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2015/11/27 2016/01/17

This design is still called "Curly grass" in China today.

You may understand "Thorns"in fact.

このデザインは現在つる草と呼ばれます。実はいばらが正しいことがお分かり頂けます。

今から900年先は予測困難です。そして900年前の中国の出来事も、やはり不明瞭。

中国磁器の世界は未知との遭遇、まだそんな世界のようです。

1141年 岳飛Yue Fei 2つの壷

黒抜きのいばら      白抜きのハス

この歴史解釈は、当社収蔵の磁器から法により当社独自に、判断、解明したものです


2つの壷の意味するところは?
この謎解きは、和歌でいう対句と見ます。如何でしょうか。

白く見えても、実は黒。
 黒く見えても、実は白。

茨の壷
わなにはめた者は一見、白く装う。これは腹黒い宰相秦檜(シンカイ)へのあてこすり。
哀れ、岳飛は蛇結いばらに絡(から)め取られた図となる。

唐(から)草文様と10年間思い込んでいました。基面にびっしりと描かれたつる草。
唐の唐草文様では、少し変だね。のどか過ぎる。この場合の緊張感がない。
やっとこのいばらに辿(たど)りつきました。これなら良く符号する。


1つ目の壷と高宗コード14(暗号)

 いばらの壷  高宗コードと隠された想い
1 壷の内側に隠された没年を示す14の数字
2 唐草文に似せて描かれたジャケツイバラの図 秦檜謀略の意
3 秦檜の謀略をあらわす黒抜きの画法 
4 特別深く隠された法に苦の官鬼 官鬼は丁蘭尺から謀略の事
5 官窯と知られぬ為、わざと民窯の吉州窯の雰囲気に焼かせた

   


高宗コード(暗号)5個 5種類を隠す

秦檜に囚われた岳飛を映す Yue Fei 
黒抜き蛇結茨文壷 岳飛副葬品

壷は皆様のご理解をすすめる為、対比的に示しました。
今回は南京市博物館の優品 吉州窯 唐草文の壷を左にあげます。

 南京市博物館 収蔵 Fan de fan,inc. 収蔵 
 吉州窯   修内司窯と思われる。
   
Jizhou yao 吉州窯はこちら南京市博物館参照

ゆうの下、白地の上に黒の鉄絵で図柄が描かれた。

これは、博物館のコメントです。
大きさは、右の1.3倍ほど 
下地にまず、薄墨のような黒色で、本体を塗る。
口の黒が地の色です。地の色は黒です。
白色で図柄が黒く残るように塗る。黒抜きという。
いばらの文様が、まるで切り絵の様に見える。
更に、毛がいた、細い刻線。軽快さは、このため。
最後にごく薄い、光らないミルク色のゆうをかけて仕上げる。
吉州の窯の雰囲気はこれで、でます。 
 
 法を見る(丁蘭尺民尺1尺 34.8CM)   法を見る(丁蘭尺1尺 34.4CM)
 H 34.8CM 失退財又は旺迎福
口 8.3CM 旺天徳
口の下の弦紋 旺をあらわす
こうだい 12.8CM 苦官鬼

高さの1尺34.8cmは法の1尺で
高等技術。大変立派です。
高さと口に旺、上の弦紋も旺。
下に苦官鬼。

謀(はかりごと)にあった者に焼かれた。

右は、旺に謀(はか)られ、不遇の死を遂げた者。
この逸話からやはり焼かれたと見るべきでしょう。

家族身内のため焼かれた義の壷
しかし高宗の本音でしょう。磁器にうそは書けない。


 mm H高さ     W幅  
 口  261 死退丁  害死絶 
 首   死死別  害病臨 
 弦紋   死離郷  旺喜事 
 胴   義財旺  義財旺 
 弦紋   丁登科  旺進宝 
 こうだい     100 旺進宝 
 
秦檜の目を恐れたのか、法にもコードを入れた。
裏表6箇所のポイントに隠す。赤字はまずい事柄。
特に官鬼秦檜の謀りごとで死んだと分かるから
 旺納福 旺天徳  苦失脱  苦無嗣 害災至 苦失脱 
 旺納福 旺喜事  害死絶 害災至 苦官鬼 苦官鬼 

写真は後日掲載します。
高宗と秦檜の関係も察せられる。
   高宗コード

壷の中の14の溝。
下から右廻りに、らせん状に線が刻まれる。
茶のゆうが掛かるのは何故?
製法は不明。(下から9本は写っています。黄色はライト)
 
 




2つ目の壷と高宗コード14(暗号)
修内司窯 一覧は Fandefan.comまで

 落下落葉ハス壷 高宗コードと隠された想い 
1 ハスの花に隠された数字14
2 葉に隠された数字13 13番目は大きく横向き。法は旺。
3 葉の14番目はおもだか。法は口舌 これは喧嘩争い。
4 白抜きの画法。岳飛の無実を表す。

5 民窯に似せた吉州窯風のゆう。秦檜にさとられぬ為

高宗コード14の謎 
岳飛 Yue Fei 副葬品 
白抜き落花落葉蓮壷 
徽宗好みメイピン

 安徽省博物館 現安徽博物院 収蔵  Fan de fan,inc. 収蔵 
 吉州窯  官品。修内司窯と思われる。
   
どういう書き方か、判り次第また書きます。

光沢がある。黒の刷毛目が見えます。
刻線でけがくところ、大きく茎が描かれる。
花と葉が多い。葉にみえない葉。

とてもにぎやかで華やか。
何かのお祝いで焼かれたのか。

法が是非とも知りたい。
 
 下地にまず、白色で、本体全体を塗る。
口の白色が目印。白が地の色です。

白く図柄が残るように背景を、黒色で塗る。白抜きという。
残された地の白い蓮の花、葉の紋様。
軽やかに浮いた様に見えるのは、このため。

更に、背景の黒に毛がいた、細い白い刻線。
軽快さは、増す。
最後に極、薄い光らないミルク色のゆうをかけ仕上げる。
これで吉州の窯の雰囲気がでる。
 法を見る(丁蘭尺1尺 34.8CM)  法を見る(丁蘭尺1尺 34.4CM)
 
 mm  H高さ  法 W幅   法
口  280  興貴子    丁財旺
 口下    死失財    害死絶
 首    死失財    害口舌
 弦紋    死離郷    苦劫財
 弦紋    官順科    苦劫財
 胴    官富貴    義大吉
 弦紋    丁財旺    旺喜事
 こうだい      95  旺喜事
13番目のハスの葉は大きく
 14番目の葉はおもだかで3辺とも害口舌
   高宗コード
    蓮の花は4つが上向き。残り10はすべて下向き。
落花です。服喪の意。合わせて14。
ハスの葉は13。ほぼすべて下向きで、これも落花の姿。
この内1枚は横向きで大きい。これが旺の法。やっぱり!
残念!数が1枚足りません。あきらめかけました。
あった!14枚目は大きな3つ葉のおもだか(沼に合う)。
これで14(13足す1)。謎解きに10。つまり10年掛かりました。
型の鋳込み。つるりとしている。まずはこの時代の官品のあかし。
白く見えるものは、厚く掛けた口のゆうが垂れたもの。
 
   



真実を伝える磁器

宋 とくに南宋高宗の実像は今に伝わらない。

陶家のみ真実を知らされ、皇帝の本音を伝える磁器が焼かれる。

皇帝御製(ぎょせい)の窯で焼かれた岳飛 2つの壷。

そこからは、高宗の本音と当時の状況が伝わります。


ふたりは義兄弟

登場人物は3名。岳飛39歳 高宗35歳 秦檜52歳。

一番興味を引くのは、高宗は岳飛を義と呼んでいること。

血縁関係はないだろうから、義兄弟と言っている。確かにそこかしこに愛情を感じる。

いばらの胴の高さと幅に同じ法。義の財旺。この方形に表すのは、高宗さんの好み。


ハスの胴は幅に義大吉、高さに官順科、官富貴とやはり義が出る。

余程愛情があったのだろう。皇帝が義と呼ぶのは、大変珍しい。

また官位剥奪された岳飛に官を入れたのも、実はすごい事になる。

誰にもその事実は知られてはならない。特に秦檜には。

ハスの壷には高宗の本音が隠された。

口舌 喧嘩が2つ出るが、その他は、静かな弔いの気持ちがハスの図と共に現れる。


岳飛は国の宝

ハスの壷の高さは興の貴子。岳飛は国の宝、秀でた者と言っている。

皇帝の作る興の磁器は意外と少ない。徽宗帝のキャメルエッグが確か興。

珍しいので今でも覚えている。北宋では赤色はタブーでした。どなたに焼かれたのでしょう。

北宋の宝は誰?  南宋の宝 岳飛


言うことを聞かない岳飛

2つ目の壷に隠されたケンカ、言い争い。

なんで俺の言うことが聞けないのだと高宗。皇帝が何を言ったのかは分からない。

1140年から岳飛が進めたという北伐。兵を引けと命じたのが自然。

金史にこの北伐の話はないという。

高宗は岳飛を都、臨安に呼び戻す。このとき、義の気持ちで説得をしたのでしょう。

立場は違っても4つ程、年上の云わば兄貴となります。


実の兄欽宗との確執

高宗は実の兄、皇帝欽宗とは、誠に不仲で、結果骨肉の争いをする。

欽宗の亡くなるまで、34年間ですが、指折り数えていた。下はその壷です。

詳しくはこちらの修内司にあります。

修内司窯 御製 一覧はFandefan.comまで

 34  34  34
 欽宗副葬品  欽宗副葬品  欽宗副葬品

歴史の真実は宋史にも金史にも実は書かれない。真実とは都合の悪い事柄の事。

陶家磁史ともいえる、これら副葬品で焼かれた皇帝の磁器からようやく、うかがい知れる。


兄弟不仲は、やがて国を滅ぼすことになる。詳しくは下の

北宋はこうして滅んだ  続北宋はこうして滅んだ をご参照。


岳飛は何も知らない。知る由もない。

高宗と金との密約(都を攻めさせ皇帝になる)、その後の顛末(自身追い出された)を知らない。

このときの武将ならば、有利な戦いで、引ける訳がない。

必死になって岳飛を止めた。岳飛の為と言うより、半分は自身の為に。

でも岳飛は聞かなかった。岳飛はやがて殺される。

皇帝の磁器にケンカ、つまり口舌の法が出るとき、その人はいずれ殺される。


高宗の本音

高宗の説得は失敗に終わる。

まだ説得できると思ったのか、殺すことはない!と思ったのか。

殺すにしても、謀反の罪をかぶせることはないと思ったのか。

義からは、話せば岳飛なら分かってくれようという近しい気持ちが伝わる。

上の3つの気持ちは、すべて正しいとも思える。

これではまずいことになる!

そうですね。そう思ったのですね、秦檜は。


岳飛の最期

岳飛は、だまされ毒を盛られたとも、獄に入れられ、市中で首をはねられたともある。

まあ、悲劇の英雄ですから、死のありようもドラマ化された。

事実はどうなのか?壷はなんと言っているのでしょうか?


いばらの壷には害の病臨、死絶。死の退丁、死別、離郷とある。

離郷は島流し。病臨は獄で体が弱る意味。死も意味する。最期は旺賜といい、普通、毒を賜る。

特別深く隠された、苦の官鬼と害の災至。官鬼は謀(はかりごと)、災至は災難。


ハスの壷は死の離郷、害の死絶とある。(ただし冤罪については書かれない。)

これからも、島流し(都から出される)され、獄に入れられ殺されたとなる。

冤罪(えんざい)で投獄され、都を出され、獄中で旺賜の毒を飲んで薬殺された。

これがまずは正しいのでしょう。


秦檜糾弾

高宗は、このとき首謀者、秦檜を非難している。
秦檜のわなにはめられた事を、高宗も熟知。

1つ目のいばらの壷。

もう、これは秦檜の悪事陰謀を糾弾しまくる壷です。

詳しくは下の高宗コードにまとめてあります。 


秦檜の目を恐れた高宗

これも珍しい事です。

秦檜に自身の本音を知られるのを極端に避けた。

岳飛殺害を本心では願わなかった事。

これらの壷に、秦檜の陰謀を暴くコードを密かに入れた事。

その理由は秦檜が金にすべてを報告する事を、恐れたからでしょう。


歴史には書かれない事

兄欽宗との確執。金と手を組み、結果国を奪われる高宗。これらは宋史にも金史にも書かれません。

初代皇帝 高宗は遺骸で帰る妻けい氏、親徽宗、兄欽宗の為に御製の窯、修内司窯で多くの青磁を焼いた。

それらの磁器には高宗コード(暗号)というべき数字が好んで使われ、興国から没年までを示した。

このコードから今までに特定できたのは徽宗帝(数字8)と欽宗帝(34)。




補足 以下は、お時間のあるとき、お読みください

高宗コード(暗号)5個 5種類を隠す
秦檜に囚われた岳飛を映す Yue Fei 
黒抜き蛇結茨文壷 岳飛副葬品


今回の暗号は数も多く5個、かつ5種類。
またそれらのコードを特別難解な手法を用い、壷に隠し、また表した。

1番目の数字コード14以外の、
2 3 4 は宰相秦檜の陰謀、謀殺を糾弾するもの。
5は高宗が焼かせたと秦檜にも知られぬため
です。
このときの高宗と秦檜の関係が察せられ、大変興味深い。


蛇結茨(じゃけついばら)は最悪のいばら。一度人がこれの棘(とげ)に掛かると抜け出せない。




茨に表わされた宰相秦檜の罠

いばらのとげが、やがて飾りとなり、いつしか由来は忘れさられ、ついにわが国ではたこの足となる。

きぬた青磁もそうでした。元型には多くの血塗られた事件がある。普通、民びとには伝わらない。
陶家の卓抜なる技量とセンスで描かれたいばら。やがて蛇結茨は長く愛される美術品に昇華した。
わが国でも蛸から草文として、愛される。
しかし誰もその由来を知らない。




ジャケツイバラ。
中国の南部など暖かい地方に自生、わが国でも見られる。
南宋期のやきものにはふさわしい。とげは下向きに付き、もがけば食い込み獲物を放さない。
深読みすると宰相の企みは、この年の夏場から仕込まれたともなる。
紹興の和議の企みである。
蛇結いばらは、このサイトに詳しい。



 冬、葉を落とすと下の姿となる。本性を現す。
蛇結とは、向かい合うつるが絡み合い、蛇の交接する姿に似るからと謂われる。
中国人には卑猥な響きもあるのだろう。

このとげを他のものに
架けながら自ら這い上がるいばらの姿をまた秦檜の姿に表した。
高宗の目にも、そう映ったのだろう。


もともと高宗帝は金と結託して、親と兄皇帝欽宗を拉致させた。
北宋はこうして滅んだをご覧ください。

金から送り込まれた使者が、秦檜。高宗には、いつまでもこの弱みがあった。
それがトラウマとなった。詳しくは下の修内司窯をご覧ください。




唐代 唐(から)草文と南宋 蛇結茨文のその後
 
さて、秦檜も1155年に亡くなり、岳飛は1178年に、まずは名誉回復された。
高宗は1187年没する。その後1204年に岳飛は顎旺になる。

1178年以降では、岳飛は、謀殺された英雄の扱い。
ヒーローは作られる。これも高宗の思惑でしょう。
このいばらの壷、ハスの壷の存在は、やがて広く、民に伝わるとみる。

当時好んで焼かれた磁器は、この岳飛のいばら文だったのでしょう。
民窯では、もう秦檜に遠慮は要りません。
いばらのとげは、どんどん、その数を増していきます。

左は中宗がいとく、永泰の為、焼いた孔雀ゆうに付けられた唐草。
中と右は吉州窯 いばら文の副葬品。

 

                
 蛇結茨の花  いばら
   

増殖したとげ。やがてわが国では蛸から草文と呼ばれ、皆に愛された。
この蕎麦ちょこで、そばをすする私達は、そのルーツを知らない。


唐草文はこちら岩間コレクションに詳しい





数字の14は没年の意味。
おもだかの法はすべて3辺が口舌。けんか、言い争い。

高宗は、お前が素直に命令に従い、兵を引けば、こんな事にならずに済んだと言っています。
こんなとき、100パーセント、皇帝が言う台詞(セリフ)です。

そこで、次に皇帝が為す事は、これも決まっています。
岳飛の霊を鎮める為、こうした服喪の旺品を作らせます。

しかし、このとき高宗が密かに宮中で作らせた壷は、半端なものではありません。
手間もひまも掛け、当時、皇帝に仕えた陶家が腕をふるい作りました。
陶家は腕の良い事は勿論ですが、口の堅さが求められました。

それは陶家だけがこのときの真実を皇帝から知らされ、真実を伝える磁器を命じられるからです。
そのとき使われるコードがロハンが遺した丁蘭尺です。
喧嘩したこと(口舌)、濡れ衣(官鬼)などです。
くわしくは法の読み方を参照

今度は安徽博物院 収蔵のハスの壷を対比的にあげます。
のち、どのように,岳飛のこの図柄が広まって行くのかが分かります。




岳飛 2つの没年1141,1142と高宗コード14

生年1103/3/24 没年1142/1/27 陰暦かな。日中米のWikipediaは、これに統一。
 1127年南宋建国から1142年紹興12年まで15年。
これからはコード15となる。

ブリタニカの没年1141年12月29日。太陽暦かな。他3件の辞書も同様に没年1141年。
これからはコード14となる。下の2つの壷のコードは共に14。


南宋建国1127年から1141年紹興11年、紹興の和議成立までの14年間。
紹興の和議では岳飛の死罪が強いられた。

1141年没年とすると、この年に壷は作られたとなり
1142年没年とすると死の前年、既にこれらの壷が作られたとなる。
いばらに葉はなく、どちらも冬場なので、まずは正しい。



さて皆様は、ここで疑問を少しお持ちになることでしょう。
どこに、上の2つの壷につながりが、あるのかということですね。


類似点をあげますと
同一人による作品であり、同一皇帝の依頼品と思えること。


コロンボ流にいうと、この陶家は、まず共に右利きであること。右手で筆を使い、右手で刻線を彫った。
(右利きの人は、内側に引く線(左に)は美しく得手。逆に外にはねる線(右に)は、ややぎこちない。)

右手の指の跡が3つ、下の全く同じところに残ること。親指、人差し指、中指を使っています。
(最後にどちらも、薄いミルク色のゆう掛けがあります。この時の指跡。わざとらしく、残してあります。)
3本指で逆さにして、どぶんと、ゆうに漬けます。同じ人がどぶ漬けしました。


同一皇帝と思える理由として

1つ目の蛇結いばら模様、黒地に白色で背景を描き、あたかも黒色でいばらの図を描いたように見せた。
2つ目のはすの花と葉の紋様、今度は、逆に、白地に黒で背景を描き、あたかも白色で描いたかに見せた。

こういう手間ひまをかけるのは、まず旺品とみて良いのですが
少し意地が悪い。数字のコード14がいばらの壷には、実に分かりやすく入る。
14はどこにあると思います?それは壷の中。内側に刻まれていました。
こういう謎賭けはまず高宗さんですね。14の刻線の製法はいまだ不明。

はすの花と葉の壷は、大変また、意地が悪い。13プラス1で14。意地が悪いのも高宗さんです。
これはかなりの応用レベル。旺の法を入れるために、実は葉を入れるスペースがなくなったのです。
これに気づくには、そうとう時間が掛かりました。この時の陶家の身になって考えました。
なあるほど、そういう訳ですか!ようやく合点(がてん)しました。


最後に

同一コレクターの物であること。同一時期に売られたこと。





ここで高宗コードのおさらい。初めて見る方は少し大変です。

修内司窯はこちらから。


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 宋の銘  宋の銘  8  14  14  34  34  34
   
 きさき副葬品  きさき副葬品  徽宗副葬品 岳飛
副葬品
 岳飛
副葬品
 欽宗副葬品  欽宗副葬品  欽宗副葬品

なぜ高宗8年、高宗14年と書かないの?


それは法から、この時皇帝が誰に何をしたか、誰にでも簡単に明らかになるからです。
大変まずいことばかりでした。帝の気持ちを察し、陶家はコード(暗号)を用いました。
トップページ下の“北宋はこうして亡んだ”をご参照下さい。“続編”もどうぞ。

ではなぜ、こうして謎の数字を遺すのでしょう?


皇帝としての本音を語り、後世に引き継いでくれるもの。
誰もがそうであるように、高宗帝は、宝を作り、自身の本音、生き様を後世の皇帝にも伝えたかった。
それは間違いありません。中国皇帝の唯一の免罪符なのでしょうか。
次代の陶家なら、この謎解きもそう難しいことではないでしょう。

今後、詳しく法を計ります。14というより13足す1、これが正解かもしれない。

高宗の迷いと苦悩

なかなか言う事を聞いてくれない岳飛。オモダカに表された1の数字。

これは岳飛最後の1年と見れば、それは高宗の苦悩の1年でもあった。
三角の角の立つオモダカの法はわかりやすく三辺ともズバリ口舌。つまり言い争い。
花と葉では、こうもはっきり、法がでない。当時でも人気のあった武将。
できれば、謀反の罪で、殺したくはなかったのでしょう。

岳飛は謀反人

これは建前。事実、官鬼が法にでる。濡れ衣のこと。高宗は当然知っている。
普通、皇帝は、彼に立派な墓も作れず、副葬品も与えてやれない。もちろん、名誉も。
密かに作らせ、そっと皇帝が供えた磁器ふたつ。北宋の汝と同じですね。



落花落葉の蓮の壷
岳飛よ、お前は謀反人で黒とされたが、もちろん無実の白だ。でもどうにもならん。
弔意をあらわすハスの花と葉。落花の図。

金代になり、この墓が明けられる。
これらの図柄が岳飛の逸話と共に愛されたのだろう。


このいばらの文様は、唐代の唐草と混同されている。
こう書く私自身が過ちを犯していた。3日間、この壷を眺めて、ようやく間違いに気づいた。




この皿に描かれた蓮の花と葉が、ともに3.高宗コード3となります。

どちらも茎がくるりと曲がり、花も葉も下を向く事が分かる。服喪の意。
図柄も良く似る。岳飛の壷と同じ書き手と見る。ゆうの色も似る。
大きくて、重い。手を抜かない仕事。旺品でしょう。

3歳で亡くなった皇太子チョウフは居る。
1127年7月30日(建炎元年6月13日)から1129年8月4日(建炎3年7月11日)




北宋 南宋の焼き物 データはこちらです

このHPでは自社収蔵品をあまり褒めません。
副葬された磁器を解剖学的に法により解釈し、
被葬者とその葬者たる皇帝とのつながりを解明する事を最近は1番の本分としています。
おもしろいんですよ、これが!

被葬者 葬者 人間関係学 、このときの葬者は皇帝。介在するのは素晴らしい磁器です。
中国磁器に見る人間関係学。

冗談はこれ位にして

その磁器が素晴らしければ、まずその皇帝と陶家が褒められるべきでしょう。



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