関川寺中心部からかなり離れた場所です。
明治ニ(?)?
戦死供養塔
五??
戰ではなく戦は珍しいですね
戦死供養塔(関川寺地内)
 この地は、慶応四戊辰年五月一日の戦いでは、最大の激戦となり東軍の戦死者は六八二名を数えた。
 この供養塔は、この日の戦いで敗走する途中、この地で戦死した東軍兵士を祀った。
 市内に数多く点在する供養塔は北裏(南湖)の戦死霊魂供養とともにもっとも小さな塔である
昭和六十三戊辰年六月 白河観光協会
北裏??小峰城案内板には北裏の記載は無かったはず。
Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ドコ!?

お地蔵様。
釋???
判読不明です
釋元萬童子
童子とあることから子供の犠牲者か?
夢想童子
おや、十月八日?

戦死供養塔 
住所 福島県白河市金屋町町115〜116周辺
施設名 曹洞宗関川寺地内
戊辰白河口戦争記

高さ30cm程の非常に小さい慰霊碑です。
こちらを見つけるのに関川寺内を散々歩き回りましたが、中心から大分離れた外れの場所にあるとは。トホホです。
子供の慰霊碑と共に並んでいるため、戊辰戦争の犠牲者なのかと思われましたが、最後の墓石の十月八日という日付で、戊辰とは無関係ということが推測されます。
同様に童女という表記が見られた皇徳寺の墓石ももしかしたら戊辰とは無関係なのかも。あくまで推測ですが。
他に地蔵や他の墓石と共に埋葬されている箇所としては龍興寺八竜神無縁塚が挙げられます。

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