10.虫部屋の恐怖
◆ 出会った動物たち その2
アンボセリで出会った動物たちについて、もう少しふれてみたい。 シマウマの群は広い範囲に散らばっている。おなじみ縞模様は草原ではけっこう目立つ(少なくとも人間の目には)。なぜあの模様なのか、不思議ではあるが…。 車から眺めていると、こちらに背を向けているシマウマが妙に多く、たくさん並んでいるのを見るにつけ「お尻が色っぽい…」とアホなことを考えてしまった(^^;。
アンボセリには鹿に似た角を持つ草食動物がたくさんいる。雄がハーレムを持つインパラは、ブッシュの陰で各ハーレムごとに休んでいるのだが、数時間後に同じ場所を通っても、さっきと寸分違わぬ様子で立っていたりする(その間ずっと静止しているはずはないのだが、間違い探しのような感じ)。
そのほか、トムソン・ガゼル,グランド・ガゼル(ガゼルは山羊のイメージ)もいる。 ウォーターバックはもっと大型で、どちらかというとカモシカ系。インパラをはじめ、いずれも草原を駆ける姿は見られず、草をはんだり、立っている姿ばかりだった。 ちょっと残念。
大型の動物といえば、ゾウに次ぐのがバッファローやヌー。バッファローは大きな群を作っている。 バッファローは普段はおとなしいのだが、あまり近づきすぎると凶暴になり、サファリカーをひっくり返すこともあるという。 ガイドのメジャック氏も、バッファローには気をつけなければ、と言っていた。
朝のサファリの際、バッファローの群に出くわした。運悪く一頭が道路で放尿中。身体が大きいためだろうが、勢いはすごいわ、なかなか終わらないわ。いったい何リッター?? 機嫌を損ねて群から襲われたらひとたまりもないので、おトイレタイムが終わるまで、我々はじっと待ったのでありました。
肉食動物が殆ど見られなくても、サファリはけっこう楽しい!! ◆ 強力な殺虫剤
我々が宿泊したのは、アンボセリNP内にあるアンボセリ・セレナ・ロッジ。マサイ族の家をかたどったような、土マンジュウ型のコテージと木造の食堂があるおしゃれなロッジ。 設備も整っており、料金も一番高い(らしい)。
コテージに向かう歩道には火山岩がゴロゴロしており、時折サバンナモンキー(それほど大きくない)が、人を恐れるふうもなくいたりする。 (かわいいー、と思ってあまり近づきすぎると、ひっかいたりかみつかれたりすることも(我々はしなかったけど)。 風土病などの問題もあるので要注意!!)
コテージの部屋(2号&3号はツイン1部屋、友人はツインを一人で使用)はこじんまりとしているが、赤を基調としたファブリックでなかなかおしゃれ(赤はマサイの好きな色のようだ。 マサイ族がまとっている布は殆どが赤のチェック。あちこちで売っている)。 各部屋にバス・トイレつき。ベッドサイドには、小さな紙パック(見た目としては、インスタントラーメンの粉スープが入っている袋に似ている)がある。
いったい何だろう?と思ったらペースト状の殺虫剤。においも効き目も強そう 今まではナイロビの高級マンション、サファリカーの中だったから忘れていたがここはアフリカ…。危険な虫(マラリアを媒介するハマダラカとか…)がいてもおかしくはない。 ただ、アンボセリあたりだと日の出前後、日没前後くらいしか蚊は出てこないらしいので一安心。
そんなこと言っていたら、洗面所に巨大カミキリムシが現れて3号金縛り(>_<) 部屋の窓から、小さいリスのような動物(ハイラックス?)が見えた。この窓の形がおもしろい。 窓ガラスそのものがブラインドのようにスライスされていて、角度を変えられるのだ。おもしろがって開けたり閉めたりする2号&3号。
友人のアドバイスに従い、床と壁の間や、ベッド近くに殺虫剤をのばしておき、食堂で夕食を取るために部屋をあとにした。うっかり、部屋の電気をつけたまま…。 ケニヤのビール、タスカービア(ゾウがトレードマーク。このマークのTシャツがケニヤ土産として売られているようだ)などを飲みながら優雅に食事をすませた。
◆ 虫の楽園
部屋に戻った2号&3号が扉を開けるとそこは、虫、虫、虫、虫、むしっ!。床にもベッドにも虫がのさばっているではないか。大きいのから小さいのまでいるわいるわ。 殺虫剤は日本のものより強烈らしく、その周辺一帯では虫がボロボロ死んでいる。しっ、しかし、一体この虫の楽園でどうやって寝ればいいのだ? (あまりにたくさんいすぎて殺せませ~ん…)。ひぃぃ。
あまりの事態に狼狽した2人は友人の部屋へ駆け込んだ。そこには、別世界のように虫は一匹もいなかった。
2人「部屋が昆虫館になっちゃったよー(;_;)」
その夜、2号&3号は友人の部屋の空きベッド1台に2人で寝かせてもらった。 虫たちが、私たちの部屋でどんな夜を過ごしたか、それは誰も知らない。
友人「窓開けちゃだめだよ~。 電気消していった?」
2人「……。」
アフリカにいるのは、大型動物たちだけじゃない…。昆虫おそるべし。
11.幻のキリマンジャロ
◆ 早朝の散歩
虫部屋の恐怖から逃れ、1つベッドで眠った(?)2号&3号。眠りはしたものの、相手を落としてはいけない、自分も落ちてはいけないと神経のどこかが目覚めていたらしく、なんだかすっきりしない朝を迎えた。 メジャック氏との待ち合わせが早い時間だったため、うだうだしてはいられない。急いで支度をしてロッジの玄関へ。
別の(恐らくドライバー用の)宿泊施設に泊まっていたらしいメジャック氏と朝の挨拶を交わす。「よく眠れたか?」と聞かれ、日本人特有のあいまいな笑みとともに「…イエス」と答える。
…部屋が虫の楽園になっちゃったなんて、恥ずかしくて言えない… 朝早いため、外はちょっと寒い。持ってきたセーターを羽織ってちょうどよいくらいだ。 車で走ることしばし、やや小高い丘に出る。ここはオブザベーション・ヒルといい、NP内の中でも例外的に歩いて登ることのできる場所だ(ケニヤのNPでは、観光客は車から降りてはいけないことになっている)。 メジャック氏の先導で、薄闇の中を歩き始める。思ったよりも、岩がごろごろしていて登りにくい。
曇ってはいるが、あたりがゆっくりと光に満ちてくる。灰色の空が濃度を薄めて白へと近づいていく。丘のうえから、緑にあふれた草原(というより湿地帯か?)と、むき出しの土の大地が見わたせる。
見渡す限りの草原と大地。ビルなんて一つもありはしない… 日本でも、視界の及ぶかぎりの自然の風景というのは見られると思う。が、たぶんそれは山並みではないだろうか(釧路湿原とかは違うかもしれないけど)。 少なくとも、私はこういう光景を見たことがなかった。アフリカの上へ高く広がる空と、大地。
丘の上に立ち、メジャック氏がはるか前方を指さす。その先にあるのはキリマンジャロ。 残念ながら雲に遮られて、その姿は見えない。じぃぃぃぃぃっと眺めていると、雲の隙間から稜線が見えるような気もするのだが。
メジャック氏は残念そうに首を振る。この時期(小雨期)にキリマンジャロを見るのは難しいという。よっぽどラッキーでないとダメらしい。 途中、キリマンジャロの横にある(?)マウェンジ山がちらりと顔をのぞかせた。
◆ さよならMr.メジャック
キリマンジャロの姿が見えなかったのは残念だが、それは仕方がない。名残惜しいがオブザベーションヒルを下って車に戻る。 早朝のサファリ(バッファローなどと遭遇)を行うと、もうアンボセリNPとはお別れだ。
アンボセリNPのゲート付近で、マサイ達が手を振っている。何ごとかと車をとめるメジャック氏。彼らが持っていたのはなんとダチョウの卵。うーん、大きい。 私たちにはわからない言葉でやりとりをすると、メジャック氏はダチョウの卵を受け取り、私たちに渡してくれる。「?」怪訝な顔をする私たちに、いいから触ってみるようにと言う。
ずしりと重いそれは卵というより岩のようだ。なまじのことでは割れそうにない。 ヒナが出てくるときは大変そうだ。3人がそれぞれさわると、メジャック氏は卵を受け取りマサイに返す。
「お金払わなくちゃいけないのかな?」と不安になる3人をよそに、メジャック氏は窓を閉めて車を出す。マサイがブーイングしているのが車窓ごしにわかる。 我々には、ただでダチョウの卵をさわることができてラッキーだったけれど…。
メジャック氏はキクユ族。支配階級の殆どはキクユ。ナイロビ生活者も多い。 一方のマサイはこのアンボセリ近辺、タンザニア国境近くがホームグラウンド。 背が高くやせていて、赤い布をまとい昔ながらの牧畜生活をしている。。。
約3時間半のドライブを経て、ナイロビに戻る。ショッピングセンターの駐車場のようなところでメジャック氏と別れることになった。 彼は、私たちが遠い日本からやってきたのに、ハンティングシーン(肉食動物が草食動物を狩るところ)やキリマンジャロを見せることができなかったと、とても残念がっていた。
別れは慌ただしくて、"Thank you very much"としか言えなかった。メジャック氏と一緒に写真を撮ろうと思っていたのに、それも出来なかった。…心残りである。
◆ 真夜中のテイクオフ
2号&3号はその夜午前1時(!)の飛行機でロンドンに発つことになっていた。 サファリの後、昼食,買い物,友人がアレンジしてくれた乗馬,夕食と慌ただしいスケジュールをこなし、ナイロビ空港へ友人の車で送ってもらう。
友人がいなかったら、こんな時間の飛行機に乗れはしなかっただろう。乗り合いバス(マタトゥ)も夜は怖いというし…。本当にこの旅は、なにもかも友人に頼ってばかりの旅だった。 このページを借りて、あらためてお礼を言いたい。
「心から、ほんとにほんとにありがとう」 空港に着いてチェックイン。ケニヤから出国する際には空港税20US$が必要。 キャッシュのみ、それも外貨でなくてはダメなのである。貨幣価値を考えると、ケニヤの人々は、なまじのことでは国外には旅行できない。。
ここで運悪く、2号は荷物チェックのためトランクを開けるように言われ、しぶしぶ従う。別に何もあやしいものなんて持ってないのに…。
ロビーの方に移動すると、免税店らしきものが見える。なんだかうらさびれている。 その中でやたら目立つのはTVなどの家電製品だった。これは、観光客向けというより、ケニヤのお金持ち向けなんだろう。 たぶん、こういう製品にはものすごい関税がかかっているのではないだろうか?
やがて搭乗がはじまる。途中、ケニヤ人らしき男性が、チケットに問題でもあったのかしつこく質問されて、列が進まなくなる。 待つことしばし、別のスタッフが現れて手続きは再開したが、もう少しで我々の番、というところでまたもや停まる。何事かと思ったら、エコノミーの席が足りないらしい。 というわけでめでたく我々はクラブクラスに乗ることが出来た。
午前1時定刻、テイクオフ。ケニヤの高い空は、夜の闇に包まれていた。 END
あとがき "Road to KENYA" 連載におつきあいいただいた皆様、本当にありがとうございました。
旅を断念した1号のために、と帰国直後に書いた旅行記は、「迷走するスーツケース」のくだりまで。連載の前半がすごいペースだったのは、元ネタがあったからなんですね(^^;)。 それ以降は、ガイドブック片手に6年前のことを思い出しながら作成。
ケニヤに入国してからの部分は、2号が旅の最中につけていた日記を参考にしました。私の記憶がかなり混乱していたため、電話で確認させてもらったり。 本当にありがとう、きちさん。
「初めての海外旅行」と「サファリ」に焦点をあてたため、触れることができなかったナイロビ観光とロンドン観光については、番外編をお楽しみに。
1999/09/19 by 3号(のら)