地蔵群の合間に見えます

ピンボケしてないのにしてるように見えてしまう泣かせる色合い。
会津藩海老名衛門君碑銘(龍興寺)
 この碑は 会津藩軍事奉行海老名衛門が白河口に藩兵を率いて出兵した折 五月一日の西軍との戦いに重傷を負いもはやこれまでと観念しこの地において割腹死したのを悼み建立したものである。
 (享年五十二才)
 昭和六十三戊辰年六月 白河観光協会
二十年も経つとボロボロです。

お地蔵様もセットで。
戰死塚
この説明も欲しいなぁ。

戊辰とは無関係ですが、安政 嘉永の彫り込みが見られる地蔵様です。

会津藩海老名衛門君碑銘 
住所 福島県白河市向新蔵131
施設名 黄檗宗 龍興寺
戊辰白河口戦争記

会津藩士海老名衛門の碑銘です。
稲荷山の案内板にも名前が表記された海老名衛門はこの地で果てました。
稲荷山の北東部、急勾配の山道を登りきる途中に位置するお寺です。
距離にして7〜800Mか。上りきるまでには40分かかると思われます。重傷の身なら尚更です。
途中には米山越共同墓地という場所があり、こちらでも会津藩士が埋葬されているようですが、それはまた後程。

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