David Lewino(CPTC)の論文抄訳


(抄訳、および、考察著者、てるてる)


ドナーとレシピエントの交流について調査した、最初の論文。
David Lewinoは、カリフォルニア州にあるOPOの一つ、Organ and Tissue Acquisition Center of Southern Californiaのドナーコーディネーター(Certified Procurement Transplant Coordinator, CPTC)である。
LewinoのOPOの実施している、移植専門職が交流を促進するときの指針となる、ガイドラインの提示がある。

Journal of Transplant Coordination 1996 Dec;6(4):191-5

Interaction of organ donor families and recipients.

David Lewino, RN, CCRN, CPTC, Lisa Stocks, RN, MSN, CPTC, Gail Cole, RN, BSN, CCRN, CPTC

Organ and Tissue Acquisition Center of Southern California, San Diego 92123-1871, USA.

「ドナー家族とレシピエントとの交流」

(抄録)

An exploratory descriptive study of donor families and recipients of cadaveric organs was done to determine their feelings about direct contact with each other. Direct contact was desired by 70% of donor families and 75% of recipients. Donor families wanted to see firsthand the benefit of the transplant to another person. Recipients primarily wanted to express gratitude. Both groups think they have a right to meet. Although both think these interactions should be professionally regulated and facilitated, they do not think the transplant center or the organ procurement organization is responsible for the outcome of a meeting. Donor families and recipients think the process should be gradual with prior correspondence. On the basis of our findings, we have developed a list of suggested guidelines to use when facilitating an interaction.

死後の臓器提供のドナーの家族とレシピエントとが、お互いに直接に接触することについてどのような気持ちを持つかを知るために、調査研究をした。直接接触はドナーの家族の70%とレシピエントの75%が望んでいた。ドナーの家族は、移植を受けた人に直接会うことを望んでいた。レシピエントは基本的に感謝を表現したいと思っていた。両方のグループとも、自分たちには会う権利があると思っている。ドナーの家族とレシピエントは、最初に文通をしてから徐々に接触を進めるべきだと思っている。この研究の成果により、交流を進めるときに役立つガイドラインの項目を作ることができた。

(以下、本文要約)

Organ and Tissue Acquisition Center of Southern Californiaのサーヴィス対象地域で、死体からの移植を受けた人、脳死後の臓器提供をした人の近親者、を対象に調査した。

アンケート用紙を送付した数

367 donor families
898 recipients


アンケートが返送された数

367 donor families 内、 95返送 回答率26%
898 recipients      内、248返送 回答率28%


移植後2年以内にアンケート用紙を受け取って回答した人

donor families     50%
recipients          41%
direct contactを望む人
donor families     70%
recipients          75%


個人的な対面を望む人

donor families     65%
recipients          69%


電話での会話を望む人

donor families     60%
recipients          60%

 

Donor families

○対面を望む理由

移植の恩恵を受けた人に直接会いたい              61%
(to see firsthand the benefit of the transplant to another person)
レシピエントを通して愛する人の一部に触れたい  29%
補償がほしい                                                  0%
(ある回答者は、不快な選択肢であると書き、別の回答者は、この選択肢を削除した)
○対面を望まない理由
レシピエントが誰であるかは重要でない          48%
("The identity of the recipient is unimportant to me")
人生の苦痛な部分を再体験したくない            39%


Recipients

○対面を望む理由
ありがとうと言いたい                    93%
好奇心                                        4%

○対面を望まない理由
ドナー家族の愛する人が亡くなったのに自分が生きているのが居心地悪い      37%
ドナー家族に苦痛な思い出を再体験させてしまうのではないかと思う               36%
ドナー家族がレシピエントの生活に入り込んでくるのではないかと恐れる          13%
(高齢のレシピエントは、ドナーのほうが若いとき、自分の年を思って居心地悪いと報告した)
 
 

対面は、いつ、どこでおこなうのがよいか

(1)臓器提供後または移植後いつ対面するのがよいか

○いつでもよい

donor families     39%
recipients          36%


○1年後

donor families     27%
recipients          32%


○1年以内

donor families     残りの人々
recipients          残りの人々


(2)誰が始めるべきか

○誰でもよい

donor families     58%
recipients          56%


○recipientから        donor familiesの      40%
○donor's familyから   recipients     の     32%
 

(3)どこがよいか

○recipientの家でもdonor's familyの家でもないところ

donor families     76%
recipients          83%


OPOのカフェテリアまたは病院というのは、donor familiesにとっては困難な選択かもしれない、愛する人が死んだ場所だから。
 

(4)対面の場所にはファシリテーターがいたほうがよいか

                いるほうがよい      どちらでもよい      いないほうがよい
donor families      44%                 44%                  12%
recipients           51%                 35%                  14%
 
 

これまでに、
○直接の交流がある

donor families      5%
recipients           3%
○文通

donor families

recipientに手紙またはカードを送った        10%
           手紙を受け取ることを認めた       33%


recipients

donor's family に手紙を送った               38%
           手紙を受け取ることを認めた       5%
臓器は誰のものか

提供後または移植後の臓器はrecipientに属する

donor families      90%
recipients           85%


提供後または移植後の臓器はdonorに属する

donor families       3%
recipients            7%


どちらでもない

donor families       7%
recipients            8%
donor families, recipientsともに、対面の前に文通をして段階を追って進むことに賛成である。
donor familiesの60%, recipientsの59%が、移植専門職が対面を調整することに賛成である。
donor families, recipientsともに、50%以上が、会う前にカウンセリングが必要だと考えている。
donor familiesの93%, recipientsの89%が、移植センターとOPOは対面の結果に責任はないと考えている。
 
 

Discussion

我々の結果は、圧倒的に、donor families, recipientsともに、direct contactを望んでいることを示している。
移植の恩恵を受けた人に直接会いたい(to see the benefits of transplantation first-hand)と答えたdonor families
と、ありがとうと言いたいと答えたrecipientsが、両方とも電話での会話よりも個人的な対面を選ぶのも不思議ではない。
donor familiesとrecipientsは、contactを望むだけでなく、たとえ移植専門職が反対しても会う権利があると思っている。donor familiesとrecipients両方から、移植専門職はcontactを制限すべきではないというはっきりしたメッセージが伝わってくる。
逆説的に、donor familiesとrecipients両方の大多数は、移植専門職が、何らかの方法で、対面を促進し調整すべきだと考えている。
donor familiesとrecipientsの両方とも、対面の前に、文通を含んだ、段階を追ったプロセスを踏み、カウンセリングを受けることを望んでいる。
donor familiesとrecipientsの両方とも、どこで対面をおこなうのがいいか、提供された臓器は誰のものかについて、同じような回答をしている。

回答の傾向が異なっているものもある。
皮肉にも、donor familiesとrecipientsの両方とも、誰が始めるべきかについては半分以上がどちらでもよいと答えているにもかかわらず、圧倒的多数が、相手側から始めるべきと表明している。

自分から始めることへのためらいは、文通の割合の矛盾に表われている。
実際はすべてのrecipientが、直接に交流する一番の動機はお礼を言うことだと報告している。
しかし、donor's family に手紙を送ったrecipientは1/3弱である。

将来の研究は、実際の対面の結果、移植専門職の交流に対する態度、異なる参加者によるこの研究の再現を含むべきだろう。
どちらがcontactを始めるべきかについての態度の大きな矛盾もまた、今後の研究の成果が期待できる領域である。
全く見ず知らずの人に命を救われるというのは、移植に独自の現象である。
donor's family, recipient, recipientsはお互いに見ず知らずであるので、状況を創り出すにおいて、移植専門職は情報の量とcontactを調整する能力と責任がある。
この責任という点に照らして、我々は次のガイドラインを作った。これは移植専門職が交流を促進するときに利用できるものである。
 

ガイドラインの提案

我々のOPOでは、直接の交流は、匿名の文通から始める。臓器提供のとき、donor's familyは、Writing to Transplant Recipientsというパンフレットを受け取る。
我々の地域のレシピエントコーディネーターとソーシャルワーカーは、Writing to Donor Familiesと書いた同じようなパンフレットを渡される。
OPOと移植プログラムは、手紙が受け取られるとき、導水管として働く。
地域の移植専門職は、普通、手紙を編集しないが、手紙の差出人か名宛人に会って、手紙の適切さについての心配を説明するかもしれない。この結果、差出人は、手紙を書き直すか、手紙の名宛人は、手紙を受け取るか、選択する。
もしdonor's family, recipient双方が、文通の間に、対面に興味を示したら、OPOの責任のあるコーディネーターが、相手側のコーディネーターに相談して、次のガイドラインに従って、対面を促進する。

donor's family, recipient双方が、対面に興味を表明し、OPOまたは移植プログラムが、なまえと電話番号を明かすことを許可する書類にサインしなければならない。

donor's family, recipient双方が、既に文通していて、donor とrecipientの年齢、性別、donorの死の原因、recipientの病気などについて、対面の前に、情報を交換していなければならない。

donor's family, recipient双方とも、ファシリテーターと電話で、直接の交流に期待することについて話しておくべきである。双方の要求が一回の対面で満たされるかもしれない、延長してcontactに留まることを選ぶこともあるけれども。

対面のタイミングは、しばしば、まず文通が始まったのがいつだったかによって決まる。grief, 回復、何通かの手紙の交換という段取りを踏むと、6ヶ月かかる。このように、direct contactは徐々におこなうものである。

donor's family, recipient双方とも、対面の場所について意見を一致させておくべきである、どちらかの住んでいる地域は避けるべきである。

ファシリテーターは、対面の口火を切り、セーフティーネットをはるために勧められる。ファシリテーターは、最後までいることは求められないが、いつでも必要に応じられなければならない。
 

Conclusions

donor familiesとrecipientsの直接の交流への要求はふえつづけるだろう。直接の交流をすることで、donor familiesは移植の恩恵を受けた人に直接会い(to see first-hand the benefit of their donation)、recipientsは感謝を述べることができる。我々は、donor familiesの要求に応える対面が、臓器提供の経験に良い効果を及ぼせば、彼らが臓器提供と移植の強い支持者になると考えている。一旦、donor familiesとrecipientsの両方とも対面に賛成すると、移植センターとOPOが対面の結果に責任を負わないことにも賛成する。このプロセスのキーポイントは、相互の関心への要求である。
我々の意見と我々のOPOのとっている方針は、次の言葉に集約されている。「もしdonor familiesとrecipientsの両方が会いたいと言ったら、全然会わないこと以外はどんな悪い結果もない」
 
 
 
 

(考察)Lewino論文、および、レシピエントとの対面を望まないドナー家族について


このLewino論文は、ドナー家族とレシピエントとの交流について、初めて組織的に本格的に調査した研究で、以後、Albert論文Clayville論文などでも必ず引用されている、基礎資料である。

また、Lewinoの所属しているOPO、Organ and Tissue Acquisition Center of Southern California が実施している、移植専門職が交流を促進するときの指針となる、ガイドラインの提示があるが、これとほぼ同じ内容が、
National Kidney Foundation Donor Family Council (NDFC)のNational Communication Guidelines に取り入れられている。
 

Lewino論文の分析のとおり、ドナー家族の圧倒的多数がレシピエントに会いたいと望んでおり、そのおもな理由は、移植の恩恵を受けた人に直接会いたい(to see the benefits of transplantation first-hand)、つまり、臓器提供の成果を自分の目で確かめたい、というものである。

一方、Lewino論文ではくわしい分析の対象となっていないが、対面を望まないドナー家族も約30%おり、その理由が、(1)レシピエントが誰であるかは重要でない("The identity of the recipient is unimportant to me")--48%、(2)人生の苦痛な部分を再体験したくない-- 39%、という点についても、注意してみたい。
「人生の苦痛な部分を再体験したくない」という答えが39%あるのは、死別の悲しみ・苦しみの表われとして、無理もない。
一方、「レシピエントが誰であるかは重要でない("The identity of the recipient is unimportant to me")」という答えが半数近く、48%あるのは、どういう心情によるのだろうか。

「レシピエントが誰であるかは重要でない("The identity of the recipient is unimportant to me")」という答えについては、二つのとらえかたができると思う。
一つには、野村裕之が紹介した、「『ドネーション』とは『神への献げもの』であり、……非宗教的に使われる場合でも、慈善団体や非営利団体への寄付であって、個人間の受け渡しというイメージではない。個人に渡るとすれば、団体を通して、条件にかなった相手に寄付されるのである」 という考え方1)や、美濃口坦が指摘した、ドイツでは、臓器とは「提供する」ものでなく、あくまでも寄付(寄贈)するものであり、キリスト教的隣人愛が強調されるという考え方を表わしていると思われる。2)

1)野村裕之著「死の淵からの帰還」(岩波書店、1997年)

2)美濃口坦のウェッブページより
臓器移植 http://home.munich.netsurf.de/Tan.Minoguchi/ishoku.htm
「臓器とは人命救助の浮きぶくろ」―ドイツの脳死臓器移植について─
『あうろーら』1999年秋17号
「『臓器移植』の文化論 ?ドイツから日本の臓器移植について考える」
Navigator No.76(1999年9月20日)独逸回覧記 No.12(MSN Journalで紹介)

もう一つは、日本ドナー家族クラブの吉川隆三の、5歳の息子の腎臓を提供した相手から、連絡を待ち続けたが、相手が誰であるかは知らなくてもよかった、という感想と同じものである。吉川は、次のように述べている。3)

>>私たちも、レシピエントの方がどこの誰かを知りたいと思っていたわけではありません。ましてや、腎臓を提供したことを感謝してほしいとか、お礼をいってほしいと思ったわけでもありません。

>>どこの誰と名乗る必要はありません。お礼の言葉もいりません。ただ、その後の経過を知りたいと思っていました。……(中略)……
 ですから、一言、「おかげさまで元気になりました」あるいは、「手術は無事成功し、元気に暮らしております」と、そうした連絡がほしかったのです。
 何枚もの便箋を費やした長い手紙を望んでいたわけではありません。数行の手紙、いやはがき一枚でいいのです。そうすれば、忠孝がいまも元気に生きていることがわかります。

吉川は、臓器移植法制定後実施された、脳死の人からの移植手術の際に、テレビ局の取材を受けた。その直後、テレビ局に、レシピエントから電話があったと知らされた。「十五年前、腎臓の提供を受けたといって、それから、吉川さんご夫妻に、元気でいるとお伝えくださいというと……、電話は切れてしまったんです」という話を聞いて、初めて、それまでの苦しかった気持ちが救われた、と述べている。4)

3)吉川隆三著「ああ、ター君は生きていた」(河出書房新社、2001年)
p.83, p,85,
4)吉川、同書、p.19

野村はレシピエントであり、美濃口は、ドナー(の家族)でもレシピエントでもなく、移植については第三者である。彼らは、欧米での臓器提供は、キリスト教的隣人愛に基づく、神または社会への寄付であると伝える。
それに対して、吉川は、腎臓の提供を申し出たのは、息子の命を生かしたかったからだ、と語っている。
それは、個人から個人への贈り物に極めて近い。にもかかわらず、相手が誰であるかは問わない。ただ、確かに受け取りました、という返事は本人からほしい。贈り物が無駄にならなかったことがわかればそれでよい。いわば、受取人の責任を問うようなものであろう。

美濃口が伝える、ドイツでの臓器移植に対する人々の反応では、受取人というより、受渡人の責任を問うような側面がある。
美濃口は、エッセン大学の社会学者の調査では「ドイツ国民の五人に一人、医者の二人に一人は臓器が公正に配分されていないと考えている」という報告をとりあげ、「この世論調査で見られる批判度、反感度は強過ぎると思われる。」と述べている。このような臓器の公正な配分に対する懐疑、臓器移植への反感の背景について、次のように述べている。

>>「あの世」と「この世」にまたがって存在し、かつ生殺与奪の権を握っている臓器分配移植組織の在り方と関係があるのではないだろうか。というのは、この在り方は現在の社会で表向き正しいとされる価値観に合致しないからである。もし教会に生死の決定権までも賦与すれば物議をかもすのは必至である。

美濃口は、ドイツの教会の権力と世俗の権力との歴史的な緊張関係などを説明し、考察している。それはそれで説得力があるが、臓器分配の公正さへの強い懐疑は、ドナーの、贈り物を無駄にしてほしくないという心情、受取人の責任を問う姿勢が、レシピエント個人へ向けられず、受渡人の責任を問う姿勢、移植医療の専門家集団全体の責任を追及する姿勢へと転化したのではないだろうか。

臓器を提供する、または、神や社会に寄付する、ということは、本人にとってはいざ知らず、本人を看取る人にとっては、かけがえのない人の一部をさしだす、というより、かけがえのない人そのものを犠牲にささげることであり、そうすることによって、ほんとうにひとの命が救われるのか、善行によって、ドナーの魂は救われるだろうか、という心配があっても不思議ではない。その心配が杞憂であることが確かめられ、隣人の命が救われた、という確証を求めるのは、個人から個人への贈り物でも、寄付でも、同じであると思う。
ただ、その際に、相手が誰であるかを知ることは、必ずしも必要ない。
それが、対面を望まない、約30%のドナー家族の、半数近く、48%が、「レシピエントが誰であるかは重要でない("The identity of the recipient is unimportant to me")」を理由に挙げている背後にあると思う。