Special thanks to MO & Sachi & Kichi <文責:3号(のら)>
国内線すら乗ったことがないのに、初めての海外旅行先はケニヤ!
当時ケニヤに住んでいた友人(注.日本人です。念のため)を訪ねることになりました。(1993年冬)
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もくじ
番外1 ナイロビあれこれ編
番外2 ロンドンよれよれ編
1999/8/12~1999/9/19にわたって連載したものです。
1.ケニヤへの決意
◆ なぜケニヤ?時は1992年。友人がケニヤに移り住むことになり、我々3人は「来年遊びに行こう!」と決めた。しかし。1号&2号から3号にかけられた言葉はきびしかった。
「言っておくけど、私たちの旅はハードだよ」
海外旅行はこれがはじめての3号に対し、1号&2号は卒業旅行(湾岸戦争のため頓挫した"壮大なる欧州旅行"の代わりに香港へ),米国ニューヨーク(の田舎)への旅を経験済み。おまけに3号のプロフィールは「病弱だが不死身」。……。
「ついてこられなかったら、置いていくから」
現在は、倒れるにしても(^^;「遊びの後」にのばすようコントロール可能になったが、当時は「遊びの前」に熱を出してしまうていたらくだった。
◆ だからケニヤ。
初めての海外、いきなりのアフリカ、というわけで、正直かなり迷った。 でも、「野生の王国」や「知られざる世界紀行」などの番組を通じてしか見たことのないアフリカを、自分の目で見たかった。そうそう行くチャンスはないし。 「私、ケニヤに行くんだ!」 そう心に決めたのです。
学生時代には、初めての海外でいきなり1人旅、それもウラジオストクからシベリア鉄道でヨーロッバ入りだとか、船や夜行列車でトルコ~ヨーロッバをフリーでまわるだとか、まるで「深夜特急」のような旅人がまわりにいたため、大それたこととは思ってなかった。 しかし、会社の友人には「初めての海外、それもケニヤ」というのはかなりのインパクトだったらしい。
#お土産に、手乗りの象、ライオン、キリンなどのリクエスト多数。(それも生きているヤツ!と)
◆ 何がなんでもケニヤ!1992年も終わりに近づいた頃、旅行時期を1993年後半と決めた。それぞれ、
などの準備を始める。
- 1年も前から「1週間休みをくれ」と上司にかけあう
- 人生最大の忙しさで、ケニヤ旅行○回分の残業代を稼ぐ
- 同じ時期に旅行しそうな主任の日程をさりげなくずらす
「体調を崩してドタキャン」を心配する2人に対し、大マジで
「行くよ。あのね、ケニヤに行ったら私、自分の弱さを捨てられる気がするんだ」 と言ってのけた3号。やむを得ぬ事情で直前に旅行をキャンセルした1号は、帰国報告を待ちきれずに「弱さ捨てられた?」と聞いてきたほどだから、よほど印象に残る一言だったらしい。
恥の上塗り覚悟で言うが、私自身、ある意味でこの言葉通りになったと思っている。 「熱が出るかも」とあきらめるのではなく、「熱が出たって薬をのんで寝れば治るんだから」と能天気に考えて好きなことができるようになった。
このケニヤ行きは、ツワモノ2号をして「正直言ってハードな旅だった」と言わしめるものだったが、何とかついていき、無事帰ってきたのだから(もちろん友人たちのおかげである)、私も捨てたもんじゃない、と変な自信がついたのかもしれない。
こうして、イタリア,イギリス,スペインへと続く3人の旅の布石はうたれた。
2.決意を揺るがす予防接種
◆ やるべきこと
ケニヤへ行くと決めた次の日にさっそく、「地○の○き方 東アフリカ」を買って読みはじめる。 ついついサファリなどに目がいきがちだが、風土病や予防接種などに割かれているページが多く、読みながらちょっと不安になる。 そして、アフリカ旅行のツワモノ達の投稿などを読み、ちょっとびびったりもする(^^)。1号もそうだったらしい。
旅行の準備として、やるべきことがいくつかあった。
3番目の「予防接種」が旅の前の難関だった(そりゃ私だけか?)。
- パスポート … 1992年暮れ~1993年正月の休みを利用して申請・取得
- ビザ … 2号友人がつとめていた旅行社に依頼して取得
- 予防接種 … MUSTではないが、黄熱病・コレラは受けた方がいいとのこと
当時、黄熱病の予防接種は週1回、品川にある東京検疫所で受けることができた。生ワクチンで1回射ったら有効期間は10年間。 値段の高いユンケルではないけれど「いかにも強力(^^;;」な感じがする。偉大なる野口英世博士のおかげではあるが。一方、コレラは2回接種が必要。1回目と2回目の間は1週間程度空けなければいけないのだ。 そんな手間がかかるわりに、予防率はそれほど高くないし、有効期間も6ヶ月と短い。
それに加えて、黄熱病の予防接種のあとは、1ヶ月間他の予防接種が受けられないという制約も加わる。 つまり、計画的に受けないとダメなのだ。コレラ1→コレラ2→黄熱病という例が出ていたが、コレラを早く射ちすぎると旅の前に期限切れになってしまう(@_@)。
◆ 接種は計画的に
黄熱病もコレラも、そうホイホイ予防接種をしてくれるわけではない。場所も日時も決まっている。 ますます難関だ。自慢じゃないが、インフルエンザの予防接種後、40度の熱を出したこともある身(風邪気味だからと拒否したが、無理矢理受けさせられた)。 接種の日に体調が悪かったりしたらアウトだ。
コレラは検疫所で受ければ、当時2回で1000円。1号はさっさとここで接種を済ませた。 しかし、有休休暇が残り少ない3号は横浜の検疫衛生協会(土曜日も接種可)に早起きして乗り込んだあげく、微熱のため接種を拒否されるという憂き目に遭う。
やっぱり、ケニヤ行きは無理なのかなあ? やめた方がいいのかな。 そんな3号の悩みをよそに、なんと2号は「予防率低いから、コレラの接種はしない」という決断を密かに下していたのだった。 何も知らない3号は何とか横浜で接種を受ける(2回で3000円)ことに成功。
#コレラの接種後は、腕のだるさや微熱などの症状有り。体調には気をつけましょう。 3号がコレラの接種を受けた検疫衛生協会では、「ケニヤに行く」というと、伝染病のパンフレットやマラリア予防薬の処方(日本では予防薬の入手は困難なため現地で調達)や説明書などをくれ、医師が丁寧にレクチャーしてくれた。 おかげでいろいろ詳しくなり、ありがたいことではあるが、3号は人一倍心配性なのだ!!
◆ 蚊か、ライオンか、それが問題だ
黄熱病の接種のため、品川の検疫所へ。接種日は週1回しかないが、それにしてもあまりの混雑ぶりに驚く。待合室にはなんと百人以上がひしめいている。 半年しか効き目のないコレラと違い、十年間も有効なのに…。黄熱病の予防接種が必要な地域に行く人ってこんなに大勢いるのか、ものずきだなぁ(←自分もその一人だろ)。
整理券をもらって待っている間、近くの会話に耳をすます。隣にいた20才くらいの男の子は、元海外青年協力隊という男性に、マラリアの怖さについて根ほり葉ほり熱心にきいている。 男性の方も、淡々とした口調で自分や周囲の人の体験を語る。やがて男の子はため息のあと、ぽつんと漏らした。
「俺、蚊に食われて死にたくないッスよ。どうせならライオンに喰われて死にたいッス。」
黙ってうなづく男性を横目で見ながら「…どっちもいやだな」と思う3号。むろん、これはアフリカに住み、働く人達にとって笑い事でないことはわかっているのだが。 いや、観光客だってマラリアにかかる危険性はあるし、実際に発病している人も多い。無事に接種もおわり、黄熱病のイエローカード(予防接種証明書)を手に入れた。 コレラの分とあわせ2枚のイエローカードを家でじっと眺めつつ、一つのことをやり遂げたような満足感(大げさ)を味わうのだった。
これで、ケニヤに行ける!
3.今はなき旅行会社とあやしい航空会社
◆ 安全よりもお金
ケニヤへ行くには、直行便をはじめいろいろなルートがある。問題はどの航空会社にするか。 「コレとコレはやめようね」と何となくお世話になりたくない会社は決まっていたのだが。 我々には当時、イギリスに留学している友人がいたため、ロンドン経由と決めた。
2号がとある旅行会社につてがあるというので、連絡などを全て引き受けてくれた。 ケニヤでは友人宅に滞在させてもらうことになったので、下記3点を依頼することにした。
日本←→ロンドン←→ケニヤの路線を持つのは英国航空。乗り継ぎも良いというし、安全そうだし、決定!といきたいところだが、格安でも約40万円かかるという。 2号&3号は、旅の予算を50万円とみていたため、ちょっと苦しいお値段だ。
- ケニヤの観光ビザ
- 航空券
- ロンドンのホテル手配
旅行会社が提示した代替え案は、日本←→ロンドン間はヴァージンアトランティック航空(以下VS)、ロンドン←→ケニヤ間はケニヤ航空をそれぞれ利用するというもので、約26万円。 これならお財布も助かる。しかし、約14万円の差は何なんだろう?そして、ケニヤ航空ってどんな航空会社?
情報がないために一抹の不安を抱えつつ、1号と違って資金に余裕のなかった2号と3号により、代替え案が選択された。 しかし、不安は消えない。それに輪をかけてくれたのは、今はなき旅行会社、の担当者E氏(27才のさわやか系)である。
「問題は、ケニヤ航空が果たして時間どおりに飛ぶかどうか…」 (声がデクレッシェンドしていく)
「荷物はスルーだとロストするかもしれないので、ロンドンで一度出して預けなおして下さい」でも、担当E氏はいい人だった。3人そろって渋谷のオフィスを訪れた時も、丁寧に現地事情を説明してくれ、アドバイスをくれた。 彼は今もどこか別の旅行会社でさわやかに働いているのだろうか。
E氏 「ナイロビの夜は怖いですから出歩かないように」
◆ 直前のキャンセル劇
3人 「やっぱ強盗とか出るんですか」
E氏 「それは昼間もありますよ。でも、特に夜はあぶないんです。見えませんから」
3人 「(笑)」
E氏 「笑い事じゃないですよ、ホント見えないんです!透明人間ですよ」
旅行まであと1週間、というところで1号は旅行をキャンセルせざるを得なくなった。ケニヤもロンドンも楽しみにしていたのに、残念である。 3号は1号からサファリ用の双眼鏡とロンドンのガイドブックを借りて(1号はロンドン隊長だった)旅にのぞむことになった。
このキャンセル、時期が時期だけに既にチケットは発券されていたが、1円も戻ってこない(VSは若干戻るがケニヤ航空はゼロ)というのである(今思えば、格安チケットだったからしかたがない)。 それなら、ロンドンかナイロビでチケットを売って少しでもお金を取りもどそうと旅行隊長2号は担当E氏にかけあったが、キャンセルで名前は落ちているのでチケットはもらえないという。
それが格安チケット、とわかっていても当時は納得がいかなかった。そしてそれまで悠然と「大丈夫だよ」と構えていた2号も「やっぱりケニヤ航空ってちょっとあやしいかも」というようになった。でも、もう出発の時は目の前、変更するわけにはいかない
ケニヤ航空の名誉のためにいうが、「大丈夫」であった。ロストバゲージもなく、特にトラブルはなかった。 帰りは、席の都合でエコノミーからクラブクラスに座らせてもらえるなど、ラッキーだった。 おまけに、ナイロビの空港でチェックイン時に2号が落としたクレジットカードを、わざわざロビーまで探して届けてくれもした。
ケニヤ航空のキャッチフレーズは"Pride of Africa"