2003年11月22日に発表されました、河野太郎衆議院議員の臓器移植法改正私案について、以下の理由により、反対の意見を申し上げます。
一、河野案には生体ドナー保護の規定がない河野太郎議員が臓器移植法改正私案をつくる強力な動機となったのは、御自身が生体臓器提供者となられた体験によるものです。だから本来ならば、現行の臓器移植法に欠けている、生体移植についての規定をまずもって設けなければならないのに、河野私案には、生体臓器提供者保護の規定がありません。そして、ただ生体移植の件数を減らすために、脳死患者からの臓器提供をふやさなければならない、そのためには本人が臓器提供の意思を表示していなくても家族の同意をとれれば臓器提供できるようにしなければならない、と主張しています。 しかしながら、既に海外の多くの国で証明されているように、脳死臓器移植件数がどんなに多くても、生体移植件数もふえるばかりです。そして、USAと日本を除く多くの国では、生体臓器提供者保護の法的規定が、臓器移植法に含まれています。日本でもこの9月に、科学技術文明研究所のぬで島次郎さんが、「生きている提供者の保護のための臓器移植法改正・試案」を発表されています。 河野議員にも、生体移植の臓器提供者を保護する法律をつくっていただきたいと思います。
二、河野案は人格権を侵害する河野太郎私案は、すべての脳死患者を潜在的ドナーとみなし、患者の家族に移植コーディネーターがはたらきかける、ドナー・アクション・プログラムに道を開きます。 既に、静岡県や新潟県では、心停止後腎蔵提供については、移植コーディネーターが病院に常駐し、脳死または死期の迫った患者のデータをすべてつかみ、医学的に移植に適合すると思われる患者の家族のようすを調べ、心の弱った家族に近づき、まずは家族の悲しみを慰め、家族達が心を許し信頼するようになってから臓器提供の話をしています。このようなことができるのは、現行法のもとでも、心停止後の臓器提供については、本人の事前の書面による同意がなくても、家族の同意だけで臓器提供できるとされているからです。 これを、すべての自治体、すべての脳死患者を対象としておこなわれる方途を開くのが、河野議員による臓器移植法改正私案です。 たとえ家族の同意だけで臓器提供できるようになっても本人の意思表示もないのに同意する割合は低いだろう、などと考える人もいるかもしれませんが、家族はそっとしておいてはもらえません。また、移植コーディネーターひとりひとりは、良心的で、脳死の患者の家族を本心から慰めたくて接触する人がほとんどです。しかし、医学的に移植に適合しない患者の家族には近づかない。そういう家族は、患者の死期が迫って悲しんでいても、パニックになっていても、慰めたりささえたりする態勢が整っていない。ただ、移植に適合する患者をみつけること、その患者の家族の心を臓器提供に同意できるようにすること、そのためだけに、移植コーディネーターは病院にいます。 私とても、脳死後の臓器提供に反対しているわけではなく、すべてのひとが、脳死後の臓器提供に同意すると意思表示するようになったらいいなと思っています。しかし現状では、「脳死」については、医師の間でもいろいろと見解があるようですし、判断のむずかしい症例もあるようです。まして、ひとりひとりの人にとって、自分が脳死になったらどうするか、と考えることは、むずかしく、はっきりした意思を表示することができず、迷っている人もたくさんいます。ひとには、そっとしておかれる権利があります。それが「人格権(the right to be let alone)」です。河野案は、脳死患者とその家族、および脳死になるかもしれないすべての人の、人格権を侵害します。 以上の理由により、私は河野案に反対します。
*参照 以上 |
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