Snakes and Arrows 雑感



Faith and Religion
Story of Snakes and Arrows
Leela - Game of Snakes and Arrows
Making Snakes and Arrows



S&A 訳詞  S&A私的解説  S&A TOUR  Rush Top





Faith and Religion

 Snakes and Arrowsは歌詞的にみると、Neilもエッセイで公言している通り、FaithとRelationshipの、二つのテーマに、ほとんどの曲が集約されるようです。俯瞰してみると、現代を生きる、その世界観とそこに住んでいる人々の問題、というものが非常に浮き彫りにされているように思えます。Test For Echoも、そういう点では同じような印象を受けたのですが、しかし両アルバムともに、現代であると同時に普遍性も含んでいると思えます。

 しかし、Faithというテーマは、欧米においては非常にデリケートな問題であるようです。西洋文明は多かれ少なかれキリスト教のバックボーンとともに発展してきた、と言っても過言ではなく、日常生活や精神活動への浸透度も、かなり深いものがあるようです。それゆえか、S&Aが製作段階にあった2006年に、「今度のアルバムはFaithがテーマになるらしい」という噂が広まった時、「大丈夫か?」と危惧する声が、欧米の各ファンサイトで早くも上がっていたものでした。
「危ないよ、宗教テーマは。ことに否定的になったら。きっと物議をかもすし、最悪の場合、教会や宗教団体を敵に回すことで、不穏な事態が起こったらどうしよう」 「大丈夫。Rushはメジャーではあっても、メインストリームじゃないから。そりゃ、旬のバンドで超人気を誇っているようなのがそんなの出したらヤバイし、たぶんそれ以前に出させてもらえないだろうけれど。それにもともとRockと教会とは相性悪いものだし、今更だろう?」
なんていうやり取りがあったのを記憶してますが、実際アルバムが出てみたら、たしかに一部激しい論争にはなったものの、そう深刻なことにはならずに、今まで来ているという感じです。むしろ個人的な印象では、対外的なものより、信仰を持っているファンたちの中で、このS&Aのメッセージに非常な打撃を受けた人たちもいらして、それがちょっと問題なのかな、と感じてもいます。
#リベラルで有名な方のブログに反Bushキャンペーン的な意味合いでS&Aが紹介された他、一部の新聞に「Rush vs. Chirstianity」などという見出しで紹介されたり、これまでのアルバム以上に歌詞の内容が波紋を呼んだことは事実のようですが。
#欧米の各Rushファンサイト掲示板で、お決まりの「好き・嫌い」論争の他に、信仰論争が巻き起こったことも、最近例にないことでした。

 何かと根の深い宗教問題ですが、ではNeilは何を問題として、S&Aであえてタブーに挑戦したのか、そのあたりのバックグラウンドを、(拙い知識ですが)ざっととりあげてみます。

★ユダヤ教−キリスト教−イスラム教

 基本的にこの三つの宗教は、兄弟の関係にあるといえます。ユダヤ教の神(ヤハウェ、と言う呼び方が一般的のようです)は、キリスト教の神でもあり、イスラム教の神アラーでもある、同じ神様をあがめる3つの宗教、なわけです。どこが違うかと言えば、ユダヤ教ではキリストを救世主と認めてはいない、なので聖典は旧約聖書だけ。(他にタルムードというのもありますが、これは民族の伝承伝統と言った感じのようです) キリスト教はイエス・キリストが救世主(メシア)であって、さらに三位一体説を採っているので、イエスはまた神の化身でもあるわけです。聖典は、新約、旧約両方の聖書です。イスラム教は、イエス・キリストは預言者の一人という扱いで、真の、そして最後の預言者がマホメット(ムハンマド)である、という考えに成り立っています。なので、新約、旧約両聖書の他に、マホメットが書いたとされるコーランが聖典としてあり、そしてその三つのうちでは、コーランに最も重きが置かれているのです。
 ところで旧約、新約、というのは、神との契約、の約で、旧約は古い約束、新約は新しい約束、という意味みたいです。(ちなみにユダヤ教では、新約がないので、旧約とも言わない−旧約聖書の神との契約は今でも有効だ、という考えに成り立っているようです) 神を信仰する←→民を保護する、という関係が基本になっています。神を信じ、心正しく生きていれば、たとえ滅びの日が訪れても救われる、天国で幸せに暮らせる――端的に言ってしまうと、そんな感じです。

「宗教に報いや報酬を求めるのは間違っているような気がする」――S&AのMVIにおいて、Neilはそういうニュアンスのことを言っていました。正しく生きることは、それはそれで素晴らしいだろう。でもそれが「天国を求めて」の行為であっては、そのタガが外れてしまったらどうなるのか――大切なのは報酬なのか、行為自体ではなく――そんな疑問なのだろうと思います。

 しかし、(ユダヤ教は置いておいて)キリスト教はイスラム教は、同じ神を仰ぐはずの、いわば兄弟宗教と言えるのに、どうして十字軍の昔から今に至るまで対立し続けているのか、と時に思うのですが、それは結局はイエス・キリストかマホメットか、どちらを救世主とするのか、という違いで、なまじ同じルーツを共有しているだけに、かえって同属嫌悪的なものが発生しているのかな、とも思えます。このあたり、無宗教な人間(私のことです(^^;)は、あまり深く突っ込まない方が良いのでしょうね。

★キリスト教原理主義

 今回、NeilをしてFaithテーマの詞を書かせた直接的な原因は、R30ツアー時、アメリカをバイク旅行中に、キリスト教原理主義(福音派)の看板を多く目にし、その内容に反発を覚えたことだったようです。(Roadshow参照)
   キリスト教原理主義(福音派)とは、端的に言えば、聖書に書いてあることは絶対的真実だと主張する、キリスト教の一派です。つまりは神の天地創造から、キリストの奇跡、そしてハルマゲドンに至るまで、ですね。これがすべて真実なのだと信じ、現代科学よりも、論理よりも、聖書の記述を絶対視するものです。だからたとえば、学校でもダーウィンの進化論ではなく、天地創造を教えるべきだと。(実際、アメリカでは州によっては、どっちを教えても良いことになりましたっけ)
 この福音派のキリスト教は、80年ごろからTVで派手な伝道ショウを演じて(Totemの"media messiah preyin' on my fears/pop culture prophets playin' in my ears"というフレーズも、福音派のTV伝道ショウの示唆が入っていると思われます)、多くの信者を獲得し、勢力を広げていて、80年代から政治的にも関与している、と言われています。現Bush大統領も福音派を支持基盤としているようです。
 The Way The Wind Blowsはイスラム原理主義者(こちらはコーラン絶対派ですね)と同様、このキリスト教原始主義者への痛烈なジャブにもなっているようです。

★Faithless

 個別の曲コラムにも書きましたが、S&A中一番論議を呼んだこの曲は、特定の宗教を持たない人が多い日本人の我々には、「なぜそんなに問題があるの?」と、あまりぴんと来ない感もあると思います。 でも、キリスト教に限らず、非常に宗教的基盤の強い社会の中で、「信じるものは持たない。自分自身の善悪判断や意志に頼って生きていく」ということは、非常に回りからの風当たりが強くなるわけです。たとえばキリスト教(特に原理主義あたりでは)からみると、逸脱者、無教養な人、はては悪魔崇拝と結び付けられ、「道に迷った人」であり、「そのままでは最後の審判の日に地獄に落ちる人」なので、宗教的な救済が必要なのだ、という風に捕らえられることが多いようです。それを「余計なお世話だ。自分の道は自分で決める!」と言っている感じですね。
 Neilが「僕は個人主義で、独立した個人の素晴らしさを信じている」と言っていたインタビューを、20年以上前に読んだことがあります。Ayn Randには、世間から言われているほど傾倒したわけではないけれど、Neilもまた、一人一人の人間として、自分をしっかりと持って生きていくことに価値を持つ、個人主義者なのでしょう。(そしてその根本には性善説があるのだとも思います。でないと、独立した個人への素晴らしさ、という発想にはならない可能性がある様な気がするので)その主義主張がAnthemやFreewillで端的に表されている。こういった曲は、「RushはAyn Randの影響下にある個人主義を信奉するバンドなのだ」という評価に結びついた部分もあるものの、Faithlessほど物議を呼ばなかったのだ、「対宗教」を絡ませなかったからだろうな、とも思います。

 しかし、もしかしたら宗教と個人主義は、もともと相反するものかもしれない――最近、そう思います。宗教と言ってもいろいろあるので、ここではたとえばキリスト教、イスラム教のような一神教、神の絶対性を説く宗教で言うと、人間とは過ちを犯しやすい存在であり、生まれながらに罪を負った存在である。神のみが絶対に正しい、神の道に帰依することによって、初めて人間は救われる――そこからは、「自分を信じる」という結論は、あまり生まれてこないのではないかな、と。そう思うと、Neilが無神論者に近いスタンスで、Faithlessがああいう歌詞になるのも、頷けるような気がするのです。

 ただS&Aが一部、宗教のネガティヴ面を取り上げているからと言って、「Rush(Neil)は宗教を否定している」というわけではないということも、忘れて欲しくはないと思います。「宗教も正しく使えば自分を守る鎧になる」――人の助けになろう、より良い人になろう、という思いが信心から湧いてくるのであれば、それは素晴らしいことだ。でも、一部の宗教のネガティヴ面が行き過ぎてしまったことが、今の戦乱の世界を作り出す一端となっているように思える――その思いが、NeilにArmor and SwordやTWTWBの歌詞を書かせたのかもしれません。(A&Sのプレコーラス部分が、"sometimes"であることにも注目してほしいと思います。すべてが悪くなる、というわけではないことを)そしてFaithlessは、宗教すべてに価値がないと言っているのではなく、宗教基盤の強い社会で、どちらかと言えば肩身の狭い思いをしているかもしれない、Neilと同じように「自分を信じる」人たちへのエールなのでしょう。
 個人的には、あえてタブーの分野に踏み込み、普段宗教を意識しない人々にも様々なことを考えさせてくれた(議論になった、というのも含めて)、その勇気を称えたいです。

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Story of Snakes and Arrows

Vapor TrailsページではAMRに掲載されていたファンの方の「曲順に沿ったストーリー」を紹介しましたが、S&Aにはそういうのはあるのだろうか? 今までのところ、VTのようにそのものズバリの解説は見たことがないので、非常に頼りないですが、自分で見てみます。多少強引?もしくは矛盾じゃない?という点があっても、ご容赦ください(^^;;

1)Far Cry − 導入。現代社会
 全般的に、今の世界の描写そのものという感じがします。敵意、混沌、極端から極端へ――こんな世界に今、私たちは生きているのだろうか。なぜこうなってしまったのだろう。でも負けないで立ち向かいたい。そんな感じを受けます。

2)Armor and Sword − 問題提起。宗教の光と闇
 世界の混乱の原因の一つは、自らの正義のために人を殺しても省みない、剣と化してしまった宗教の暴走も一員なのだろうか。でも混沌とした世界だからこそ、何か頼れるものが必要なのだろう。それは理解できる。でも何かが違ってきているのかもしれない。宗教の根本は慈愛であり、より良きものになろうという思いのはずなのに。

3)Workin' Them Angels − 人知を超えるもの
 まあ、これはVTにおけるPeaceable Kingdomのような位置づけだろうと思います。直接コンセプトには関係ない。けれど、「運を天に任せる」「守護天使よ、守ってくれているのなら、大変だね」というのも、宗教コンセプトの延長に近い気もします。人間には見えない、何か大きなものがあるのかもしれない、という意味で。

4)The Larger Bowl − 世界の無情
 これもコンセプト的には直接つながりはないのかもしれませんが、「救済する神がいらっしゃるなら、どうして本人にはどうにもならない非運があるのか。恵まれるもの、呪われるもの、それは何が決めているのか」という強烈な疑問を感じさせます。宗教的にはそれぞれに意味があるのかもしれませんが、この曲に感じる個人的な思いは”Just so”−そういうものなのだ、という無情観です。

 ※WTAとTLBは、人間を越えた何か、又は運命に対する、明るい面と暗い面、という感じがします。TLBはRTBの頃に書かれたそうですが、それゆえに、RTBでのコンセプト、「運」というものに強く連動しているような感じです。個人的には、運と宗教はある意味、表裏一体かもしれない、と思います。意志を持つ神が宗教上の神で、意志を持たない神が「運」なのかな、と。

5)Spindrift − 問題提起その2、コミュニケーション・ギャップ
 違う考えを持つもの間での、コミュニケーションの困難さ。(東西対立も含めて?) それもまた、Far Cryで描いたような、現代社会のとげとげしさ、激しさをもたらしている一因となっているのかもしれない。自分と違う考え方は認めない、みたいな。でもその中でも、諦めずに近づいていく努力をしていきたい。

6)The Main Monkey Business
 まあ、これは閑話休題、という感じで置いておいても良いでしょうかね。
 (いろんなさもしい駆け引きが行われているかも、という感じかもしれません)

7)The Way The Wind Blows − 争いに翻弄される世界
 Armor and Swordでの「宗教のネガティヴ面」と、Spindriftの「意見の異なる者たちのぶつかり合い」が、争いを引き起こしてしまった。この世の中の趨勢に抗うのは困難だろう。無理をして逆らっても、強風に打ち倒されてしまうだろう。身をかがめてやり過ごし、その方向になびかざるをえなくても、決して倒れない強さを持ちたい。

8)Hope
 これもインストですが、表すものはそのタイトルどおり、「希望の祈り」です。

9)Faithless − 決意表明1。自分を失わず、乗り切ること
 社会の趨勢に抗うのは困難かもしれない。でもその中で、自らの信念の基盤をしっかりと持ち、希望と愛を持って生きていこう。まわりに流されず、屈せず、でも徒に波紋や争いを引き起こすこともなく、生きていける。愛と希望を基本に考えれば、何が正しいのかそうでないのか、答えは自分でわかるはずだ。権威ある誰かに教えてもらわなくとも良い。

10)Bravest Face − 勇気を持って立ち向かえ
 今の世の中は、決して生きやすい社会とは言えない。中には恵まれている人もいるだろうけれど。でも、完璧なんてありえないし、どんな人も弱さを持っている。どんな人生にも、ひどい瞬間はあるだろう。もっとひどい場合だって、ざらにある。でも救いがないように見えても、大切にしたいものは、きっとあるだろう。社会の壁にたじろがず、勇気を持とう。

11)Good News First − 暗闇の中に希望を探して
 未来はまだ暗いかもしれない。本当に救いがないようにさえ見える。昔はもう少し良かった。でも今は変わってしまった。それでもどこかに希望はないだろうか。まだ良いニュースは、世界に残っているはずだ。少しでも明るい面を見たいから、それを聞かせて欲しい。そして希望を捨てたくはない。

12)Malignant Narcissism
 まあ、これも閑話休題。
(でも誤った自己愛に取り付かれている人、現代には増えているのかも…)

13)We Hold On −
 決意表明。なんとか持ちこたえて、進んでいくしかない

 諦めることは、たやすい。実際、もうだめだと投げ出しても、おかしくはない状況なんだろう。でもそうすることで、なんら良い結果が出るわけではない。困難な状況を嘆いてみても、仕方がない。できることは、なんとかがんばって生きていくしかないんだ。そうすることで何かが変わるかも知れない。そうでないかもしれない。でも、できることは"We hold on" 

VTほどきれいなストーリーは出来ないかも(というか、要約を並べただけですね、すみません(^^;)と、いう感じですが、たしかに流れのようなものは感じます。そして、一見悲観的に見える歌詞の底に流れる芯の強さ、前向きな力は、アルバムが進むにつれてだんだんと強さを増し、最後にWe Hold On――持ちこたえて続けていこう。がんばろう、という、ポジティヴで力強い声明で終わっているのが、Rushらしいな、と思えます。

★余談ですが、コンセプト的には、S&AはGrace Under Pressureに似た暗さと内に向けた激しさがあり、テーマも比較的共通するように思えますが、(あっちは冷戦下、こちらは紛争、テロの中、先の見えない不安と恐れが描かれているように思えます) Between the Wheelsで終わってしまうGUPより、We Hold Onで終わるS&Aの方が、いくぶんポジティヴ感は強いな、と思えます。
「状況を変えることは出来ないかもしれないけれど、流されることなく、屈することなく、下手に突っ張って自滅することもなく、ただやるべきことを精一杯やり、希望を愛を信じて生きていこう」
そんなメッセージを強く感じるので。(GUPもBTWも、大好きですが)

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Leela - Game of Snakes and Arrows

 NeilがS&Aのエッセイにてあの、ファンには賛否分かれたあのジャケットになった理由に、"Snakes and Arrows"というタイトルを決めてからGoogleで検索してみたら、同名のHarish Johari氏の本と、インド古来のすごろくゲームLeelaの存在を知った、と記していました。  私もamazonにてHarish Johari氏の本を入手し、読んでみて、なんとなくLeelaの概要がわかったような気がしたので(気だけだったりして(^^;;)、簡単にご紹介します。

 ちなみに、本にはフルカラーのゲームボード(と言っても、カレンダーサイズの紙)が入っていまして、一部紹介します。

本当に、まんまS&Aのジャケットです。ただ違うのは、各桝目に番号とそれに対応する言葉が入っていることで、この番号と言葉は、Leelaを遊ぶ上で重要なコンセプトと役目を果たしています。

 Leelaというのは一種のすごろくゲームで、これがイギリスに渡ってSnakes and Laddersとなり、さらにアメリカではClutes and Laddersとなったようです。 (どちらも子供のすごろく遊びです。アメリカ版では、蛇も矢もなくなってますが)

 Leelaはしかし、ただのすごろくゲームというよりはもう少し奥が深く、インド哲学とも言うべき人生論に根ざしたコンセプトの上に成り立っています。それは、究極の意識体としてのConmic Consceiousness(宇宙意識)があり、人の魂はそこから落ちた一滴であり、それが人の身体に宿り、さまざまな人生を経験することで魂を鍛錬し、そして再びもとの宇宙意識へと帰っていく。おのおのの人生は魂の修行の場であり、昇華したり堕落したりしながら、最後に帰るべき高みを目指す、そんな考え方です。 (まったくの余談ですが、私も若いころこの手のコンセプトをちょこっと知って、それをテーマに今の小説書いていますんで、完全に知らない考えではないです)

 アルバムジャケットでは桝目がはっきり見えづらいと思いますが、実際のLeela Boardは緑の線で9×8、全部で72の桝目があり、↓のような感じに並んでいます。

72
71
70
69
68
67
66
65
64
55
56
57
58
59
60
61
62
63
54
53
52
51
50
49
48
47
46
37
38
39
40
41
42
43
44
45
36
35
34
33
32
31
30
29
28
19
20
21
22
23
24
25
26
27
18
17
16
15
14
13
12
11
10

数字の並び、階層にも意味があって、上に行くほど魂のランクは高くなり、下に行くほど俗が増していきます。
 最上段の真ん中、68番のマスがCosmic Consciousnessで、ちょうど位置的に仏様の頭の上、光がさしているところに当たります。ここがゲームのスタート地点であり、ゴールでもあります。
 Leelaに必要なものは、ゲーム盤、サイコロ1個、そして各人を象徴するコマ−指輪とか小物を使うことが多いそうです。
 ゲーム開始に当たって、プレイヤーは68番のCosmic Consciousnessのマスに自分のコマを置き、サイコロを振ります。ここでは6以外、プレイヤーはまだ「生まれていない」とみなされ、動けません。6が出ると、1番、Genesisにコマが移ります。ここで初めて宇宙意識から人間として生まれ、人生を歩みだすわけです。
 それ以降は、サイコロを振って出た目の数だけ進むのですが、6が出ると、サイコロは振りなおしになります。3回続けて6が出ると、さらにその前に止まっていたマスから出直しになります。ヘビの頭があるマスに止まると、そのヘビに飲み込まれて、ヘビの尻尾のマスに移動させられます。矢羽のあるマスに止まると、その矢に乗って、矢の先端のマスに移動します。
 ヘビは全部で10匹いて、矢も10本あります。各ヘビと矢の位置関係は、次のようになります。

Snakes
Head
Tail
72(Inertia 惰性)→51(Earth 地上)
63(Darkness 暗黒)→2(Illusion 幻想)
61(Negative intellect 負の知性)→13(Nullity 無価値)
55(Egotism エゴイズム)→3(Anger 怒り)
52(Plane of Violence 暴力の平原)→35(Purgatory 煉獄)
44(Ignorance 無知)→9(Sensual Plane 官能の平原)
29(Irreligiosity 不信心 )→6(Delusion 妄想)
24(Bad Company 悪い仲間)→7(Conceit 自惚れ)
16(Jealousy 嫉妬)→4(Greed 強欲)
12(Envy 羨み)→8(Avarice 貪欲)

Arrows
Tail
Head
10(Purification 純粋さ)→23(Celestial Plane 天の平原)
17(Mercy 慈愛)→69(Absolute Plane 絶対の平原)
20(Charity 慈善)→32(Plane of Balance バランスの平原)
22(Plane of Dharma ダーマ平原)→60(Positive Intellect 正しい知性)
27(Selfless Service 無私の奉仕)→41(Human Plane 人間の場所)
28(Apt Religion 適切な信仰) →50(Plane of Austerity 質素の平原)
37(Ture Awareness 真実の目覚め)→66(Plane of Bliss 至福の平原)
45(Right Knowledge 正しい知識)→67(Plane of Cosmic Good
 宇宙の善なる平原)
46(Consceince 良心)→62(Happiness 幸福)
54(Spiritual Devotion 魂の献身)→68(Cosmic Conciousness
 宇宙意識)

 全体的に、ヘビはネガティヴな側面、矢はポジティヴな側面を担っています。10匹のヘビのうち、7匹までが、最下層の1から9までのマスに降りてきていることに注目。そしてその最下層から昇る矢は、一本もないのです。

 平原というのは、安定した状態、その状態そのもの、という感じでしょうか。ダーマとは、インド哲学の肝っぽいですが、本には「地上のあらゆる事象の中に存在し、宇宙を束ねる法則」と書いてありました。(詳しくわかるように説明しろといわれても、少々勉強不足でして、なんとなく感じはわかるんだけれどな〜、程度にしかわかりません。すみません(^^; 

 このゲームのゴールは、68のCosmic Consiousnessのマスに、ぴったりで止まることです。そのためには54番の矢に乗って、ダイレクトに行くか、さもなければ、たとえば64番から4が出て68に止まる、そんな感じで68に到達すると、上がりになります。
 ただし、オーバーしてしまって、68を越えてしまうと(たとえば64から5が出て、69に行ってしまったりすると)、今度はぴったり72に止まる数が出るまで、動けなくなります。(69に止まった場合だと、3) そしてなんとか72に止まって、惰性のヘビに飲み込まれて、51の「地上」に戻る。そこから再チャレンジです。

 宇宙意識から生まれて、宇宙意識に帰る。その間にいろいろな出来事に出会い、カルマを増やしたり減らしたりしながら、己の魂の向上を目指し、最後に昇華する。そんなコンセプトの上に成り立ったゲームのようです。
 本には72個のマス、それぞれの意味が解説されていて、とても興味深いのですが、少し広がりすぎるので、ここではLeelaというゲームの紹介のみに留めおきます。たぶんまだamazonで買えると思いますので、インド哲学を知る上でも、ご興味のある方は一読されてもいいかと思います。

 ちなみにFaithlessは29のヘビではないか、という突っ込みはなしで。まったく信じるものを持たないという感じのirreligiosityとは、少しニュアンスが違うと思いますので。
 でも基本的には、Leelaの元コンセプトはかなり宗教的な色彩があるので、なんとなくS&Aのコンセプトとは少〜しずれる部分もあるかもなぁ、とは個人的に思ってしまいますが、でも戻ってくるところはSelf――己、自己であることは共通かな、とも思えます。

 S&Aツアーでは、Intermission Filmに、Alex演じるLeelaが見られます。大笑いです。(そしてその解釈はちょっと違うだろう、というのも多いですが、それはいつものAlexのおちゃらけということで) ただ、Envyにおける「私はあなたのようになりたい。美しくお金持ちに。誰かの体の上に頭が乗っているみたいだ」というフレーズ、Envyというものの核心を突いているようで興味深いです。そしてダーマの平原での"Livin' in accordance " 調和を持って生きる、というのはDhamaの本質かな、とも。(ま、あとはお笑いですが…見に行かれていない方は、Youtube等で一見されることをお勧めします。BBSのFar Cryのリンクにも少し映っています)

 ところでふと思ったのですが、達磨大師のダルマって、Dhama――!?

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Making Snakes and Arrowss

 MVIのドキュメントやNeilのブログ、3人のインタビュー等から、近作の製作過程をざっとまとめてみます。

 まずAlexとGeddyはS&Aリリース時のインタビューで、製作開始は2006年3月と言っていましたけれど、Neilのブログ記事を見ると、本当の始まりは1月くらいのようです。本格的始動が3月なのでしょうね。

 Neilが作詞作業に取り掛かったのは、2005年11月頃からのようで、折を見て少しずつ書き始めていた。そして翌年1月、Geddyからメールが。 「Alexと僕とで少し曲作りをはじめたんだけれど、詞のストック、何かあるかな?」 そこでNeilは一つ深呼吸をして、それまでに出来ていた6曲分の詞を送ったのでした。

 そして3月末、3人はNeilのQuebecにある別荘に集まります。3人だけのミーティングで、Neilは二人をもてなすために料理の腕をふるい、賑やかなディナーの後、二人がTorontoで制作した5曲のラフデモをNeilに聞かせます。 このデモCD、いざ聞く段になってAlexが「あれ、ない?!」とバッグの中を探し、見つからないので、自宅にいるAdrianさん(下の息子さん)に電話して、「CD探して、どこかインターネットのサーバにアップロードして」と頼んだけれど、「見つからない」との返事。念のためもう一度バッグの中を捜索したところ、「ありえないところから」出てきた、という顛末付きです(Neilのブログより)
この5曲の中に入っていたのは、判明しているところでは「The Way The Wind Blows」と「Bravest Face」の2曲だけですが、Neilは聴いた感じ「非常にSpiritual」で「今までの自分たちの音楽とは少し違う、新鮮な印象を受けた」と記しています。  そして3人は非常にポジティヴな気分になり、5月にTorontoのスタジオを予約して、曲作りをしよう、と約束します。

   作曲チームの方は、たぶん本格的作業は3月に入ってから、Geddyの家のスタジオで週3回、12時から5,6時くらいまで作業時間に当てていたようです。そのあとは「家族と過ごすこともあれば、一緒に食事に行って、その日の作業内容を語り合うこともあった」そうです。  基本的にRushの近年の曲作りは、ジャムから発展することが多いようですが、今回はAlex、その曲作りのジャム段階でアコースティックギターを使い、それがアルバム全体に流れるオーガニックなトーンに貢献したようです。そしてそのジャムをハードディスクに録音し、使えそうなところをピックアップしていく。歌詞との突合せでヴォーカルメロディを決めて、全体の構成を考えるのはGeddyの仕事で、Alexはそこに自分のパートの改良を加える。さらにNeilがドラムスのパートを加え、それから3人が全体の調和を考えて、さらにアレンジを重ねていく。同時に、歌詞に関しての変更も行われていく。そんな感じのようです。

 5月終わった時点で8曲が完成し、夏の休暇をはさんで9月から作業は再開、同時にプロデューサ探しに乗り出します。そしていくつかの候補と会ったところで、Foo Fighters等のプロデューサとして名を上げているNick Raskulineczから連絡が入ります。NickはRushファン、だったのです。以前最もプロデュースしてみたいアーティストは、と聞かれてRush、と答えていたこともあったそうです。それが彼と同じマネージメントに属するプロデューサにオファーがあり、結局それはまとまらずに流れたことによって、彼は自分からバンドに働きかけたようでした。

 NickがRushの3人に合流したのは10月、Torontoのスタジオでプリプロダクション中のことでした。プロデューサとして契約する前、NickはGeddyの家のスタジオで、GeddyとAlexに初めて会ったそうですが、その時には「めちゃめちゃ緊張した」と、後のインタビューで語っていました。「でも彼らはたちまち僕の緊張をほぐしてくれて、僕もすぐに打ち解けることが出来た」と。その後彼はNeilとも会い、その若い情熱と、今までの仕事が評価されて、正式にプロデューサとして迎え入れられることとなりました。
 Nickはファンの視点でバンドの音楽を眺めることが出来、そしてさらに「憧れのアーティストだからと言って、遠慮はしない。仕事が始まれば、今まで手がけたほかのアーティスト同じ。より良いものを作るためには、批判もするし、やり直しもさせる」というスタンスで行ったそうです。プロとしては当然なのでしょうが、実際MVIのドキュメンタリー映像で、TWTWBのNeilのドラムトラックにダメ出しし、やり直させたシーンには、感嘆を覚えたファンも少なくないようでした。

 そして2006年11月、MVIのドキュメンタリーにあったように、バンドとレコーディングスタッフはNew York州Catskill山脈のふもとにあるAllaire Studioでレコーディングを始めます。Allarie StuidoはもともとPensilvaniaにすむある富豪の別邸として建築されたもので、今は居住型レコーディングスタジオになっています。NeilはここにAnatomy of Drum Soloの撮影のために訪れ、外的内的環境に魅せられて、S&Aレコーディング時にも、ここを使いたいと他の二人に申し出ます。
 Allaire StudioにはGreat Hallと呼ばれる、すべて木張りの大きな部屋があり、ドラムスの音をとるのに最適な音響環境だったのです。(このあたり、MVIお持ちの方は映像参照願います)
 Making DocumentaryでのAlexのコメント(注:必ずしも逐語訳ではありません)
「Allaireで、ドラムスの録音を済ませるつもりだった。ベースも、出来たら半分くらいは。そのあとはTorontoに戻って、1月の終わりくらいまでかけて、ギターを録る。その後ヴォーカルを録る予定だったんだ。でも僕らはスタジオの環境が気に入ったので、結局2週間じゃなくて5週間いて、2曲のヴォーカル以外、全部そこで仕上げてしまった。こんなに早く終わったのは、AFTK以来だ」

 実際のスケジュールは2週間でドラム・ベース全トラック終了。(Making映像の最後、TMMBの収録を終わってNeilがペンで印をつける場面がありますが、それをよく見ると、ベースもほぼ同じように終了マークがついている) その後、Nickが「このままここにいて、全部やっちゃわない?」と提案した時、Geddyだけは一瞬抵抗を覚えた、と後のインタビューで言っています。
「ドラムトラックの分は同意したけど、自分としては、夜は働きたくないんだよ。うちでのんびりしたい。娘にも会いたいし…」なのだそうですが、まあ、仕方ないかな、と同意したら、やはり彼にとっても(そしてバンド全体にとっても)、結果的にとても楽しかった、ということでした。Vapor Trailsはかなり個人的作業が多かったように見受けられるので、ある意味S&Aは真逆のアプローチで作られたと言えるかもしれません。そしてある意味、80年代までの、スタジオに泊り込みでレコーディングしたあの時代のムードを思い出して新鮮だった、とも。

 予定より早く終わった一端は、「ギターとヴォーカルを同時進行させたことだね。これで2ヶ月分くらいは短縮できた」(Nick談) という部分も大きいようです。AllaireスタジオはGreat Hallの他に、Neve roomという、食堂を改造して出来た近代的な感じのスタジオがあり、こっちでヴォーカルを録って、ギターはGreat Hallで、と完全分業、同時進行でレコーディングを進めたのだそうです。Nickはヴォーカル・レコーディングに立ち会って、ギターの方は主にエンジニアのRich Chikiが担当、でもNickが来ている映像もあるので、手が開いた時には彼も立ち会っていたのでしょう。(総合プロデューサーですしね)

 そして2006年12月に、スケジュールよりかなり早めにレコーディングが終了、その後2007年1月にLAのスタジオでミックスダウン、という行程だったようです。予定より相当早く来たために、余裕で5月1日のリリースを迎えることが出来、実際3月半ばにFar Cryをシングルカットした時には、「ここから1ヵ月半も黙ってみてないといけないのか。5月とは言わず、どんどん行っちゃいたいな、と思ったくらいだ。スケジュールが決まっていたから、そうも行かなかったけれど」(Geddy談)という心境だったくらい、メンバー皆、健康的な達成感と高揚した気分を感じていたと言います。
そしてレコーディングが余裕を持って終わったために、ツアーの準備もゆったりたっぷりと行えたために、「いつもより良いプレイが出来ているようだ」(Neil、Alex談)というツアー結果に結びついたわけですが、ツアーに関してはまた別コラムに改めます。

 唯一つ、素朴な疑問を……S&A本来のスケジュールでは、どう考えてもレコーディング終了は2月の終わりか3月初めくらいになってしまいますよね。そこからミックスしたら、5月1日にはとても出ず、一ヶ月遅れくらいには、なってしまったと思うのですが、そうするとツアースタートもそれに伴って遅れたのか、それとも6月半ばスタートはあらかじめ決まっていたのか、そうするとまたそれも慌しかっただろうな、と思えます。
 結局、嬉しい誤算で、余裕になったわけですが。

 S&A、内容はわりと悲観的に感じる、という向きも多いですが、製作過程は一貫してポジティヴに楽しく出来ていたのだな、ということが、非常に印象的に感じました。

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