森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2002年09月04日〜10月13日

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医学的適合性 投稿者:てるてる  投稿日:10月13日(日)21時01分22秒

脳死または心臓死の人からの移植では、医学的適合性を最優先するべき、と思います。
でも、生体からの移植で、そんなことを言ったら、健康な人がある日突然、知らない人から、あなたの腎臓が一番適合するから、移植のために提供してください、なんていわれる場面を想像して、空恐ろしくなってしまう。
そして、現実には、親族からの生体腎移植の件数が多いことを、まあそういうものかと受け容れてしまう。

移植のための臓器提供を、死を受け容れる方法の一つとしてなら、哲学的な根拠を持ちうる、と、前に書きましたが、それでは、生体からの移植は、どう考えればいいのでしょうか。
ドナーの健康状態が悪くならないのなら、そして、精神的に傷つかなければ、受け容れられる、
ということになるのでしょうか。
現に、ドナーになっている人々がいます。
レシピエントになっている人々がいます。
その人々を前にして、哲学的根拠もなにも、あったものじゃないけど、ほんものの哲学者は、それでも、その根拠を考えるのだろうと思います。


いずみさん 投稿者:てるてる  投稿日:10月13日(日)20時54分52秒

ありがとうございます。 今回のも、次回のも、再放送は、見られない時間帯。しくしく。

あ、レジメにだなんて、番組のホームページのほうが、くわしいですよ。
でも、どうもありがとうございました。

やっぱり、2歳のお嬢さんの腎臓を心停止後に提供した、おとうさんのお話が、印象深かったですね。
それから、やはり、2歳ぐらいのお嬢さんに心臓移植を受けさせようとして渡航して、果たせなかったおとうさん。
そして、小児科医として、どちらの立場の患者さんも診て来られたであろう、加部さん。

加部さんが繰り返しおっしゃっていましたが、移植手術後のことも重要なんですね。
それは、全国心臓病のこどもを守る会の方も、以前、厚生労働省の審議会で、おっしゃっていました。
移植は、手術が成功すればそれでよい、というものではない。
移植後のレシピエントの健康、ドナー家族の喪の作業。

それから、生体間移植の問題が、脳死患者からの移植の問題の陰で、忘れられてもいけない。
それは、ぬで島さんも、現行の臓器移植法の根本的な欠陥として、おっしゃっていました。


すいません… 投稿者:いずみ  投稿日:10月13日(日)20時27分46秒

あれ?
http://tv.yahoo.co.jp/
で念のため確認してみたら、再放送は
16日(水)AM10:00から、となっていました。

すいません!当日の新聞TV欄で確かめるのが最善みたいです。
とんちんかんな書き込みで、ごめんなさい。


てるてるさん 投稿者:いずみ  投稿日:10月13日(日)20時17分48秒

実況中継、おつかれさまでした!
週明けにとってもらったビデオがもらえるので(うちにBSはない)
てるてるさんのをレジュメにしっかりみます。

>翌日の日曜日が仕事で、昼間の再放送も見られへん。

再放送の日時、週によって違うみたいです。手元にある番組表によれば今回の再放送は 10/15(火)AM10:00〜10:50みたい。

この日なら、どうですか?じっくり観られそうですか?

で、次回19日分の再放送は翌20日(日)のPM1:00〜1:50
となっていました。


RE:BS 投稿者:てるてる  投稿日:10月13日(日)19時21分44秒

>昨日のダイジェストがありました。

私も、番組を見終わった後で、見つけました。
こんなのがあるんだったら、あんなに必死に実況しなくてもよかったか?
でも、ぽんさん、りんごさん、ちゅうこさん、ありがとうございます。
次回は、中継のとき、コメントのほうにもっと力を入れようかなあ。

中島みちさんが、 「臨床的脳死判定が出てから、十分な救命処置がなされたのか、十分な最後の別れの時間がとられたのか、臓器提供の判断に際して説得等がなされていないか、などを調査する機関を設置し、適切な判断、許可をしていく」
と述べられていますが、これは、てるてる案で、6歳未満、3歳以上のこどもからの臓器提供の場合、本人の事前の意思表示がなければ、家庭裁判所の審査をする、と提案しているのと似ていると思います。その提案のなかで、必要に応じてソーシャルワーカーのケアを受けられることも条件の一つにしています。これは、ドナー候補者の家族のケアの必要性を認めている加部さんの意見とも一致するでしょう。
ソーシャルワーカーについては、USAでは、レシピエントコーディネーターとして役割を果たしている人々がいることが、後藤正治さんの臓器移植の本にくわしく紹介されています。加部さんもレシピエントコーディネーターの必要性を説かれています。
ドナー側、レシピエント側、どちらにとっても、ソーシャルワーカーやコーディネーターなど、心身両面にわたって、支援する人が必要だし、
ドナーになる前の脳死患者とその家族にとっては、ドナーコーディネーターではなく、移植について中立的な立場からケアをするソーシャルワーカーが必要なことは、岡田篤志さんの論文にも、USAのキリスト教チャプレンの例などを引いて、精細明確に書かれています。


BS 投稿者:りんご  投稿日:10月13日(日)07時59分45秒

昨日のダイジェストがありました。
それにしても、てるてるさん、すごいわ。

http://www.nhk.or.jp/debate/th/f/09/onair/f09_1st.htm


真人間になりたい。 投稿者:色即是空  投稿日:10月13日(日)05時39分12秒

ここ二月ほど脳死・臓器移植の学術文献を読んできて、単なる知識に終わらせたくなくて、新聞や雑誌や掲示板のある程度反映されている「実際の声」をできるだけ読んで、そして日本の社会を見ると、かなりいびつに感じます。

自然権である生命権、社会権である人格権、なんでもいいんですが、たとえば青少年の喫煙、死亡事故と背中あわせの野放図の交通状態、老人が犯罪にさらされても守れない社会・・・。死後のことよりも、あるいはもう助からない瀬戸際の話よりも、今生きている人を明らかに軽んじている社会・・・こういうものをジッと見ていると、なんだか、死後の自己決定とか死亡の境の尊厳とか臓器提供による人間の絆とかが、なんともしらじらしく聞こえ、ひょっとしたら、ある種、たいていの人がやっていることは、「真人間ごっこ」ではないのか・・・そんな風に思えて仕方ありません。

たとえば、高校生までで、カルシュームの摂取量が危機的に少ないせいか、骨折経験者が40%ぐらいあると聞きます。ほとんど学校で指導はありません。コンビにでいかがわしい雑誌が平気で販売されて、健全であるべき青少年が性風俗にさらされています。こうしたいびつな社会での人々が、人間の尊厳を語り、死後自分がいなくなった後のことを心配して、臓器をどうするこうすると議論して、ほんのひととき、「真人間」になろうとしているのが、どうやら、脳死とか臓器移植の話題ではないでしょうか・・・と、少しすねて感じています。

むろん、実際に切実に家族が脳死・臓器移植にかかわる人たちを私は非難しているわけじゃないですが・・・。まあ、ちょっと、アホらしく感じるものでして、すんません。


ごくろうさまです 投稿者:ぽん(おかだ)  投稿日:10月12日(土)23時40分19秒

よくわかった。てるてるさんおみごと!

ちゅうこさん 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)23時00分24秒

ありがとうございます。m(__)m

あっという間でしたね 投稿者:ちゅうこ  投稿日:10月12日(土)22時58分02秒

てるてるさん、りんごさん、お疲れ様でした。
てるてるさんのカキコを後から拝見しました。すごいですね、あっという間にあの、ごちゃごちゃしたことばをすっきりまとめておられて、驚きました。

難しいですね、中島さんのおっしゃる歯止め、加部さんの小児医療の現状からの視点、松田さんの性善説でいかなければ大きくは開けない子どもへの道。どれも頷けました。<(_ _)>ごめんなさい。
番組の性質上、あんまり具体的な話題にはなりそうもないのかな、と思いました。てるてるさんのご意見は子どもへの道がひらけた時に注目されるんだろうな、って思いました。ディベートのHPにはてるてるさんのご意見がしっかり注目されてましたね。


りんごさーん 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)22時27分29秒

来週の夜11時からは、きついー。
翌日の日曜日が仕事で、昼間の再放送も見られへん。 どうしようー。 えーん。 えーん。

こどもの意思表示 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)22時26分15秒

こどもの意思表示を13歳から認めるか、6歳から認めるか、両論併記の森岡・杉本案と同じように、中島さんと加部さんとの間で、具体的な考えが別れました。
松田さんは、日本移植者協議会案と同じで、親の代諾でよい、と。
自民党の議員立法も、この線と思われるようです。

町野案、てるてる案は、……どこか、遠くのかなたへ。


てるてるさん 投稿者:りんご  投稿日:10月12日(土)22時25分32秒

お疲れさまでしたー。

>(森岡・杉本案、町野案、てるてる案も紹介すれ〜!) そうだそうだ!

>「自分の臓器を親族を指定して提供することができるか」といってほしい〜 そうだそうだ!

来週は、BSがうつる実家に帰ろうかなあ。


疲れた 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)22時20分31秒

次回は、午後11時からです。
しんどいなあ。

つづき7 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)22時19分51秒

迫田さん
具体的に歯止めとは?

中島さん
臨床的脳死から時間があるのだから、そこで、きちんと調査する専門機関があって、その許可を得て、臓器提供するのならよい。

加部さん
ドナーのコーディネーターだけでなく、レシピエントのコーディネーターも必要である。
こどもの権利を擁護する専門家が必要である。

松田さん
今の法律では一例一例、厳密に評価してきた。
こどもの場合も、そうするべき。

迫田さん
充分議論が出尽くしていない。

終わりです。
次回は、自分の臓器を親族に提供することができるか。
つまり、あらかじめ指定できるか。

「自分の臓器を親族に提供することができるか」というから誤解されるんです〜

「自分の臓器を親族を指定して提供することができるか」といってほしい〜


つづき6 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)22時15分27秒

ハンドル名○○さん
助かるこどもがいる一方で、気持ちの行き場がない家族をつくるのでは、賛成できない。

もうひとりの○○さん
家族は、そのとき、どのように痛みを引き受け、臓器提供という行為に同意するのか。
どれくらい、考える時間があるのか。

迫田さん
その場になってみて初めてわかることもあるのですが。

中島さん
「こんなはずではなかった」ということがある。
コーディネーターからくどかれる、ということがある。
7時間もくどかれた人もある。
臨床的脳死判定から法的脳死判定に入る前のことを、きちんと法で取り締まるべき。 法で罰するぐらい。

迫田さん
くどいているつもりでなくても、くどいているようにきこえる。

松田さん
今は、くどきはない。

中島さん
今は、代諾がないからです。
代諾を認めたら、くどきがまた始まる。

松田さん
それは、智恵を出して防げる。

加部さん
これまで、こどもの脳死は、看取りのプロセスだった。
移植を認めると、提供のためのプロセスになる。
コーディネーターが説得しているつもりでなくても、心理的な圧迫を家族が感じる。
実際のところ、現場に、家族を精神的にささえる余裕がない。
ドナーに対してもレシピエントに対しても、長期のケアが必要である。
こどもの場合、どちら側も、自分で決めているわけではない点で、問題がある。


つづき5 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)22時10分00秒

ドナー家族の集いから
10月5日。東京。

移植待機側が、提供側の声を聞くために開いた。
心停止後の臓器提供は、家族の同意だけで認めている。

河原さん。
2歳のこどもの心停止後の臓器摘出に同意した。

ひとをたすけるということよりも、こどもの肉体の一部が灰にならないでこの世に残って
生きつづける、ということ。
お別れの間、どうかやすらかに、と願った。がんばってこいよ、と送り出した。
助けてやれなくてごめんね。

親の意思だけで同意した場合に直面する葛藤。
こどもの了解なしに行ったのは、よかったのか。
なんでわたしのからだを傷つけたのと、怒っているかもしれない。

(非常に静かに話されています。
私の指は今、あまり力が入りません)


つづき4 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)22時05分57秒

こどもの意思を認める前提

キドニーさん
小学校段階から教育のなかで、命を考えるようにする必要あり。

ケイロさん
子供の人権について日本ではあまり重視されてこなかった。
こどもの自己意思が確認されるか非常に危うさを感じる。

こちすけさん
こどもの目からすれば、知識のない大人から見ても、一見いいことのように見えてしまう。
しかし、ほんとうに正しいのか。おとなにとってもむずかしい。

加部さん
悪性腫瘍のこどもに、苦しい治療を行うときに、6歳ぐらいから、いろんなことがわかるので、
インフォームトコンセントをとるように努力している。

「6歳」という具体的な年齢が出てきました。

中島さん
こどもが理解するのはむずかしい。おとなにとってさえむずかしい。
こどもに判断を迫る社会はこどもにとって好ましくない。
しかし、今の、15歳以上という年齢の区切りは、絶対的なものではない。
民法の規定でも、他のことでは、13歳とか、いろいろ、ある。
13歳以上なら、臓器提供の意思表示を認めてもよいと思う。

「13歳」という年齢も出てきました。

松田さん
「13歳」という年齢には賛成。

もっと小さいこどもさんには無理なので、親が代諾するのがよい。

加部さん
こどもが一人で決めるのはむずかしい。
こどもにわかるように話して、さらに、親と話して、決める。

中島さん
結局、こどもは、親の考えに流される。

迫田さん
中島さんが認める例外とは?

中島さん
臓器提供には、親と子のわかれの問題がある。
(親子のわかれの場面を)邪魔しないようにきちんと歯止めをかけたらよい。
この世に臓器だけでも残ってほしい、という親もいるから、道を残すのはいいが、
必ず、みんな悪いほうへ、いいかげんなほうへ行くから、歯止めをかけるべき。

加部さん
拙速な議論の進め方に問題がある。
小さいこどもの場合、決断が親に迫られると、親の問題がある。
親が判断できるのか。


つづき3 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)21時58分04秒

松田さん
こどもには意思表示や決断の能力がないから親が決めるのが当然。

中島さん
親が代諾できるのは、こども自身の利益になるときだけ。
臓器提供はこども本人の利益にならない。
例外として歯止めを決めるべき。

松田さん
臓器移植というと悪いもののように思われているが、よいことである。
性善説でとらえてほしい。

加部さん
親に最終的にこどものことを決める権利があるのは確かである。
しかし、親がいつもこどもにとって最善の決定をするとは限らない。
治療できるこどもの治療を拒否する親、虐待する親。

曽我井さん
幼児虐待の場合の臓器提供は危険である。

松田さん
いろんな場合をすべてクリアーするのはむずかしい。
中島さんもおっしゃったように、危険な場合を除外するシステムを作る必要がある。
だからといって、まったく移植を認めないのは問題である。

迫田さん
基本的には親の意思で、ただ歯止めを、ということですか。

松田さん
(肯定)

加部さん
脳死からの移植では、救命を尽くすという大前提であるが、こどもの脳死判定のむずかしさなど、
大きな問題がある。

中島さん
こどもの意思表示は無理と思う。
ある程度の年齢まで(15歳より下げるのは)可能だろうが。
医療不信を払拭できないうちに法改正するのなら、きちっと歯止めを作らなければならない。
日本の臓器移植法は世界で一番進んでいる。

迫田さん
日本の法律が一番進んでいる点とはどこですか

中島さん
本人が納得できる、という点です。

松田さん
こどもが移植を受けられないのに、世界的に見たら、その点は全然進んでいない。


てるてるさん 投稿者:りんご  投稿日:10月12日(土)21時52分57秒

すごい、すごい、様子がよくわかります。
ありがとうございます。

つづき2 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)21時50分48秒

海外ではなぜこどもからの臓器提供ができるのかを、海外の臓器移植法との比較から説明。

日本
本人の意思・遺族の同意

USA
本人の意思か遺族の同意

フランス
本人の拒否の意思表示がない場合

日本で本人の意思が原則とされるようになったのはなぜか。
和田心臓移植の疑惑が解明されず、臓器移植医療に不信が残った。

さらに、「脳死は人の死なのか」という議論に、決着をつける必要があった。
過去、脳死患者から臓器移植をした医師は、殺人罪で告発された。
医学界、倫理、法律、宗教など、さまざまな方面で議論され、脳死臨調が発足。
多数派と少数派の意見が併記される。明確な結論は出なかった。
そこで、立法化に過程で、本人の意思原則ができた。
脳死論争が決着しなかった日本で臓器移植に道を開く最後のよりどころ。
こどもからの本人の意思確認は不可能とされ、遺言能力を民法で認められる15歳より
幼い人は、臓器提供の意思を確認できないことになった。

日本移植者協議会の改正案。
15歳未満は親の同意で臓器提供できるという特例を提案。

(森岡・杉本案、町野案、てるてる案も紹介すれ〜!)


つづき 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)21時44分00秒

松田さんの話
臓器移植法施行後5年間で21例という(脳死患者からの)臓器移植件数は、少なすぎる。

松田さんと同じ立場の意見
キドニー会さん
こどもが海外に出かけていくというはずかしい話

もうひとり。
日本でもこどもの移植はできるように、法改正するべき。

中島みちさん
こどもが助かる技術があるのに助けられないのはほんとうに悲しい。
でも、提供する臓器がなければ移植医療は進まない。
日本では15年ぐらい議論して、提供する側が納得できるようにして、
法律を作った。
例外として、歯止めをきっちりと作って、できるようにしたいけど、
慎重にするべき。

加部一彦さん。
こどもを助けたい気持ちはよくわかる。
法を改正すればそれで解決するのか。
いや、今の小児医療は厳しい状況であり、法改正すると、かえって、問題が出るのでは。
こどものレシピエントの問題もある。その点についての理解が少ない。


BS-debate始まりました 投稿者:てるてる  投稿日:10月12日(土)21時38分57秒

ドナーカードの説明です。

手術の模様。

臓器移植法のアップ。

15歳未満のこどもからの臓器提供を認めるかどうか。
現在、国内では、できない、と。
(しかし、心臓停止後ならばできるのではありませんか)

有村さん。
こどもを海外へ移植手術に連れて行く。

臓器移植法の根本理念である「本人の意思」をゆるがしかねない、
こどもからの臓器提供について。
先端医療の可能性と法の理念との矛盾、葛藤。

ここまで説明。

司会者登場です。

きょうは、1回目。
次週は、親族への臓器提供を認めるか。(親族指定を認めるか、とするべき。
そうでないと、医学的適合性が最適でも、親族への臓器提供はできないと誤解される。)

迫田委員。
「3年目で見直しすると言われていたのに、5年目になってしまった。
命にかかわる重要な問題」
ゲストの紹介。
大阪大学の松田医師。(BS-debateのホームページの解説参照)
中島みちさん。(同)
加部一彦さん。(同)

臓器移植法制定時の議論により、本人の意思表示が必須となった。

移植を待つこどもたちの現状はどうなっているのか、紹介。
特に問題になるのは、心臓移植である。
同年代のこどもからの移植が必要である。
海外へ渡るこどもたち。
日本移植支援協会の有村さん。
こどもさんが、心臓移植手術を受けられず、亡くなった。
海外へ移植のためにわたるこどもの映像。
そのときの、記者会見の映像。
おかあさんの涙。

有村さん。
「これ以上の悲しみはないだろうと思った。助かる道があるのなら、助けたい。
今の段階では、小さなこどもの心臓移植を待ちのぞんている人は、日本では
望みが0である。法律を改正してもらわなければならない。
日本で希望が持てる日が来てほしい」

静かに、悲しみを抑えて、話されました。

法改正を求める署名運動の映像。


ぬで島さんも参加 投稿者:てるてる  投稿日:10月11日(金)21時52分22秒

ぬで島さんも、BS-debateに投稿されていますね。

それにしても、提供先指定の臓器提供について、
debateの設問が、「親族への臓器提供に賛成ですか? 反対ですか?」
となっているため、
「親族への臓器提供に賛成する」のか、
「医学的に適合しても、相手が親族だとわかると、臓器提供できないようにする」
のか、どちらかだと、考えている投稿が、複数あります。

しかし、そうではないでしょう。
現行法のもとでは、
臓器移植ネットワークで、医学的適合性を最優先して提供先をさがしていき、
仮に、たまたま、親族が最も適合するとわかれば、提供するし、
親族よりももっと医学的に適合する人がみつかれば、その人に提供する、
ということでしょう。
そして、私は、その方法に、賛成です。

それに対して、提供先指定の臓器提供とは、
医学的適合性よりも、親族関係を優先するものだと思います。
それは、危険と無駄の多い臓器移植だと思います。


BS 投稿者:りんご  投稿日:10月 9日(水)18時30分53秒

>それと、BSの番組、BS見られない人(私も)のために報告していただきたいな、と思います。

BS、うつりませんし、ビデオもありませんです(^^;。
ので、みなさんのご報告、感想を楽しみにしています。


BSなんですね 投稿者:ぽん(おかだ)  投稿日:10月 9日(水)03時42分28秒

「てるてる案の出番はあるのだろうか……ないような……ないよな……」いや、てるてる案は他になく子供からの臓器摘出の条件に関しては繊細を尽くしているように思いますが。最大の論点はこの問題ですよね。
それと、BSの番組、BS見られない人(私も)のために報告していただきたいな、と思います。

NHKBS debate 投稿者:てるてる  投稿日:10月 8日(火)16時45分05秒

NHKBS debate「臓器移植法〜5年目の見直し〜」への投稿意見、ぐっとふえました。

http://www.nhk.or.jp/debate/

先日の、ドナー家族のお話をきく集いのことをふまえて投稿されている方もいます。

家族からの生体腎移植を受けた方の投稿意見には、ぐっと胸に迫るものがありました。
誰もが健康に幸福に生きたいのだ、とおっしゃっています。
移植手術を受ける前は、親から腎臓を提供してもらうことを、親不孝だと思っていた。
しかし、移植手術を受けた後は、親から腎臓を提供してもらったことを、親孝行だと思うようになった。
その葛藤の過程は、貴重だと思います。

ほかにも、北海道の、腎臓移植を受けた方の投稿があります。
臓器移植を積極的に推進しようとされています。

全体に、どちらかというと、
臓器提供をふやすため、本人の意思表示の原則をはずすべき、
という意見や、
親族を提供先に指定することは人間の情として認めるべき、
という意見、および、
こどもの臓器提供は親が決めてよいという意見が、
多いですね。
私は、そのどれにも反対です。

一方で、ドナー家族の気持ちを尊重するべき、という意見も多い。
コーディネーターの養成の必要性を説く意見もあります。
ただ、もっと報道で、ドナー家族のことをたくさんとりあげ、積極的に肯定し賞賛するべき、という意見には、それを臓器提供をふやすためにおこなうというのならば、もうちょっと慎重に考えてほしい、と思いました。
もっとも、そういう御意見のなかでも、臓器提供を否定する人の立場も尊重しつつ、ドナー家族を社会的に肯定するべき、と述べられています。
現状では、まるで悪いことでもしたかのように、臓器提供をしたことを隠さねばならない人もいるからです。
それは移植を受けた人も同じで、どちらにしても、もっと移植医療が肯定的にあたりまえのものとして扱われ、人に隠さずに暮らせるようになってほしい、という意見があります。
それらは、全くもって、もっともです。

うーむ。ぽんさんの論文、もっとおおぜいの人に読んでほしい。
それから、てるてる案の出番はあるのだろうか……ないような……ないよな……

今度の土曜日、10月12日、午後9時からです。


内閣府の世論調査 投稿者:satomu  投稿日:10月 8日(火)10時36分25秒

内閣府の世論調査の結果は、ここで見れます。

http://www8.cao.go.jp/survey/h14/h14-zouki/index.html


臓器移植をめぐる課題について 投稿者:りんご  投稿日:10月 7日(月)23時02分12秒

厚生労働省のHPより

< 公開 > 第10回厚生科学審議会疾病対策部会・臓器移植委員会の開催について

1. 開催日時
平成14月10月23日(水)10:00〜12:00

2. 開催場所
KKRホテル東京「朱鷺」(11階)
東京都千代田区大手町1−4−1
TEL:03−3287−2932

3. 議題(予定)

1 臓器移植をめぐる課題について
2 その他

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/10/s1023-1.html


中立的な 投稿者:ぽん  投稿日:10月 6日(日)16時07分26秒

読売の記事、もっと詳しくわかればいいですね。
それと、Susan J Pittmanは、グリーフケアやフォローアップのサービスに関して次のように言っています。「このようなサービスは中立的であるべきで、臓器提供に関わっている医療機関や、あるいは移植手術に臨床的に関わっている医療機関にも依存するべきではない。したがって、サポートのプログラムは、政府の健康機関あるいはボランティアの機関によって直接に行われるのが理想である。このようなサービスは、赤十字の移植コーディネーターと関係を密に保って行われるべきである」。
 国内ではチャプレンは少数ですから、何か中立的な機関がドナー家族のサポートすればいいように思いますが、実際はそう簡単ではないのでしょうね。
 Anne Mongovenは、チャプレンからの聞き取りで次のようなものをあげています。「臓器提供をするかしないかにかかわりなく、私はあなたたちのためにここにいるということを家族に知ってもらいたい」。こんな雰囲気ができればいいですね。

世論調査と、ドナー家族のお話 投稿者:てるてる  投稿日:10月 6日(日)07時48分49秒

臓器移植についての、内閣府の世論調査の結果
http://www.yomiuri.co.jp/04/20021005it14.htm
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20021006k0000m040085001c.html

ドナー家族のお話を聞く集いの報告
http://www.yomiuri.co.jp/04/20021005i413.htm


臓器提供と死の受容 投稿者:てるてる  投稿日:10月 5日(土)08時54分45秒

「死の受容と臓器提供 投稿者:てるてる  投稿日: 9月20日(金)19時30分43秒」で、

>脳死後・心臓死後の臓器提供というのは、死を受け容れる方法の一つだと思うのです。

と書きましたが、これは、臓器提供の意思表示をする本人にとって、という意味でした。
しかし、ぽんさんの研究論文を読むと、家族にとっても、死を受け容れる方法の一つだと言えますね。
あくまでも、方法の一つであって、すべてではない、というところの認識が、USAの臓器調達機関と、キリスト教のチャプレンとの間では、ずれているのですね。


読んでみよう 投稿者:ぽん  投稿日:10月 4日(金)16時04分37秒

りんごさん、はじめまして。
へるすの本、取り寄せて読んでみよう。柏木先生とかが書かれているのですね。
それと、拙論、誤字脱字がいっぱい!すいません。いくつか修正しました。

(無題) 投稿者:りんご  投稿日:10月 4日(金)08時20分31秒

ぽんさん、はじめまして。

>ところで、この問題、悲嘆心理の専門家の人はどう考えておられるのでしょう。
答えにはならないかもしれませんが、いくつか、文献を紹介します。

・生活教育2月号「家族に対するグリーフケア 地域ケアシステムの構築に向けて」へるす出版

http://www.herusu-shuppan.co.jp/seikatsu/ph200202.html

りんご的には、多くの人に読んでいだたきたいと思いました。ただこの雑誌、店頭にはないらしく、りんごは阪大で見せてもらいましたん。

この雑誌の執筆者が、かかわった本として

・「妻を亡くしたとき読む本」出版文化社
http://www.shuppanbunka.com/book/sonota/tsuma.html

・「夫を亡くしたとき読む本」出版文化社
http://www.shuppanbunka.com/book/sonota/otto.html

・池田文子著「子どもが病気になったとき 家族が抱く50の不安」春秋社
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3c4ecaa827f300101e08?aid=p-morioka00730&bibid=02192629&volno=0000 http://www.herusu-shuppan.co.jp/seikatsu/ph200202.html


コメントありがとうございます。 投稿者:ぽん  投稿日:10月 4日(金)00時23分58秒

てるてるさん、コメントありがとうございます。実はまだ整理しきれず、冗長だったり舌足らずだったりしてます。読み辛いのに読んでいただいてありがとうございます。森岡先生も「必読」なんて書いてくださって恐縮します。
 ところで、この問題、悲嘆心理の専門家の人はどう考えておられるのでしょう。科研で研究報告が出るそうだと聞きますが……。
 杉本先生や吉川さんたちの経験がもっと重視されるといいのに、と思います。

対処 投稿者:てるてる  投稿日:10月 3日(木)20時38分38秒

「とりひき」とはむしろ、死の受容過程で、死を認めるのを先延ばししようとする心理状態をさすことばでした。 「対処としての臓器提供」という章に、

>臓器提供は、肉親の死を看取る家族の心理(悲嘆心理ないしは対処心理として)と不可分であり、両者は強く結びついているということ、また、場合によっては、依頼を待たずに家族自身から要求される可能性があるということである

と書いてあります。


岡田篤志さんの論文 投稿者:てるてる  投稿日:10月 3日(木)19時17分08秒

岡田篤志さんの「臓器提供とドナー家族の悲嘆心理 ―内外の文献研究から―」、すごくよかった。感動しました。 ↓ http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4760/donorfamily1.html

臓器調達機関の人と、キリスト教のチャプレンとの、悲嘆過程の支援と臓器獲得との優先順位の違いは、おもしろかった。
チャプレンたちは、移植待機患者の支援もしているので、「葛藤」を経験する。
しかし、その「葛藤」をよいものだととらえている。
臓器調達機関の人々には、そういう考え方はない。
この違いを調べた研究者は、むしろ、臓器調達機関の人々のほうが、チャプレンたちの「葛藤」をよいものとする態度に学ぶべきと考えています。

「『受容』のトリック」という章は、肉親の死に面した家族の心理過程が緻密に分析されていました。
はじめ、タイトルから、コーディネーターなどを告発糾弾するのか、と早合点しました。
でも、そうではありませんでした。
非常に厳密に分析し、臓器提供は、死の受容の後に行われると漠然と考えられる向きがあるが、そうではなくて、実際は、肉親の死に直面した家族が、その事態をどうやって受け止め、受け容れるか、いわば、「とりひき」である場合もある。
そのことは、続く章で、杉本健郎さんなどの事例を挙げて、くわしく述べられています。
最後に、ドナー家族が、ドナーとレシピエントとを同一視する心理を、肉親の死を受け容れるための物語の構築として臓器提供をしたのである限り、その心理状態は長期間続くので、無視してはならない、だからといって軽々しく匿名原則を廃止せよなどというのではないが、と述べられていました。
もう一回、読みます。
去年から読んだこのサイトの移植関連論文のなかで、一番よかったと思います。私が言うのは僭越ですが。
わかりやすかったし。


てるてるさん 投稿者:コマツバラオリカ  投稿日:10月 2日(水)14時13分01秒

りんごさんの紹介されたページにあるように、
チョキチョキして、短くして投稿しました。
(章立てすると、脳死に関係ない項目が多くなってしまうんです)
アドバイスありがとうございました。

読売新聞より 投稿者:りんご  投稿日: 9月26日(木)07時48分18秒

http://www.yomiuri.co.jp/04/20020925i114.htm
Yomiuri On-Line/社会

臓器移植保険、富国生命が26日に発売

 心臓や肝臓などの臓器移植手術を受けた際、1000万円を限度に費用を給付する国内初の特約型保険を、富国生命(本社・東京)が26日から発売する。

 臓器移植は、患者の重い金銭負担が普及の壁の一つとなっているだけに、新しい試みとして注目される。

 現在、国が保険適用としているのは腎臓、角膜、生体部分肝、骨髄だけ。このうち生体部分肝移植は、病気が肝硬変か劇症肝炎の場合、15歳を超えると適用されない。この結果、移植にかかる費用は、日本移植学会によると、心臓移植で平均1000万円以上。脳死肝移植で800万円、生体部分肝移植で950万円、腎臓移植で約400万円にも達する。海外で移植を受けるとこの数倍。だが従来の民間医療保険では、手術費給付は数十万円程度で、カバーにはほど遠い。

 新たに登場する移植特約は、通常の医療保険に付ける方式で、特約部分の保険料は、年齢、性別問わず月額80円。移植を受けた場合、心臓、肺、肝臓、すい臓、小腸は1000万円、腎臓と骨髄は300万円を給付する。生体間か脳死移植かなどの形態は問わない。国内の医師が紹介した場合は、海外渡航での移植にも適用される。

 同社は、「費用負担が障害となり、移植をあきらめる患者は少なくない。ニーズは高いと判断した」と話している。

(9月26日00:22)


臓器移植保険 投稿者:りんご  投稿日: 9月26日(木)07時46分25秒

富国生命から26日に発売

>現在、国が保険適用としているのは腎臓、角膜、生体部分肝、骨髄だけ。このうち生体部分肝移植は、病気が肝硬変か劇症肝炎の場合、15歳を超えると適用されない。この結果、移植にかかる費用は、日本移植学会によると、心臓移植で平均1000万円以上。脳死肝移植で800万円、生体部分肝移植で950万円、腎臓移植で約400万円にも達する。海外で移植を受けるとこの数倍。だが従来の民間医療保険では、手術費給付は数十万円程度で、カバーにはほど遠い。

>新たに登場する移植特約は、通常の医療保険に付ける方式で、特約部分の保険料は、年齢、性別問わず月額80円。移植を受けた場合、心臓、肺、肝臓、すい臓、小腸は1000万円、腎臓と骨髄は300万円を給付する。生体間か脳死移植かなどの形態は問わない。国内の医師が紹介した場合は、海外渡航での移植にも適用される。 子どもの意思 投稿者:色即是空  投稿日: 9月26日(木)00時13分20秒 「意思」について少し意見を述べてみます。子どもの意思と大人の意思は違うと一般に前提にされているようですが、私は、臓器移植法で連想される遺言意思、提供意思の意思の意思と、一般の意思は異なって考える必要はないと思います。たとえば、5歳の子どもが「初めての御使い」で、一人で近所のお店で大根を買いに行ったとき、八百屋さんとやりとりする「法律行為」を支える意思と、臓器移植法の意思は同じと見ることができるでしょう。

どちらのケースも、法律行為の基礎になるのは、心的状態から導かれたもので、ヘーゲル風に言えば、動機や理由を決定する力であると、定義できるでしょうか。意思の心理学的アプローチを拒絶するケルゼンとは違いますが・・・。意思は、合理的な心理作用で、一定の法律効果(子どもの場合、お金を払って、大根を買うということ)が感情的に意欲される心的過程といえる「意欲」という心的要素と、この意欲の実現を可能にする心的働きである「決意」で成り立っています(ここは、フィニスと佐藤節子氏を参考にしています)。

で、意思が人間の尊厳にかかわるのはなぜか、という質問が浮かびますが、非人間の動物とは違って人間は理性でもって目的的行為ができ、それが人間が人間である証ですから、それを阻止する場合は尊厳を傷つけることになります。つまり決意したり、判断したり、それを実行することを阻止することは、人間の尊厳にかかわることになります。ここで、けっこう誤解があるのは、いかに間違った判断をもとになされた意思決定や意思表示であっても、それを挫折させることは、やはりその人の尊厳を傷つけるということです。たとえ間違った意思決定であっても、意思をみずから決定する、決定論から自由な意思に価値があるわけです。

そういう考えが受け入れられたら、子どもが(むろん、脳死とか臓器移植が何であるか、ぐらいはある程度知識としてもっていなければならないでしょうが)、自分の判断でした意思決定はそれがどんなものであっても、挫折させることは、その子どもの尊厳を傷つけることになります。

私は、子どもの脳死・臓器移植は、親が決定してよい・・・というポジションで意見を表明していますが、上の議論のように子どもの意思の表明があれば、それを採用すべきであるという見解を含んでいます。つまり、臓器移植法の子どもの意思を通常の法律行為の意思まで広げて、子どもの意思が表明されていたら、親はそれを採用し、そういう意思ができない場合やしない場合は、親の判断・意思が優先される・・・としたらどうかと思います。ただ、日本民法で遺言作成ができない年齢に限って、彼ら・彼女たちへの親権などの機能や役割をもつ親は、脳死・臓器移植での意思に権限をもたせられ得ると整合性をとれるのではないでしょうか。この観点から、子どもも一律に大人と同じように、取り扱う必然はないでしょう。


(無題) 投稿者:りんご  投稿日: 9月24日(火)19時49分49秒

みなさんの投稿が、続々と掲載されていますね。

http://www.nhk.or.jp/debate/th/f/09/f09deblist.htm


コマツバラさん(2) 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)18時54分39秒

コマツバラさんの投稿は、
「あなたは、親の同意だけで、子供の脳死の判定と臓器の摘出を行ってもよいとお考えですか?」
と「自由投稿」とに振り分ければ、それぞれ、5回ぐらいで、投稿できるのではないでしょうか。
誰にとっても正しい解答なんてない、たとえ稚拙でも幼稚でも、そのひと自身の死生観がそのひとにとって正しい死生観なんだ、という意見に、賛成です。
全体に、熱っぽくて、元気ですね!!

コマツバラさん 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)18時40分46秒

長い文章を、幾つかの、それなりに意味の完結した段落に分けて、小見出しをつけて、投稿すると、良いですよ。 私も、そう致しましたから。

子供の啓蒙 投稿者:色即是空  投稿日: 9月23日(月)16時46分18秒

>ということは、移植手術を受けるこどもが、移植医療について充分な説明を受けることは、必要だと認められるのでしょうか。

十分に理解できる能力をもつ成人と比較すると、かなり制限された説明になるでしょうが、ある程度の説明は可能であろうと思います。またそういう風な説明をすることは良いことでしょう。

ただ、脳死とか移植について説明され、それを理解するためには、生まれた直後から親子の間で説明・理解のキャッチボールが行うべきで、脳死・移植の問題だけをそうするというのでは、なんとも理想だけを追って、実をつかめないだろうと思います。日本の法なり議論は、往々にして理想を述べたり掲げたりしたら、それで終わり・・・って特性があると日ごろから思っています。日本人の(とりわけ最近の)親子のやりとりを見ていますと、説明・理解の能力のレベルは、絶望的に低い、と評価しておりますが・・・。


訂正 投稿者:色即是空  投稿日: 9月23日(月)16時23分23秒

>運動とは

「運動は」です。

>課題評価

「過大評価」です。


私の前提はそうではありません。 投稿者:色即是空  投稿日: 9月23日(月)16時20分50秒

<<色即是空さんのお考えは、「脳死の子どもは一律に死体」という前提に立っておられますよね。(だから「死後の遺体処分」というお言葉になるのだと思われます)。その前提がなぜ成立するのか、ということ自体が問われているのだと私は思っています。>>

レスありがとうございます。

お言葉ですが、そのような前提には立っていません。私の前提は、子供の脳死患者から臓器提供者の可能性の話の中で、もっともキーパーソンになるのが、その子供にもっとも権限を持つ肉親の判断がもっとも大事である、ということです。これは、民法の親権、子供の生命権の原始的保護者の地位からの応用であります。また日本社会そのものが、子供を強いパターナリズムでプロテクトしてきた慣習・伝統がありますから、その点でもなじんできた社会規範なども反映される前提であろうとも思っています。

注意していただきたいのは、子供に脳死・臓器移植の概念をわかりやすい子供レベルの言葉で啓蒙していく運動とは、私が申し上げた前提と別に相反さないと主張する点です。問題は、脳死移植を是として、移植資源を獲得することが焦眉の急の課題であるなら、子供に関しては私が申し上げるやり方が最善であろうと、今のところ考えているわけです。子供の意思を課題評価して、大人の意思に比べて、強調していこうとすると、たぶんいつまでも子供の意思と大人の意思の違いの議論でぐるぐるまわることになるのではないでしょうか。


「年齢制限への疑問」 投稿者:コマツバラオリカ  投稿日: 9月23日(月)15時58分02秒

NHKのディベートに投稿しようと思ったのですが,
長すぎて,できませんでした。(500字って・・・そんな馬鹿な。)
本当は,こんな感じ,というのをHPにアップしましたので,
よろしければ,ごらんください。
(こちらに,投稿するにも長すぎました・・・)
以前こちらに投稿したものの,加筆修正版です。

http://ojiji.net/orika/text_nenreiseigenheno.html


色即是空さん 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月23日(月)09時48分54秒

色即是空さんのお考えは、「脳死の子どもは一律に死体」という前提に立っておられますよね。(だから「死後の遺体処分」というお言葉になるのだと思われます)。その前提がなぜ成立するのか、ということ自体が問われているのだと私は思っています。

とはいっても 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)09時37分28秒

「脳死」という言葉自体、問題かもしれません。
以前、ここの掲示板でも問題になったように、「脳死」は、もとは、「不可逆的深昏睡」という言葉で表現されていたのですし。

できれば、 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)09時35分50秒

「脳死のこども」という本も、あったほうがいいのかもしれない。
「植物状態のこども」という本も??
「脳死」「植物状態」ということについて、どう考えればいいのか。
毎年、何人か、確実に、そういう状態になるこどもさんがいるわけですが。

小児生体肝移植(3) 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)09時29分07秒

「臓器移植のメンタルヘルス」(中央法規、2001年4月25日発行)
(p.129-130)

> また、いつどの時点で本人に話をするかは、両親と医療スタッフが十分相談のうえ、タイミングを見計らって話すことが重要である。これは幼児期までの問題ではなく、学童期から思春期においては特に重要なポイントで、それぞれの年齢に応じた、加えてその子ども個人の発達段階に応じたインフォームド・コンセントが重要となる。「理解させなければならない」と無理矢理に話すのではなく、子どもが今いちばん不安に思っていることは何か、それをいつでも表出できる環境で、まずその不安を解決していくなかで、子どもなりに理解してそれが結果的に治療に結びついていくように方向づけしていくことが大切であると思われる。医療の主役は子どもであり、子どもとともに子どもと同じ目線で真実を共有し、治療をはじめあらゆることを自分の問題として考える自覚をもたらすことが、その子どもの自立につながり、その後の服薬におけるコンプライアンスにもよい影響を及ぼすこととなる。


小児生体肝移植(2) 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)09時08分48秒

「臓器移植のメンタルヘルス」(中央法規、2001年4月25日発行) (p.129)

> さて、幼児期までのレシピエントは、本人の意思にかかわらず移植手術が行われ、実際に移植を受けて自分のお腹の大きな傷を意識すると同時に、両親のいずれか(あるいは祖父母)にも同じような大きな傷があることを認識する。退院後日常生活に戻り、幼稚園、小学校での集団生活に入るようになっても、1種類の薬(免疫抑制剤)だけは飲み続けなければならない。これらがどのような意味を持っているのか、<自分の傷><ドナーの傷><免疫抑制剤>=自分は移植を受けたということを理解して、自己管理に結びつけていくにはかなりの時間を要することである。子どもの成長過程に合わせて、少しずつ疑問に思うことを解決していく形で、理解させていくことが大切である。もちろん可能であれば、術前からその年齢に応じてぬいぐるみや絵本を通じて、移植とは、他の人の臓器(の一部)をもらうことによって自分が元気になるのだという話をしておくことも大切である。しかしこれは十分に時間をかけて子どもとコミュニケーションをとりながら行わないと、返って恐怖心を与える結果になりかねない。したがって、現時点ではその子どもの理解力に合わせて、手術前は「お父さん、お母さんと一緒に頑張って、お腹の悪いところを取って、元気な肝臓をもらってお家に帰ろうね」といった話し方になる場合が多い。


小児生体肝移植 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)09時00分29秒

なお、先述の「臓器移植のメンタルヘルス」(中央法規、2001年4月25日発行)には、日本で既に多数おこなわれている、小児生体肝移植の実践が、くわしく述べられています。
欧米とはまた違った、日本なりの、小児レシピエントのための取り組みが、あります。
まず、小児レシピエントの親についてのメンタルヘルスから。

(p.127-128)
> 小児の場合は、両親(特に母親)の治療への理解度、協力度が非常に重要である。当施設の場合、小児病棟では24時間の付き添いが可能であるので、付き添っている母親の精神状態が子どもの回復過程に非常に影響を及ぼすことは、移植においても他の小児疾患の場合と同様である。母親の精神状態が安定していれば、子ども自身とのコミュニケーションはスムーズにいくといっても過言ではない。しかし小児の移植では、両親のいずれかがドナーとなるケースが多く、両親にはドナーであることに加えて、レシピエントとなる子どものケアによるストレスもプラスされる。実際、当施設ではドナーの術前検査は多くが外来で施行され、この際にコーディネーターが検査案内をして院内を同行するが、その時に初めてこれまでの思いを打ち明けられる方も少なくない。子どもの入院以降、その検査の時までコーディネーターが病院で両親と接する機会には常に子どもが一緒であり、そのわが子に関する説明や実際のケアで必死となっている。ドナー検査の際に一時的に子どもと離れるので、日頃子どもと一緒の時には出せない、ふとした思いを語られることもある。


ドナー家族のメンタルヘルス 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)08時52分07秒

ここで、ドナー家族のメンタルヘルスというものを考えますと、臓器提供を考える人は、事前に、家族とよく話し合ったり、医者や看護婦やコーディネーターに移植医療について質問したりできる機会を持ったほうがいいと思います。
そして、こどもの臓器提供においても、基本は同じです。
親のほうから、こどもに、移植医療についてどう考えるか、という話をしてもいいと思います。
そういうことをすると、親の考えにひきずられるとしても。
こどもがこども自身で、知識を集めたり、いろいろなこどものことを知ったりする機会をさらに保障すればいいと思います。
今は、こども向きの本で、「心臓病のこども」「難病のこども」「腎臓病のこども」といった本も出ています。
骨髄移植や白血病や、腎臓・肝臓・心臓などの移植手術のことも、載っています。
そういう本が、学校の総合学習などで、レポート作成のために、使われ、こどもが、図書館に借りに来ます。
学校でも、移植医療や、先端医療について、学ぶのは、いいことだと思います。

RE:子供の意思 投稿者:てるてる  投稿日: 9月23日(月)08時47分44秒

>言うまでもありませんが、生存中の意思決定は、「人間の尊厳」と非常に深く関係しますから、思う存分意思を尊重することはいいのですが、死後は、身体の主であった子供の主体は喪失されるわけです。死んでしまえば、精神的働きなどまったく喪失されるわけで、死後にどのように臓器を使われるか、そういうことはまったく「知る」ことができません。ここで、もし生前子供にもっとも権限のあった肉親が、臓器提供に、Yesと言って、どんな不都合があるのか、と思えるのです。邪な肉親が子供の遺体を悪用するという恐れがあるのならば、その場合は法律で厳しく罰したり、看視システムを作ることで、なくすことができるでしょう。

ということは、移植手術を受けるこどもが、移植医療について充分な説明を受けることは、必要だと認められるのでしょうか。
過去ログからとってきて恐縮ですが、私は、小児レシピエントへの情報提供について、以下のような投稿をしております。

「脳死臓器移植」専用掲示板 2001年6月3日〜6月24日
http://members.tripod.co.jp/saihikarunogo/20010603.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/kakologhouse/kakolog20010603.htm


「臓器移植のメンタルヘルス」 投稿者:てるてる  投稿日: 6月13日(水)18時55分49秒

「臓器移植のメンタルヘルス」(中央法規、2001年4月25日発行)という本が出ています。 執筆者は、精神科医、移植コーディネーター、看護婦等です。 脳死、心臓死、生体からの移植における、ドナー、ドナー家族、レシピエントのメンタルケアについて 書いてあります。医師、看護婦・士、臨床心理士、移植コーディネーター、ソーシャルワーカーの 指針になると書いてあります。

第一章「臓器移植とメンタルヘルス」より
>看護婦は、ドナーとレシピエントおよびその家族・親族が体験するこころの
>痛みと経過について理解することが必要である。残念ながら、わが国には、
>このような成書がいまだに出版されておらず、本書が唯一の本になる。
(p.7)
>メンタルヘルスに携わる専門職の育成が、移植医療の場では急務であることは間違いない。 身体的な管理だけではなく、心理的・精神的な管理が必要なことはよくわかる。しかしながら、 わが国の立ち後れは、目に余るものがある。
(p.7)

医療への患者の参加・自己決定の重要さにも触れており、USAでは、移植待機に入る患者への 決定前の情報提供を充実し、決定に主体的に参加できるようにしたことが、 手術後の精神症状の出現頻度が激減する要因になったと述べています。

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小児の脳死を巡るメンタルヘルス 投稿者:てるてる  投稿日: 6月13日(水)20時16分05秒

「臓器移植のメンタルヘルス」の第10章「小児の脳死を巡るメンタルヘルス」では、

>移植先進国である欧米では、幼児期でも、移植が必要な子どもに絵本やぬいぐるみ
>などを使ってその年齢に応じた移植手術の説明が行われている。
(p.122)
ということです。
日本では、親子間の生体肝移植の件数がふえていますが、
>小児に対する精神的な援助、それを取り巻く社会的なサポート、受け入れ体制は
>ほとんど手つかずの状態である。
(p.122)
とのことです。

移植を受ける側への説明が、絵本やぬいぐるみでできるのなら、幼いこどもに、 臓器を提供することについても、説明ができそうな気もします。


子供の意思 投稿者:色即是空  投稿日: 9月23日(月)03時12分40秒

あえて、かなり挑発的な意見を述べてみたいと思います。ご紹介いただいたURLで述べておられたグレゴリーさんの見解とは異なる観点からなのですが、子供の臓器移植に関して、私も現行臓器移植法は、かなり問題があって、とても世界に誇れるとか、世界をリードできる実定法であるとは思えません。いくつか主張のポイントがあります。

子供の意思が現行民法との整合性で制限され、幼い子供の移植が不可能となっています。そのため、グレゴリーさんがおっしゃるように、他国の幼い移植資源を日本人がちゃっかりもらってくるようなことが行われています。こうした国のアン・フェアさを横目で眉をひそめつつ見ながら思いますのは、子供の死後の遺体処分に関する自己決定の意思というものがそんなに大事なものなのかしら・・・という懐疑です。

言うまでもありませんが、生存中の意思決定は、「人間の尊厳」と非常に深く関係しますから、思う存分意思を尊重することはいいのですが、死後は、身体の主であった子供の主体は喪失されるわけです。死んでしまえば、精神的働きなどまったく喪失されるわけで、死後にどのように臓器を使われるか、そういうことはまったく「知る」ことができません。ここで、もし生前子供にもっとも権限のあった肉親が、臓器提供に、Yesと言って、どんな不都合があるのか、と思えるのです。邪な肉親が子供の遺体を悪用するという恐れがあるのならば、その場合は法律で厳しく罰したり、看視システムを作ることで、なくすことができるでしょう。

子供の意思と、大人の意思を同一レヴェルで論じて、民法の遺言作成能力との整合性を採用することで、社会の臓器移植の要請や、現実の親子間での、ほんとんどまともな意思決定とか意思を育てる教育やしつけがなされていない実相から離れてしまい、条文化されて、なんとも現実ばなれした居心地の悪い法となっている・・・という印象を持ちます。言うまでもなく、日本の社会はほとんど子供の意思など考えてきておりません。子供の人権条約が取り上げられるようになったのは近年ですし、そういう子供の意思を育てる伝統を持たない社会で理想ばかり追う、しかも、生きているときならいざ知らず、なんと死んでしまってからの子供の意思を懸命に尊重しようとするのですから、落ち着きの悪い、変な法であると思ってしまいます。

子供の死後の体の処分は、生前に最大の権限をもつ肉親に委ねてよいのではないでしょうか。子供の意思を死後に反映させようがさせまいが、子供自身には何の被害もありません。そうした考え方をためらわせるのは、子供と大人の社会的人格の差に配慮しないで、機械的に、意思を同じレヴェルで理解できると思い込んでいる、一種の大人の信念ではないでしょうか。とりわけ、乳幼児などは、ご両親などが承諾すれば、臓器提供できるようにするべきでしょう。5歳の子供がお受験などしたくないと意思表明して、親はそれを尊重するでしょうか(笑)。死後の意思を尊重すると意気込んでも、生前の意思を無視する伝統的パターナリズムの社会に、あの法はなんとも似つかわしくないと思います。人々の法意識や伝統的価値や社会の実相を反映させた法を作ることが、もっとも社会を円滑に運営できるやり方であるとするならば、やはり現実を反映させた法に改正していただきたいと思います。


RE:NHKディベートのHP2 投稿者:りんご  投稿日: 9月22日(日)23時13分30秒

てるてるさんのご意見も掲載されています。

http://www.nhk.or.jp/debate/th/f/09/03/f0903sublist.htm


RE:NHKディベートのHP 投稿者:りんご  投稿日: 9月22日(日)23時00分16秒

私の主張に森岡せんせの「子供にも本人の意思原則を」が掲載されています(お写真あり)。

http://www.nhk.or.jp/debate/th/f/09/tit/f09oops.htm#02


ひろきさん 投稿者:てるてる  投稿日: 9月21日(土)08時29分25秒

ひろきさんは、NHKのディベートに、投稿されるんでしょうか?

「身内が脳死になりました〜God bless you お兄ちゃん〜」
http://members.tripod.co.jp/saihikarunogo/Hiroki.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/kakologhouse/Hiroki-1.htm
「2ちゃんねる『脳死の受容をめぐって』スレッドより」
http://members.tripod.co.jp/saihikarunogo/Hiroki-2.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~terutell/kakologhouse/Hiroki-2.htm


RE:NHKディベートのHP 投稿者:てるてる  投稿日: 9月21日(土)08時24分33秒

「臓器の提供の指定について」に、意見を投稿しました。 まだ、掲載されていませんが。

投稿する前に、厚生労働省の御意見募集ページを読み返しました。
親族優先の提供先指定に賛成する人が多数派です。
「角膜移植と臓器移植法の理念」の青野透さんも、提供先指定に賛成。
一方で、倉持武さんの所属していらっしゃる、哲学倫理学会は、提供先指定に反対です。
多くの方が、意見を述べられています。
臓器移植の体験者の意見もあります。
何度でも、読み返す価値があります。


死の受容と臓器提供 投稿者:てるてる  投稿日: 9月20日(金)19時30分43秒

脳死後・心臓死後の臓器提供というのは、死を受け容れる方法の一つだと思うのです。
そのように考えて初めて、臓器移植の哲学的根拠というものができるように思います。
しかし、死後、誰それに臓器を提供する、と指定するのは、死を受け容れるように見えて、
実は、死後も誰かに精神的な負債を担わせることになるのではないでしょうか。
自分のからだをまるで自分の財産のように、誰それに贈与する、ということは、できないはずだと思います。
それは、人格権を越えて、財産権までを、死者に持たせるようなものです。

親族優先の臓器提供について 投稿者:てるてる  投稿日: 9月19日(木)23時17分11秒

NHKのディベートのための意見募集がきっかけで、「てるてる案」の条項を、直したくなってきました。
「てるてる案」では、以下のように、臓器移植における人格権の行使を定義しています。

----------------
 この人格権の行使は、臓器移植においては、以下のかたちをとって現われると考える。

臓器提供は、臓器提供希望者が、生前に、移植医療に関する充分な情報を与えられ、変更の自由を保障され、かつ、いかなる経済的対価も伴わずに、自由意志と倫理的判断とに基づき、自発的な、任意の、書面による意思表示を行った場合にのみ、許される。

 これが、脳死否定論に基づく臓器移植法改正案の、基本原則である。
 この原則は、生体間の臓器移植にも適用する。29)

http://www.kinokopress.com/civil/0302.htm

----------------

上記の「いかなる経済的対価も伴わずに」を、「いかなる対価も伴わずに」にしたほうがよかったかと。
そうすれば、親族優先などの精神的対価も、「伴わずに」ということが強調できるのではないでしょうか。
精神的対価は、経済的対価と同じように、いつでも、強制や半強制に転化しやすいものです。

精神的満足と、精神的対価とは、別です。
対価というからには、「こうすれば、だれかから、こういうごほうびがもらえる」ということです。
満足は、ごほうびとは、別物です。自分の内面のことです。
区別がむずかしいけれど。


あ〜〜 投稿者:ちゅうこ  投稿日: 9月18日(水)22時08分22秒

これって、りんごさんの出る幕なくしちゃったんだ、って今ごろ思った。。。
やだ、やだ、いつのまにやらおばたりちゅうこになっちゃった。
しかもここでこんなこと書いちゃって、、、ごめんなさい、もうしません、ってしてるかぁ・・・

ははっ!(^^) 投稿者:てるてる  投稿日: 9月18日(水)07時59分12秒

私も、長々と??状態が続いた後で、やっと、わかったんですよ。

あはっ!(^^) 投稿者:ちゅうこ  投稿日: 9月17日(火)21時10分57秒

そうか、そうだったのかあ・・・てるてるさんの読むまで??状態でした。

すみません 投稿者:てるてる  投稿日: 9月17日(火)01時35分04秒

余計なお世話ですが……

>門の配備巡りも感謝です。
 ↓
本の配備巡りも感謝です。


りんごさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月16日(月)09時10分08秒

メモありがとうございます。検証会議も、けっこうどたばたしているみたいですね。
門の配備巡りも感謝です。

りんごメモです 投稿者:りんご  投稿日: 9月15日(日)23時35分43秒

・はじめての厚生労働省メモ

先日、「第15回脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」で、「ドナー家族の心情把握について」の部分が傍聴できるというで、会場となった霞ヶ関、合同庁舎5階の会議室、はじめての厚生労働省への道を歩んだ。地下鉄霞ヶ関駅の地下から直結していて、入館するときは、身分証明書の提示が必要だった。そして、守衛さんに「検証会議に行きたいのですが?」ときくと、「赤いエレベーターで行って下さい。」ととても丁寧な対応でした。

地下には、売店、食堂、理髪店などがあったが、とりあえず赤いエレベーターで会議室まで行くと、検証会議はまだ非公開部分だった。以前、別な会場で検証会議があったときは、待機する場所が設定さていたけど、今回は見当たらず、会議室近くにいる職員の人に聞いてもわからず、HPで指定されていた電話に問い合わせてみると、傍聴者の待機場所はないということだったので、会議室の前で待つことにした。記者さんと思われる人たち数人も公開部分がまだかと集まってきた。しばらくすると、中から出てきた人が、検証が伸びていて、しばらく終わらないと様子を伝えてくれた。

というわけなので、庁舎内を探検してみることにした。地下で書籍売り場を発見した。あまり広くはなく、福祉、労働関係の書籍が多かったけど、森岡せんせの『意識通信』ちくま学芸文庫、ありましたー。厚生労働省、偉い!職員食堂は500円以下のものが多かったかな。売店では、食料以外に、携帯電話とかも売ってました。それから、図書館に行ってみた。一般の人も入室可能で、受付で、名前と電話番号を記入、荷物はコインロッカー(100円で、使用後は戻ってる)に預ける仕組み。新聞、医療や労働関係の雑誌、奥には、図書、資料などがあり、パソコンで検索可能。試しに、森岡せんせのお名前で検索したけど、蔵書は見つからず。でも、「月刊福祉」ありましたよ。

そんなこんなで、再度、会議室へ戻るが、まだ、非公開部分が終わってなかった。また中から人が出てきて、きょうの公開部分は、ドナー家族の心情把握等作業班のメンバーの決定で、特に討議はないということだった。でも、ここまできたら、参加することに意義がある。と思ったので、記者さんに混じって、待機していた。

あっ、やっと終わった。中に入ると、議事次第の資料が手渡された。そこにドナー家族の心情把握等作業班のメンバー案があって、あっけなく承認。ものの1分もしないうちに終わった。ほんとに、すぐ終わってしまった。でも、これだけでは、帰れない。と思い、資料の席次に目を通すと、柳田邦男氏、あとは、脳死脳蘇生学会で「医学的には、脳死は人の死」と語っていた島崎秀次氏(杏林大)。もしかして竹内基準の竹内一夫氏、これはすごい、すごい。竹内氏、ご本人にお目にかかれるとは。やっぱり、ここまで来た甲斐がありましたん。

それにしても、検証会議の中身をレポートするつもりが、厚生労働省でも、しっかり森岡本配備巡りをしてしまったりんごでした。


NHKディベートのHP 投稿者:森岡正博  投稿日: 9月11日(水)19時38分12秒

移植法改正についての番組を作るための、NHK・BSのディベートのHPが開設されています。↓ ぜひご覧のうえ、投稿してみてください。

http://www.nhk.or.jp/debate/


親族優先の臓器提供について 投稿者:てるてる  投稿日: 9月 8日(日)08時11分28秒

厚生労働省のホームページに、7月11日に開かれた、第9回の審議会の記録が載っています。
親族優先などの、提供先指定の臓器提供について、話し合われています。
韓国でも同様の問題が起こっていること、国会で議論するほうがふさわしいこと、
指定できる範囲を親族に限った場合、親族とは何か、
いわゆる内縁の人が提供者や被提供者になるとき、他の親族が反対したらどうするのか、
などの、意見が挙がっています。

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/07/txt/s0711-2.txt


(無題) 投稿者:高校生  投稿日: 9月 4日(水)18時26分36秒

臓器移植の問題で、臓器移植を希望する人達が大勢いる場合、移植を受ける順番という問題がうまれるとおもうのですが、それに順番をつけるとしたらとしたらどのような条件のもと順番をつける事ができると思いますか??
人間に価値の順位なんてつけることは出来ないと私は思いますが結局はそのような問題が起こると思うのです・・・

01/09/10 臓器移植対策委員会(第3回)議事録
01/10/11 臓器移植委員会(第4回)議事録
平成14年4月12日 臓器提供先に係る生前意思の取扱いに関するご意見の募集について
臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱いについて(A案)
提供先指定に係る生前意思の取扱いについて(B案)
臓器移植委員会におけるこれまでの「臓器提供先に係る生前意思」に関する主な意見(未定稿:事務局まとめ)
諸外国における臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱い(未定稿メモ)
02/03/13 第6回「厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会」議事録
「臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱いについて」に関する御意見の募集の結果について
臓器提供先に係る生前意思の取扱いに関する意見
ぬで島次郎(2002年3月)
02/04/09 第7回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会
02/06/12 第8回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会
02/07/11 第9回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会議事録

臓器移植先指定の生前意思 「当面は認めず」−−厚労省委が意見書
(毎日新聞2002年7月12日東京朝刊から)

02/09/12 第15回 脳死下での臓器提供事例に係る検証会議議事録

岡田篤志「臓器提供とドナー家族の悲嘆心理 -- 内外の文献研究から -- 」
2002/09/30脱稿、『医療・生命と倫理・社会』第二号,2003年3月20日掲載。