール箱ができているので、「何か、仕事はありますか?」と上司に訊いても、指示されるのは、その二つだけだった。

 これは、話が出来ているのかもしれないと思った。確かに人手が足りなくて、発送の業務は大変になっており、誰かに手伝ってもらわなくてはならないが、かといって前の部署で問題を起こしている僕に、重要な仕事を教える気にはならず、とりあえず雑用をさせて辞めたら、それはそれでいいと考えているような気がした。

 これで多少は気持ち良く働けると思っていただけに、僕は落胆した。仕事は、二日目にして、早くもイヤになった。もともと、私生活上のいくつかのことがクリアーになったら辞めようと思っていたが、その時期は大幅に早まりそうだった。つづく…(2016.5.29)




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