【臓器提供】 こどもにも意思表示の機会を!!

2003.10.12. てるてる

1997年に施行された臓器移植法では、事前に書面で臓器提供の意思表示をした人は、家族が拒否しない限り、臓器提供をすることができます。

しかし、臓器移植法の運用に関する指針において、15歳以上の人の意思表示が有効とされているので、15歳未満の人は、臓器移植法に基づく脳死判定を受けて臓器提供をすることができません。

そのため、今もこどもたちが、外国へ移植手術を受けに行く例が続いています。

15歳未満でも、移植医療のことを知り、よく考えて、臓器提供の意思を持っているこどもたちがいます。あるこどもは、自分のきょうだいが亡くなったときに腎臓を提供し、その結果、レシピエントが元気になったことを知って、自分も腎臓バンクに登録しています。また別のこどもは、海外に心臓移植を受けに行くこどものための募金活動に参加し、おとなは、こどもの意思や夢を聞いてほしい、移植のことを知らないこどもにも教えてあげてほしい、と主張しています。

Digital TRANSPLANT Vol.18 2001年6月〜特集 子供の臓器移植を考える〜
「我が子の臓器提供を通じて」
http://www.jotnw.or.jp/community/d-transplant/vol18/18_04.html
「子供の夢や意思を聞いて欲しい」
http://www.jotnw.or.jp/community/d-transplant/vol18/18_05.html

このようなこどもたちに臓器提供の意思表示の機会が与えられたら、国内でも移植を受けられるこどもが少しずつふえていくと思います。

現在、こどもにも意思表示の機会を保障する、臓器移植法の改正案が、二つ、提出されています。

「子どもの意思表示を前提とする臓器移植法改正案の提言」
(森岡正博・杉本健郎共同提案、2001年2月14日)(森岡・杉本案)
http://www.lifestudies.org/jp/moriokasugimoto-an.htm

「脳死否定論に基づく臓器移植法改正案について」
(『現代文明学研究』第3号、2000年10月19日)(てるてる案)
http://www.kinokopress.com/civil/0302.htm


 

また、2003年4月26日の日本小児科学会の提言でも、「小児の人権を護る立場からは自己決定権を明示するチャイルド・ドナーカードの推進が望ましい.」と述べられています。

「小児脳死臓器移植はどうあるべきか」
http://plaza.umin.ac.jp/~jpeds/saisin.html#50

これらの改正案や提言を参考にし、15歳未満の人に臓器提供の意思表示の機会を保障するように、臓器移植法の改正または運用指針の変更を求めます。


《参照》

「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)
厚生省保健医療局長発通知第1329号・平成9年10月8日
第1 書面による意思表示ができる年齢等に関する事項

臓器の移植に関する法律(平成9年法律第104号。以下「法」という。)における臓器提供に係る意思表示の有効性について、年齢等により画一的に判断することは難しいと考えるが、民法上の遺言可能年齢等を参考として、法の運用に当たっては、15歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱うこと。

知的障害者等の意思表示については、一律にその意思表示を有効と取り扱わない運用は適当でないが、これらの者の意思表示の取り扱いについては、今後さらに検討すべきものであることから、主治医等が家族等に対して病状や治療方針の説明を行う中で、患者が知的障害者であることが判明した場合においては、当面、法に基づく脳死判定は見合せること。


「臓器の移植に関する法律」平成9年7月16日・法律第104号

第六条 (臓器の摘出)

医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。


 


臓器移植を、「再生」ととらえる考え方は、移植医療を進めるうえで、しばしば主張されます。USAの移植コーディネーターなどは積極的にこの考え方を支持するようです。ドナー家族は、「ドナーキルト」を作ったり、ウェブ墓地を作ったりして、ドナーを偲ぶよすがにしています。

移植医療には、臓器・組織・細胞などの、人体の医療資源化、商品化、という側面もあります。臓器移植は自然の生態的循環と並ぶ「再生」ではなくて産業上の再利用なのだ、という指摘もあります。

臓器移植を「再生」ととらえる考え方では、生体移植や、事故・事件・災害・テロなどで、遺体が激しく損傷され、臓器提供できなかった人々は、再生に参加できません。また、ひとのからだを医療資源とし、商品化するよのなかのしくみに、抵抗を覚える人々もいます。

臓器移植を「再生」ととらえる美しい詩と、臓器移植によらずに、死を自然に回帰するととらえる美しい詩と、二つの詩を一緒に掲げます。


「はあとネット兵庫」設立記念講演で、USAで心臓移植手術を受けたこどものおとうさんが紹介した詩

"To Remember Me"

by Robert N. Test

生と死が忙しく入り交じる病院で、私の身体がマットの4つのコーナーに

きれいに折り込まれた白いシーツの上に横たわる日がいつかやってくる。

そして、医者はもう私の脳が機能を停止したと判断するだろう。

すべての意味において、私の生は、止まったと、判断するだろう。

そうなった時、機械を使って私の身体に人工の生を入れ込もうなどと考えないでほしい。

そして、これを私の死の床と呼ばないでほしい。

命の床と呼んで、他の誰かがもっと満ち足りた人生を送れるように、

そこから私の体を運んでほしい。

私の視力は日の出を、赤ん坊の顔を、そして彼女の瞳の奥の愛を、

まだ一度も見たことのない人にあげてほしい。

私の心臓は、終わりのない苦痛以外なにものも引き起こさない、

そんな心臓しかもたない人にあげてほしい。

私の血は、壊れはてた車から引きづり出された十代の若者にあげてほしい。そうしたら、

彼は自分の孫が遊ぶのを見るまで生きられるかもしれなから。

私の腎臓は、一週一週を生き延びるために機械に頼っている人にあげてほしい。

私の骨を、すべての筋肉を、すべての繊維を、そして、体中の神経を取り出して、

不具の子どもが歩ける方法を見つけてほしい。

私の脳のすみずみまで調べてほしい。必要があるなら細胞を取り出して、

培養してみてほしい。

そうしたら、いつかしゃべれない少年がバットの折れた瞬間叫べるようになり、

耳の聞こえない少女が窓をたたく雨の音を聞けるようになるだろう。

残った部分は焼いて、灰は花が成長するよう風に蒔いてほしい。

もし、何か埋めなければならないのならば、それは、私の犯した失敗、

私の弱さ、そして私の仲間に向けたすべての偏見である。

私の犯した罪は、悪魔にくれてやれ。

私の魂は、神に捧げておくれ。

もし、私のことを覚えていたいと思ってくれるなら、やさしい行為と言葉を、

それを必要としている誰かに与えながら覚えていておくれ。

私が望むこのすべてのことをしてくれたなら、私は永遠に生きることができるだろう。


私はもうそこにはいない(千の風)

私の墓の前に立って泣かないで。
私はもうそこにはいないのだから。
眠ってなんかいないのだから。

私は吹き過ぎる千の風。
私は雪にきらめくダイヤモンド。
私は実った穀物に降り注ぐ陽の光。
私はやわらかに降る秋の雨。

あなたが朝の静寂に目覚めるとき、
私は輪を描いて飛ぶ鳥たちのすばやく舞い上がる流れ。
私は夜空のやわらかな星の輝き。

私の墓の前に立って泣かないで。
私はもうそこにはいないのだから。
眠ってなんかいないのだから。

(森岡正博試訳)

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glint on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn rain.

When you wake in the morning hush,
I am the swift, uplifting rush
Of quiet birds in circling flight.
I am the soft starlight at night.

Do not stand at my grave and weep.
I am not there, I do not sleep.

Mary Frye


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