高校(青山学院高等部)の音楽の先生が石川啄木の短歌による名曲「初恋」の作曲者、越谷達之助(こしたにたつのすけ)氏であった。 氏は常々授業の中で「歌は心で歌うもの」である事を説かれたのであった。そしてその勧めもあって声楽の道を志す事になった。
イタリア留学中のことである。ある日モーツァルトのオペラのレッスンを受けていた時、師匠のチオーニが『モーツアルトはイタリア人の為にオペラをつくった』と言ったことがあった。その時につくづく思った事は、我々日本人は最後は日本の歌で勝負するしかないという事だった。
イタリア留学を終えて帰国し、すでに作曲に専念されていた越谷先生に師事し、代表曲「初恋」と「初恋」が収められている歌曲集「啄木に寄せて歌える」等の先生の作品のレッスンを受けた。作曲家としてだけでなく戦前は俳優として活躍され、また戦後もずっと詩人として、また朗読家としても活躍された先生の厳しいレッスンで、先生の作品の先生自身が望まれる表現方法はむろんのこと、日本語をどのように歌ったら良いのか、技術と心の両面から学ばせて頂き、それから越谷先生が亡くなられるまでの数年間、先生の朗読との共演と云う形で何度も一緒に舞台に立たせて頂いたのだった。またこの時先生の作品の伴奏を一手に引き受けておられた、ピアニストで先生の作品の真の理解者である小保内恭子氏にはそれ以来現在まで伴奏のみならず、公私にわたって大変にお世話になっている。
日本を代表する名曲のひとつ『初恋』。この作曲者である越谷達之助先生は多くの校友にとって音楽の師でもある。
高等部の生徒時代に音楽の授業を受け、進学に際し音楽大学への道を勧められたことで、後の人生を決定づけられた校友の青木純さん(高等部19期)にとってはとくに”偉大なる師”である。
「普段は優しく、温厚でした。授業はとてもレベルが高かった。いつも素晴らしく魅力的な、よく通る声で、音楽そのものより”音楽する心”の大切さを説かれていましたね。クリスチャンだった事もあったのでしょうが、「物質的なことよりも精神性の大切さを教えてくださったのです」
高等部時代の越谷先生を振り返り、青木さんはそう語ってくださった。青木さんは現在、越谷先生が見抜いたとおり、ミュージカルやオペレッタを中心に歌い手や役者として第一線で活躍している。
「ある時先生が著名な歌手にこういっているのを耳にしました。『この歌は譜面通りに歌う歌じゃない』つまり情感や独特の間を取って、邦楽的要素を入れよということなんです。 たしかに譜面通りに再現すると、本当に”味”がなくなるんですよ」
青木さんはそんな先生の世界を伝えていくことが、自分の指命のひとつだと考えている。「先生の好きな言葉に、『桐の樹には、桐の花を咲かしめよ』というものがあります。つまり日本人ならば、日本人なりの精神風土を大切にしなさいということです。桐の樹に、桃の花を咲かせるなと」
越谷先生は作曲のために「短歌」を好んで選んだ。おそらく、短さに込められた日本語の美しさや、永遠性を愛されたのではないか。
「初恋」は今でも歌い継がれ、愛されている。
そしてもうひとつ忘れてはならぬ曲がある。高等部の生徒が毎日耳にする名曲。そう、始業のチャイムとしてお馴染みの「花のまつり」も越谷先生の代表曲だ。
*越谷先生は1939年から1946年まで「高倉彰(たかくら あきら)」という芸名で、松竹大船撮影所の俳優として多くの映画、並びに舞台にも主要な役で出演されていました。並木路子が歌う「りんごの歌」が大ヒットした松竹映画「そよかぜ」にも出演されています。主な出演作品はこちらをご覧ください。その他いくつも紹介されているサイトが存在しています。
No. | 分類 | タイトル | 出版元・発行者 | 頒布価格(定価) |
1. | 楽譜・歌曲集 | 啄木によせて歌える (全15曲) | 越谷達之助記念会 | 1500円 |
2. | 楽譜・歌曲集 | 戦盲歌 (せんもうか)(全10曲) | 越谷達之助 |
コピーのみ配布 300円 |
3. | 楽譜・歌曲集 | 桐の花 (全13曲) | 越谷達之助 |
コピーのみ配布 500円 |
4. | 楽譜・歌曲集 | 日本の哀愁 (全16曲) | 越谷達之助 | 2,000円 |
5. | 楽譜・歌曲集 | 野葡萄の紅(のぶどうのこう) | 越谷達之助 |
コピーのみ配布 300円 |
6. | 楽譜・ピース | 初恋 (F-dur・ ヘ長調) | 越谷達之助 | 現在配布していません。 |
7. | 詩集 | 老残の詩 (ろうざんのうた) | 越谷達之助 |
コピーのみ配布 1000円 |
8. | LPレコード | 歌曲集 「啄木によせて歌える」 | Dukport Tr-0011 |
CD-R MD カセットテープへのダビングを行っています。 一本いずれも1,000円 ジャケット解説のコピー付き。 |
我が国の代表的な作曲家として世界的に活躍された故三木稔氏が主宰された音楽劇団「うたよみ座」(後に「歌座」と改名)1986年の旗揚げに参加。この時その日本語の歌唱法の素晴らしさや俳優としての卓越した技術や才能を三木氏が高く評価し、音楽監督兼キャストとして迎えられた声楽家故友竹正則氏と出会う。以降「うたよみ座」の舞台以外でも「ラマンチャの男」「賢者の贈り物」など多くの舞台を共にし、友竹氏から日本語の歌唱法、表現技術など多くを学んだ。また三木氏からも多くを学び、歌曲集「のはらうた」の中の「たんじょうび」「ふゆのひ」の2曲を贈られた。
友竹氏の名代で大田区にあるサロンコンサート会場「ベヒシュタイン・ザール」で開催された日本歌曲コンサートに出演した事から、会場のオーナーで童謡作曲家竹内康氏から氏の作品の歌唱を依頼され、その表現力が評価され、竹内氏の作曲仲間の集まりである「あしたの会」での会員の作品の発表を、さらに日本童謡協会の会員の新作発表会である「童謡祭」にも出演を要請されるなど、童謡の世界でも活躍、好評を得ている。
一方イタリア留学中から今も、イタリア人から日本の歌を歌ってくれと頼まれる事が多く、そのような時にいろいろ歌ってみた結果、「中国地方の子守唄」が大変にイタリア人に受ける事を発見。今まで何人のイタリア人がこの歌を聞いて涙ぐんだだろう。