2014/06/10 2015/08/13


北宋はこうして滅んだ

磁器を眺めることは良いものです。しかし、時と場合により、とても気が重くなります。

今回は、その、特段と気の重くなる、お話です。


まずは、神宗の親、5代皇帝英宗ときさき宣仁皇后高氏から見て行きましょう。

英宗は英邁(えいまい)な人物で、対外戦費のため破綻していた財政を再建するため

改革に着手したが、反対勢力が強く、自身も病弱のため在位4年にして病死。

どうやら英宗の病死も疑わしい。

生年1032 在位1063-1067 36歳

5代皇帝英宗 宣仁皇后 高氏 これらの汝は英宗墓か?


神宗暗殺(生年1048 在位1067-1085 38歳)

王安石の登用で国家再建に乗り出すが、大地主や大商人はじめ皇族などの既得権益(旧法派)に

はばまれる。新法派の内部対立もあり、健康を害し崩御したといわれる。

最後は旧法派の宣仁太后が政権を掌握した。

6代皇帝の神宗は38歳で実の母であった宣仁太后により暗殺されたとみる。

6代皇帝神宗 神宗の妻、向皇后 母 宣仁太后の汝 宣仁太后 高氏の
玉座に注目

 


哲宗(徽宗の兄)暗殺(生年1076 在位1085-1100 24歳)

その子 哲宗(徽宗の兄)は、1093年宣仁太后亡き後、父神宗の業績を継承。

旧法を退け新法を採用。宰相に神宗当時の副宰相章惇(しょうとん)起用。

旧法派を徹底して排除、粛清する。宋代で最も党争の激化した時期といわれる。

汝窯は哲宗が24歳で元妻 孟氏らにより暗殺された事実を物語る。

太皇宣仁太后高氏
睡簾聴政
哲宗 廃されたきさき
孟氏
哲宗墓汝窯


黒幕 宣仁太后と毒婦 孟氏の企み

この孟氏は1092年、16歳で哲宗に嫁ぐ。哲宗は17歳。このとき孟氏を選んだのが宣仁太后。

宣仁太后は徽宗、哲宗の父神宗を38歳で暗殺(毒殺)した、張本人。守旧派、旧法党の権化。

嫁いだ翌年、1093年、後ろ盾の宣仁太后は没する。やがて哲宗は側室に引かれた。人情ですね。

あまりの不行跡に孟氏は廃される。このいきさつは、えき庭の獄を参照。

 

宣仁太后 高氏 廃された元妻 孟氏

  

誤解だらけの徽宗帝

哲宗のあと、徽宗さんが選ばれますが、推薦したのは、神宗の妻、向太后。中立派のもよう。

財政破綻寸前の宋。親も兄も暗殺されたのは、それが大きな原因。

贅沢好みで、国を滅ぼした皇帝というのは、おそらく明代以降の歴史の歪曲。

地味で質素。この玉座を見てください。石刻遺訓のとうり、官の気持ち。宋は王朝にあらず。

徽宗 神宗の妻、向太后 徽宗帝のきさき 修内司窯


国を滅ぼす口舌(けんか、言い争い)の修内司窯

欽宗 欽宗の妻 修内司窯 修内司窯

今度は、徽宗皇帝と長男 欽宗皇帝の壷です。

この欽宗と弟高宗はまったく仲が悪かった。

これが国が亡んだ一番の要因。

北宋は、というか欽宗は弟の高宗と孟氏に陥(おとしい)れられた。徽宗帝も同じく。

徽宗墓、欽宗墓副葬の壷を見ながら、お話を進めます。南宋六稜(ろくりょう)出墓でしょうか。


口舌、官鬼(裏切り、たくらみ)の壷

結果、国を奪われた皇帝 高宗 

 

結論は、金軍と高宗は、結託して、兄欽宗を捕らえ、政権転覆を図る。

法の官鬼はたくらみ。姦計におとしいれられること。高宗はこのとき、軍事の総帥。国も滅ぶ訳です。

国の上半分は100年近く、金に蹂躙された。


南宋高宗の読み違い

高宗は皇帝になるはずが、読みを間違える。

自身は、南に逃亡。1年半近く、皇帝にもなれず、国も興せない。


このクーデターに、深く関わるのが、徽宗の兄、哲宗の離縁された妻、孟氏。

孟氏は唯一(後、皇族として)生き残り、南宋に行き、

高宗を皇帝と認め、垂簾(すいれん)政治をした。


欽宗と徽宗のその後

南唐の皇帝李イク。北宋の初め、宋に国を差し出します。

南唐の壷

同様に欽宗、徽宗皇帝も同じく、結構いい暮らしを、金でしていた模様。

なぜかというと、まず大切な人質であったこと。死んでは困るのです。

実に長生きをしています。牢獄の生活にしてはです。結果毎年毎年、大変なお金を払います。

ですから、女性達が、身を売らされたことも、まったく、真実ではない事になる。

多くの人々が奴隷(生口)として送られた。これは仮の王宮の使用人ではないのか。


奥さんとはけんか?

うさぎの香炉、宋銘が焼かれたけい氏。彼女の副葬品に口舌がでる。

早く、帰りたい。話が違うという訳です。とらわれて、自殺したと言われます。

どうも違います。下の法参照


とらわれのきさき けい氏 

中の法は義財旺 旺喜事 旺天徳 害病臨 害口舌 害死絶 害災至 苦失脱 苦無嗣

病臨 死絶からは病を得て死ぬということ。自殺を図り、2度目に死んだは、やはりうそとなります。

ちなみに黒ゆうの香炉の法は奥さん存命中なので義大吉 害災至 苦失脱 苦劫財。

 けんかをまだしていません

うさぎの耳が付く副葬品

プロパガンダ

これらは、当時の宰相、秦檜(しんかい)の統治政策。

高宗も、いやと言えない。すねにきずがあります。


南宋末も、余談ですが やはり読みが甘い
読みが甘いのは、金を元と結託して滅ぼすと、今度は、自国を元に滅ぼされる。

明が興るまで150年近く、元に支配される。脇が甘い。中華思想とも思えないが。