きみがそばにいない日 1



「じゃあ、頼んだわよ。蛮クン」
「おうよ。んじゃま、ちっと行ってくら」
「うん。気をつけてね、蛮ちゃん。」
「ああ、テメーこそ、勝手にうろうろして迷子になったりすんじゃねえぞ」
「えー、いくら何でもビラ配りで迷子になったりしないよー」
「さあ、どうだかよ」
運転席の窓を全開にして、そこに肘をかけた状態のまま、蛮がスバルの中から銀次を見上げてにやりとする。
そのからかいに銀次が笑顔で「もう蛮ちゃんてばー」と返すけれど、その笑みはいつも蛮に向けられる100%のそれにはほど遠い。

自分で言い出したこととはいえ、丸一日近く蛮と離れていることなど、無限城のIL奪還の仕事以来のことだから。
いかにも「心細いよ」とでも言いたげな頼りなげ瞳に、蛮が両肩を聳やかしてフッ・・と笑う。
「シケた面してやがんじゃねーっての。ガキじゃあるめーし」
とか何とか言いつつも、相棒には殊の外甘いこの男が、いつ「やっぱ、アンタら新幹線で帰れや」と依頼人に言い出しはしないかと、ヘブンがヒヤヒヤしながらチラッと支度を終えてスバルに乗り込もうとしている老夫婦を見た。
それでも蛮が特に意義を唱えなかったことにかなりホッとして、ヘブンが運転席の窓にへばりつくようにしている銀次の肩をポンと叩く。
「ごめんねー、銀ちゃん。でもまあ、依頼人さん宅まで奪還した品を届ける所までが今回の依頼だから」
「あ、うん。わかってるよ、ヘブンさん。それに、そうしてあげてって蛮ちゃんに頼み込んだのオレだし」
「ったくよー。お人好しはいいが、運ぶのはオレだってのに。しかも、んーな・・」
蛮が言って、少しむくれたようにルームミラーに視線をやり、そこに映る後部座席の巨大な陶器の置物に、思わずはー・・っとため息が漏らす。
後部座席のごちゃごちゃしたものは何とかどけたから、まあ、人間2人ぐらいなら別に狭くはないのだが。
鏡の中の大写しの狸と目が合うと、なんだか運転する前から、どっと疲れてしまいそうだ。
まあ、以前に巨大な招き猫の奪還を依頼され、それを運び出す途中にあちこちぶつけて見るも無惨な姿にした前科を思えば、無傷でこうやって奪還できただけでも感慨深いと言えなくもないが。
蛮が、ルームミラーでの後方確認は諦めるしかねーかと肩を落とし、隣に乗り込んできた老紳士をちらっと見た。
銀次以外の人間がサイドシートに坐ることは皆無に等しいから、なんともいえない違和感を感じる。
ハンドルに掛けられていた左手と肩に、妙な力の入り方をしていることに自分で気づき、蛮は苦笑した。
どうもそんなわけで、出発前から気が重い。
まあ、仕事だから、仕方ないといえば、そうなのだが。

確かに、依頼人の元まで奪還したブツを運ぶというのは、最初からこの仕事の条件だった。
別に運ぶくらいどうってことねえやとあっさり了承したのは、ドライブがてら、銀次に小旅行気分も味あわせてやれるという想いが蛮にはあったからなのだが。
奪還が完了し、無事任務完了の連絡をヘブンが依頼人夫妻に入れたところから話がややこしくなった。
その夫妻が何がなんでもこの目でそのものを確かめたいと言い出し、あれよあれよというまに新宿までやってきてしまったのだ。
そして、狸と一緒に帰宅したいと言い出したため、話はもっとややこしくなった。
スバルは大の男が二人、肩を並べて乗っているだけでも相当狭いのに、そこに老夫婦に狸・・。
さすがにどうやっても乗れるはずもなく。
そいつは無理だ、あきらめろと冷たく言い放つ蛮とは対象的に、あまりにその狸の奪還をこの老夫婦が喜び涙ぐんだりしたので、お人好しなカレの相棒はあっさりと情にほだされてしまった。


「ねえねえ蛮ちゃん。もともと依頼人さんのお家までこの狸を届ける約束だったんだしさ。このおじいさんたちも一緒にのせていってあげてよ。ねえこんなに喜んでくれてんだし、なんかすごく大切なものみたいだしさー。ねえ、お願い。」


口は悪いが、それでも相棒の頼み事にはとことん弱い蛮が、顔の前で両手を合わせて、大きな瞳で上目使いにじっと見つめられては・・・・太刀打ちできるはずもなく。
結局、渋々それを了解することとなった。

つまり、後部座席には奪還したその巨大狸とその横に依頼人の老婦人、いつもなら銀次の指定席となっている助手席には老紳士が乗り込むことになったため、狭いスバルから銀次ははみ出しをくらう羽目になってしまったのだ。


そして、その段階で銀次はまったく理解してなかったのだ。
依頼人の住むK市のある場所が、車で往復した場合、軽く丸一日を要してしまうことなど。
お昼に出かけたら、夕方ぐらいには帰ってこれるんだろうと、何の根拠もなくそう思っていた銀次は、こりゃ途中でホテルでも取らねーと運転もたねぇなーという蛮の言葉に全身で驚いた。

「え・・・?」
「あ? 何だよ、何、んな驚いてやがんだ?」
「え? だって・・・。そんなにかかんの?」
「まあK市までは高速ブッとばしゃあ、ざっと5,6時間ってとこだけどよ。そっからこのじいちゃんたちの住む町まで、ちんたら一般道走ってりゃあ、さらに2時間くれぇはかかんだろ。ま、それで往復考えりゃ、休みナシにてんとう虫転がしたにしても、コッチに戻ってくんのは夜中か最悪明け方っつー計算だわな」
「う・・うん」
「あ、ホテル代くらいなら私の方でもってあげるから、一泊してきていいわよ。さすがにいくら蛮クンでも、1人でこの距離運転してたら、居眠りでもして事故っちゃいそうだし」
「あー、まあ最悪そーすっかな。つーかよ、ヘブン。ホテル代出す金あんなら、運び屋雇えっつーんだよ。なんでオレがんなとこまで」
「でも最初からそういう約束だったんだから! しょうがないでしょ。その条件で蛮クンだって引き受けたんだし」
「へいへい。・・まあ、そういう事だからよ。テメーはここでイイ子で留守番してろよ。いいな、銀次」
「う、うん。わかった」

何げにもう一つ歯切れの悪い返事しかできない銀次だったけれど、まとまった話に老夫婦がさも嬉しげにしてるのを見ては頷かないわけにもいかず。
そういう事で、話は収まったのだ。



「じゃあ、よろしくね」
「おう」
それでも、いつまでもスバルの運転席側の窓にくっついたまま離れない銀次に、ヘブンが肩をすくめて微笑むと、ポンポンとさらに銀次の肩を叩き、さりげなく蛮に目で出発を促した。
やっと仕方なしに、銀次が車から少し離れ、蛮に精一杯微笑んでみせる。
「ホンキートンクで待ってんね。ついたら電話してよね、蛮ちゃん」
「ああ、わかった」
「蛮ちゃん」
「ん?」
「早く・・・帰ってきてね?」
「・・・・・ああ」
見つめ合う奪還屋の男二人に、ヘブンが腕組みをしてさらに「はー・・」と脱力したようなため息を落とし。
「あのねえ」
呆れ返って、とっとと車を出すように再び催促しかけた時。
やっとアクセルが踏み込まれた。
蛮が、走り出すスバルの運転席から背後に向かって軽く手を上げ、そして窓が閉められる。


「いってらっしゃい、蛮ちゃんー!」


銀次は、そう叫んで手を挙げた後。
去っていくスバルをじっと、
見えなくなってもじっと、その場に立ちつくして見送っていた――。









novel<  1 > > > > 5