通称「てるてる案」、正式名称
「脳死否定論に基づく臓器移植法改正案について」
(「現代文明学研究:第3号(2000):139-179」掲載、
http://www.kinokopress.com/civil/0302.htm)
についての、Q and A形式の抄録です。
てるてる案の特徴は、以下のとおりです。
1. 「脳死を人の死としないで『脳死した者の身体』からの移植用臓器の摘出を認める」という、違法性阻却論に立脚しています。
法的な死は、呼吸と循環の不可逆的停止による「身体死」で統一します。
臓器提供者の死亡時刻は、心臓停止後の臓器移植では心臓停止後数分を経たとき、脳死後の臓器移植では臓器の摘出が終わったときとします。
2. 身体または臓器や組織等を「人格権」の対象とします。
人格権は、所有権や財産権と違って、他者に譲渡できず、一身専属的で、死後も存続します。
それは、その人の健康や生死とは関係なく、持続的な植物状態患者や無脳児にも存在します。
3. 人格権の行使は、
「臓器提供は、臓器提供希望者が、生前に、移植医療に関する充分な情報を与えられ、変更の自由を保障され、かつ、いかなる経済的対価も伴わずに、自由意志と倫理的判断とに基づき、自発的な、任意の、書面による意思表示を行った場合にのみ、許される」
臓器移植においては、次のかたちをとって現われると考えます。
これが、基本原則です。この原則は、生体間の臓器移植にも適用します。
4. 末期医療選択カード、臓器提供意思表示カード、チェックカード、臓器提供意思登録カードを作ります。
こどもにも、こども用に表現をわかりやすく工夫したカードを用意します。
末期医療選択カードでは、脳死後、
(1)集中治療室の中で心臓停止を迎える(積極的または消極的治療)、
(2)集中治療室の外の病室で心臓停止を迎える、
(3)集中治療室から手術室へ移動して移植のための臓器を摘出することによって脳死状態を終える、
を選択できるようにします。
臓器提供意思表示カードは、末期医療選択カードで臓器を提供することを選んだ人で、登録をしない人が使います。
提供する臓器の種類を特定します。
臓器提供拒否権者を指定できます。
チェックカードは、脳死と身体死の違いについて、本人が理解していることを確認するためのものです。
健康保険証と同じぐらいの大きさのカード(二つ折か三つ折)で、臓器提供意思表示カードとともに携帯します。
チェックカードのすべての項目に自筆のチェックがついていないと、臓器を提供することはできません。
臓器提供意思登録カードは、登録する前に、日本臓器移植ネットワークの説明を受けます。
登録には試験をし、法律で期間を決めて更新し、そのときに意思を変更することができます。
15歳以下の人は、登録することはできません。
5. 末期医療選択カード、臓器提供意思表示カード、臓器提供意思登録カードには、保証人の自筆署名を必要とします。
保証人は、末期医療の選択が履行されるのを見届け、臓器提供において、本人に代わって権利を主張する主体となります。
成人であることが条件です。
本人の家族がなってもよろしいが、本人の選択に反対だったり、お年寄りや子供で、保証人の役割を果たすことがむずかしいとき、また、本人に家族がいないとき、家族以外の人を保証人に選ぶことができます。
基本的に、成人は、本人の意思だけで臓器提供でき、家族の同意は必要ないことにします。
6. ドナーの遺族とレシピエントとの交流
移植待機患者になる前に移植コーディネーターに会い、次の三つの問題点、
(1)ドナーの遺族が金銭を要求しないか、
(2)ドナーの遺族がレシピエントと深い人間関係を求めないか、
(3)移植後の臓器の具合が悪い場合、レシピエントがドナーの遺族を逆恨みしないか、
を検討し、それでもドナーの遺族に会えるという人だけが、レシピエントの登録をするようにします。
7. こどもの臓器提供が許可される条件を定めます。
未成年者の臓器提供には、配偶者、親等の家族の同意を必要とします。
15歳以下の人が臓器を提供する場合、保証人は、親以外の成年の近親者か、本人のかかりつけの医師、担任の教師や保育士等の、本人の教育や保育や医療に携わる人にします。
幼いこどもが、臓器提供について意思表示をすることはほとんど不可能です。
幼いこどもはまた、おとなよりも脳の障害に対する抵抗力が強く、おとなより長期間脳死状態が持続します。
幼いこどもはその存在そのものによって、臓器を提供せずにその元のからだのままで生きようとする、強い意志と生命力とを持っているとも思われます。
しかし、そのような強い生命力は、移植を必要としているこどもも持っているでしょう。
だから、おとなと同じように移植を受ける機会をこどもも享受する権利があると思います。
それゆえ、赤ちゃんを除く幼いこどもから、こどもへの臓器移植は、厳しい条件のもとでなら許可されると考えます。
以上の理由により、6歳未満3歳以上で本人の自筆の臓器提供意思表示カードがない場合の仮の条件を提示します。
(1)親がそのこどもを虐待していない。
(2)親が、こどもの死を受け容れている。
(3)親が、医師や看護婦などの医療従事者であるか、または、家族・友人・隣人・同僚等の交友関係者に移植待機患者や移植手術を受けた人がいて、移植医療の意義を理解している。
(4)そのこどもの「脳死」状態が既に一ヶ月以上持続しており、親が、看護または看取りを行なう時間は充分に確保され、必要に応じてソーシャルワーカー等のケアを受け、さらに長期間に渡って看護または看取りを続ける経済的精神的余裕を残している。
(5)こどもが、生前、生や死について親と語り合ったことがあり、こどもが死ぬときに、他のこどものために臓器や組織を提供することが、こども本人の意思に添うと信じるに足る証拠を、書面・絵・ビデオ等で、親が提出することができる。
(6)以上のことを家庭裁判所で審査する。
関連サイトです。「6.ドナーの遺族とレシピエントとの交流」については、ここで紹介しているサイトを御覧ください。
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1.についてのQ and A
Q. 心臓停止後数分を経たとき→「数分」には、なにか理由があるのですか?
A. 臓器移植では、心臓停止後でも『脳死』後でも、できるだけ早く臓器を摘出したほうが、移植手術の予後がよいのですが、心臓停止も『脳死』も絶対にまちがいのない診断をすることは、困難です。 立花隆の著書「脳死」では、心臓は時間をかけて止まっていくので、医師が臨終を告げた後に、心拍が出ることもある、という話が紹介され、同じく立花の「脳死臨調批判」では、心臓停止後、大脳皮質の細胞は7分〜15分程度、視床下部の細胞は1時間半生きているという説を紹介しています。
そのせいかどうか、恐らく経験的な知恵によるものだと思われますが、「墓地、埋葬等に関する法律」では、死後、24時間以内に埋葬することを禁じています。 臓器移植を行わない場合は、心臓停止の診断に曖昧さが残っているとしても、埋葬まで24時間の経過を見るので、ほとんど問題はありません。しかし、臓器移植の場合は、そのようなゆっくりした時間がとれません。腎臓は心臓停止後2時間以内、皮膚は24時間以内に移植します。
それゆえ、心臓停止後の臓器移植においては、臓器提供者の死亡時刻を、大脳皮質の細胞の残り生存時間程度の余裕を持たせることによって、移植医が、心臓停止を待ち受けてすぐに摘出手術を始めるというような事態を、少しでも遅らせたいと考えました。
(「脳死」否定論に基づく臓器移植法改正案「2.2.4. 臓器提供者の死亡時刻」より)
2.と3.についてのQ and A
Q. Truogみたいな立場から見ると、植物状態の人や無脳児の人格は、生死にかかわらず認められないとおもいますが。
A. USAの麻酔科および小児科の医師のTruogは、「全脳」死の基準は「近似値」にすぎないとし、臓器移植の要件としては、同意と不侵害の原則を用いるべきであるとしていますが、それによって持続的な植物状態患者または無脳児にまでドナーの対象を広げてもよいとしています。
しかし、Truogを引用しているドイツの刑法学者のトレンドレや、トレンドレを引用している前司法大臣のヨルツィヒは、Truogとは一線を画し、ドナーの同意なくして臓器を摘出することは、その人の基本的な地位を侵害すると述べています。 もともとドイツでは、人の死後にも残る死者本人の人格権を認め、保護の対象としています。また、日本の著作権法では、著作者人格権は、著作者の死後も期間を限定せずに保護されます。
著作権法における著作者人格権と、ドイツの法律における死者の人格権とでは、同じ「人格権」という言葉を使っていても、個々の具体的な権利の行使として現われるときには、明確な限定があり、全く異なった種類の行為をさしていますが、そのもとになる「人格」という言葉でさすもの、人の人としての尊厳の保護という理念では共通するものがあります。
著作者人格権は、著作物の芸術性や商品としての価値などには関係なく存在し、死者の人格権も、死者本人の生きていたときの業績や人柄や能力とは関係なく存在します。 同様に、身体、または、臓器や組織等が、「人格権」の対象となるとき、それは、その権利主体の健康状態や、あるいは生死の状態とは関係なく、存在します。当然、持続的な植物状態患者または無脳児にも存在します。
(著作者人格権とは、まだ公表されていない著作物を公表する、公表に際し実名または変名を著作者として表示するまたは表示しない、著作物及びその題号の同一性を保持する権利です。一方、ドイツの刑法では、「死体、死体の一部、死胎児またはその一部もしくは遺灰を、権利者の保管から奪取した者……は、3年以下の自由刑に処する」としています。ドイツの「死者の人格権」については、石原明著「医療と法と生命倫理」p.189-190(日本評論社、1997)参照。Truogらについては、中山 研一著「アメリカおよびドイツの脳死否定論」(『法律時報』72巻9号p.5459,2000年)参照。
著作者人格権…著作権法第18条(公表権)、第19条(氏名表示権)、第20条(同一性保持権)
その一身専属性について
第59条
著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない。
第60条
著作物を公衆に提供し、又は提示する権利は、その著作物の著作者が存しなくなった後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。
ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。)
(「脳死」否定論に基づく臓器移植法改正案「2.1. 人格権の対象としての身体」より)
4.と5.についてのQ and A
Q. それぞれのカードや登録制、保証人の必要な理由はなんでしょうか。
A.
この試案では、ぬで島次郎氏が、「脳死と移植をめぐる政策課題」(「臨床死生学」2000;5:54-60)参照)で述べられている、
「脳死の問題は、現代医学ではもはや救えなくなった患者をどう扱うかという、末期医療の問題」
という考え方に基づいて、「脳死」後の臓器提供を、末期医療の選択肢の一つとして扱います。
そして、末期医療の選択カードと、別に、臓器提供意思の表示カードと登録カードを作ります。
現行法のもとでは、実際に脳死状態になって、臓器を提供するとなると、家族が、脳死判定の承諾書と、臓器摘出記録書式の「遺族が臓器摘出を拒否していない」欄の、2回にわたって記入記名捺印を求められます。
これは、家族にとっても精神的負担になり、なんのための、本人の生前の意思表示カードかとも思われます。
また、臓器提供についての説明は、本人が脳死状態になったときに、移植コーディネーターが家族に対して行いますが、生前に書面による意思表示をする本人に対する、臓器提供についての説明は、制度化されていません。
このほかにも、現行のドナーカードは不備であるという指摘がなされています。
インターネットのyahoo!の掲示板では、今はなくなっていますが、前にあった臓器移植法関連のトピックで、三連複写式にして登録機関と本人と家族とが持っておく、という提案がありました。
ラジオ番組「アクセス」で臓器移植法改正についてとりあげたときには、「アクセス」ホームページへの視聴者からの投書欄に、現行法のドナーカードを改善するようにとの指摘があり、次のような提案をしていました。
(http://www.tbs.co.jp/ac/index00.htm)
遺言式に、本人の意思のみで出来る書類を作る。役所に届けるようにして、弁護士代などのお金がかからないようにし、役所などが立会人としてその意思の決定を証明する。
本人には、携帯式の意思決定書を(ドナーカード)所持させ、気が変わった場合でも、すみやかに意思の変更が出来るようにする。
上記の方法を取りたくないか、とっていない人は、今まで通りの方法とする。
臓器提供意思の表示に、登録する場合と登録しない場合と二通りあったほうがよいという意見は、他にも出されており、本試案でも、二通り、用意することにしました。
(「脳死」否定論に基づく臓器移植法改正案「2.2.1. 現行法のもとでのドナーカード」より)
7.についてのQ and A
Q. (3)について
ドナーの家族が医療従事者である、あるいは交友関係者に移植関係者がいる、ことにより理解しておくべき、移植医療の意義とはどのような事柄でしょう。
また、移植関係者の知り合いがいない人の場合、(3)は無理になりますが、よいでしょうか?
移植関係者の知り合いというのは、インターネットで移植を待つこどもを紹介するホームページを見た、程度でもいいと思います。
そういうこどものホームページでは、こどもの成長や、闘病生活が描かれ、こどもの親御さんの想いが伝わり、たとえ先天的な重い病気があっても、日々成長していく姿に感動と切なさを覚えずにはいられません。
一方で、移植手術を受けた若い人が作っているホームページもあります。そういうホームページを見ると、生きることのすばらしさが伝わってきます。
なお、医療従事者であれば、当然、脳死や移植に関する医学的な知識も最低限持っていることを求められます。
それは、こどもの臓器提供を申し出た親が、自分の職業的使命感と専門的知識とを
かけて、自ら述べてもらいたいと思います。
Q. (4)について
(4)は、(2)を結果的に補足する、とおもいますが、親の看取りの状態を確認しているのでしょうか?
ちょっと(4)の目的が分かりずらい印象でした。
ここは、ソーシャルワーカーの出番だと思います。
論文では、yukikoさんの論文を「注」に入れてしています。
「『脳死』状態の人を看取る人々は、末期医療の一貫として、医療ソーシャルワーカーに相談する機会を保障されなければならない。臓器提供をする場合は、移植コーディネーターに会う前に、医療ソーシャルワーカーに相談する機会を与えられるべきである。33)」
33)
yukiko著、
「脳死の人」の看取りと、死別後の家族の援助について--医療ソーシャルワーカーの役割--
2000年7月18日
http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/yukiko01.htm
Q. 保証人について
(1)〜(5)には、保証人の証言が入っていないようですが、いれなくてよろしいですか?
6歳未満3歳以上で、本人の自筆で臓器を提供すると記入した子供用の末期医療選択カードがない場合、親の承諾というよりも親からの申し出で、臓器提供をするかどうか、という話になります。
親からの申し出がないのに、医師などが臓器提供の意思を尋ねてはなりません。
この場合、初めから保証人というものはいません。
それで、こどもが自筆で記入した子供用の末期医療選択カードを持っている場合なら、保証人の役割をとれる立場の人が、承諾しなかったら、臓器を提供できないことにします。
保証人の立場をとれる人が承諾しても、他の家族が反対したら、とりやめます。
『脳死』後の臓器提供は、親がこどもの臓器提供を申し出、保証人の立場をとれる人も賛成し、他の家族も反対しなかったとき、初めて、家庭裁判所の審査を受けることにします。
心臓停止後の臓器提供は、親がこどもの臓器提供を申し出、保証人の立場をとれる人も賛成し、他の家族も反対しなかったとき、上記の(1)(2)(3)の条件を満たしていれば、家庭裁判所の審査を経ないで臓器提供してもよいこととします。
(「脳死」否定論に基づく臓器移植法改正案 「2.3. 試案本文 6歳未満のこども」より)