Snakes and Arrows 私的解説



Far Cry Hope
Armor and Sword Faithless
Workin' Them Angels Bravest Face
The Larger Bowl Good News First
Spindrift Malignant Narcissism
The Main Monkey Business We Hold On
The Way The Wind Blows



S&A 訳詞  S&A雑感  S&A TOUR  Rush Top





FAR CRY

Snakes and Arrowsから、アルバム発売より1ヵ月半先んじて出たシングルです。2月にイントロ部の13秒クリップ、その後3月頭にラジオ用に流された50秒のTeaser Clip、そして3月12日午前零時に、Rush.comにフルクリップがUpされ、同時に北米各地のラジオ局にラジオ・シングルとしてリリースされました。
初めてRush.comのフルクリップを聞いた時の衝撃は、忘れもしません。「すごい! なんてかっこいい! メロディもリズムも、構成も、最高! なんてひきつけられる曲なんだ!」――これが新しいアルバムの氷山の一角なら、他の曲もこれほど素晴らしいなら、きっとものすごいに違いない、と期待を膨らませたものです。

歌詞的には、今回の2大テーマの一つである、「Faith」に属する曲ですが、それを具体的に示唆するのは"Whirlwind life of faith and betrayal"というラインだけで、それもこのfaithは宗教というより、信頼と訳した方が良いような感じのニュアンスであり、個人的にはThe Larger Bowl的な、現在の世界の俯瞰図、無常観、というのを描いているような気がします。「昔、世界はこうなるだろうと思っていた、でも今の状態はそれに程遠い(Far Cry)」であることへの失望と怒り、そして未来への危惧を織り込んだものではないかと、欧米のファン方の解釈もおおむね一致しています。基本的にネガティヴな色彩にも読めるけれど、それでもポジティヴに感じるのは、「失墜したって負けない」というリフレインのせいか、曲調のなせる業かもしれません。そして、ヴァース、プレコーラス(circuit blowin'まで)とコーラス(One day〜)は、別視点になっているような感じもします。
北米掲示板の投稿者方で、「Distant Early Warning-Part2」、「宗教的捻りを加えたBetween the Wheels」みたいに思える、という意見の方もいました。たしかに視点的には、それに近い印象も受けます。

Far Cryが曲として作られたのは2006年9月、夏休み明けにスタジオで再開した時だったそうです。夏の間休んでいたので、リフレッシュして、非常にやる気満々でスタジオ入りしたGeddy&Alexは「とても素晴らしいJamができた」と感じます。Jamをレコーディングして、使えそうなところを取り出して曲の骨組みを作るのはGeddyの仕事らしいですが(曰く、「Alexも編集はとても上手だけれど、僕がそういう作業を好きなのを知っていて、やらせてくれるんだ」とのこと。まあ、歌メロ担当の立場からも都合が良いのでしょうと思います)、「これは良い曲になりそうだな」と思って編集中、ふと見たらNeilが新しい歌詞を書いて置いていったのが目にとまった。読んでみて感銘を受け、同時にインスピレーションを感じて、編集中の曲とつきあわせているうちに、コーラスの歌メロが浮かんだ。そこからすぐに全体のヴォーカルメロディができてしまった、と。「1日で書いた」とMVIで言っていましたし。 そしてAlexは2つのイントロのリフの架け橋に「自分が作り出した」←本人談、通称”Hemispheres' Chord”を投入し、Neilはリフの変拍子導入を提案し、それぞれが自分のパートのアレンジを重ね、最後にNickがNeilに「この上からドラムソロできるかい?」←コーダ部分 で、今の形ができたと言うことでした。
It's a far cry...というプレコーラスのフレーズはNeilが以前、バイク旅行中に(?)ひらめいて書き留めておいたフレーズで、そこから新作用の歌詞に、と発展させて、夏の休暇明けに書いたものらしいです。で、ヴォーカルメロディが流れるようにできたので、オリジナル詞、変更なし。本当はそれがバンドにとって一番望ましいのでしょうが、実際はレア・ケースのようです。(Hi-Fiveものだ、とAlexもMVIで言っていましたし)

この曲、北米ではDreamline以来のラジオヒットになったらしいですが、やはりそれだけインパクトのある曲だったのだな、と思えます。だからアルバムリリース前に、聞きすぎてしまい、しばらくはS&Aの他の曲から乖離しているような印象を受けてしまったものです。6月になって、やっとS&A13曲一体で見ることが出来るようになり、同時にこの曲の素晴らしさを再認識しました。

The Rush Chronicle掲示板に載っていた、Far Cry逐語解説を別掲します。
 Far Cry Word for Word

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ARMOR AND SWORD

この曲、特に北米で、「アルバムの実質タイトルトラック」と取られているようです。(全員一致の意見ではないけれど) 冒頭のラインがアルバムタイトルであること(そうするとHYFのタイトルトラックはMissionかな?)、宗教的な本質を一般的な概念として問い詰めた曲であること、そしてこの曲の意匠のTシャツが唯一個々の曲のものとして公式で売られていること(あれだけヒットしたFar Cryの乳母車意匠はないのに)ということから、そう見る向きが多いのだと思います。

この曲のタイトルの由来は、NeilのR30ツアー記、「Roadshow」中に記述があります。(これから読もうという方は、ネタバレ注意!)

〔アメリカのバイブルベルトを旅していて、様々な理不尽とも思える教会のスローガンを見かけたNeilは、こう記しています〕

At this point in recounting my American travels, I begin to think that even if the voice of reason is increasingly drowned out by the evangelical crowd, that is all the more reason to speak up. Spiritual yearnings are natural to many people, and may give them solace or hope, but extremist of any stripe are not content with faith as armor; they must forge it into a sword.

こうやって、僕のアメリカの旅を思い起こしていくと、たとえ理性の声が福音派の人々によってますます押し流されていこうとしてるとしても、だからこそより声を大にして語らなければならないような気がしてきた。精神的な憧れや切望は、多くの人にとって自然なことだと思うし、それがその人にとって慰めや希望を与えてくれるのかもしれない。でもどんな類のものであれ、過激な信条を持つものは、鎧としての宗教には満足できないようだ;彼らはそれを剣に変えてしまわなければ、気がすまないらしい。(筆者訳)

また、NeilはSnakes and ArrowsのMVIでのメイキング・インタビューで、このような感じのことも言っています。
「宗教はある人にとっては、困難を乗り切る支えになってくれることもある。宗教は人を救うこともある。でも人を攻撃して、殺すこともある。〔中略〕どんな形であれ、宗教に報酬や報いを期待するのは間違っていると思う」

その観点で見てみると、"no one gets to their heaven without a fight"という一行は、やはりかなり重い読みを感じます。"their"heaven"―「彼らの天国」。
宗教によって、天国観は違います。死後の世界観と言ってもいいかもしれません。東洋的な宗教観では、輪廻転生をして、最後は魂の高みにたどり着く的な感じですが、もしくは誰かの守護霊になったり、仏様になったりするのでしょうが、西洋的には「永遠の楽園」観が強いようです。
"a future of eternal light"という言葉からは、聖書の黙示録のラストが連想されます。世界の終焉――最後の審判のあと、神に選別された正しいキリスト教徒たちは、神の国に入ることが許される。そこは永遠の光に包まれた、黄金の都で、彼らはその中で永遠に幸福に心安らかに暮らせる。(その一方で、罪人は地獄の永劫の炎で焼かれるわけです) これはたぶん、キリスト教徒たちの天国のイメージなのだろうな、と。そうすると、その前の " a refuge for the coming night" も、同様の暗示に近いのかもしれないと思えました。「やがて来る夜」とは、審判の日とも取れるし、世界の終焉期とも、また、人生の終焉とも取れるような気がします。その中での「守ってくれる場所」――これもたぶん、天国のイメージの一つかも知れないと思えます。
そしてこの一節から、北米のファンたちは、自爆テロを連想した人が、かなりいたようでした。イスラムのジハード(聖戦)として、各地で繰り返される戦い――かつてテレビの番組で、自爆テロを企てる人々は、「自らを犠牲にして神のために戦うことで、永遠の天国に入れる」という強い信念の元に自らの行為を進んで行うのだと聞いたことがあります。北欧神話では、戦で死んだものは天国で美しい乙女たちの歓待を受けて暮らし、病で死んだ人は暗い黄泉の国で暮らすことになっていると書いてありました。イスラムの、ことのジハードに身を捧げる原理主義者たちにも、同じ概念があるようです。それゆえに「戦わずには、彼らの天国にはたどり着けない」となるのかとも。
もちろん、これは解釈の一つであり、他にもいろいろと解釈の余地はあると思います。

本来、宗教は鎧となるべきもの、自らを高め、不安や困難から身を守る助けとなる、自らを強くしてくれるもの、さらには困難に陥っている他の人を助けるもの。ただそれに満足せず、自らのように他者をも変えようとする、そのためには多少過激な手段をとっても構わない、そう思うことが、宗教が剣になってしまう始まりなのかもしれません。

#"confused alarm of struggle and flight"という一節は19世紀のイギリスの詩人、Matthew ArnoldのDover Beachという詞の一節から取っているそうです。

ちなみに、Dover Beachの最後の3行は、次のようになっています。
And we are here as on a darkling plain
Swept with confused alarms of struggle and flight,
Where ignorant armies clash by night.

そして我々はここ、暗き平原にいる
闇雲に戦う軍勢が激しくぶつかり
闘争と敗走の警報が入り乱れる混乱に巻き込まれて
(筆者訳)

最後に、歌詞に関係ない余談を一つ。Rushには(も)時々、Misheard lyrics(歌詞の聴き間違い)がありますが、たぶんSnakes and Arrowsでは一番有名なMisheardが、このArmor and Swordの一節です。
The battle flags are flown at the feel of a garden gnome
ガーデン・ノーム――庭の小人
ここ、たぶん曲のクライマックスなのに、台無し……orz

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WORKIN' THEM ANGELS

Workin' Them Angels - この曲は本来、2004年に出版されたNeilの自伝的旅行記、Travelling Musicの扉に掲載されていた詩が元になっています。
Travelling Music版、オリジナル詩

この、元のNeilの詩から、Geddyが言葉をピックアップして組み換え、出来たのがS&AのWorkin' Them Angelsなのだそうです。
ちなみにこの曲にメロディをつける際、Alexがそばにいなかったので、Geddyが自分でギターを弾いて歌メロを考えたのだそうですが、「僕はギタリストとしては簡単なのしか弾けないから」らしいので、コード進行は比較的シンプルになっているようです。

ところで、Workin' Them Angelsって、どういう意味だろう――私も疑問に思ったのですが、やはり北米でも、そう思った方がいらっしゃったらしく、RushtourとCounterpartsのフォーラムで、質問が上がっていました。答えてくれた方々によると、元はGhost Riderだか、Travelling Musicだか不明だけれど、Neilが旅の途中知り合った年配のご夫婦の会話から来ているそうです。このご夫婦のご主人の方が、無茶ばかりやるので、奥さんが言った言葉が”He's been workin' them angels overtime”
訳すと「天使たちに超過勤務させている」になりますが、これはどういうことかというと、あちらでは守護天使が人を見守ってくれる。でも、その人が無茶ばかりやっていると、天使の仕事が増えて、大変だ――つまりは『運を天に任せて、無茶をやりすぎだ』という意味だそうです。

Neilもかなりいろいろと無茶をやってきたのだろうな、と思います。アフリカや中国への冒険旅行だけでなく、悲劇の後のGhost Riderの旅や、そしてそれからのツアーと平行してのバイクツーリングでも。R30ツアー開始時にNashvilleへ向かう途中、トラックの荷台から吹っ飛んできた積荷に直撃されそうになった、なんていうエピソードを書いていましたし、目撃した人によれば、また時間と走行距離を照らし合わせても、かなりのスピードで走っているっぽいですし。VT Tour中、同行取材した雑誌記者が、一度Neilの走行に付き合って、あまりに危ないので、あとでAlexとGeddyに『止めないんですか〜危ないのに』と言ったところ、二人は笑って『僕らには止められないんだよ』と肩をすくめていた、というエピソードを書いていました。(Cycle world magazine参照)
Neilの守護天使はかなり強力だと思いますが、本当に大変でしょうね……

Range of Lightというのは、日本語ブックレットにもあったように、シエラ・ネバダ山脈の別名だそうです。ではwounded city(傷ついた街)とはどこか? という議論も複数の北米掲示板で上がっていました。

1.New York

 傷ついた街、で真っ先にピンと来るのはここのようです。911で失われたツイン・ビルの印象が強いようで。"Memory strumming at the heart of moving picture”の一節から、New Yorkを押す人もいました。曰く「Camera EyeでNew Yorkをとりあげているから」−Moving Picturesって、それかい?! ただ、「Range of Lightを越えてNew Yorkへ、というのはなんとなくピンと来ない』という意見も多いようでした。

2・Los Angels
 いまやNeilのホームタウンなので、シエラ・ネバダを越えてLAへ帰る、というのはありえる、と言うのがLA説支持者の主張です。ただ「Los Angelsのどこが傷ついた街なんだ?」という意見もあり、それに対して、「今やどこの街も傷ついている」と言っている人も居ました。それにLAは別名City of Angelsだから、タイトルにも通じる、という意見もありました。

3.Toronto
 SARS騒動で経済的に大打撃を受けたのと、かつてのNeilのホームタウンであり、家族と共に過ごした記憶の残る、『傷つけられた街』である、というのが主な主張でした。Ghost Riderにも(Travelling Musicでも?) シエラ・ネバダを越えてトロントへ帰る場面が出てきたそうです。

 私個人的な感想では(そして今や多数の意見として)、やはりwounded cityはトロントじゃないかな、と思えますね。元の詩を見ると、特に。LAからシエラ・ネバダへ行っているように取れるので。

#ちなみに冒頭のライン、過去に向かって走るのに、どうしてバックミラーの中に過去が遠ざかるのか、行く手に過去があるのではないか、という突っ込みがありました。過去へ向かっていっても、やはり過去は過去として、過ぎゆき遠ざかるものなのだ、というわかったようなわからないような結論でした。心は過去に向かっていても、現実時間は巻き戻らない、そういうことなのかもしれません。

 
総論:私個人としては、この曲はGhost Rider Part2と捉えております。

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THE LARGER BOWL

この曲は91年頃、パントウム(Pantoum)形式の試作としてNeilが書いたもので、それが15年ぶりに曲がついて世に出たものだそうです。パントウムというのは、英詩の形式の一種で、マレー起源と言われています。そして、以下の規則を持つようです。

・4行で1節。
・その節の2行目と4行目が、次の節の1行目と3行目になる。
・詩の最初の行が、その詩の最後の行にもなる。

The Larger Bowl、歌詞カードを見てみますと、たしかにその規則にのっとって書かれているようです。(歌詞カードにはない、最後のリフレインは除いて。あと、厳密には"the earth" と"this earth"で、ちょこっと違うんですが…)

この規則にのっとると、最初の節の3行目と最後の節の2行目以外、全部の行が2度繰り返されることになります。でも、それぞれの行の組み合わせは、変わるわけです。英語の詩には、韻がつきものですが、4行詩の場合、最低でも2,4行で韻を踏むわけですが、パントウムの場合、1,3行目も、次には2,4行になってしまうから、フルに韻を踏まなければなりません。なので、この制約の中での作詞は、通常より難しかったと思えます。(Neilもライナーの中で、鍛錬のため、というようなことを書いていたと思います)

言葉はシンプルですが、この世の不条理を描く、奥深い真理を含んだ詩だと思います。


メロディー的には、Neilがライナーで書いているように、またGeddyがインタビューで、「Feedbackをやって、シンプルなものの中にこそ美しさがあるということを再発見した」というようなことを言っていましたが、それが反映したような感じを受けます。フォークっぽくもあり、キャッチーなメロディは、気がつくとハミングしていたりします。気軽に歌うには、少々重い詩ですが…(^^;;

ただ、Neilが後にインタビューで言っていたように、どうして書いてから曲がつくまで15年かかったかというと、このパントウム形式というのが、曲をつけるには不向きだと思えたから、ということのようでした。4行の定型スタンザが、ずっと最後まで続くので、ヴァース、コーラス、という楽曲のフォーマットにはまらなくて苦労するだろうから、作曲チームに提出するのをやめた、とか。でも今回、第3ヴァースをコーラスとすることで、曲になった、ということのようでした。

#ちなみにbadly arrangedというのは、やり方がまずい、とも訳せるかと思います。


タイトルのThe Larger Bowlは、Neilの最初の著作、’88年のアフリカ自転車旅行記、The Masked Riderからとっているようです。第5章、そのタイトルもズバリ「The Larger Bowl」、その冒頭部分です。

The Masked Rider引用

Neilがこの詩を15年を経て今出してきたのは、今回のテーマ「信仰」につながる部分があるからではないか、とも、個人的には疑っています。「神はどうして、すべての人を幸せにしてくださらないのか。なぜ本人にはどうしようもない、悲しい運命があるのか」――このあたりの疑問は、信仰への根底を問うものになるような気もします。「逆境は神の試練」という見方もありますし「カルマゆえ」という論もあるとは思いますが、本人にはどうしようもない運命に翻弄される人間にとっては、本当に救いにはならないと思いますので。
タイトルのThe Larger Bowl、夢の中でのタイトルだからそのままついた、と言ってしまえばそれまでですが、The Masked Riderの本の章タイトルにもなっている、そしてNeilはアフリカや中国等を旅行し、いろいろな人生の縮図を見ている、自身も悲劇を経験している――このタイトルを眺めていて、ふと思いました。
より大きな幸運の器を持った人もいる、そうでない人もいる――some are blessed , some are cursed。それはもって生まれたもので、どうにもならないものなのだろうか――。


#余談ですがNeil、赤痢と言いつつ、次の日には普通に自転車旅行を続けているのですから、単なる食あたりかもしれないな、とも疑っています。住血吸虫では、えらい目にあったようですが。

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SPINDRIFT

この曲はFar Cryに続いて、アルバムに先駆けてrush.comで一部分公開された曲であり、第2弾シングルともなった曲です。(残念ながらFar Cryほどには成功しなかったようですが)

spindriftというのは、波が激しい時に波頭に立つ、白い波飛沫のことで、また、風に巻き上げられて出来る砂煙や雪煙のことでもあるそうです。それだけ波や風が激しい状態を表す言葉なのでしょう。歌詞の心象風景−砕け散る波、吹き寄せる風、舞い上がるspindrift−この激しさを、見事に音楽がシンクロして伝えているようです。目を閉じて聞くと、黄昏の海辺に立ち、風に吹き付けられながら、荒れ狂う海を見ているような、そんなイメージが浮かびます。ついでに雨も降っているんだろうなあ、とも。(北米でハリケーンのBGMに使われた、という情報も納得できる気がします)

でも、この曲で描かれる風景は、比喩として表されるもので、嵐のような感情の葛藤を表したものだろうと思います。その中で、いかにコミュニケーションがとれるか − 相手の感情が非常に高ぶっていて、こちらが何を言っても跳ね返されるような、受け入れてくれないような時、どうしたらいいのか――もう少し相手の心に近づきたいのに、逆巻く波に押し返される。でも、いつか波が凪ぐ時があり、風が穏やかになる時もある。きっと跳ね返す波だけではなく、相手の心へと運んでくれる穏やかな潮流が現われる時もあるだろう。状況は厳しいけれど、それを探して、待っている。きっと心は伝わると信じているから――

1対1の対人コミュニケーションとしてみると、この曲はそう解釈できるのではないかな、と思います。ただし、Neilがエッセイで書いていたように、S&AのRelationship Songのテーマは皆、基本的にはLovers' quarral with the worldなんですね。つまり、相手は世界、もしくは世間でもあるわけです。その視点から見ると、Spindriftの心象風景は、さらに激しさを増すと思います。相手は世界なのですから。激動する世界に対して、その中で自分と意見の異なる、視点の違う大勢に向かって、自らの信じることを、わかってもらうこと――それは本当に、逆巻く波に向かって叫ぶよりも厳しく、何を言っても跳ね返されそうな無力感の中、それでもわかってもらう努力を必死に探ろうとする姿勢――ただの口げんかではなく、恋人たちの口げんかなのだから、基本的には攻撃ではなく、お互いにわかってもらいたい、その根底には愛がある――それゆえに、道を探そうとしているのでしょう。それも、「わかってくれ!」と一方的に叫ぶのではなく、どうやったら相手により近づいていけるのか、理解できるのか、その上で、わかってもらえるのか、それを探して苦闘する、そんなイメージを受けます。


S&Aが発売された翌週あたりに、Counterparts掲示板に「この曲の主人公が西の海辺に立っていて、東から風が吹いてきたら、後ろから風を受ける形になるよね。そうすると、波飛沫は波の向こう側に出来て、主人公からは見えないはずだけど」と投稿していた人がいて、「理論上はそうだけれど、風は海辺では巻くものだから、こっちからも見えるんじゃない」と返していた人がいました。「わぉ、私はなんとなく向かい風を想像していたんだけれど、そうじゃなかったんだ。しかし、細かいな〜」という印象を持っただけだったんですが、そのスレッド内で、後に「それは実際の海のことじゃなくて、一種の比喩だ」と言っていた人がいました。たしかにSpindriftの情景は、実際の景色ではない、比喩には違いないのですが、その人の解釈はこんな感じでした。

「西の海岸に波が押し寄せる。西は西洋文明を意味する。つまり、僕たちの世界だ。(CPはアメリカの掲示板ですので) 波が押し寄せるというのは、いろいろな意味で不安定な世界情勢の脅威にさらされているということ。東から猛烈に吹く風とは、イスラム世界からのテロや攻撃だ。A little closer to youのリフレインは、対話とお互いに分かり合うことで東西融合を図れということじゃないかな、と自分は思っている」
「それ、考えすぎじゃない? Neilは今やロス在住で、それもサンタ・モニカ埠頭の近くに住んでいるんだから、Western shoreといえば西海岸、ロスなんだし、Neilにはおなじみの海辺なんだから。それにhot dry rasp of the devil windsというのは、モハーヴェ砂漠から吹いてくる風の通称だから、地理的にはまさにロスの海岸に立っている、だからwestern shoreにはそれ以上の意味はないだろう。それにその解釈でいくと、西の海岸の太陽が沈むということは、西洋文明の没落になってしまうじゃないか」という反論も、ありました。たしかにそれも、納得の出来る論だと思います。
でも一つ、私個人的に腑に落ちないこと――最初の解釈は確かに拡大解釈しすぎかもしれないですが、それでも完全に深読みしすぎなのだろうか、あながちそういう含みもあるのでは、という疑問が捨て切れないのは、歌詞中、やけに「西」と「東」が強調されているような気がしてしまうからです。この風景を描くのに、そもそも方角は重要かというと、単に波風激しい状態を描くだけなら、いらないような気がしてしまうので。「西」海岸はまだいいとして、「東」の風の必然性はあるのか――単なる語呂の問題かも知れないですが、同じ「西」と「東」が、この2曲後のTWTWBで「From Middle East to Middle West」というコントラストで出てくるので、Spindriftのeast、westに同じ含みを感じてしまう人が出たとしても仕方がないような、そういう余地を残しての歌詞のような気もしてしまいます。あくまで聞き手の読み方に委ねつつも、そういう解釈の余地も残っているような感じで。
そう読むと、A little closer to youのリフレインは、世界平和への祈りのようにさえ聞こえてきてしまいます、私個人では。Peacable Kingdomに近いようなものを感じてしまうのは、eastとwestの対比が世界を象徴する、というこの読み方を知ってからで、私にとってはかなり興味深い視点に感じました。
ただし、この状況が(西と東との相互理解もふくめて、お互いに違う考えの持ち主たちがわかりあうのは)非常に厳しいと思わせるのは、A little closer to youのリフレインのあと、再び波風激しい状態を思わせるイントロ部分がアウトロにも出てきて、そのまま終わってしまうことですね。非常に長い試行錯誤が必要になるだろうという予感のようにも感じられてしまうのです。

余談ですがこの曲、ヴァース、プレコーラスまでの部分とA little closer to you部分との落差がけっこう大きいので、海外の各ファンサイト掲示板では、「その落差を含めて好き」な人と、「盛り上げるだけ盛り上げておいて、A little closer to youかよ〜 Air Supplyじゃないんだから〜」という人、「前半好きじゃないよ。後半が良い」という人、見事に分かれていました。(私は一番最初の、落差を含めて好きな人です。いや、落差があるからこそ好きですね)

NeilがS&Aエッセイで、プロデューサのNick Rさんのあだ名Boozjeの由来を書いた時、定着したきっかけになったGeddyの一言が「ここにいるBoozjeが、Spindriftのサビを変えて欲しいってさ」だったと、記していたんですね。Spindriftのサビ(この場合、A little closer to youなんでしょうか)の、元はどんなだったのだろう、と少し興味があります。

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THE MAIN MONKEY BUSINESS

これは、本来のインストとして作られたもののようで、neilpeart.net去年12月の更新文の中に、「10月にトロントでプリプロダクション作業を終える頃には、10曲の新しい曲と、11曲目の「Mental Insturmental」が出来ていた」とあります。この「11曲目のMental Instrumental」がこの曲だそうです。TMMBに関してのメンバーのコメントを集めると――

・この曲はCDヴァージョンはオリジナルの1/3で、6つのパートから成り立っている。(by Alex @Q107Radio Interview)
・この曲のセグメントをパズルを組むみたいに、あちこち動かして遊んでたら複雑になっちゃった。(by Geddy @BURRN)
・この曲を覚えるのに三日かかった。(by Neil @S&A Essay/neilpeart.net )

たしかに構成は少々イレギュラーかな、と思い、モチーフに分けて聞いてみました。この曲、大まかに言って、6つのモチーフがあるようです。
なんと言うか、変な形容になってしまうのはお許しください。

A:冒頭に出てくる、アコギとベースの下降パターン
B:バックに女性ヴォーカルぽい効果音が乗る、エスニックぽいパターン
C:ちょっとCygnus X-1を想起させる(through the void〜)パターン
D:メインリフ(コーラス)部分
E:ラララ〜ラ〜ララ〜(もっとまともな表現はないんかい、我ながら(^^;;
F:激しく上っていくような感じのキメ部分

構成的には、こんな感じですね。

A−B−C−D−A−(ドラムのトランジット)−B−E−C−D´(これは別パターンとした方がいいのかも)−(ギターソロ)−F−D−(ベース/ギター掛け合い)−
B−E−C−F−A

まあ、たしかに型にははまってないかも。
でも、それを言ったらLa Villaはどうなる?(苦笑

ちなみにこのタイトルの由来ですが、NeilがS&Aのエッセイに書いていましたので、日本盤を買われた方、もしくはオフィシャルサイトで原文を読まれた方はご存知とは思いますが、Geddyとお母様との間のやり取りから来てまして、
母「あの人がいかがわしいこと(monkey business)に手を出してやしないか、心配よ」
G「いかがわしいことって、どんな?」
母「わかってるでしょ。正真正銘、いかがわしいことよ(the main monkey business)」

まあ、タイトルの由来はわかりますが、で、その正真正銘の(一番肝心な)いかがわしいことって何を意味するのか? ドラッグ? と、Rushisabandのブログで聞いていた人がいまして、それに対し、「違うよ。S○Xだろ」と言っている人が居ました。その人に対しての反対意見が上がっていないところをみると、それが正解なのでしょうかね〜?(別のスレッドで、main monkey businessっていうから、もうちょっと色っぽいものを想像したけれど、この曲はセクシーじゃないな」と言っている人もいましたし) 個人的には「政治かな〜?」などとも、思ってしまいましたが。
ちなみに、TMMBに手を出したご本人のことを、Neilは「彼らの従弟かなにか」と書いていましたが、Q107(トロントのラジオ局)でのプレミアにて、Geddyが言うには、親戚ではなくて、ヨーロッパにいる家族の知り合いなのだそうです。

この曲はMVIによると3人全員が同時に演奏して録音したもので、11曲中最後にレコーディングしたものでもあるそうです。(除くHope&Malnar)

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THE WAY THE WIND BLOWS

この曲はSnakes and ArrowsにおけるFaithテーマの1曲であり、2006年3月、AlexとGeddyがNeilの元を訪れた時に持ってきた「作りたての曲」5曲のうちの1曲だったそうです。そしてNeilは、今までの自分たちがやってきたこととは違っていて、フレッシュで生き生きしていながら、なにかより深い音楽の源流に根ざしているように聞こえた、とエッセイの中で書いています。久々のブルース・エッセンスに加え、非常に構成の起伏が激しい曲てす。そしてGeddyがツアー中のインタビュー(Bass Magazine関係と記憶)で、「この曲はちょっと特殊な構成で、サビで盛り上げるタイプの曲じゃなくて、ヴァースが激しく、コーラスは静か、なものだから、ヴォーカル的にちょっとデリバリーが難しいかな」というようなことを言っていました。

詩のほうですが、これは宗教論争云々より、「Politicalである」ということで、論議を呼んだようです。あちらでは政治は宗教に並ぶ紛糾話題ですが、これは宗教的含みもある上に政治的でもある、二重のタブーに踏み込んでしまってるんでしょうか。北米の人たちには、この詩は現Bush政権への批判に聞こえるそうです。ことに"hollow speeches of mass deception"と"and they leave no child behind"の部分が、「まともに示唆している」と。Bush大統領には娘さんがお二人いらっしゃるけれど――実際、この「あとに残していく子供がいない」という部分は、よく解釈できませんでした。女の人だから、戦場に出ることはないということなのか、(でももうアメリカも徴兵制はないはずですが) でもtheyですから、他の意味もあるのかもしれません。子供もあとに残さない――無差別攻撃のタブーに踏み込んだ、という解釈も考えられます。

Middle Eastは中東ですが、Middle Westはアメリカ中西部、いわゆるBible Beltと呼ばれるキリスト教信仰の盛んな一帯を指すそうです。そういえばW.ブッシュ大統領もテキサス出身ですし(生まれはニューイングランドですが)、夫人はメソジスト教会の信者でいらっしゃったそうですので、Middle Westが示唆するところは、やはり現アメリカ政権という見方が主流なのは致し方ないかな、とも思えます。これに関して、北米ファンサイトでは一部の投稿者が「中東と一緒にされるなんて心外だ」と反発していた人も、やはりいました。でも私的意見を述べるなら、やはり今のイラクの混乱状態を鑑みるに(長引く中東紛争にも)、先に仕掛けてしまったのがアメリカである以上(イラク戦争に限りですが)、"From Middle East to Middle West"と言われても、多少は仕方がないのではないかなぁ〜と思える部分、なきにしもあらずだと思えます。実際、日本ではあまり実感ないかもしれないですが、テロリストや扮装が幅を利かせる現代は、本当に「暗黒時代(紛争、戦乱の多かった時代)に戻ってしまったみたいだ」ともいえると思います。

5月9日のRockline公開インタビューで、「TWTWBはブッシュ政権への批判ですか? 今回政治的主題を盛り込んだ理由は?」という質問が、やはりというか来まして、それに対するGeddyの返答が「思想と政治との境界線は微妙だと思うんだけれど、僕らは政治的にするつもりじゃないんだ。たしかにPoliticalにとられる部分もあるのは否定しないけれど、この曲の本質は思想的なものであって、政治的じゃないと思う」というような感じでした。

ではこの曲の本質、というか主張はなんなのかというと、それはたぶんコーラス(サビ)部の"we can only grow the wind blows.."の部分なのでしょう。風が吹くようにしか育たない。風向きに従ってしか、伸びない。内陸ならそんなこともない(常に一定方向から風が吹くわけでもない)と思いますが、歌詞にあるような「海岸に生えた木」なら、風の吹く向きに木が伸びていく、そっちに曲がるというのはあるのでしょう。(ブックレットの風景が、まさにそれですね) growだから、ただ一時的にそっちに向くのはなく、その向きに沿って伸びていく。
風の吹く向きに沿って伸びるとは、どういうことか。何の比喩なのか。それに続いて"we can only bow to the here an now in our elemental war/or be broken down blow by blow"となるわけですが、これはどういう意味か。 これに関してはやはり、現地のファンサイトでも疑問が出たようで、それに対し、elemental warというのは、「ここに存在するための/生きていくための戦い、葛藤」で、そのために頭を下げなければならない。さもなければ"be broken down blow by blow"なわけです。
こう考えると、「bow(お辞儀をする。頭を下げる)ということは、屈服なのか。さもなければ生きていかれないと? それはNeilらしくない」という解釈をする人も、やはり出てきましたし、それもむべなるかな、なんですが、実際には違うと思います。(このオチだと、ヴァースのアグレッシヴさが生きてこない)
Rushtour/CounterpartsのMiriyaBさんという方が、詳しい解説をしてくださっているんですが、このbowというのは、屈服ではなく、現実を認識し、受け止めて(そのプレッシャーを)やり過ごすこと。このあとFaithlessにも同じbowという言葉が出てくるんですが、"Like a forest bows to winter/Beneath the deep white silence/I will quietly resist"――「雪の重みに耐える森」、「静かに抵抗している」――このbowとTWTWBのbowは、同じ含みだと仰っていました。守ってくれるものが何もない(bare and weathered shore)場所では、風の吹く方向に頭を垂れることは、屈服ではなく、その圧力に耐えつつも、伸びていかれる(grow)道を探すことだと。この場合、「風の吹く方向」とは、世界の情勢/宗教的、政治的圧力も含めて、だという解釈も出来ます。
ただもう一つ、私としては「風の吹く方向」というのは、自然の趨勢/あり方、という見方も出来るのではないかと思っています。自然の流れに従って生きるべきだ、宗教とか政策とか、そういうもので抵抗(捻じ曲げる?)してはいけない。(なのに今は――そしてそういうものの行き先は、倒れるしかないのでは、という懸念も含めて)
 
MVIのメイキングヴィデオでのNeilの解説では、実際カナダの海岸地方では、風の向きに沿って伸びた木が見られるそうです。生きるために、風の方向に曲がらなければならない。”Military Wind”とNeilは言っていましたが、今の世の好戦的な風、それに逆らうことは実際には難しい、ペンで剣に立ち向かうことも困難だ、ではどうするか、というと、そのあとにNeilが言及したのが、まさに上の”Faithless”の歌詞でした。"冬の間雪の下に身を屈める木々のように、砂漠に夜の間だけ咲く花のように”――無理に逆らって折れるようなマネはせずに、その中で自分に出来る範囲で精一杯やる――
私は現実には見ていないので、大声では言えませんが、ブ○トビデオで見たこの曲の演奏シーン、風に転がるどんぐりが芽を出して、風の吹く方向に沿って斜めに成長していく。そしてその木陰で、一輪の花が開く――そんなスクリーン映像で終わっていました。これもまた、決してそのメッセージはネガティヴなものではないという裏づけのような気がしています。

 また、同じMVIの中で、Neilは風向きの沿って伸びていく木は、子供の成長のさまでもある、と言っていました。親や周りの教育や環境に従って成長していくものだから、と。そのあたり、Armor and Sword冒頭の"The snakes and arrows a child is heir to are enough to leave a thousand cuts"につながるものもある気がします。

この曲は「今の時代、情勢」を切り取ったような歌詞なので、「2008年にブッシュ政権が退陣したら、この詩は意味をなくす」というファンも少なからずいました。でも風向きは変わるにせよ、風は吹いていくと思いますし、本質はやはり「政治的ではなく、思想的なもの」なので、普遍的なものではないかな、と思います。そしてこの曲のあと、Hope-Faithlessと続くのが、非常に興味深いです。このあたり、絶対狙ってやったな、と思うほどに。

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HOPE

この曲はAlexのアコギのみ、Broon's BaneやZeppのBron-Y-Aurの路線でしょうか。

複数のインタビューでAlexとGeddyが語っていたところによると、Rushの曲作りは、まず二人のジャムから始まって、それをPCのHDにレコーディングする。で、ある程度ストックしたところで、GeddyがPCで編集を始めて、曲のストラクチャーを作る。この段階では、Alexはソファで寝ているか、ジャムに持ち込んだアコギをぱらぱら弾いていることが多いそうです。で、時々Geddyが振り返って言う。
「今弾いたの、忘れるなよ!」
Alexは「は? 今弾いたの? どんなんだっけ?(爆」

Neilも言っていましたが、Alexは即興プレイヤーなんですね、ほとんど無意識の。 ギターを爪弾きながら、時々はっとするような美しい旋律やコードを紡ぎだす。で、Geddyがそれを耳に留めて、「いいな! もう一度やって」と言うと、Alexは「え、どんなのだっけ?」と返す。(MVIでも12弦ギターを光速で即興演奏しているシーンがありました。あれも曲にしてくれたらな、と思ったものです) そんなことを繰り返し、Geddyが言い出したらしいです。「アコギで一曲、インスト作ったら。それだけ凄いのが出来るんだから」 Alexも「ああ、いいね〜」とその提案に乗り、12弦ギターで、あれよあれよと言う間に出来上がったのが、「Hope」――ほぼ一発撮りで、でも念のためもう1テイクとって組み合わせたそうです。タイトルはNeilがエッセイで書いていた通り、Faithlessの一節から取ったと言うことです。

Alex、凄く叙情的なギターで、心洗われるような気がします。個人的に大好きなインストです。

※余談ですが、この曲Lerxst Lifesonと言うクレジットになっていますが、北米のどこかの新聞(?)レビューに「HopeはAlex Lifesonの息子Lerxstの演奏による〜」などと、お間抜けなことが書いてありました。違うって!

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FAITHLESS

Faithless−信仰のない奴、不信心者というこの曲、Neilの決意表明のような気がしますが、Faithテーマ4曲の中で一番物議を呼んだと思います。特にキリスト教を信仰するファンたちの一部から、根強い非難が上がっていたようです。

しかし、Neilが信心深い人じゃないのはRushファンなら昔から知っていただろうし、古くはSomething For Nothing、Freewill、最近ではGhost of A Chance、Totem等、「神より自分を信じろ」的メッセージを送り続けていただろうに、と思う人も多いようでした。(筆者もその一人。というか、特定の宗教を持っていない人には宗教的重みって、どうもわかりにくいです。。)
特にGhost of A Chanceなど、思いっきりFaithlessと似たようなことを言っています。

I don't believe in destiny
Or the guiding hand of fate
I don't believe in forever
Or love as a mystical state
I don't believe in the stars of the planets
Or angels watching from above

RTBが発売された頃は、ネット黎明期だったから、どんな議論が起きたかは、AMRあたりの古いニュースグループのログでしか知りようがないですが、でも知っている限りではFaithlessほどの反発は返っていないようでした。基本的にGOACってラヴソングで、信心云々は二の次だからか、それともRTB時代のコンセプトが「運」で、その一環としてとりあげたからでしょうかね。。(運と信仰は、似て非なるものか? 同じ根っこを持つ気はするのですが。。。)
「ダイレクトすぎる」「もうちょっと遠まわしに伝えられなかったものか。以前は比喩や間接表現で伝えていたのに」「説教くさい」――Snakes And Arrows全般に関して、そんな非難もいくつか見かけました。もしかしたらFaithlessが論議を呼んだのは、その表現が直接的過ぎ――直球ストライクだったせいかな、とも思えます。「正直だよね」「はっきり恐れなくそう言えることに感服した」そういう肯定意見も、言ってみれば、直接的であることの裏返しかな、と。一部の説法者たちを盗人呼ばわりもしていますしね。。(少なくとも、そう取れる表現といわれても、仕方ないですかね(^^;)

5月9日のRockline公開質問で、TWTWBと並んで、やはりこの曲もファンからの質問が来ました。Geddyあてに、「NeilはFaithlessで I don't have faith in faith/I don't believe in belief/ You can call me faithlessと書いていますが、あなたは歌う時、この歌詞に同意してますか? どう思います?」というような質問でした。それに対するGeddyの返答が「そのあとが重要なんだよ。I still cling to hope/And I believe in love/ And that's faith enough for me−−そこまでひっくるめたセンチメントとして、僕は彼に同意している」と言うような感じでした。(そして、Alexも同意していたようです)

Geddyもユダヤ教徒ではありますが、地元TorontoのQ107ラジオ・プレミアで、「神様がもしいるなら、クビにするべきじゃないかな、と思っている」などと、ある意味Neil以上に過激な発言してますし、Alexも以前は神を信じていると言っていた記憶があるのですが、今は信じていないとその同じインタビューで言っていました。(何が彼をして信仰を捨てさせたのか、その辺に少し興味はあります)

宗教って、西洋ではけっこう精神的な根っこにかかわる問題のようですので、もし敬虔な信者であるなら(信じているものがなんにせよ)、Faithlessの歌詞は歌いにくいかもしれない、とは思います。(実際、キリスト教信者であるファンの何人かが、「この曲、音楽はとても好きだけれど、とても歌えない」と投稿していました) そのへんはプロとして、なんとかするんでしょうが、バンドで意見が一致している方が、心理的な問題は少ないのでしょうね。

でも、そのすべてをひっくるめたセンチメント――「希望と愛を信じるから、信仰はなくてもいい」というのが、逆にキリスト教徒の精神には引っかかるのだろうな、という気はします。新約聖書コリント人への手紙1に、使途パウロの言葉として、
「信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る」
というのがあり、信仰と希望と愛はキリスト教の根本理念となっているように思えるからです。そのうちの一つ、信仰が否定されてしまっては、完全ではない。それも「希望と愛があれば、信仰はそれで十分」と言うのが、逆説的皮肉に聞こえ、反発を受けるのかもしれません。

余談ですが、引用元であるコリント人への手紙1、第13章は、別名「愛の章」として有名で、「信仰と希望と愛」このあと「その中で、もっとも大切なものは、愛である」と続きます。そしてさらに愛についての言葉が続きます。聖書が手元にないので正確に引用できないのですが、「もし私が焼かれるためにこの身体を差し出しても、山を動かしても、愛なくば、私は無に等しい〜」から始まるその「愛についての」言葉は、キリスト教で結婚式を挙げる際、たいてい朗読される有名な一節のようです。(筆者も友人の結婚式で2,3回聞いたことがあります)

でも基本的にFaithlessでNeilが言いたかったのは、「回りから(特に宗教的な圧力など)の力に屈せず、自分の意志を持って、進んでいけ」という、Something for NothingやFreewillと変わらぬ主張だと思います。ただ、以前の曲とどこが違うかといえば、ポイントとなるのは、繰り返し出てくる"I will quietly resist"のフレーズでしょう。静かに(落ち着いて)抵抗する(堪える)――これは、TWTWBにおける"We can only bow to here and now〜”に通じる姿勢で、下手に回りとぶつかることなく、それでも静かにわが道を通す。不屈の意志と、摩擦を受け流す柔軟さ。流されず、でも打ち倒されることなく生きていく、生き方なのだと思います。

S&AのMVIドキュメンタリーで、Neilはこの曲についても語っていますが、「宗教はネガティヴにもなりえる。回りからどう言われても、そういうネガティヴな面での宗教にはコミットする必要はないんだと思う」という感じで、Armor & SwordにおけるSword面についての宗教へのFaithlessだ、というような解説をしていました。ただし、状況によっては非常にそれが厳しくもなるので(TWTWB参照)、そのためにquitely resist〜川底の石のように、冬の森のように、砂漠の花のように。受け流しつつも自分を見失わない。それがFaithlessで言いたかったことなのだろうと思います。
(GeddyもMVIドキュメンタリーでこの曲について、「キリスト教信者もいるし、神を信じない人もいる。とかく世の中の無神論者はいろいろ非難を浴びがちだけれど、この曲はそういう人たちのための曲だ。(クリスチャンへの批判ではない)」と言っていました)


The Way The Wind Blows〜Hope〜Faithlessの3曲は、共通のコンセプトでつながった組曲のようにも思えます。HopeはAlexのアコギのみのインストですが、このタイトルはNeilのエッセイにあったように、「Faithlessの一節から取った。プレリュードとして、先立つ祈りとして」ものですから。そして、これはヨーロッパの掲示板の投稿者の言葉ですが、「やたらとこのアルバムは、自然の事象の比喩が多いよね。松、海岸、風、川、石、森、柳、砂漠、花、夜……」 そう言えばそうだ、と思いました。特にTWTWBとFaithlessは、とりわけ自然関係の宝庫です。上に上げた言葉、皆この2曲中のものですし。
とりわけ宗教色の濃いこの2曲が、自然事象の心象風景の中で語られていることに、宗教に対峙する自然――進化論か天地創造か、自然の中に神が宿るのか、神が自然を支配するのか――そういう世界観の対立と、共存の道への示唆があるのかもしれない。ふと、そんな印象を抱きました。

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BRAVEST FACE

Bravest FaceはNeilが書いたS&Aエッセイの中で、TWTWBと並んで、最初に出来た5曲の中の一つだと書いています。「スピリチュアルな印象を受け」「これまでに自分たちがやってきたこととはかなり違って、フレッシュだった」という感想を持ったそうですが(これはTWTWBもそう)、歌詞の内容的には、分類するとしたらRelationshipの方に入るのでしょうが、ある特定の二人の関係ではなく、「自分対世間」のみの視点で書いたように見受けられます。 (もともとS&AのRelationship Songsは、基本的にNeilがエッセイや自サイトの更新で書いていたように、”Lovers' quarrel with the world"(世界に対しての、恋人たちの口喧嘩)なわけで、「対世間」の側面を、どの曲も含むのですが、Bravest Faceはその「対世間」のみなわけです)
Counterparts掲示板のある投稿者が、この歌詞の内容を一言で表すと、”Life sucks, so deal with it”、(人生って奴はひどいもんだ。それを受け入れるしか、しょうがないね)だと言っていました。まあ、端的に言ってしまえば、たしかにそういう見方も出来ると思いますが(苦笑)、もうちょっとポジティヴな含みもあるような気が、個人的にはします。
”put on brave face” というのは、「(脅威にたいして)平然とした顔を装う」という熟語のようです。ブックレットにある、ウィリアム・テルの息子を彷彿とさせるあの少年のように、目の前の危険にさらされても、精一杯毅然としている――彼は立ち向かっているわけじゃない。現実を受け入れているわけですが、そして内心では恐怖を感じているに違いないのですが、臆した風をおくびにも出さず、じっと佇んでいる。それが"put on the bravest face"の表すところなのだろうなと思います。

人生には明るい側面もある、その明るさを感じられる人もたしかにいる。でも暗い側面もあり、そう感じる人の方が多い。(前者はa fewで、後者はso manyですので) The Larger Bowlの"Some are blessed, some are cursed/The golden one or scarred from birth" に通じる世の中の見方であり、ではその中で、どうすれば良いのか、というのが "put on your bravest face"――人生、いろいろなことがあるだろう。良いことばかりじゃない。困難にぶち当たることも、きっと何度かある。その時には逃げないで、そういうこともあるのだと受け入れて、平然とした風を装っていくしかない。それが立ち向かうのか受け流すのか、個人的には「受け流す」方に傾いていますが――TWTWBの"we can only bow to the here and now"に通じる姿勢を感じるので――私の解釈ではそんな感じです。なので、ドポジティヴとは言いがたいけれど、かなり前向きな姿勢を、この曲からは感じています。
リフレインの「preciousなものがほんの少ししかないにしても、それでもpreciousに変わりはない」――大事に思えること、貴重な宝物――それが本当に少しでも、それを大事にするべきだ、というメッセージも含めて。

時には冷たい世界に対して、毅然とした顔を装うには、それだけの精神的な強さを求められます。その精神のよりどころとして、宗教(Faith)を求める人も多いような気もしますが、Neilのことですから、この場合のよりどころは「自分自身への信頼」「自分をしっかり持つ」というようなことかな、と思えます。そしてそこからFaithlessにつながる意志の強さ――I will quietly resist――を見ることが出来るような気がします。
底流に流れるコンセプトを考えると、TWTWB−Hope−Faithless−Bravest Faceという流れは、とても自然につながっているな、と、改めて思いました。

余談ですが、このヴァース部分でのGeddyのヴォーカルは、意図的に所々調子を外したように聞こえますね。最初に聞いた時にはかなり変な感じに聞こえたのですが(^^;、詩の内容を反映してのデリバリーなのだろうなと思うと(まあ、こんなこともあるけれどさ〜的な)、なかなか興味深いです。

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GOOD NEWS FIRST

この曲、欧米ではS&A曲中、たぶん一番賛否分かれていた曲だと思います。私にとっては、最も早く気に入った曲のひとつであり、とても好きなので、「なぜGNF嫌いが他の曲に比べているんだ?!」と言うのが、納得できなかったりもしました。まあ、個人の感性の問題ですから、仕方ないのかもしれませんが。「否」の人の多くは、ヴァースのヴォーカル部分の違和感、と言うのが理由の大半だったように思います。エフェクトがかかっている上に、言葉がちょっと不自然に引き伸ばされている、と言うんですね。あと、個人的には、なんとなくコーラスのメロディがきちんと収束していないような、微かな非調和感を感じる部分もあります。それもあるのかもしれません。←ただ繰り返しますが、私自身はとても好きです。 

AlexがMVIのDocumentaryでこの曲に関して、「最初に作った段階では正直どうかなぁ、と思ったんだけれど、(ギターを)アコースティックからエレクトリックにしたら、だいぶ印象が変わった」というようなことを言っていました。そしてアレンジ段階で曲がどんどん発展していき、最終的にとても気に入った、と。

この曲はRelationship songの一つで、このカテゴリーに属するほかのS&A曲(SpindriftやWe Hold On)同様、一見ラヴソング風というか、こじれてしまった二人の仲を改善しようと必死な主人公、という風にも受け取れます。が、実はSpindrift同様、ここでいうyouとは世間であり、自分と意見を異にする人々、大衆なのですね。私には、「何でこんなになっちゃったの?」という嘆きのようにも取れます。


Counterparts等の北米ファンサイトで「ところで、この曲で歌われている一番悲しい言葉/一番美しい言葉って、なんだろう」というディスカッションがありました。そして「一番美しい言葉は"I love you"じゃないかな」という意見が、かなり多かったです。悲しい方は"I used to love you"か、それともこっちも"I love you"か、意見が分かれていました。うーん、たぶん1対1のラヴソングとして解釈すると、そのあたり、妥当じゃないかなと思えます。(個人的には、もし1対1で見るなら、両方とも"I love you"の方が詩的だと思う)
 ただ、本来のLovers' quarrel with the worldという観点から見ると、ちょっと違うかもなぁ、と思えます。世界は素晴らしいとか、希望に満ちているとか…いや、愛も大事ですから、あながち愛している、も、間違いではないかも。

「(5月の曲作りセッションにて) Geddyはいつも彼にとってフィットするラインだけを抜き出して、残りは返してくるからね。それは良いんだ。それで曲が良くなっていくわけだから。でも今回、生き残ったラインだけでは、まるで意味がつながらなくなってしまった。それを何とか元の意味のあるものに修復しなければならないんだけれど、どうしていいか、一日悩んだよ。Alexに『抽象画にも意味はあるんだろうけれどね』と言ったくらいさ。でも次の日、突然ひらめきが来て、うまく全体をおさめることが出来た。そればかりか、まったくの白紙から、これは傑作になるかもしれない、というような素晴らしい詩も書けた」
Neilが自身のサイトにて、2006年6月の更新分に、上のようなことを書いていましたが、S&Aリリース時のインタビューで、継ぎ合わせに苦労した曲と言うのがGood News Firstだったと答えています。(傑作候補はArmor and Sword)

歌詞の再編集、書き直し、取捨選択、というのは、Rushの場合、作詞者と歌い手兼作曲者が別であるというバンドの性格上、避けて通れないことのようです。S&AのMVI DocumentaryでGeddyがこんな様なことを言っていました。
「渡されたNeilの歌詞に全面的に共感できて、ぴったりはまれば最高なんだけれど、それはそんなにしょっちゅう起きることじゃない。僕は彼の言葉を自分の言葉にしなければならないし、彼の感情を自分の感情にしなければならない。それに音楽とのマッチもあるしね。だから極端な話、渡された詩のうち、3行しかフィットしないことだってあるんだ。それでNeilはその残った3行から、また詩を組み立てていくんだ」
Good News Firstも明らかにこのケースだったようです。いや、むしろ3行しか残らないのだったら、再構築はかえって楽のような気もしますから、ばらばらに、半端に元の行が残ったのかもしれないな、と。
Neilの元の詩では、一番美しい言葉/悲しい言葉は、はっきりあったのかもしれない。でも再構築の過程で、歌詞が全体的に抽象化したのだろうな、と思えます。でも、はっきり伝わりにくくはなったものの、美しい言葉/悲しい言葉にも、歌詞全体にも、それぞれの想像の余地が入れられて、より世界が広げられているように思えます。

ところでNeilがS&AのMVIにて、この曲のコメントとして、こんなことを言っていました。
「『良い知らせと悪い知らせがあるんだよ』と言われたら、僕は『じゃあ、良い方から聞かせて』と言うんだ。アイスクリームの後に、薬を飲むようにね」
私だったら、そう言われたら、「悪い方から聞かせて」と答えるなぁ、と、ふと思ってしまいました。薬を飲んでから、アイスクリームを食べたいような……性格なのでしょうかね。好きなものから食べるか、嫌いなものから食べるか、と言う。

弁解になりますが、終わり良ければ、という感じで、喜んだ後にがっかりはしたくない、というのが個人的な見解ではあります。心理学関係の本にも、「ほめてからけなすのと、けなしてからほめるのは、後者の方が好印象をもたれる」と書いてありましたし。でも最初の印象の方が強い、というのもありますね……やっぱり性格傾向の違いなのでしょうね。

ただ、薬の後にアイスを食べる私でも、”Good News First”と言えるケースが、二つはあるな、と思えます。一つは悪いニュースが壊滅的に悪くて、あとの良いニュースを持ってしても、どうしようもなく救えない場合。(アイスと薬のたとえだったら、アイスクリームさえ苦くなってしまうほど、超苦い後味を残す薬) それだったら、たとえつかの間でも良い知らせに接して、喜んでいたいと。
もう一つは良いニュースを早く知った方が良い場合。ブックレットの絵が、非常に象徴的です。粗末な墓の上にいるカラス――「治療法発見」という見出しが載った新聞が、その傍らで風に舞っている。墓の主は、その治療法が間に合わず、死んでしまったのでしょうか。もう少しその知らせが早かったら――そんな状況を想像させる絵です。

今の時代だから、「良い知らせを先に聞かせてくれ」という心情は、非常に共感できる気がします。そして呼びかけている相手が今の社会、世相、人々だとしたら、「なぜこんなになってしまったのだろう」という嘆き、そして「それでも昔の姿を知っているから、絶望はしない」という思い――様々な良くないニュースに接するたびに、考えてしまっています。

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MALIGNANT NARCISSISM

略してMal Nar(マルナーと読むんだろうか。。) HopeもAllaire Studioで出来た曲らしいですが、Mal Narはそれよりも後、13番目に誕生した曲です。

この曲の誕生話もNeilがエッセイで書いていますが、Q107プレミア等でGeddyが詳しく話していたので補足しますと(MVIのドキュメンタリーでも、MalNar誕生のほぼ全過程が記されています)、レコーディング中に友人のベーシスト(名前失念)が訪ねてきて、Jaco Pastorius(スペル自信なし)モデルのフレットレス・ベースがフェンダーから出たよ、と言った。Geddyはちょっと興味を覚えて、Fenderの人に連絡してみたら、一本贈ってくれると言う。そして送られてきたベースを、ヴォーカルトラックの合間に弾いていたそうです。(ヴォーカルは立て続けには出来ないので) それをNickがレコーディングして曰く。「これで1曲、インスト作っちゃいなよ」――ちょうどNeilがスタジオに来合わせていたけれど、ドラムのレコーディングは終わったので、セットはもうない。あるのはNick用にと残しておいた4ピースのセットだけ。Alexはフロリダへ行っていて不在。(裁判関係だと、あとで判明) もう12曲出来ていることだし、一瞬、躊躇したそうですが、短いのならいいかも、ということで、Nickが「それなら、2分15秒以内ということで、どう?」と言う条件をつけたそうです。 時間制限つき、そしてNeilは4ピース、Geddyはフレットレス、と言う、普段弾きなれない楽器と言う制限つき、面白いかもしれない――それでMal Narが誕生したわけです。(Alexはあとからギターをかぶせた。そのシーンもMVIにありますね)

この曲、グルーヴ感がある、と言うかファンキーですね。YYZ Jrという声も、うなずけるかも。ちなみに途中に入るSEは、このタイトルをとったWorld Policeからの音声をエフェクトかけています。
"usually a case of malignant narcissism brought on during childhood"
「通常、歪んだ自己愛というのは、子供の頃に形成されるものなんです」

タイトルはTeam America:World Policeというコメディ映画から取ったそうですが、(ベースとドラムのソロもあるしね、悪意ある自己愛、いいんじゃない。。と、Neilもエッセイで書いています) Nickはこの映画を見たことがなかったらしいです。それでRush側は、彼にこの映画を見せてやろうと、DVD(かな?)を取り寄せ、映写会を計画したそうです。レコーディングがすべて終わり、Allaireスタジオでの滞在も終わりに近づいた夜、彼らはGreat Hallに大きなテーブルを持ち込み、レコーディング全スタッフとスタジオ側のスタッフも(料理人やお掃除をする人なども含めて)全員招き、一台ディナーを催した後、レンタルした大スクリーンにて、World Policeを皆で見たそうです。Nickは大笑いしたとか。(Classic Rock Magazineだったかな、出典。すみません、記憶定かでないです)

※私も見て見たいですが、レンタルにない……Youtubeでちら見しましたが、人形劇なんですね。

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WE HOLD ON

Snakes and Arrows13曲目、ラストを締めくくる曲です。歌詞を読みながら聞いて最初に思ったことは、「この曲はRush自身のことか?!」でした。彼ら自身の心境、これまでの道のりと読んでも、すんなり当てはまりそうな感じがしたので。Queenの"Was It All Worth It?"(The Miracle収録)をチラッと連想し、でも、"We hold on"という、前向きで強い意思表明で終わっているところが、VTの"Endlessly Rockin'"とあいまって、「まだまだやる気だな!」と、嬉しくもあった感じでした。

欧米掲示板でのネイティヴさん達の見解では、やはりRush自身のこと、ととったこの見解の他に、「Neilは夫婦関係うまくいっていないの?(爆」(SpindriftやGNFのように、困難なRelationshipを歌う曲が多いせいもあるのかもと思います)という読みや、はたまたTWTWBにおけるBush批判ともとれる一説、Armor and Swordのコンセプト等から、「イラク戦争批判か?」などという見解にとった人もいたようです。でも、基本的にはNeilがライナーで書いていたように、特定の事象ではなく、全般的な「困難な関係にぶつかった時の姿勢」として書かれているのだ、というコンセンサスのようです。

Neil自身、ライナーでこう書いていますしね。
The same "lover's quarrel" device colors the album's final statement, "We Hold On".(With a not to T.S.Eliot for "measured out in coffee breaks") If many of other lyrics illuminate the struggles we all have to face, in love and in life, this one shows how we deal with it : We hold on.

この同じ「恋人達の口げんか」という意匠は、アルバムの最終声明である「We Hold On」によって彩られている。(”コーヒーブレイクの中に測られている”のはT.S.エリオットのもじりだ) もし他の歌詞が、愛情や人生に置いて僕らが直面しなければならない困難な苦闘を描き出しているとするなら、これは、僕らがそういったものに対してどう対処していったらいいか、それをあらわしているんだ:耐えてがんばって、持ちこたえるしかないってね。(筆者訳)

ちなみにT.Sエリオットのもじりというのは、”The Love Song of J.Alfred Prufrock"(J.アルフレッド・ブルーフロック氏の恋歌)という作品からのフレーズ、
I have measured out my life with coffee spoons
「私は自分の一生をコーヒーのスプーンで計りつくした」
が元になっているようです。
コーヒーのスプーンで測り尽くした人生というのは、コーヒースプーンでコーヒーを測るように、決まり切った、些末な事柄出過ぎていく人生、退屈な毎日、を表した表現のようです。

S&Aはとかくネガ色彩が強い、という意見もたまに見ます。Relationshipを歌った”Spindrift”や”Good News First”はあきらめず苦闘するのだけれど、先行きの見通しはかなり困難、が予想される感じですし、The Larger Bowlは曲調に反して非常な無常感が漂い、Armor and SwordやTWTWBは宗教のネガティヴ面を浮き彫りにし(必ずしも否定ではないこともお忘れなく)、Far Cryにしても現代の無情、なわけです。そしてこういったネガティヴな側面は紛れもなく私達が生きているこの世界の現状であり、その中で自分の信じる道を行こうとすると、往々にして非常に困難があり、苦闘は避けて通れない。でも、どうすればいいか、あきらめるのでなければ道は一つ,
"We Hold On" がんばって続けるしかないんですね。
そのためには、時には強い風に身を屈めなければならないし(TWTWB)、人に非難された時には声を荒げず、穏やかに身を守りながら、相手には屈しない(Faithless)、時にはありったけの勇気を振り絞り、平静を装って受け流す(Bravest Face) − そうやって続けていくこと、それがWe Hold On”。
Hold onという単語には、「持ちこたえる」「続ける」「踏ん張る」などの意味がありますが、ニュアンスの違いこそあれ、がんばっていくしかない、そんな感じだと思います。
そして、それは人生におけるすべての関係に、また社会におけるすべての事柄に当てはまることではないかと思いますので、最初の印象、「Rush自身の決意表明にも思える」というのも、それほど的はずれではないかも、とも思えました。

S&A個々の曲には、社会や宗教、人生におけるネガティヴな側面が歌われていることは確かなのかもしれません。でも最後に"We Hold On" − それでも僕らは耐えて進むんだ、というポジティヴな言葉で終わっている、このあたりRushの、Neilの真骨頂かもしれないな、と思えます。


余談ですが、この曲の1:21分部分、半拍音が飛んでいる、と一部で話題になっていました。一番終わって、2番に入る直前ですが、カウントをとってみると、1,2,3で4拍目が半分なんですね、たしかに。それを最初に気づいた人がAnthemに問い合わせたところ、「編集ミスではない。We Hold Onは一発取りだから。Nickに確認した」という返信が帰ってきたと、Counterpartsに投稿していました。(「でもそんなはずない」と、その人は憤っていましたね)
この半拍ずれ、MVI版の5.1とStereo Hi-Resヴァージョンでは、直っているのです。どうやらマスタリング段階でのミスだったらしい、とのことでした。
私は全然気にならないですが(^^;; というか、言われて数えてみるまで、気づかなかった。。

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2008年4月2日 誤字修正、数行加筆




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