グアム グアム島は、西太平洋、ミクロネシアのマリアナ諸島南端(北緯13度30分、東経144度30分)、日本の南東約2,500キロメートルに位置する島です。
 典型的な海洋性亜熱帯気候で、年平均気温は約26℃、冬でも最高気温が30℃を超える常夏アイランドです。年間を通じて、気温の変化が少ないのも特徴です。1年は11月~5月が乾季、6月~10月が雨季と2季に分かれています。
 グアムの先住民は、チャモロ人と呼ばれる人々です。その起源については、考古学、人類学、歴史学のいずれも、いまだ納得のいく解答を得られずにいます。グアム島が初めてヨーロッパと接したのは1521年3月6日とされています。それは世界一周の航海の途にあったマゼランがグアム島を発見し、ウマタックに上陸したことがきっかけでした。マゼランがグアム島を発見した後、1565年スペインのコンキスタドール(征服者)であるミゲル・ロペス・デ・レガスピがグアム島に到達し、スペイン国王がグアム島およびその他のマリアナ諸島の領有権を正式に宣言しました。この時333年にも続くスペインの統治時代が始まったのです。1898年スペイン軍によるアメリカ戦艦の沈没をきっかけに米西戦争が勃発しました。スペイン領であったグアム島もアメリカ海軍の砲撃を受け、同年アメリカによって占領されることになります。大敗を喫したスペインは多くの植民地を失い、同年パリ条約によってグアムもアメリカの領地となりました。1941年、日本は真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発を機にグアムを占領します。その後31ヶ月間にわたった日本の占領時代にグアム島民は日本の生活習慣を強要されることになりました。日本軍はグアム島を「大宮島(偉大なる神のいる島)」と、ハガニア(アガニア)は「明石」と改名されました。 1944年、アメリカ軍がグアム島に上陸。数千人ものチャモロ人、米兵、日本兵の命を奪った3週間に及ぶ激戦の末、グアム島は平静を取り戻し、再びアメリカの統治下に入りました。 1950年にアメリカの自治属領(準州)となり、今日までアメリカ軍の太平洋戦略上の基地として活用されています。
(グアム政府観光局ホームページから)
 初めてのグアムです。タモンのアクアリウムとハガニアのチャモロビレッジ、スペイン広場に行ってきました。
 
DFSギャラリア・グアム にっぽん丸との連絡バスの発着所です。 アンダーウオーターワールード アンダーウォーターワールドは、2000匹以上の海洋生物を観察できるグアム初の水族館です。水族館内は、水深約3mの海中を回遊しながら、サメやエイ、巨大ハタ、そしてウミガメなどの海洋生物を、さわることが出来そうなほどの身近な距離で観察できるトンネル式の作りとなっています。この「アンダーウォーターワールド」自慢のアクリル製トンネル式水槽は、全長約100mと世界でも最も長いトンネル式水族館の一つであり、約300万リッターもの海水が使用されています。トンネルに立つと、そこは海底!まるでスキューバダイビングをしている気分を味わうことができます。(アンダーウオーターワールドホームページから)
 入場料は、23$です。ダイブウイズザシャークというメニューは、本当に水槽でダイビングをするそうです。と言ってたら、本当にダイバーが水槽の中にいました。ビックリ!
さらにシーライフギャラリーの展示水槽では、浅い珊瑚礁から暗い深海に棲む生物まで、多様な海洋生物をご覧いただけます。また館内には、ヒトデ、セミエビ、ネコザメ等の小さな海洋生物に直接触れることができるタッチプールもあります。(アンダーウオーターワールドホームページから)
 それほど種類は多いと思いませんでした。写真は左から、シャーク、タマカイ、ハタタテダイ、ハシナガチョウチョウウオです。
ハガッニャ・チャモロバス 1日に5便がタモン地区からアウトレット、チャモロビレッジ、アガニャショッピングセンターを巡回しています。1回4$、1日券10$でした チャモロビレッジ 本場のチャモロ文化に触れられることのできる場所です。毎週水曜日の夜は、ナイトマーケットが開催され民芸品の他、チャモロ料理を楽しめる屋台も並びます。地元の人もたくさん集まります!(グアム政府観光局ホームページから)
 
お昼に着いたのですが、何もありません。チャモロ料理を食べたかったのですが、入ったレストランでは見当たらず、食後に、ぼつぼつと出店が開き、さっき閉まっていた店が、チャモロ料理店でした。写真は、ビレッジ正面からの全景、配置図、中央の建物内部です。 
大酋長キプハの像 キプハ酋長は、17世紀のハガニアの酋長で、チャモロ人として初めてカトリック教会の建立を許可した酋長でもあります。(グアム政府観光局ホームページから)
パセオ公園
 
ハガニア川からボートベイスンにかけて、ハガニア湾に突き出した人工の半島の一帯がパセオ公園です。パセオ球場をはじめ、バスケットボールコートやジョギングコース等があり、グアム有数のスポーツ・エリアといえます。(グアム政府観光局ホームページから)
グアムの紋章碑 
グアムの旗は、マリンブルーの地に深紅の縁取りがされたもの。中心にはグアムの紋章が入っています。1917年、米海軍の将校夫人であるヘレン・ポールのスケッチを元にデザインされたもので、椰子の木、カヌーが恋人岬の断崖と海を背景に描かれています。(グアム政府観光局ホームページから)
 
チャモロビッレジの後ろにはパセオ球場があり、その外縁部が人工の公園になっています。ぐるっと廻って歩きましたが、途中2度もスコールに会いました。
 
サン・アントニオ橋 スキナ-広場にある、スペイン統治時代の古橋。美しいアーチ形をしていてサンゴ岩でできています。 1800年、第28スペイン提督マニュエル・ムロの時代に建設されました。ハガニア川にかかっていたもので、ハガニアエリアと南部との主要道路を結んでいました。太平洋戦争で破壊されましたが、戦後、現在の位置に復元されました。(グアム政府観光局ホームページから)
シレナの伝説 
昔々、ハガニアの村に、シレナという名の乙女が住んでいました。彼女が何より好きなのは、泳ぐこと。母親からお使いを言い付けられても、用事はそっちのけにして、泳ぎに熱中していました。ある朝、母親はシレナに言いました。「炭に使う椰子の実を取ってきておくれ。急いでね」。急ぐように言われたにも関わらず、シレナはいつも通り、泳ぎたい誘惑に負けてしまいました。待てども待てども帰ってこないシレナ。母親は、シレナが椰子の実を取る代わりに泳いでいるに違いないと思い、怒りをつのらせました。腹立ちまぎれに、つい「シレナなんか魚にでもなってしまえばいい」と言ってしまったのです。この母親の言葉を聞いたシレナの祖母は、すぐに母親の所にやってきて、その言葉をすぐに取り消すようせまりました。しかし、腹を立てていた母親は、腹立ちまぎれに再び「水の中がそんなに楽しいのなら、シレナなんか魚になってしまえばいいんだ」と呟いたのです。祖母が、何度も何度も母親の言葉を取り消すように頼んだにもかかわらず、母親はなおも「魚になってしまえばいい!」と罵ったのでした。その時です。水の中にいたシレナは、自分の体に変化が訪れたことを知りました。実は、シレナの祖母は、母親が3回目にシレナの事を罵っている最中に「神様、彼女の人間の部分を残したまえ」という言葉を差し挟んでいました。その結果、シレナは半分が魚で、半分が人間の人魚になってしまいました。以来、誰もシレナをみかけた人はいません。しかし、ハガニアの河口に立てば、シレナが静かに歌を口ずさんでいるのが聞こえてくる、という言い伝えがあります。(グアム政府観光局ホームページから)
 チャモロビッレッジからスペイン広場へ向かう途中で、古い橋と人魚像を見つけました。後で調べてみると、ここをシレナ広場というそうです。
スキナー広場 グアム初の民間人知事、カールトン・スキナーの名にちなんで名付けられました。スペイン広場とマリンドライブ沿いにあり、広場中央には太平洋戦争時のグアム戦士の記念碑があります。グアム議会議事堂の外壁に描かれた島の歴史は必見です。また、1981年にグアム島を訪れた前ローマ法王 ヨハネ・パウロ2世を記念したローマ法王像が建っています。グアム中の島民たちが自分たちの村の方向に向けて設立することを希望したため、この法王像は当初1日をかけて360度回転する仕組みになっていました。現在は、聖母マリア大聖堂に向かって建っています。(グアム政府観光局ホームページから) 聖母マリア大聖堂 スペイン広場の東に建つ、白亜の美しい大聖堂。グアムを代表するカトリック教会で、公式の宗教行事が行われることも多く、1669年にサン・ビトレス神父の指揮のもと、グアムで初めて建てられた由緒あるカトリック教会です。その後、何度も建て替えられましたが、現在のものは1958年に完成したものです。(グアム政府観光局ホームページから)
 左の写真がグアム議事堂です。右の写真が聖母マリア大聖堂です。車道の真ん中にある像が、ローマ法王像です。確かに聖母マリア大聖堂に向いて建っています。
 聖母マリア大聖堂のステンドグラスです。  聖母マリア大聖堂の壁にあった紋章です。SERVUS TUUSの文字がありますが、なんでしょうか?
スペイン広場 ハガニアの中心地にある広場。かつてスペインの総督邸があったところで、スペイン総督邸跡や、チョコレート・ハウス、聖母マリア大聖堂など見どころはたくさんあります。スペイン広場とマリンドライブ沿いにあるスキナ-広場や、その隣にあるスペイン橋など、半日程ゆっくりと探索したいエリアです。また、この一帯は、グアムの行政の中心地で、グアム議会やグアム政府など数々の政府機関が集まっています。(グアム政府観光局ホームページから)
 大砲の向こうに見える建物はキオスクだそうです。広場内には、スペイン総督邸跡があります。
 噴水だそうです。遺跡内は立ち入り禁止です。 ラッテストーン公園内にあった日本時代の防空壕です。現在は危険なため立ち入り禁止です。
ラッテストーン公園 スペイン広場の裏手にあり、ラッテストーンと呼ばれる、高さ1.5~2メートルの石柱が並んでいます。ハリギと呼ばれる石柱の上に、タサと呼ばれる頭石(キャップストーン)がのっているのが特徴で、こけし状の形をしています。宗教的な意味合いを持つとも、高床式建物の土台とも言われていますが、その実体については、まだ解明されていません。(グアム政府観光局ホームページから)
 ラッテストーンは、原住民チョモロの文化の象徴でもあり、現在のグアムの象徴でもあるようです。
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