きみがそばにいない日 5






それからはノンストップでスバルを走らせたが、結局東京についたのは明け方近くだった。
まだ陽は上っちゃいねえが、空は微かに白んでいる。
新宿に入ると、妙に安堵している自分がいて、また苦笑する。
「帰ってきた」という安堵感があるのが、どうも腑に落ちない。
数年前までは、仕事で新宿を離れる時の方が、正直ほっとしたものだ。
何かから解放されるような、そんな気分があり、仕事を終えて帰った時は、また舞い戻ってきてしまったのかという虚無感のようなものがあった。
今じゃ、逆だ。それが府に落ちねえ。
この街は、いったいいつのまにオレの故郷になっちまったのか。


ホンキートンクの灯りは、案の定消されていた。
もう少し遅い時間なら、波児もどうせ起きる頃だからと、叩き起こしてブルマンの一杯にでもありつけるってえもんだが。
叩き起こすにゃ、いくら何でも早すぎる時間だ。
わざわざ店の前に車を置いて寝ることもねえし、いつも通り公園に戻って寝るか。
そう思い、店を通り過ぎかけて、オレは思わずブレーキを踏んだ。
加速しかけた所でいきなり踏まれたブレーキに、何だ?とでもいいたげにタイヤが鳴く。
「悪ぃ」
一言ぼそりと呟いて、スバルを道の端の寄せると、エンジンを切って車を降りた。
バタンと結構派手な音が、夜明けの街並みに響く。
それでも一番近くにいる者が起きねぇんだから、誰もそう気にしてやしねえだろ。
スバルの後ろに回って、車にもたれ掛かって腕を組み、信じられないよう
な想いでそれを凝視した。
また薄暗がりの空の下、店の扉に背で凭れるようにして座り込んでいる人影がある。

見間違えるはずもないが。
夜目にも鮮やかに映る、その金色。
自然と笑みがこぼれた。
このバカ・・。
なんでこんなとこにいやがんだ?
ゆっくりと店の扉の前に立ち、腰に手を当て上体を少し前に倒して、そこで寝ているバカの顔を笑みを浮かべて覗き込む。
「おい」
返ってくるのは、微かな寝息だ。
せっかく気持ちよく寝ているところを起こしたかねぇが、ここにずっと寝かせておくわけにもいかねえだろう。
営業妨害以外の何物でもねぇかんな。
「おい、銀次」
呼んだ声に、ぴくっと肩が先に反応し、それからゆっくりと睫毛が動いた。
瞳が、さらにゆっくりと開かれる。
ぽけっとした寝ぼけ眼がオレを捕らえ、え?という表情でしばたたかれた。
ごしごしと手の甲で目をこする。
テメエは、幼児か。
「蛮ちゃん?」
「おう」
「・・・・帰ってきたの?」
「でなきゃ、なんでここにいるよ?」
「・・・だよね」
それでも、また信じられないという顔をしている銀次の前に屈み込むと、ペシとその額を軽く叩いた。
「いたぁ」
「いつまでこんなとこで寝てる気だ? つーか、なんでここで寝てるんだよ」
オレの言葉に、銀次がそういえば・・とやっと周囲を見回し状況を把握し、オレに向き直ると恥ずかしそうに微笑んだ。
「波児さんはさ。店の上で寝ていいっていってくれたんだけど」
「ああ。そうすりゃいいじゃねえか」
「でも・・。ここにいた方が中にいるよりも、ちょっとでも早く、帰ってきた蛮ちゃんに会えるかなあって」
ちょっと頬を染めてそう言って、照れ臭そうに人差し指で鼻の下を擦る。
そして、朝の太陽の光のような暖かさと眩しさの混じった笑顔で、さも嬉しげに微笑むと、やおらオレの首に腕を回し、その身体ごと、飛び込むようにしてオレに抱きついてきた。
「蛮ちゃあん!」
「うわ!!」
「おかえんなさいー!」
「・・・お、おい」
「オレ、すっごく会いたかった・・!」
「・・・・銀次」
首に回してきた腕に力が入り、ぎゅうっとしがみついてくる。
・・・ったく、テメエは。
丸一日も離れてねーのにコレかよ。
「アホ」
「うん!」
「アホって言われてんのに”うん”って言ってんじゃねえ」
「だってー。蛮ちゃんの声がなんだか懐かしく感じちゃってー。本当に会いたかったんだよ?」
甘えったれた声で耳元で言われると、なんだか身体中の力が抜けちまいそうだ。
なんでコイツは、こうも素直なんだろう。
純粋でストレートで。
オレの頬に頬ずりするように顔をくっつけてくる銀次に、「ああ、くすぐってえ、やめろ」と言いつつ、右の手で銀次の背中を抱き、空いた左手でその頭をくしゃくしゃ撫でながら引き寄せる。

まったく・・・。
何年かぶりに再会したコイビト同士とか、親子みてえじゃねえか。これってよ。
朝早くて、人通りが少ないのが幸いしたな。
まあそれでも、とりあえずは、
――帰ってきてやれてよかった。
オレは心からそう思った。
オレがいなくても、それなりにやっているかとも思ったが、もしかして、コイツなら待っててくれんじゃねえかと。
そんな想いがあったのも、また事実だ。
帰ってやろうというより、本当は、きっと自分が早く帰りたかったんだろう。
コイツのとこに。
どれだけ眠かろうが疲労の極地だろうが、本気でどこかで一泊などと考える余地もなかったのがいい証拠だ。

会いたかったぜ、オレも。

心の中で呟いて、ヤローの後頭部をくしゃくしゃ掻き乱し項に唇を寄せると、銀次が肩をすぼめて「くすぐったぁ」とくすくす笑う。
「やめてよー、蛮ちゃん」と言いながらも、腕は裏腹にぎゅっとオレの首にしがみついた。



「でねでねー それで、士度がさあ」
「ああ、もう。わかったっての。オレは疲れてんだ。眠らせろ」
「だって、聞いて欲しいのにー」
「テメエは寝てたからいいけどよ。こちとら睡眠もとらずに働いてんだぜ? ちったぁ労れっての」
「オレだって、ちゃんと仕事したよー? ああ、でねー」
「ああ、うるせー。テメーも寝ろ。まだ朝早ぇんだから」
スバルの指定席に銀次を乗せ、とりあえずはいつもの新宿公園に車を戻す。
公園内のこの場所も、最近じゃてんとう虫の「指定席」だ。
やれやれ帰ってきたぜという気分に浸りつつ、車を停めて一眠りしようとするオレの横で銀次がうるせえ。
ねえ聞いて聞いてと、母親が留守から帰宅して嬉しい小せぇガキみてえに休みなしに喋りまくってやがる。
「いいから、寝ろ」
言って、とっとと自分だけシートを倒そうとするオレに、銀次がぶーたれた顔になってサイドシートで膝を抱える。
「だって、お腹もすいちゃったし・・。なーんか、目も冴えちゃったし」
「マドカんとこで、さんざんご馳走食らってきやがったくせに、まだ食いたりねえのかよ」
わざと憎々しげに言うオレに、銀次がえっ?と不思議そうな顔をした。
「え? オレ、ゆうべは晩御飯、コンビニで買ったハンバーガー一個きりだよ?」
「へ?」
シートを倒しかけて、オレはその言葉にえらく間抜けな返答をした。
「なんで? 蛮ちゃん」
「いや・・・。だってよ。ホンキートンクに電話入れたら、テメエは猿マワシのとこだって波児が言ってたぜ?」
「うん。後から波児さんに聞いた。ちょっとの差だったらしくて。でも、オレ、士度のとこでご飯食べるなんて言ってないよ?」
そういや、波児も別にそんなことは言ってなかったような・・。
――つーことは。
つまりはテメエの早とちりってか? 美堂蛮。
「本当は誘ってもらったんだけど、オレ1人じゃつまんないし。ホンキートンクでちゃんと待ってるって、蛮ちゃんに約束してたから」
「そっか・・」
「うん! あ、それでこれ」
ハーフパンツのポケットから小銭を取り出し、オレに手渡す。
「あ?」
「お釣り。お昼ご飯代と、晩ご飯代と、おやつにチョコ買った残り」
手の上にのせられた小銭を、思わずオレは凝視した。
「昼飯代しか置いてかなかったろ? 晩は波児んとこで食うだろうと思ったからよ」
「うん。でも蛮ちゃん千円も置いてってくれたから、お昼食べてもまだ余っちゃって。だから、わざわざホンキートンクで1人でツケ増やすこともないかなあって思って」
「それで、コンビニでハンバーガー一個だけ買ったのか?」
「うん! ちゃんとお店の人が、レンジであっためてくれたから美味しかったよv」
にっこり笑う銀次の屈託のなさに、思わずバカみてぇな話だが、胸の奥が熱くなった。
まったく、テメエは・・。
それにしても、オメーもハンバーガー食ってたなんてな。
ずっと一緒にいると、食うモンまで似てくんのか?
単なる偶然とはいえ、妙にそれが嬉しくもある。
「ったく、んな貧乏くせえことしなくてもいいのによー。そのうち、狸のじーさんとこからがっぽり奪還料が・・・ あ」
「ん?」
実は奪還料が当初の予定の半分になっちまったことを、コイツに言わないわけにゃいかねえと思い出し、銀次がまあそんなことで不足を言うわきゃねえが、かいつまんで一応説明する。
その話の成り行きを、うんうんと聞いた後。
銀次は、心から嬉しそうな顔をして笑んだ。
「蛮ちゃん・・」
「まあ、そんなわけだからよ。あんまり金は期待できねぇが・・」
「蛮ちゃんー! オレ、やっぱ絶対何があっても蛮ちゃんが大好きだよー!!!!!!」
「おわあっ!! こ、コラ! 狭い車内で抱きつくな!」
つか、シートを倒したオレの上にのっかってくるなテメエ!
「重いっての!」
それでもめげずにニコニコとオレの胸に顔を寄せて笑っている銀次に、オレは、すっかり忘れていたモノをやっと思い出した。
ずっとサイドシートに置いていたが、銀次が乗る寸前にズボンのポケットに慌てて突っ込んで、そのままになっていた。
よもや、胴体がねじ曲がってやしねえだろうなと、ちょっと不安になりつつもポケットから取り出す。
「おら」
「うん?」
目の前に差し出すと、両手で取って、何?というように首を傾げてオレを見る。
「褒美だ。ちゃんとイイ子で留守番できたみてーだしな」
「ご褒美!? っていうか、もしかしてお土産!?蛮ちゃんがオレに!?」
「んな大袈裟に喜ぶほどのモンでもねぇ・・・」
「うわあああ!!! 可愛いーーっっっ!!! ええ、蛮ちゃん、本当に!? 本当にこれくれんの!? 蛮ちゃんが買ってくれたの!?」
「お、おうよ・・」
だから大袈裟に喜ぶほどのモンでもねえってのに。
でも銀次は、んなことはお構いなしに、サイドシートに座り直し、キーホルダーの犬の頭を指先で撫でて「わーふかふか〜〜v」(どうも、コイツはふかふかのものやふわふわしたものが好きらしい)と騒いで、唇をくっつけてみたり、抱きしめてみたり、頬を染めて目一杯嬉しそうだ。
・・・まあ、そんなに喜ぶんだったらよ。
レジに持ってく時の屈辱なんかも、まあ大したこっちゃねえと思えるってもんだ。
銀次は、さんざん1人で大騒ぎした後、「あー、なんかオレ眠くなってきちゃったー」とか言いながら目を擦り、自分のシートも倒して、オレの胸を枕代わりみてぇにして、ぺたっと顔を突っ伏してきた。
「・・・・・銀次?」
そのまま急に静かになった銀次に、オレはフッ・・と目を細めると、くしゃくしゃっとその金の髪をコドモにするようにやさしく撫でてやった。
「アホ・・。泣くほどのことかよ・・」
宥めるように静かに言うと、銀次が目を真っ赤にして顔を上げ、オレを見ると小さく「蛮ちゃん、ありがと・・・」と言うと、またオレの胸に今度はぴったりとくっついて顔を埋めた。
抱き寄せて、また頭を撫でてやると、くすんと一つ鼻を鳴らして、銀次が涙を堪えるようにして目を閉じる。
そして、犬を、それは大事そうに手の中に抱きながら、オレの胸の上に上体をのっけたまま、安心したように本当にすやすやと寝入ってしまった。
そのあどけない寝顔に、思わず笑みを浮かべ、前髪をやさしく指先で梳いてやる。
やさしいやわらかな寝息を聞きながら、心身ともに疲れが癒されていくのを感じた。


そっか・・。
さっきこの街に帰ってきた時に感じた安堵感は、この新宿って街に対してじゃねえ。
銀次が、ここに居るからだ。
きっとこの街に限らず。
テメエの居るとこが、オレの還る場所なんだ。
銀次、オマエが。オレの・・・・。

思いながら、睡魔にもうそれ以上抗うことも出来ず、
そのまま銀次の髪を撫でながら、眠りの中に落ちていく。
やさしい寝息を胸の上に、子守歌のように聞きながら、
昇ってきたお天道様の暖かな光を瞼の裏に感じながら、
オレは、心地よい疲労感とともに眠りの中へと引き込まれていった―。


太陽が高く上り昼になっても、
人で賑わう公園の片隅で、
オレたちは重なり合って互いの体温に汗ばみながらも、
一緒にいることの安堵感に満たされて、
ただ、ひたすら眠り込んでいた――。








おだやかで、あたたかな秋の昼下がり。



――まあ、それもよ。

銀次より、僅かに早く目が覚めたオレが。
銀次のジャケットのポケットから落ちてきたクマのメモ帳を開き、そのミミズが這ったような文字をやっと解読した瞬間に、おだやかな午後は終了したんだがな。




「ああああ〜〜〜!? んだとぉ、セクハラに痴漢だあああぁぁ?!」


あんだ、そりゃあ!
しかもテメー、なんで一日にこんなにモノもらってんだ!
知らねえ人間から、モノもらっちゃいけねえって、いつも口を酸っぱくして言ってるだろうが!
しかも、痴漢たぁなんだ!!!
どこのどいつだ、度胸あるじゃねえか、ヒトのモンによくも手ェ出しやがってよお! ブッ殺されてぇか!!!
オメーもオメーだ! 女にまで脚さわられてんじゃねえ!
あああもう、やっぱ銀次を一人になんか、危なっかしくてさせられやしねぇ!
もう絶対に、いくら金がよかろうがウマイ話だろーが金輪際、銀次と別行動の仕事は請けねえ!!
誰が何と言ってもだ――!!


オレは、まさに怒髪天をついて頭からカッカと湯気を出しつつ、そう心に固く固く誓っていた――。










END














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お付き合いありがとうございましたーv
なんだか、書いてる本人が一番楽しんだようなお話になってしまいましたが(笑) 
きっと銀ちゃんは、「ねえ見て、夏実ちゃーん。コレ、蛮ちゃんが買ってくれたんだよぉv 可愛いでしょー!」とか言って、あっちこっちでワンちゃんキ−ホルダーを見せびらかすような気がします。もちろん士度とかにも(笑) 蛮ちゃんの焦りようが目に浮かぶようでvv うふふ、楽しいvv

カイトさん、素敵なリクをありがとうございましたーvv 
いや、本当にすごく楽しかった! シアワセでしたーv







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