森岡正博さんの「脳死・臓器移植」専用掲示板過去ログハウス 2001年06月03日〜06月24日

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無呼吸テスト 投稿者:森岡正博  投稿日: 6月24日(日)20時44分58秒

tityさん、分かりやすい解説、ありがとうございました。そうですよね、普通に読むと無呼吸テストは しなくてよいし、しないほうがよいと読めますよね。朝日新聞の報道は、当日の質疑応答の様子を、 ただしく伝えているのでしょうか??

RE: 無呼吸テスト 投稿者:tity  投稿日: 6月24日(日)15時36分14秒

臨床的脳死診断については、ガイドラインに 主治医等が、臨床的に脳死と判断した場合(臓器の移植に関する法律施行規則(平成九年厚生省令 第七八号。以下「施行規則」という。)第二条第二項各号の項目のうち第五号の「自発呼吸の消失」を 除く、第一号から第四号までの項目のいずれもが確認された場合。) とかかれています。 この「「自発呼吸の消失」を除く、」の部分が、 するな、という意味なのか、 しなくてもいいという意味なのかは専門家でも意見が分かれてます。 厚生省(現厚生労働省)は「しなくてもいい」という意味だといっています。 ただ、森岡先生のご指摘のように、無呼吸テストは侵襲性が高いこと、 文言を常識的に読めばするなと読む方が自然であること、 法的脳死判定が適正に行われるならば臨床的診断での必要性が本来ありえないことから すべきではないと考えるのが妥当ではないかと個人的には思います。

あやのさんのご質問についてですが、 心臓には自動能というのがあり 血中に必要十分な酸素がある限り自動的に動き続けます。 呼吸器をはずした場合、自発呼吸がなければ次第に血中の酸素が減っていきますので、 すぐに止まるわけではありません。 ただし、当然ながら全身が低酸素状態にさらされるので 特に酸素を多く必要とする脳に対するダメージが大きいことが知られています。

これを防ぐためには、リアルタイムで血中の酸素の量を計測する必要がありますが、 その機械のない提供施設もあり、これまでの移植でもそうした施設で判定が行われており、 しばしば問題とされているところです。

聞きたいこと 投稿者:あやの  投稿日: 6月24日(日)13時38分53秒

呼吸器をはずせば心臓はすぐに止まってしまうのですか?

無呼吸テスト 投稿者:森岡正博  投稿日: 6月23日(土)11時43分24秒

今朝の朝日新聞によれば、臨床的脳死判定の際に、無呼吸テストをしているのが8%ということが 久留米の脳蘇生学会で発表されたが、会場からは「もっと無呼吸テストをするべきだ」 との声があがったとあります。ですが、法的脳死判定以前に無呼吸テストをしていいんでしたっけ?  無呼吸テストはやりようによっては致死性になるという議論が専門家のあいだであるはずですけど。

RE: 生命倫理研究議連  投稿者:森岡正博  投稿日: 6月23日(土)09時31分24秒

なるほど、2団体のそういう動きがあったのですね。これから、どういうスケジュールで進んでいくのでしょうか?  ところで、金田さんのグループと、阿部さんのグループは共同歩調をとるのでしょうか、それとも別個?

RE: 生命倫理研究議連 投稿者:tity  投稿日: 6月23日(土)01時57分34秒

中山氏が日経の記事ほど明確に否定したという感じはしませんでした。 これはあくまでも感想ですが。

日本小児循環器学会からの要望書は3月27日付で提出されていたものですが、 非常に不可解な記述があります。 「心臓移植や肺移植を必要とする小児は、人工心臓などの代替手段もないために 成人よりも予後が悪いという結果であります。」 というくだりです。 そうした代替手段がなければ、 仮に小児移植を合法化しても 現実にはほとんどの人が待機時間ゼロにはならないので 延命(現状よりも長く生かすこと)はほとんど不可能でしょうから、 そうした環境整備をまったくせず、 (少なくとも言及せずに) 移植を言い出すというのがそもそもおかしいと思います。 また、仮にすべての人(小児)にすみやかに提供があったとしても、 拒絶反応などでうまくいかなかった場合は延命ができません。

移植以前に、小児科医療における保険点数の問題など きちんと論じるべき問題が山ほどあるはずです。

訂正 投稿者:ちゃみ  投稿日: 6月23日(土)01時21分34秒

日経は22日朝刊です。すみません。

Re:生命倫理研究議連 投稿者:ちゃみ  投稿日: 6月23日(土)01時20分07秒

21日の会合に関する記事です。「『脳死を人の死としない立場』から脳死・臓器移植を考える議員の会」の 会合のことも載っています。

なお、21日日経朝刊の社会面には「脳死で臓器提供子供は時期尚早 生命倫理議連会長が見解」という 見出しで、この会合で議連会長の中山太郎議員が「児童虐待が社会問題化していることに言及。 「意思確認の方法が難しい」と述べ、現行法の改正には慎重な議論が必要だと強調した」という記事が 載っています。
http://news.yahoo.co.jp/headlines/jij/010621/dom/20360000_jijdomx062.html

生命倫理研究議連 投稿者:森岡正博  投稿日: 6月22日(金)01時33分43秒

って、例の、森元首相や、田中真紀子大臣などが所属しているやつですか?

生命倫理研究議連 投稿者:tity  投稿日: 6月21日(木)20時07分33秒

本日、上記議連が開催されたので傍聴に行きました。 どちらかというと日本小児循環器学会の陳情といった感じでした。

で、がっかりするような内容でした。 議員側はほとんど勉強しておらず、 「UNOSのような国立の機関を作らねば」とかいって医者から訂正されたり、 他方、医者のほうは配布した資料とスライドがまったく違うし、 ある資料では子供を18歳未満といい、 別の資料では15歳といいという感じのいいかげんさ。 渡航移植には1億円ぐらいかかるといった根拠のない数字を挙げて 保険適用を求めたり、 挙句は、脳死判定に時間がかかりすぎるとか、何が何でも移植したいという感じ。

ああいう議員に生死を決められ、 ああいう医者に判定されるかと思うとぞっとしました。

USAの場合 投稿者:森岡正博  投稿日: 6月15日(金)10時39分17秒

てるてるさんが紹介してくださっているUSAの例で、脳死が死であることを論理的に懇々と説明する、 というあたりに、以前萩原優騎さんがおっしゃっていた「画一性の暴力」を見る思いがしますね。 彼らの確信は、もう揺るがないくらい強いのでしょう。これから、英語で、彼らと渡り合うことになるのかと 思うと、しんどいなーっていう気になります。

日本移植者協議会 投稿者:てるてる  投稿日: 6月15日(金)08時31分59秒

日本移植者協議会は、臓器移植法改正の要望書では、死は一元的なものである、 死の診断は医師の専権事項であって、家族に判断をゆだねてはならない、 と書いているのです。でも、ガイドラインでは、臓器移植以外の、脳死の診断は、 従来通りでよい、という現行法の規定をそのまま残しているのです。 どうも、よくわからない。日本移植者協議会が原則として打ち出していることと、 改正案でとりあげている法律とガイドラインの内容とが、整合していないような気がする。

脳死を死と考えない家族 投稿者:てるてる  投稿日: 6月15日(金)08時11分40秒

脳死を死と考えないけれども、臓器提供に同意する家族が、USAでも3割はいるということですから、 別に脳死を死と考えないままにしておいても、いいような気もするのですが、 コーディネーターの立場からは、脳死が死であると認めさせなければならないのでしょうか。

移植コーディネーターと「脳死」 投稿者:てるてる  投稿日: 6月15日(金)08時09分39秒

日本の移植コーディネーターが、現行の臓器移植法が、脳死を死としていないことによって、 臓器提供者の家族が苦しむ、というのは、USAのドナーコーディネーターが、脳死の患者の主治医が、 本心から脳死を死と思っていないと、患者の家族も脳死を死として受け入れられない、というのと、 似ているなあ、と思います。 向井承子の「脳死移植はどこへ行く?」(晶文社、2001年)のなかでは、USAのコーディネーターは、 患者の家族が、脳死を死と思っていなくても臓器を提供することに、ショックを受けていて、 コーディネーターの立場からは、脳死が死であることを論理的に説明すると、言っています。

>「問題は家族ではない。脳死を昏睡と頑固に考えている医師がまだいる。医師の
>間にも誤解や混乱があるのです。そんな医師が家族に接触するので家族もますます
>混乱するわけです。

>「論理的な説明をしています」……「……心臓は肺は器械で動かすことができる
>が、なぜか脳だけはそうはいかない。心臓と肺は動いているのに脳だけが死んで
>しまうことがあるし、逆に血液の流れを止めて心臓の手術をする時でも、脳が
>生きていればその人は死なない。だから、生命の本質は脳にある。」と
>「論理的に、懇々と説明して、判ってもらうようにしている」
(p.201)

「脳死を昏睡と頑固に考えている医師がまだいる。」とういところを、日本の臓器移植法は、とか、 日本の固有の文化は、とか、日本の社会は、とかの、よく使われるフレーズに変えると、 日本のコーディネーターや移植医や移植患者団体などの発言とほとんど同じような気がします。

RE:今更ながら 投稿者:てるてる  投稿日: 6月15日(金)07時52分31秒

>ちゃみさん
すごくわかりやすく整理して書いてくれて、とても、うれしいです。
現行の臓器移植法、町野案、日本移植者協議会案、それぞれの第6条やガイドラインを 読んでいると、わかりにくくて、この解釈でいいのか、と何度も、不安になるんです。

>脳死と死を巡ることが、後ろから後から定義されていく格好になっていますね。

そうなんですよ。現行法は、そこがおかしい。ややこしい。 実際に運用するにあたっては、こういう法律のほうが、現場が混乱しなくていいという人と、 反対に、混乱するという人と、両方いる。どっちの解釈かで、改正案の作り方も変わる。

町野案は、今のいわゆる臨床的な脳死の診断で死亡宣告をしてしまう。

日本移植者協議会案は、ガイドラインで、臓器移植以外の脳死の判定は、今までどおりでよいとしているので、 臨床的な脳死の診断の段階では死亡宣告をしないが、臓器提供の意思があるときは、法的脳死判定をして、 死亡宣告をする。現行法との違いは、法的脳死判定をするかどうかについて、本人と家族の許可を得なくても よいということ。 臓器提供の意思があるとわかったら、医師の判断で、法的脳死判定をする。 でもこの改正案はいまひとつよくわからない。家族からインフォームト・コンセントをとる実際の手続について、 詰めが甘いような気がする。

森岡・杉本案は、法的な脳死の定義は現行法のままで、15歳未満にも適用する。

てるてる案は、脳死を死としない。臓器移植のときだけ、脳死を死にするのは、 合理的だとは思うけど、そういうことを法律に表わすのは、とてもややこしい。

「臓器移植のメンタルヘルス」では、移植コーディネーターが、臓器提供者の家族は、 臨床的な脳死の診断の段階で、医師から婉曲的に死を告げられ、法的脳死判定が2回実施され、 二度、三度と死の宣告を受けて、苦痛に感じる、と書いてありました。 コーディネーターの立場からは、現行法は、看取りを苦しみの多いものにしているように見えるようですし、 実際、苦痛に感じる家族もいるのでしょう。 どうすればいいのかな、と思います。

>しかし、こうした一連の手続を家族側から見ると、まず最初は、主治医から「最善
>の治療を尽くしたが、臨床的脳死で、もう助かる見込みはない」と婉曲的な死の
>告知を受け、それでは本人の望みだからとカードを提示すれば、今度は移植コー
>ディネーターから臓器提供の説明を受けることとなる。
> この説明で臓器提供を承諾すると、次には脳死判定による法的脳死判定を受け、
>「患者の死亡」が宣告される。法的脳死判定は原則的には2度実施され、最終的に
>「法的な死」が告げられるが、このように、家族は、その現場のなかで2度、3度
>の「実質的な死亡宣告」を受けることとなる。これは家族には、かなりの苦痛に
>なると思われる。
(p.142)
筆者のコーディネーターは、日本特有の事情、すなわち、現行の臓器移植法の脳死の扱いが、 家族の苦痛を増すというように、書いています。 とはいうものの、USAでも、脳死の患者からの臓器提供にあたって、苦痛を感じる家族はいるし、 日本のコーディネーターは、USAのコーディネーターのような訓練を受けているのだろうか、 たとえば、家族が眠っていたら起こさないとか、食事とか睡眠とか基本的な生理的欲求まで目を配って、 ケアする訓練を受けているのか、とか、気になりますけど……

今更ながら 投稿者:ちゃみ  投稿日: 6月15日(金)04時02分15秒

「臓器移植法」そのものを読んでみました。いわゆる「中山案」に接木したためでしょうが、 法律の構造がいびつですね。脳死と死を巡ることが、後ろから後から定義されていく格好になっていますね。

それはそれとして、ある人が脳死を以って自分の死であると選択したことは、脳死判定及び臓器移植への 同意から推定されるに過ぎないのですよね(逆に言えば、同意によって、そのような選択をしたことが 推定される)。

それに、家族―法律には定義がない―が反対すれば法的には脳死とならないことに加え、記述の構造上、 「脳死(した者の身体)」の定義の中心が臓器が摘出されることに置かれていますね。法律上は臓器摘出が 脳死の不可欠の構成要件になっており、臓器摘出対象とならない人は法的には脳死でなく、 死んでもいないことになる訳ですね。

もちろん、この法律はあくまで「脳死法」ではなく「臓器移植法」ですし、臓器移植に関係なく脳死を認定する 法律を作るべきかどうかは難しい問題ですが、修正の結果とは言え、ある意味象徴的な法律構造に なっているなあ、と思いました。

流れに全く関わりない初歩的なおしゃべりですみませんm(_ _)m

RE:「臓器移植のメンタルヘルス」  投稿者:りんご  投稿日: 6月13日(水)21時29分28秒

こんど、探してみます。

小児の脳死を巡るメンタルヘルス 投稿者:てるてる  投稿日: 6月13日(水)20時16分05秒

「臓器移植のメンタルヘルス」の第10章「小児の脳死を巡るメンタルヘルス」では、

>移植先進国である欧米では、幼児期でも、移植が必要な子どもに絵本やぬいぐるみ
>などを使ってその年齢に応じた移植手術の説明が行われている。
(p.122)
ということです。
日本では、親子間の生体肝移植の件数がふえていますが、
>小児に対する精神的な援助、それを取り巻く社会的なサポート、受け入れ体制は
>ほとんど手つかずの状態である。
(p.122)
とのことです。

移植を受ける側への説明が、絵本やぬいぐるみでできるのなら、幼いこどもに、 臓器を提供することについても、説明ができそうな気もします。

「臓器移植のメンタルヘルス」 投稿者:てるてる  投稿日: 6月13日(水)18時55分49秒

「臓器移植のメンタルヘルス」(中央法規、2001年4月25日発行)という本が出ています。 執筆者は、精神科医、移植コーディネーター、看護婦等です。 脳死、心臓死、生体からの移植における、ドナー、ドナー家族、レシピエントのメンタルケアについて 書いてあります。医師、看護婦・士、臨床心理士、移植コーディネーター、ソーシャルワーカーの 指針になると書いてあります。

第一章「臓器移植とメンタルヘルス」より
>看護婦は、ドナーとレシピエントおよびその家族・親族が体験するこころの
>痛みと経過について理解することが必要である。残念ながら、わが国には、
>このような成書がいまだに出版されておらず、本書が唯一の本になる。
(p.7)
>メンタルヘルスに携わる専門職の育成が、移植医療の場では急務であることは間違いない。 身体的な管理だけではなく、心理的・精神的な管理が必要なことはよくわかる。しかしながら、 わが国の立ち後れは、目に余るものがある。
(p.7)

医療への患者の参加・自己決定の重要さにも触れており、USAでは、移植待機に入る患者への 決定前の情報提供を充実し、決定に主体的に参加できるようにしたことが、 手術後の精神症状の出現頻度が激減する要因になったと述べています。

RE:命  投稿者:ちゃま  投稿日: 6月13日(水)05時51分28秒

ドナーの親は、レシピエント(慣例なのでこう呼んでおきます)のことを、自分の子供だと主張して悪い理由は どこにも無い。ただ、そのことに気づいていないだけなのだ、と思います。

届け、この想い 投稿者:tity  投稿日: 6月11日(月)21時07分06秒

> これらの疑問、厚生省研究班に届くんでしょうか。届くことを祈りますが。

正面から取り上げるかどうかはわかりませんが、 研究班の班員であり、毎日新聞でコメントしていた島崎修次氏は 同学会の会員ですので、聞いたこともないとはいえないでしょう。 もっとも、新聞のコメントも微妙に論点をずらしているので期待薄でしょうが。

RE:命 投稿者:てるてる  投稿日: 6月11日(月)19時42分59秒

なんの根拠があるのか、と問われると困るけど、こどもに移植を受けさせる親は、 こどもの命を助けるかわりに、自分から、こどもが離れることを覚悟しなければならない場合が あるのじゃないかな、などと、想像したことがあります。

そのこどもに臓器を提供して亡くなったこどもの親が、そのこどもを、自分のこどもと同じように、 愛情の対象とし始めたら、身を引くことも考えなければならないのではないかな、などと思ったことが、 ありました。

tityさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 6月11日(月)15時56分17秒

これらの疑問、厚生省研究班に届くんでしょうか。届くことを祈りますが。 以前の竹内班の脳死判定基準の補遺においても、彼らは、批判を正面から取り上げたとは思えませんから。

「小児における脳死判定基準に関する研究」に対する疑問 投稿者:tity  投稿日: 6月 9日(土)00時56分01秒

下に記載された日本脳死・脳蘇生学会のレジュメ当該の部分です。

「小児における脳死判定基準に関する研究」に対する疑問    ──提示された小児の脳死判定基準は、科学的な根拠を有しているか? 東京都立墨東病院救命救急センター 濱邊祐一、埼玉医科大学総合医療センター・高度救命救急センター  堤晴彦、東邦大学大橋病院脳神経外科 上田守三、大阪府立病院救急診療科 桂田菊嗣
Several questions of "The study about guideline for brain death in children" ──Is the proposed guideline really based on scientificevidence? Tertiary Emergency Center, Tokyo Metropolitan Bokuto General Hospital Yuichi Hamabe Department of Emergency and Critical Care Medicine, Saitama Medical School Haruhiko Tsutsumi Department of 2nd Neurosurgery, School of Medicine, Toho University Morikazu Ueda Department of Emergency Medicine, Osaka Prefectural General Hospital Kikuji Katsurada

【目的・方法】平成11年度厚生省厚生科学研究費・特別研究事業・総括研究報告書 「小児における脳死判定基準に関する研究」(以下、「研究」)の問題点を抽出し、その中に 提示されている小児の脳死判定基準が科学的根拠に基づいているかどうかを検討した。
【結果】(1)「研究」の第?部でわが国における小児脳死の実態を知り得たとしているが、 解析対象となった139例が、真に脳死状態に陥っているか否かが検討されていない。 すなわち、全脳機能の停止の不可逆性の根拠が示されていない。
(2)暫定案を示すことによっておこなわれた「研究」の前向き調査は、6歳未満の症例の 脳死判定に最適な観察間隔を割り出すようなデザインになっていない。暫定案を示すことによって、 予め決められていた新生児48時間、乳児24時間という結論に恣意的に導いている。
(3)修正齢12週以上の症例は脳死判定し得るということの根拠が薄弱である。
(4)提示された小児の脳死判定基準の妥当性を、科学的に証明し得るような前向きの調査を実施していない。
【結論】現行の脳死判定基準が6歳未満の症例にも適用し得るかどうかの検討を目的とした 今回の「研究」には、論理的な不備が認められる。提示されている小児の脳死判定基準が、 科学的な根拠を有しているとは結論できない。

RE:命 その2 投稿者:てるてる  投稿日: 6月 8日(金)19時31分07秒

>ここに脳だけでは生きていけないAという命があります。
>一方には脳なしでは生きていけないBという命があります。
>今、AとBを一つにしてCという命を存続させた場合、CはAなのかBなのか。
>それとも両方なのか、どちらでもないのか。

「脳なしでは生きていけないBという命」というと、無脳症のこどものことを思い浮かべてしまいます。 USAで、無脳症のこどもからの臓器提供をしようとする人々は、よく、無脳症のこどもの親が、 そうすることを望むから、ということをいいます。

ところで、重い肝臓障害のこどもなどで、昏睡状態に陥っている場合、移植をすれば、 生命はとりとめるけれども、昏睡状態からの回復はむずかしい、という場合があります。 昏睡とまではいかなくても、ほとんど意識が回復しないままの寝たきり状態が続くという状態。 それで、親からの生体肝臓移植をするかどうかと、悩む場合があります。 こういう場合、脳死の人からの移植は、順番が回ってこないのでしょうが……

自己主張 投稿者:ちゃま  投稿日: 6月 5日(火)17時25分30秒

免疫系の自己は言語を使って自己主張できない。
だから免疫抑制剤により押さえこまれ、社会からは無視される。

脳神経系の自己は言語を使って自己主張できる。
だから社会から認められる。

もっとも、いずれの自己もあいまいなものの様ですが。

命 その2 投稿者:ちゃま  投稿日: 6月 3日(日)14時16分33秒

ここに脳だけでは生きていけないAという命があります。
一方には脳なしでは生きていけないBという命があります。
今、AとBを一つにしてCという命を存続させた場合、CはAなのかBなのか。それとも両方なのか、 どちらでもないのか。

AにもBにも親がいたとすれば、どちらの親も、自分の子供の命は生き続けていると思いたいわけでしょう。
なぜBの親だけが、自分の子供は死んだと思いこまなければならないのでしょうか。