ライン川クルーズ
V.Alruna 食べる食べる
アムステルダム 旅程表
バーゼル  
ドナウ川クルーズに行ってから、ライン川クルーズもぜひ行きたいと思っていました。今回は、例年行っているアルプス旅行が秋になったのに合わせて予約したため、日程の合うクルーズがこれしかなくて、早期割引も適用外で、結構贅沢な旅になりました。
天気には恵まれませんでしたが、ライン川沿いの歴史ある街を訪ね、中世の様々な城郭を眺める、思った通りの素晴らしいクルーズでした。
ちなみに費用は、クルーズ代金が374,565円、船内チップが12,538円(105ユーロ)、航空券代金が118,940円、ホテルが30,934円、その他土産代などあわせて約550,000円でした。

 シップデータ
総トン数:?t 就航年:2016年 巡航速力:15ノット
全長:135m 全幅:?m 乗船デッキ:3層 乗客数:190人 乗組員数:50人
1日目(9.26) 成田からアムステルダムへ

 成田10時25分発のKLMでアムステルダムへ向かいました。約12時間の飛行です。映画を5本も見ました。  予定通りに到着し、ホテルシャトルでホテルに向かいました。
2日目(9.27) アムステルダム市内観光
        
3日目(9.28) 乗船~出港
        
 11時30分に頼んでおいたタクシーでホテルを出発しました。市内は通らずに大回りして乗船場に12時前に着きました。入室は15時からですが、それまではラウンジで過ごすことができるというので乗船しました。ウエルカムドリンクを頂いてのんびりと過ごしました。
行程図  デッキプラン
Viking Alruna 120号室
 申込が遅かったのでこの部屋しか空いていませんでした。スタンダード(F)という一番安い部屋です。窓付き、14㎡、バスタブはなし、シャワーのみです。窓といっても高い位置にあって外を見ると喫水線ぎりぎりのところです。それでもベッドは良かったです。リバークルーズは揺れないし、ほとんどの時間をパブリックスペースで過ごすので、これで十分です。
 船内を探検しました。屋上はサンデッキといいます。船首から階段を登ると椅子が畳まれていました。中央の箱のようなものがブリッジです。
 ブリッジの脇を通って下の階からの階段のところに進みます。明り取りのガラスの屋根があります。
 船尾方面には、折りたためる日除けとグレーのラインのウオーキングトラックがあります。
 船尾にも下の階に下る階段があります。
 次は、アッパーデッキです。船首にはオープンエアのテーブル席があります。
 続いて、ガラス戸とガラス屋根のテーブル席があります。ここは、アクアビットテラスといって、ビュッフェ式の食事ができます。
 次は、ラウンジです。後方にバーがあります。船内イベントはここで行われます。ゆったりとしたソファーがあります。
 ラウンジの入り口には、コーヒーメーカーがあり、いつでも飲み物がセルフで利用できます。またクッキーなども用意されています。
 中央の階段周りにはライブラリーやインターネット等があります。階段周りも洒落ています。後方はすべて客室です。41.4㎡のエクスプローラースイートや27.6㎡のベランダスイートなど、34の部屋があります。
 次は、ミドルデッキです。乗船口から入ると脇にレセプションがあります。
 レセプションの向かいにはショップがあります。この後方にはベランダ付とフレンチバルコニーの36の部屋があります。
 ショップの反対側にはツアーデスクがあります。デスクの向かいにはエレベーターがあります。その前方がレストランになっていて食事の時間以外は閉まっています。
 一番下部がメインデッキです。廊下の両側に25の部屋があります。
 乗船口にはヴァイキングの傘が用意されています。
   この日のスケジュールは、
 11時から15時の間はアクアビットテラスでブッフェ
 13時30分から15時30分にはアムステルダム市内のガイド付きのウォーキング
 15時30分からアクアビットテラスでチーズとワインのテイスティング
 17時30分から19時の間はラウンジでライブミュージック
 18時15分からはラウンジで船上生活と安全管理の説明会
 19時からはディナー
 21時からはラウンジで「A Nostalgic Torio」のエンターテインメント
 23時30分に出港というものでした。
4日目(9.29) キンデルダイク着→キンデルダイクの風車群観光→キンデルダイク発
        

 朝8時頃に桟橋に着いたのでずいぶん早くキンデルダイクに着いたなと思っていたら、食料などの積み込みをするヴァイキング専用の桟橋でした。
 寝ている間に運河を通ってロッテルダムに来ていたようです。どのあたりかと調べたら、赤い橋はロッテルダム中心地のニューウェ・マース川に架かるウィレム橋でした。
 1時間ほどで、キンデルダイクに着きました。対岸に古城でしょうか?塔があります。
キンデルダイクの風車群(Included Tour) オランダ旅行のアルバムに「キンデルダイク」の写真がなかったら、そのアルバムは完成したとは言えません。19基の風車は、大がかりな治水体系の一部として1740年頃に建設されたものです。現在では、オランダの治水技術の象徴として人々に愛されています。風車は対面に2列に並んでいて、壮観な景色が広がっています。このユニークな地域は、1997年、ユネスコの世界遺産に登録されました。キンデルダイクでは2019年4月1日より新しいエントランスが完成します。キンデルダイクの風車を見学するエリアに入るためには、入園料が必要となります。(一般9ユーロ~、オンライン販売で8ユーロ~、料金は入場する風車やボートツアーの有無などで変わります)なお15名以上の団体割引料金がありますが、原則2週間前までに予約が必要となります。(オランダ政府観光局H.Pから)
 雨はずっと降り続き、ハーグ派の絵画のようなどんよりとした空です。
 風車の博物館です。内部には風車の冠する説明のほか、風車守の暮らしぶりが分かる展示がしてあります。
 12時半に出港した船は、ノールト川からベネデン・メルウェデ川に入りました。さらにワール川に入ると、1361年に建てられたルーヴェスタイン城が見えてきました。この辺りには野生の馬がいます。ワール川はドイツに入るとライン川になります。
 「オランダの歴史」のお話や、リバークルーズの航海に関するお話がありました。ディナーの前には船長によるスタッフの紹介と乾杯がありました。
   この日のスケジュールは、
 7時からブレックファースト
 7時30分にオプショナルツアーの客を降ろすためロッテルダムに立ち寄ります。
 9時15分からはラウンジでプログラムディレクターによる「オランダの水管理」のお話
 10時にキンデルダイク着
 10時30分から12時30分の間インクルードエクスカージョンでキンデルダイクの風車群観光
 12時30分にキンデルダイク発
 12時45分から避難訓練
 13時からランチ
 15時15分からはラウンジでプログラムディレクターによる「オランダの歴史」のお話
 16時30分からはラウンジで船長による「航海」のQ&A
 17時30分から19時の間はラウンジでライブミュージック
 18時30分にラウンジで船長による歓迎の乾杯
 18時45分からはラウンジでプログラムディレクターによる「明日のエクスカージョンとイベント」の説明
 19時15分からディナー
 21時15分からはラウンジで「musical quiz」というものでした。
5日目(9.30) ツォンス着→ケルン徒歩観光→ケルン発
        

 
 朝9時頃にツォンスの桟橋に着きました。9時15分にバスでケルンへ向けて出発しました。
ケルン大聖堂(Included Tour) 現在ケルン大聖堂がある場所には、すでに4世紀には教会が存在していました。しかし、このライン河畔の都市に、キリスト教世界における有数の大聖堂にして “ゴシック建築の傑作” が建つのは、1248年以降のことです。 ケルン大聖堂は、完成した1880年の時点では、世界最大の建造物でした。その際、フランスに生まれ、かなり後になって「ゴシック」と名付けられた様式が採用されています:ノートルダム大聖堂のような建物が、当時の人々を感嘆させていたからです。 ケルンでも、同様の教会を建てようとしましたが、勿論より美しくて、より大きく、より高いものが求められました。 今日のケルン大聖堂は、年間600万人以上の訪問者を数える、ドイツで最も人気のある観光スポットのひとつです。(ドイツ観光局H.Pから)なお、ケルン大聖堂は、1996年に世界遺産に登録されています。
 何故か、大聖堂の周りをぐるっと回ってから入場しました。
 英語のガイドさんです。中に入るととにかく広いので驚きます。バイエルン窓と呼ばれる色鮮やかなステンドグラスです。普通に教会で見られるステンドグラスに混ざって変わったモザイク状のステンドグラスがありました。このステンドグラスは2007年に完成したそうで、作者は、ドイツを代表する現代アートの巨匠ゲルハルト・リヒターです。下段は、シュテファン・ロホナーの祭壇画、東方三博士の聖遺物を納めた世界最大の黄金の聖棺、祭壇などです。
 この日は月曜日なので、ほとんどのミュージアムが休館でした。ここは有名なローマ・ゲルマン博物館で、「ローマ帝国の都市となり、下ゲルマニア属州の首都にまで発展したケルンの歴史を、生き生きと伝えているのがローマ・ゲルマン博物館です。この博物館は、1941年に発掘されたローマ時代の都市邸宅 ─ 世界的に有名なディオニソス・モザイクがあった建物 ─ の外壁の上、中世の皇帝居城の跡地に、1974年にオープンしました。(ドイツ観光局H.Pから)」というものです。休館ですが、外からもモザイクなどを見ることができました。
 大聖堂から船着場に向かいます。賑やかなホーエ通りにあるメルツェニヒベーカリーではドイツ名物のプレッツエルが沢山並んでいます。左に曲がってアム・ホフに入るとハインツェルメンヘンの噴水があります。ハインツェルメンヘンは、「ケルン市にその昔、住んでいたという小人の話です。この小人は働き者で、大工、パン屋、肉屋、裁縫師などのいろいろの仕事が出来て、人々が寝静まった夜12時過ぎに現れ、人々の残してある仕事を上手に翌朝までに、全部仕上げてしまうのでした。ある時、市長さんのオーバーもハインツェルメンヒェンが夜中に仕上げたという話を聞いた、裁縫師の奥さんはどうしてもハインツェルメンヒェンの姿を見たくて、グリーンピースを階段の所に撒き散らし、ハインツェルメンヒェンがころんだ時に姿を見れると思って、夜通し待っていました。実際、ハインツェルメンヒェンはころんで、悲鳴をあげ、その時、奥さんはランプを手に、階段の所に急ぎましたが、もう、彼らの姿はありませんでした。それ以降、もう、二度とケルンにハインツェルメンヒェンは現れなくなりました。ハインツェルメンヒェンは正体がばれる直前に姿を消すのです。」というお話です。同じ通りのショーウインドには、民話に出てくるようなかわいい人形が並んでいました。
 ライン川に面したフィッシュマルクトに着きました。1150年から1250年の間に建てられた聖マルティン教会とパステルカラーの建物が並び、撮影スポットになっています。アルルーナは、ここの船着場で待っていました。船に戻って昼食です。
 昼食後に市内を散策しました。対岸のトリアングルパノラマという30階建てのビルの屋上がパノラマ展望台になっていて撮影ポイントになっています。是非登って見たいので、ホーエンツォレルン橋を渡って行きました。橋は第二次世界大戦中に爆破されましたが、戦後に再建された鉄道と歩行者、自転車専用の橋です。手前はケルン中央駅につながっています。橋台地の紅葉がとてもきれいでした。さて、近年愛の架け橋として有名になり、橋のフェンスにはぎっしりと、思い思いの南京錠が付けられていて、壮観です。ドイツ鉄道は、重い思い南京錠に悩まされているとのことです。ところで、トリアングルパノラマはお休みで登ることができませんでした。
 月曜日にも開館しているコロンバ美術館を見つけました。正式には聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館というらしいのですが、スイスの名建築家ペーター・ズントーの設計でローマ時代の遺跡と第二次世界大戦で破壊されたチャペルの跡に建てられたものです。内部は継ぎ目の見えない壁や床で、展示品も前衛的で不思議な空間でした。下の階には古代ローマの遺跡が見学できるようになっています。また、外からも中が覗けるようになっています。建物の一部は現在も礼拝堂として使われていました。
 市内観光バスです。  トリアングルパノラマです。   ライトアップされた大聖堂です。  本日のエンターテインメントです。
 この日のスケジュールは、
 7時からブレックファースト
 9時にツォンス着
 9時15分から12時30分の間インクルードエクスカージョンでコロン徒歩観光
 12時30分にコロン着、ランチ
 16時30分から「ドイツの今日」の講演会
 17時から18時の間は船長による操舵室の見学会
 17時30分から19時の間はラウンジでライブミュージック
 18時15分からはラウンジでプログラムディレクターによる「明日のエクスカージョンとイベント」の説明
 19時からディナー
 21時からはラウンジで「A night Of German Melodeies」のエンターテインメント
 21時45分に出港というものでした。
6日目(10.1) ブラウバッハ着→マルクスブルク城観光→ブラウバッハ発→ライン中流上部クルーズ→リューデスハイム着→リューデスハイム散策→リューデスハイム発
 8時にブラウバッハ着。バスでマルクスブルク城に向かいます。
マルクスブルク城(Included Tour) ライン川沿いの高台にある、見事な城塞の大部分は、13-15世紀に造られられたものです。 望楼など複数の建築物、ツヴィンガー (外壁と内壁の間の空き地)、稜堡を備える、堂々たる城塞が、中世へのロマンチックな旅に誘います。(ドイツ観光局H.Pから)なお、マルクスブルク城は戦火を免れて保存状態も良く、2002年にライン渓谷中流上部に含まれて世界遺産に登録されています。
 中世的相貌のこの人が城のガイドです。紋章の前で歴代城主の説明です。大砲や玉もあります。
 城壁からは、ライン川が眼下に見渡せます。わがアルルーナも右端に停泊しているのが見えます。
 
 建物の中は昔の生活の様子が分かるように展示されています。
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 武具や鎧兜の展示室、昔の拷問室、鍛冶の部屋などを見て、お城の見学は終わりました。
 良く保存された素晴らしいお城でした。  船着場前の公園で、思いがけず素晴らしいバラを見ました。
ライン渓谷中流上部(Scenic Salling) ライン渓谷中流上部は、 “南入口” になっているビンゲン/リューデスハイムからコブレンツまで、65キロメートル余りにわたって続きます。 自然の美と圧倒的なパノラマ、そして陽光が降り注ぐブドウ畑の上に、他に類を見ない頻度で現れる古城と宮殿……今日に至るまでヨーロッパで最も人気が高い観光名所に数えられています。2000年にわたってライン渓谷中流上部は、南北ヨーロッパ間の文化交流における、最も重要な接続路のひとつでした。 そして、ある時は国境であり、ある時は文化の架け橋であり、ある時にはロマンチックな “憧れの地” だったのです。 はるか昔から「ロマンチック・ライン」のシンボルになっているのが、急峻な岩壁ローレライです。 昔ここでは、美しい川の妖精が金色の髪を櫛ですいており、それを目にした船乗りたちは、舵を誤って、船もろとも岩に激突してしまいました。 このような伝説が残っていますし、ハインリヒ・ハイネも有名な『ローレライ』の歌詞の中でそう物語っています。(ドイツ観光局H.Pから)なお、ライン渓谷中流上部は2002年に世界遺産に登録されています。
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 ライン川クルーズのハイライトです。次々とライン川沿いの街が現れ、お城や教会の美しい姿を見ることができます。右岸にオスターシュバイの街が現れ、丘の上にはリーベネック城が望まれます。12世紀に建てられたそうですが、オルレアン戦争で破壊され、その後修復されたそうです。
 次には、同じ右岸にフィルセンの街が現れます。カトリックの聖マルガリータ教会です。
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 左岸に見えてきたのは、2本の塔が印象的なボッパルトの聖セヴェルス教会です。
 すぐに右岸に、カンプ=ボルンホーフェンの教会と修道院です。
 アルルーナは、ライン川を遡ります。
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 右岸に「敵対する兄弟の城」の伝説が残る200mほど離れた二つの城が見えてきます。二人の兄弟が一人の美しいお姫様を巡って争ったという話です。
 白い塔の城はシュテレンベルク城です。築城時期ははっきりしませんが、10世紀後半から11世紀前半には既に築かれていたようですが、1568年には無住となり荒廃しました。1968~1978年にかけて修復工事が行われました。
 もう一つはリーベンシュタイン城で、
「リーベン(Lieben)」=愛と「シュタイン(Stein)」=石という意味を合わせて愛と石の城という名です。1284~1290年に建てられ、その後1592年には無住となり荒廃したそうです。現在は、前部分は廃墟のまま一番奥でホテル&レストランが営業しています。
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 右岸に見えてきたのは、バートザルツィヒの聖イージディウス教会です。市内のホテルでしょうか、日の丸が掲げられていました。
 左岸にはケスタートの聖ゲオルク教会です。
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 急な斜面には葡萄畑です。左岸にはライン川に沿って鉄道が敷かれています。ちょうど貨物列車が通過しました。
 左岸のヒルツェナッハの聖バルトロメウス教会です。
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 中洲を過ぎ、エーレンタール、フェレンとすぎて、右岸のヴェルミヒの後の山にトィルンベルク城が見えてきます。1353~1388年に建てられたお城で、当時のお城の中でも近代的で技術的にも、とても優れた建物だったそうです。近くにネコ城が築かれたため、「猫に見据えられて立ちすくむ鼠みたい」ということでネズミ城と呼ばれるようになったそうです。1806年にナポレオン軍に爆破されて廃墟となりましたが、1900~1906年に再建され、現在は個人の所有になっています。
 左岸のザンクト・ゴアールの福音教会です。
 ザンクト・ゴアールの背後の山上にあるラインフェルス城です。1245年に築城され、
難攻不落のお城としての威厳を誇っていましたが、1806年にナポレオン軍によって爆破されて廃墟となり、その後1973年から一部が高級ホテルとして利用されています。廃墟のままの部分は要塞博物館として一般に公開されています。
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 ザンクト・ゴアールの対岸、右岸のザンクト・ゴアールスハウゼンです。中腹に、ノイカッツェンエルンボーゲン城が見えます。
 ノイカッツェンエルンボーゲン城は、ラインフェルス城が築かれてから約100年後の1371年ごろに軍備強化のために築城されました。ネコ城と呼ばれていますが、その由来は2つあり、一つはこの城を建てた人物が猫のような顔をしていたから。もう一つは、カッツェンエルンボーゲンはドイツ語で「猫の肘」という意味を持つことに因んでいるそうです。1806年にナポレオン軍によって破壊されてしまいました。1896~1898年に再建され、現在は国の所有となっています。
 クルーズは、いよいよハイライトのローレライにかかります。
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 「妖精の岩」の意味を持つローレライ。岩から金の櫛を持った水の妖精が美しい歌声で船乗りを惑わすという伝説の舞台となった場所です。ライン川の中でも一番狭い場所で流れが速く水面下には多くの岩礁が潜み、船が事故を起こしたという航行の難所だったそうです。ハイネの詩に、ジルヒャーが曲をつけた「ローレライ」は有名で、一躍ローレライの名が世界に知られるようになったそうです。
 ローレライの像が静かに建っています。
 
高さ130mの切り立った崖です。この上から望むライン川の美しい景色は、世界的にも有名です。
 難所を乗りきって、上流に出ました。
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 ローレライの対岸のアン・デアローレライです。たくさんのキャンピンがカーが並んでいました。
 しばらく遡ると、左岸にオーバーヴェーゼルのカトリック教会とお城が見えてきます。
 10世紀にザクセン家の皇帝によって築かれたシェーンブルク城です。この頃から「シェーンブルク=美しい城」という名前を持っていました。1689年、フランス軍によって破壊され廃墟となりましたが、レ・ミゼラブルの作者ビクトル・ユーゴは「最も美しい廃墟」と絶賛したという話もあるそうです。その後一部が再建され、1957年からはホテルとして営業しているそうです。
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 右岸のカウプの街が見えてきました。山の上と川の中に2つの城があります。
 グーテンフェルス城です。1200年ごろに築城され当時はカウプ城と呼ばれたそうです。1508年に戦勝の記念として「堅固な岩の城」という意味のグーテンフェルス城と改名されたそうです。その後ナポレオンに破壊され廃墟となっていましたが、1889年から10年をかけて修復して古城ホテルとして利用されています。
 ライン川の中州に立つ城は、プファルツ城です。1326年に通行税を徴収する関所として造られました。軍艦を模してご角形に作られています。その後城壁も増設されて城と呼ばれるようになり、最近まで航行船のための信号塔として利用されていたそうです。
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 左岸のバッハラッハの街です。ペーター教会と山上のシュターレック城が見えてきました。
 シュターレック城は、1100年ごろにケルン大司教によって築城されましたが、三十年戦争やフランス軍によって破壊、荒廃しました。1925~27年にユースホステルに改装され、その後も本丸や天守が改修され、ドイツで最も美しいユースホステルといわれています。
 同じ左岸のニダーハイムバッハのハイム城(ホーネック城、ホーエネック城とも呼ばれたそうです。)です。1290年頃の築造ですが、プフェアルツの継承戦争で破壊されました。
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 ハイム城と同じニーダーハイムバッハにあるゾーネック城です。ライヒェンシュタイン城の守護城として11世紀に築造されました。盗賊騎士の巣窟になったりしましたが1689年のフランス軍能攻撃で廃墟になり、その後修復されて国有化され、現在は博物館としてガイドツアーのみで内部見学が出来るそうです。
 少し上流の左岸にあるライヒェンシュタイン城です。11世紀に建てられたライン川沿岸の城の中でも最も古いものの一つです。13世紀の城代が盗賊騎士に堕落して以後盗賊の巣窟として悪名が高かったそうです。その後の変遷で廃墟となったようですが、所有者が次々と変わりながら修復され、1986年にホテル会社が買収し、現在は博物館になっています。
 更に上流の左岸にあるラインシュタイン城です。900年頃にカロリング王家によって築かれたといわれるライン川でも美しい城として知られる古いものです。17世紀にフランス軍によって破壊され廃墟となっていたのを、1823年にプロイセンのフリードリッヒ王子が買い取って復元しました。現在は個人所有ですが古城博物館として一般開放されています。
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 右岸にお城が見てきました。エーレンフェルス城です。リューデスハイムの街外れのブドウ畑の丘にあります。1211年の築城で、三十年戦争やプフェアルツの継承戦争で破壊されて廃墟になりました。現在は州が管理して修復工事を行い外部の見学は可能です。
 エーレンフェルス城の眼下にあるメウセットゥルム島に建つ白い塔はねずみの塔と呼ばれています。14世紀にエーレンフェルス城と連携して徴税機能を高めるため建設されたもので、同じように三十年戦争やプフェアルツの継承戦争で破壊されましたが、1856~1858年にされ、航行船の信号塔として利用されてきました。ねずみの塔という名は、「ハットー2世は、飢饉にあって民を救済せず、それどころか施しを求めた民を穀物庫に押し込めて火をつけた。苦しむ人々を前に、尚も嘲りの言葉を吐いたところ、突如鼠の大群が現れてハットー2世に襲い掛かった。驚いたハットー2世はこの塔に逃げ込んだが、鼠たちは川を渡って彼の体を生きたまま貪ったといわれる。」伝説によるといわれています。実際には関所を意味する古いドイツ語に由来するものらしいです。
 間もなく世界遺産の終点のリューデスハイムに着きます。
 17時30分にリューデスハイムに着きました。ラインクルーズの基点でドイツ有数のワイン産地、ワインレストランが軒を連ねるつぐみ横丁でも有名です。  ライン通りをリューデスハイム駅に向かうと街外れにブレムザー城があります。中世初期に最初の建設が行われ、破壊や改修が繰り返されて現在はワイン博物館になっています。
 ブレムザー城からオーバー通りを登っていくと、古い建物を見ることができます。右手に塔だけが残るボーゼン城祉がありました外骨造の建物は16世紀頃に建てられたブレムザー館で、オルゴールなどの自動演奏楽器の博物館になっています。
 オーバー通りからライン通りに下る小路には両側にワインレストランが軒を連ねています。有名なつぐみ横丁です。時間がなくて見て歩いただけでした。
 なかなか美しい街です。ここでも市内観光用トラムを見ました。
 ディナーに間に合うように急いで帰ります。19時、夕焼けです。  本日のエンターテインメントです。
 この日のスケジュールは、
 6時45分からブレックファースト
 8時にブラウバッハ着
 8時45分から11時30分の間インクルードエクスカージョンでマルクスブルク城観光
 12時にブラウバッハ発、ランチ
 12時45分からライン中流上部クルーズ
 15時30分からラウンジでリューデスハイム式コーヒーの実演
 16時からラウンジでプログラムディレクターによる他のヴァイキングクルーズの紹介
 16時45分からはラウンジでプログラムディレクターによる「明日のエクスカージョンとイベント」の説明
 17時30分にリューデスハイム着
 17時30分から19時の間はラウンジでライブミュージック
 19時からディナー
 21時からはラウンジで「The Three Tenor Horns」のエンターテインメント
 00時15分に出港というものでした。
7日目(10.2) マンハイム着・発→ハイデルベルク観光→シュパイヤー着→シュパイヤー散策→シュパイヤー発
 朝9時頃にマンハイムに着き、10時には観光バスでハイデルベルクに向かいました。1時間ほどで支流のネッカー川沿いの街ハイデルベルクに着きます。
ハイデルベルク(Included Tour) ハイデルベルクは、常に若々しくて、ロマンスの香りが漂う、世界的に有名な観光都市です。 堂々たるハイデルベルク城とアルテ・ブュッケ (古い橋) の間に広がる、夢さながらにロマンチックな景観、トップレベルの文化プログラムとイベント、料理が美味しくてホスピタリティに溢れるガストロノミー、ネッカー川とオーデンヴァルト山麓に挟まれた絶好のロケーション……。(オランダ政府観光局H.Pから)写真はハイデルベルク城のテラスからのパノラマです。
 ハイデルベルク観光は、ハイデルベルク城から始まりました。ハイデルベルク城は、1225年に始まるとされています。その後ルネサンス期に多くの館が建設されました。しかし戦争と自然災害により廃墟となりました。19世紀になって城址はロマン派絵画の代名詞となりドイツの国民的記念物になったそうです。
 バスを降りると急に強い雨が降りだして大慌てで城内に急ぎました。城門塔を抜けると広場があり、正面にフリードリヒ館があります。歴代の選帝侯の像が16対も並んでいます。その前の坂を下るとワインを貯蔵した大樽楼に入ります。
 大樽の見張り番のような像は、選帝侯の道化役だったベルケオの像です。大変な大酒のみで一日に18本ものワインを飲んだそうです。奥に大きな樽があります。世界一の木樽で、直径7m、長さ8.5m、容量は222,000ℓというものです。
 雨の中テラスに出てみました。雨にけぶるハイデルベルクの街を望みました。(パノラマ写真参照)
 中庭の模型です。下左はルブレヒト館、下右はオットハインリヒ館です。ドイツルネサンス期の珠玉です。
 ハイデルベルク城はその廃墟となった外観に人気があるそうです。左は火薬塔ですが、1693年のプファルツ継承戦争の時にフランス兵によって爆破されため割れた断片が塔に寄りかかっている状態になっています。ゲーテはこの姿が気に入って絵を描いているそうです。右は庭園側のお堀跡です。やはり塔が破壊されています。
 バスでネッカー川沿いの集合場所に移動してから、14時30分までは各自自由散策の時間です。ライアーガッセを通ってメインストリートのハウプト通りを進みます。
 まず、カール・フリードリヒ・フォン・バーデン大公にちなんで名付けられたカールスプラッツです。広場の噴水は、宇宙学者のセバスチャンミュンスターを記念して造られたものです。丘の上にはハイデルベルク城が見えました。
 次は、マドンナの像があるコーンマーケットです。トウモロコシ市場の名のとおり農作物市場だったそうです。
 次は、中央にヘラクレスの噴水のあるマーケット広場です。旧市街の中央広場で、聖霊教会と市庁舎が面しています。
 次は、ハウプト通り沿いで見かけた古そうなホテルレストランです。1952年建築のホテルツムリッターザンクトゲオルクです。
 1386年創立のドイツ最古のハイデルベルク大学です。観光名所になっている学生牢に行きました。かつて大学は治外法権だったため、学内に学生牢があり、室内の壁はもちろん、トイレや階段室にもたくさんの落書きが残されています。何故か、入口に京都大学のポスターが貼ってありました。
 こちらは大学博物館です。
 大学博物館の後は、カフェで食事をして、シュテファンさんのギャラリーで版画を買って聖霊教会をちょっと覗いて、有名なカール・テオドール橋へ向かいました。
 カール・テオドール橋、通称はアルテ(古い)橋といわれ、もともとは屋根のある木の橋だったものが200年ほど前に石の橋になったそうです。8代目ということです。
 橋のたもとにはユニークな姿をした猿の像があり、猿が持つ鏡を撫でるとお金持ちになると言われています。良く見ると脇にはネズミの像もあります。
 橋には大きな銅像が二つあります。その一つが現在のような石の橋にした選帝侯カール・テオドールの像で、台座にはドイツを流れる代表的な川、ライン川、ネッカー川、ドナウ川、モーゼル川の神を現わす像が取り巻いています。もう一つの像は、橋の中央付近にある智慧の女神ミネルバの像です。
 橋からのハイデルベルク城の姿はとても美しい。
 橋の旧市街側には橋門があります。元は中世の城壁の一部だったもので、両側の白い塔は見張り塔だったそうです。
 橋の全体の姿も美しいものです。
 カール・テオドール橋から丘の中腹に見える小路は哲学者の道と呼ばれています。ゲーテをはじめ多くの哲学者や詩人が施策にふけった道だそうです。ハイデルベルクの眺めが良いということで、シュランゲン道という細くて急な坂道を登って見ましたが、ずっと高い塀で景色は見えず、時間切れで集合場所に戻りました。集合時間は14時30分です。
 帰りの街中で、鏡を持った猿の看板を見ました。
 15時30分にシュパイヤーに着いて一度乗船し、16時に下船してシュパイヤーの街を散策しました。
シュパイヤー大聖堂(自由散策) シュパイヤーの皇帝大聖堂 ─ 正式には聖マリア&聖シュテファン大聖堂 ─ は、はるか遠くからも目にできる、都市の象徴です。 また、平面図ではラテン十字の形をした、ドイツ最大にして最も重要なロマネスク建築のひとつでもあります1030年に建設が開始された時には、まさしくヨーロッパ最大の聖堂を目指していました。(ドイツ観光局H.Pから)なお、シュパイヤー大聖堂は、1981年に世界遺産に登録されています。
 シュパイヤー大聖堂は、皇帝大聖堂とも呼ばれるとおり、ザーリア朝のローマ皇帝コンラート2世の墓所として建造され、その後の皇帝たちも葬られている。建物の特徴は柱廊で、アーチ型天井のバシリカ式聖堂となっています。また、身廊と翼廊から成る十字架型と四隅に配置された党の対象型がすぐれています。横から見るとそのボリューム感に圧倒されます。
 
 シュパイヤー大聖堂の正面広場には1560ℓも入る大きな石の鉢があります。かつて新しい司教が選出されるとワインで満たして振舞われたそうです。中央の大通りはマクシミリアン通りです。右の建物は市庁舎、左の建物はカトリック教会です。
 マクシミリアン通りを進むと大きな銅像がありました。説明板には、サンティアゴデコンポステーラに向かう途中のヤコブの巡礼者とありました。
 その先の噴水には、竜を退治した聖ゲオルグの像です。
 突き当りには、古い塔門があります。ここが旧市街の入口でした。
 裏通りで、ジェイコブズの噴水がありました。
 再びマクシミリアン通りに戻って帰路に着きました。
 帰路に眼をひく建物がありました。マリリンモンローの大きな顔の写真が掲げれていました。プファルツ歴史博物館の特別展のようでした。その先には、シュパイヤー技術博物館がありました。飛行機の実物が展示されています。中にはロシアのスペースシャトルの本物などが展示されているなど有人宇宙飛行に関する展示で有名だそうです。
 帰りの道端で見つけた花です。
     この日のスケジュールは、
 6時からブレックファースト
 9時にマンハイム着
 9時15分からラウンジでプログラムディレクターによる下船後のスイスでのプログラムの紹介
 10時にマンハイム発
 10時から15時30分の間インクルードエクスカージョンでハイデルベルク観光
 10時にマンハイム発
(乗船者は、12時からランチ、14時にシュパイヤー着)
 15時30分からアクアビットテラスでお帰りなさいアフタヌーンビュッフェ
 17時30分から19時の間はラウンジでライブミュージック
 18時15分からはラウンジでプログラムディレクターによる「明日のエクスカージョンとイベント」の説明
 19時にシュパイヤー発
 19時15分からディナー
 21時15分からはラウンジで「The Big Fat Quiz of the Cruise」というものでした。
8日目(10.3) ケール着・発→ストラスブール旧市街観光→ケール散策→ケール発
 8時にケールに着いて、8時15分からバスでストラスブールに向かいます。
ストラスブール(Included Tour) 中世の面影を色濃く宿すストラスブールの歴史地区。ユネスコの世界遺産に登録されているこの地区は、まさに建築の博物館そのものです。その白眉となるのがノートルダム大聖堂。ゴシック芸術の精華であるこの聖堂の尖塔は、長いあいだキリスト教関連建造物の中で最高の高さを誇っていました!プティット・フランス地区を流れる川の両岸には16~17世紀に建てられた木組みの家が建ち並び、その姿を水面に映しています。水際ぎりぎりに整備されているこの地区の美しさはまるで絵を見ているようです。(ドイツ観光局H.Pから)なお、ストラスブールのグラン・ディルは、1988年に世界遺産に登録されています。
 イル川の西側にあるヴォーバン・ダムです。17世紀後半に建築家ヴォーバンのデザインにより建設された要塞化された屋根付の橋で、ダムとしての役割も担い、グラン・ディルの南西の入り口を守る役割を担っていたそうです。  グラン・ディルはイル川が分流してできた中洲で、大きな島という意味です。グラン・ディルの西側にプティット・フランスと呼ばれる地区があります。小さなフランスという意味です。観光はここからです。
 クヴェール橋を渡ってプティット・フランスに入ります。イル川が細かく入り組んでいて、水辺に映る景色もきれいです。ヴォルテル通りからムーラン通りを進みます。
 プティット・フランスは、古い町並みが最も良く保存されている地区で、美しく飾られた半木造のハーフティンバー様式の家屋が建ち並んでいます。遊覧船が通るために回転する橋もあります。水門の建物はホテルです。
 プティット・フランスから、マルタン・ルター通りのサン・トマ教会の先を右に、セリュリエ通りを進むとグーテンベルグ広場に出ます。メリーゴーランドがある賑やかな広場です。グーテンベルグの銅像もあります。
 グーテンベルグ広場からメルシェール通りを進むと正面にストラスブール大聖堂が見えてきます。
 「
ライン沿岸の砂岩の色で、建物全体がばら色をしている大聖堂はゴシック建築の傑作に数えられます。創建は11世紀といわれ、高さ142mの尖塔が完成したのは1439年。彫像とバラ窓、“石のレース編み”と讃えられる透かし細工が調和した正面は、壮麗にして軽やかな印象です。正面の着工は1277年で、中央扉のタンパンはキリスト受難をあらわしています。堂内では、精巧な彫刻を施した説教壇、『最後の審判』を描いた南袖廊の“天使の柱”、12~15世紀のステンドグラスの数々と見どころは尽きません。毎日12時30分にからくり人形が動きだす南袖廊の天文時計も人気です。また332段の石段を登ると、高さ66mの屋上から市街のパノラマが開けます。(フランス観光開発機構H.P)」
 大聖堂の内部です。大聖堂はノートルダム大聖堂とも言われ、正面祭壇のステンドグラスは聖母マリアです。バラ窓のステンドグラスも美しい。天文時計は、世界最大だそうです。
 12時30分に集合して、バスで船に戻りました。
 14時少し前に下船して、ライン川沿いにケールの街に向かいました。船の向こうの橋はヨーロッパ橋といいます。こちらがドイツ、渡るとフランスです。オブジェの向こうの橋は両岸を結ぶ橋といいます。フランスの建築家マルク・ミムラムの設計で、ミムラム橋ともいうらしい。ドイツとフランスを行ったり来たりしました。
 ケールは、面積75平方キロ、人口35,000人弱の小さな町です。トラムはストラスブールと結んでいます。メインストリートはハウプト通りです。中心の広場に面して福音協会があります。
 1時間ほど散策して船に戻りました。
     この日のスケジュールは、
 7時からブレックファースト
 8時にケール着
 8時15分から12時30分の間インクルードエクスカージョンでストラスブールハイライト
 12時30分からランチ
 14時から15時の間にストラスブールへシャトルバス
 16時からはラウンジでパストリーシェフマルコによるフラムクーヘン作りの実演
 17時30分から19時の間はラウンジでライブミュージック
 18時30分にケール発
 18時30分からはラウンジでプログラムディレクターによる「明日のエクスカージョンとイベント」の説明
 19時15分からディナー「ドイツの味」
 21時からはラウンジでライブミュージックというものでした。
9日目(10.4) ブライザッハ着→ブライザッハ市内散策→黒い森観光→ブライザッハ発
 朝8時頃にブライザッハの桟橋に着きました。9時20分に下船すると、丘の上に町のシンボル、聖シュテファン大聖堂が見えます。ランチまでの時間、徒歩で市街を散策しました。
ブライザッハ 黒い森山地の麓のライン川沿いに位置し、川を挟んでドイツのバーデン地方とフランスのアルザス地方という2つのワイン生産地を結んでいます。町の象徴はライン川と町を見下ろすように建つ聖シュテファン大聖堂。その塔からは、東はライン平野から黒い森、西はヴォージュ山脈を見渡すことも。町の中心にはブドウ畑があるエッカルツベルク山があり、有名なバーデンワイン産地カイザーシュトゥールとトゥニベルクもすぐ近くです。(南西ドイツ バーデン・ヴュルテンベルク州観光局H.Pから)なお、ケルン大聖堂は、1996年に世界遺産に登録されています。
 ツーリストインフォメーションを探して街の中央広場に来ましたが、閉まっていました。ピンクの建物は17~18世紀の旧病院教会の一部です。エッカルツベルク山の展望台へ行こうとマリーエナウ通りを進むと、旧市街の古い城壁が見えてきます。市街にはこのような城壁が何か所も残っています。
 エッカルツベルク山はすべて葡萄畑です。展望台からはブライザッハの街が一望できます。ライン川の対岸はフランスのアルザス地方です。あいにくの曇り空でしたが、素敵な眺めでした。
 エッカルツベルク山を下りライン通りを進むとエンジェルフィルムという映画館があります。歩行者専用のノイトーア通りは、歴史的な建物が沢山あります。
 コースガイドに従って歩きました。宗教改革派マーティン・ブサーの教会、古い城壁、17世紀の会計事務所、元フランス軍病院で監獄やワークハウスに使用された建物です。
 古い墓地のある教会、古い城壁、塔門(説明には「アルザスの中庭へ」と書かれていました。)の表裏です。
 聖ステファン大聖堂に向かいます。坂の途中にはハーゲンバッハの門塔があります。大聖堂は丘の上にあるので街並みの展望が開けています。さっき登った展望台も見えます。
 大聖堂の向かいには市庁舎があります。丘の上を進むと右手に修道院の庭園があります。見晴らしの良い気持ちの良いところです。丘の反対側は城郭になっていて塔も建っています。ラッドブルネナーレの通りを戻ると道の真中に塔が建っています。ラドブルンネンの塔です。元は深い井戸の上に作られたもので、現代アートも付け加えられていますが、市内で現存するもっとも古い建物だそうです。
 ケープゲートから丘を下ります。下りきったところにはラインゲートがあり、同名の市立歴史博物館があります。一帯は牧草地になっていて、木々が紅葉していました。見上げると丘の上に聖ステファン大聖堂とハーゲンバッハの門塔が見えます。ちょうど旧市街を一周して桟橋に戻りました。
 昼食後、14時に下船してバスで黒い森へ向かいます。途中黒い森の玄関口フライブルクの市街を抜けて行きます。1時間30分ほどで黒い森に着きました。
黒い森(Included Tour) シュヴァルツヴァルト (黒い森) 国立公園は、バーデン・ヴュルテンベルク州に広がる、総面積10,062ヘクタールの国立公園で、2014年1月1日に指定されました。高いところは標高1000メートルを超え、厳しい気候と豊富な降水量が特徴となる地域です。そして、針葉樹林と高地混合樹林、高地草原、古い保護林、湿原、氷河の浸食によるカール (圏谷) 等が、類い稀な風景を創り出しています。たとえば、この国立公園を撮った写真の中には、スカンジナビアの風景さながらのものがあります。(ドイツ観光局H.Pから)
 今回のインクルードツアーは、黒い森の中にあるかつてマリー・アントワネットが滞在したというホテルホフグートシュテンネンに併設されている「The Black Forest Village」の訪問でした。
 道路から池の脇を通って施設に入ります。中央の大きな建物がホテルです。ほかに5棟の建物があり、地域の伝統的なイベントを見せたり、土産物を売ったりしています。カッコウの巣と名付けられた建物の外壁には大きな仕掛け時計あり、16時30分には人形のダンスを見ることができました。森の小路には、昔の料金所や12世紀からの聖オズワルド教会があります。小鳥のさえずりが聞こえる静かな森です。
 ガイドの案内で、カッコウ時計の説明やケーキ作りの実演を見学してから自由時間でした。日本では鳩時計といっていますがここ黒い森が発祥の地ということでした。2時間近く見学し、帰りは40分ほどで船に戻りました。
 18時に乗船、18時45分からラウンジで船長主催のカクテルパーティーです。船は、バーゼルバーゼルへ向かって出港しました。
     この日のスケジュールは、
 6時からブレックファースト
 8時にブライザッハ着
 8時15分から各種オプショナル・エクスカージョン実施
 12時30分からランチ
 14時から18時の間はインクルードエクスカージョンで黒い森観光
 17時30分から19時の間はラウンジでライブミュージック
 17時45分までに最終乗船、ブライザッハ発
 18時45分からラウンジでキャップテンのカクテルパーティー。引き続きプログラムディレクターによる説明
 19時からディナー
 21時からはラウンジでラウンジでライブミュージックというものでした。
10日目(10.5) バーゼル着→ホテルチェックイン→バーゼル市内散策
 夜中の2時にバーゼルに着きますが、熟睡中で不明です。タクシーを頼んであったので、朝食後の9時に下船しました。桟橋にはバイキングの赤いテントが張られ、送迎のバスが並んでいました。
 この日はタクシーでホテルに行き、チェックインしてからバーゼル市内を散策しました。
 この日のスケジュールは、
 2時にバーゼル着
 6時からブレックファースト
 8時30分に退室と清算、下船というものでした。
 
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V.Alrura
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