ひろきさんによる投稿「身内が脳死になりました」より

森岡正博さんの「脳死臓器移植」専用掲示板で、 2002年01月02日に、ひろきさんによる、「身内が脳死になりました」という投稿がありました。
このページでは、その後の、ひろきさんと、森岡さんはじめ、掲示板投稿者とのやりとりをまとめています。

なお、2ちゃんねるの「脳死の受容をめぐって」というスレッドでも、ひろきさんの投稿がきっかけで、議論がありました。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1007438531/
そちらも、別のページに、まとめています。


"God bless you お兄ちゃん"

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身内が脳死になりました 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 2日(水)21時33分14秒

初めて、投稿します。気持ちの整理が出来ていない時期なので
色々とマナー違反をしてしまうかもしれないですが
大目に見てください。

兄が4日前脳死宣告を受けました。
それまで、脳死なんて一生関わらない問題だと思って
特に考えたこともなかったです。
ただ、ドナー登録とかはしてなかったので、
ここで議論されている問題とは、今、直接には関心がなく
筋違いなことを書くと思いますが、
僕としてはどこかに書かずにいられないことなので、
たまたま見つけたここに失礼させていただきます。
もっとふさわしい所があれば紹介してください。

脳死と言うのは、医者が判断する「死」です。
心臓死は当たり前ですが、心臓が動いていない
脈がない、こんなのは素人でもわかる。
丸一日心臓が止まったあと再び動き出すなんて
信じている人もいない。単純な問題です。

脳死は遺族が見て納得できないんですよ。
目の前にあるのは「ほぼ死体です」て言われても
現に脈は打ってるし、心臓も動いている
身体だって温かいじゃないですか。
何で、死んだなんて言えるのさ。
「でも人工呼吸器を外せば死ぬんです」
それって殺人だろ。溺れた人だって
人工呼吸しなきゃ死ぬけど、死体じゃない。

脳死と言うのは、医者への完全な信頼があって始めて成り立ちます。
しかも、100%脳死だと言える状況なんてほとんどない。
遺族、というより家族としては、そのわずか数パーセントを信用したい
完全に脳死と言われても、判断ミスだってありうる、
医学的にはどうであれ、こういう状況で目の前で眠っている人間が
再び目を覚まさないなんて信じられない。

私が4日間で得た感じはこんなのでした。
実際、毎日病院に行くたび、実は脳死じゃなかったというのを期待している。
臓器移植に賛成とか言っている人は、
よほど割り切った人かあまり考えたことのない人だと思う。
私自身あまり考えたことのない人だったから
どうせ助からない命は助かる命に廻せよ、と思ってました。

はっきり言います。
テロで見知らぬ4桁の人が亡くなろうとも、親しい一人が助かればいい。
みんなそう思うはずです。
そう思わない人は、いい意味でも悪い意味でも普通じゃないと思う。

ただ、僕の兄の場合はまだ25歳なので諦め切れないだけで
これが60近い父だと感じ方も変わってくるかもしれません。

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ひろきさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 1月 2日(水)22時19分50秒

投稿ありがとうございます。ご心中お察しいたします。

上記枠外にリンクのある「臓器移植法改正ページ」HP内にも、身内を脳死を経て亡くされた方のレポートや、それ関連の文章、リンク先などがいろいろありますので、もしよかったら見てみてください。

とりあえず、ふたつご紹介します。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/keijiban/kanso018.htm
http://www.lifestudies.org/jp/kanso018.htm
http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/noshi01.htm
http://www.lifestudies.org/jp/noshi01.htm

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追加 投稿者:森岡正博  投稿日: 1月 2日(水)22時25分08秒

臓器移植法改正ページは、↓です。

それと、脳死宣告を受けたとお書きになっていますが、ドナー登録をしていない場合、法的な脳死判定は行なえません。ですので、それは、いわゆる「臨床的脳死判定」つまり、医師の目から見て脳死だと思う、という意味です。

お兄さんは、法的には生きています。目の前にあるのは、法的には生者です。

主治医の方からは、どのようなご説明を受けたのでしょうか。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm

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お返事ありがとうございます 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 3日(木)00時56分57秒

確かに「医師の目から見て脳死だと思う」というような説明でした。
特に、麻酔薬を使っているので何度も「断言はできない」と言われました。

しかし、ドナー登録をしていれば、これで死人扱いになっていた可能性もあったわけで
やはり、納得できないものがあります。

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「身内が脳死になりました」を読んで  投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月 3日(木)06時11分03秒

ひろきさんのご投稿を読ませていただき、どうしてもお返事させていただきたくて、突然こんな時間に書き込みをさせていただく失礼をどうかお許し下さい。

>ひろきさん

あなたは、お兄さんという最も身近な方の突然の脳死宣告に接しられて、とても率直にそして的確にご自身のお気持ちを表現なさっていると思いました。あなたがおっしゃっているように、「臨床的脳死」というのは医師が判断する「状態」あるいは「症状」ですよね。

>脳死は遺族が見て納得できないんですよ。
>目の前にあるのは「ほぼ死体です」て言われても
>現に脈は打ってるし、心臓も動いている
>身体だって温かいじゃないですか。
>何で、死んだなんて言えるのさ。

例え「人工呼吸器を外せば死ぬんです」と言われても、到底納得できるものではないというのが、森岡先生が言われている「家族のもつ患者に対するリアリティ」なのでしょうね。

>脳死と言うのは、医者への完全な信頼があって始めて成り立ちます。

正に、あなたがおっしゃっている通りだと思います。

脳死の問題から少しずれますが、私事を少し書かせていただきます。以前、父が入院して一週間で急逝してしまった際に、主治医から「死因が解らないので病理解剖させて欲しい」という申し出がありました。最終的には、父と最後まで共に暮らしてきた母が「夫は医学に理解があった人だから」ということで解剖を了承したのですが、当初は「昨日まで調子が良さそうだったのに、どうして...?」と何度も主治医に詰め寄っていました。主治医は、何回となく母に経過を説明していましたが、本当にご自分でも死因が解らないというご様子だったのです。私は、その時のやり取りの模様をずっとみていて、「医療側と患者側との信頼関係が、実は全てを決めるのではないか」ということを強く感じました。

脳死の問題に関しても、医療側は、普段から「脳死の状態」についてもっと具体的で詳しい情報を開示するべきと思いますし、また、わたしたちも、もっと日頃から自らの問題として感心を寄せることが必要なのではないかと思うのです

ひろきさんの思いからは、論点がずれてしまったかも知れませんがどうかご容赦ください。

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5日目です 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 3日(木)20時57分09秒

すごく安定しています。
これが「死」と言われても全く信じることが出来ません。
普通に眠っている姿です。

友達が来たり、好きな音楽を聞かせると、呼吸数が上がったりします。
医学的には機械の誤差の範囲なのでしょうが、家族的には嬉しいです。

明日と明後日に、脳死と判定できるかどうかについて、検査するそうです。
それで何も変わることはないのですが、やはりはっきりさせておこうということでしょう。
両親も同意しました。

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信頼 投稿者:yamabiko  投稿日: 1月 4日(金)10時12分49秒

>脳死と言うのは、医者への完全な信頼があって始めて成り立ちます。


脳死、に限らず、治療全般は 医者(医学界)を信頼しているから成り立つ。
薬品がどのようにして認定され、市場に出回るか、を知っている人は、ホントに薬を試用する気にならないのではないか?
学生がどのようにして医者になるのか?の実態を知れば、おいそれと、医者に掛かろうという気にもならないはず。牛のエサの履歴を公開して欲しい、と、同時に、医者の履歴(治療内容、結果、カスタマサティスファクション。。)を公開したらどうか?
医者個人ではなく、医学界、とでもいうべきか?
患者が(労組、のような)団体でなく個人で、医者(および、弁護士+厚生省?
これは、団体を組んでいる)を相手にするのだから、お任せ、の気分になる。

>しかも、100%脳死だと言える状況なんてほとんどない。

これは脳死に限らず、医療行為全般にいえるのではないか?
これは黒猫です!いや、白とチャがほんの少しあるから三毛だ!
いや、実質的に黒猫といっていい!
。。くらいの議論でも日常的に起こる。病名など、デジタルで決まるものではないだろう。

>遺族、というより家族としては、そのわずか数パーセントを信用したい
完全に脳死と言われても、判断ミスだってありうる、

重病でも軽い病気でも、複数の医者に掛かりたい、という要求はありますね。
私の場合、一昨年末、片腕が麻痺する症状が出て大いにあわてたが(自営翻訳業)、近くの整骨医にかけこむと、もう一生治らない、リハビリしんさいね、ということだった。
首の骨がおかしい、とて、当日より、首吊り?リハビリを受けた我が身、つらかった。
診断に納得行かず(というか、藁をつかむ、きもち。大吉、がでるまで、おみくじを引き続ける、の気持ち)少し離れた某医科大学付属病院で診察を受けると、単なる運動不足ですよ!というありがたき診断。ココロ晴れ晴れ。それにしても、。。。診断とはなんだ?という疑問。

>医学的にはどうであれ、こういう状況で目の前で眠っている人間が
再び目を覚まさないなんて信じられない。

おそらく、脳死、といわれなく、通常死です、といわれたら、信じる人が圧倒的に多いのではないだろうか?いや、おれが脈と瞳孔検査に立ち会う!というひとが何パーセントいるだろうか? 上記のように、「死を信ずる」、というはなしであろう。
いかに自己をなっとくさせるか、ということ。

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信頼2 つづき 投稿者:yamabiko  投稿日: 1月 4日(金)10時13分21秒

>実際、毎日病院に行くたび、実は脳死じゃなかったというのを期待している。
臓器移植に賛成とか言っている人は、
よほど割り切った人かあまり考えたことのない人だと思う。

他人事、としか考えないと、移植などまともにモノがいえなくなるということはありますね。池田清彦も、脳死されず、させず、といっているが、我が家族に脳が欲しい人がでてきたら、考えが変わるかもしれない、といっている。
そういうものだろう。個人の意志決定というのは信頼がおけない(医者が信頼おけないのと同じコト)。どういう状態の個人の意志決定であるか、ということが問題。
でも、意志決定というのはイッパヒトカラゲ、ですよね。

>はっきり言います。
テロで見知らぬ4桁の人が亡くなろうとも、親しい一人が助かればいい。
みんなそう思うはずです。
そう思わない人は、いい意味でも悪い意味でも普通じゃないと思う。

上記。そういうことでしょう。医者も普通の人間だから高度の判断を期待するのは無理でしょう。そう思うか思わないかは、どういう状態(家族の健康、わがみの健康)にあるか?どういう立場にあるか?によって日々異なります。
親しい人が生死の境目にある、というのは すくなくとも 普通のひと、ではありません。
たとえば。。
身内が死刑判決を受けるかもしれない状況における、死刑賛成反対、の判断。
知人家族がテロで死んだひとのみが、テロ撲滅対策を論じられる、のか?

わたしは、まったく、そういう状況から離れた、利害関係のないひと、の判断も採用されてよい、とおもっている。
ある決定の、およぼす影響というモノは、意志決定者の想定をハルカニ越えているから。

余談だが。。
加藤周一が、テロで夫を失った女性が、ブッシュの戦争に反対しているのを夕刊で大きく取り上げていたが、こういう取り上げ方も、問題ありだとわたしは思う。
加藤は元来、利害関係のない地点からの意見を尊重しているはずだ。一種の、無責任、の立場からでないと、いえない意見というものがあるのであり、わたしはそれを尊重したい。

>これが60近い父だと感じ方も変わってくるかもしれません。

年上を失う場合と、年下(子供)を失う場合では大違いであろう。
(正月の、瀬戸内晴海のNHKインタビュ(再放送)があつかっていた。逆縁、というのですか。。)
私のオヤジは昨年末、ある病気で、余命1年から3年という診断をクダされた。
これは治療法のない病気。本人も納得。
(入院した病院で、たいくつでしょうがなく、電話で株売買をやり儲けている。)
珍しい病気だから、献体して調べてもらいたい、と自ら、医者に提案している。

健康、には留意し、長生きしたい、という気持ちが自分にはあるが、
これは家族のため、と自分ではおもっている。
長生きはそれ自体よいこと、とはだんだん思わなくなった。これは成長、であろう。

廣松渉、が 臓器移植へのコメントで、
「人間、そうまでして生きなければならないものか?」
とのべていた。これを打ち止めコメント、としたい。私は。

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Re 信頼 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 4日(金)11時59分05秒

>>しかも、100%脳死だと言える状況なんてほとんどない。
>これは脳死に限らず、医療行為全般にいえるのではないか?

確かに世の中には白黒はっきりつけられず、確率的に片付けられるのが多いです。
しかし、宝くじなら「99、9%当たらない」のは捨ててしまっておしくないですが 命なら「99,9%助からない」からといって「0、1%助かる」可能性を あっさり切り捨てるのは惜しくないですか。最後まであがいてみたくないですか。

>脳死、といわれなく、通常死です、といわれたら、信じる人が圧倒的に
>多いのではないだろうか?
脳死の患者からリアルタイムで正常な血圧や脈拍や呼吸数がモニタに現れ、
身体は温かく、心臓も動いています。
これを「死」だとあっさり信じられるのは難しいと思います。
普通に眠っている姿と何も変わらないのですから。

私は脳死患者の臓器移植の是非について述べるつもりは全くありません。
ただ、家族の側の脳死の受け止め方について述べているつもりです。
それで臓器移植について考えるときの助けになれば、と思っています。
この個人的な感じを普遍的真理にまで広げるつもりはありません。

日頃、理性で考えていた末の結論が、いざ自分が当事者になると
あっさり崩れてしまうことがよくあります。
想像力が足りない、という問題ではないと思います。
理屈どおりに行かないのが人間なのだと思います。

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緊急 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 4日(金)12時25分12秒

脳死と言われたのですが、いま痙攣が始まったそうです。
脳死状態で痙攣は起こるのでしょうか。
誰か教えて下さい。

今から、病院へ行きます。

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痙攣 投稿者:森岡正博  投稿日: 1月 4日(金)15時25分48秒

素人考えでは、脊髄反射はあっても、痙攣はないような気がしますが、専門知識がないのでよくわかりません。 どなたか、ご専門の方おられませんでしょうか?

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脳死で痙攣? 投稿者:関西医大小児科杉本健郎  投稿日: 1月 4日(金)16時57分57秒

それはあり得ません。多分「脳死に近い状態」と医者が云ったのではないですか?
臨床的脳死と診断して痙攣は理論上あり得ません。脳神経細胞が生きている証拠です。痙攣は。脊髄反射はあくまで反射です。脊髄折り返しの。 反射性けいれんというのがありますが、それはあくまで、外からの刺激で脳神経細胞で異常発射がおこるという意味です。

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追記 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 4日(金)18時20分28秒

検査結果は脳波はほぼ脳死状態だそうです。他のはまだ調べていません。やはり脊髄反射だろうと言われました。しかし脳死と言われて5日目にして初めてなうえ、朝からひっきりなしです。最初のうちは腕が寝返りを打っているようで、現在は腕がしゃっくりしてるようにビクッとなります。

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うーん 投稿者:森岡正博  投稿日: 1月 4日(金)19時21分10秒

脳波は脳死状態というのは、そういう言い方をしていいのか疑問があったりします。腕の動きなどについては、下の記事をざっと読んでみてはいかがでしょうか?

http://www.lifestudies.org/jp/noshiho01.htm

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帰宅しました 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 4日(金)21時51分37秒

さっきはiモードからだったので、手短にしましたが、
今から詳しく説明します。

昨日の夜から「痙攣」みたいなのが始まったそうです。
もともと脳の炎症を抑えるために、強い麻酔薬を使っていて、
そのせいで脳死かどうかは判定できなかったのですが、
1日にその薬を切り、ようやく今日薬の効果が抜け切るぐらいなので
脳死の判定を行うと言うことでした。

痙攣を抑えるために麻酔薬をいれ、治まったから薬をきり、するとまた痙攣が・・・
というのをずっと一ヶ月繰り返してきたのです。今回も関係があるのではと思いました。

僕が見たのは、そのリンクで紹介されているほど激しいものではなく、
ちょっと二の腕と指先が震えるような感じでした。
初期には書いたように、寝返りを打つようにだるそうに動くときがありました。

脳波を調べてみたら、ずっと平坦で、「痙攣」と平行して脳波に異常がなく
やはり「痙攣」ではなく脊髄反射だろうと言われました。
脳波以外は耳に超音波?を聞かせて脳の反応を見るテストで、
これも反応無し、とりあえず今日のところはそれだけでした。

脊髄反射と言うのはよくわかりませんが、別に刺激を与えたときに
震えるのではなく、もう20秒間隔でひっきりなしです。
ただ、以前の痙攣では唇は震えていたのですが、今回は腕だけなので
脊髄で止まっていると言うのもありうる話だと思いました。

脳死だろうと言われて5日目ですが、すごく安定しています。

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ひろきさん 投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月 4日(金)23時40分04秒

こんばんは、そしてお疲れさま。あなたにとっても、慌ただしい一日だったことでしょう。

>昨日の夜から「痙攣」みたいなのが始まったそうです。
>もともと脳の炎症を抑えるために、強い麻酔薬を使っていて、
>そのせいで脳死かどうかは判定できなかったのですが、
>1日にその薬を切り、ようやく今日薬の効果が抜け切るぐらいなので
>脳死の判定を行うと言うことでした。

>痙攣を抑えるために麻酔薬をいれ、治まったから薬をきり、するとまた痙攣が・・・
>というのをずっと一ヶ月繰り返してきたのです。今回も関係があるのではと思いました。

少し、確認させていただいてもよろしいでしょうか? お兄さんは、一ヶ月間くらいの間、何らかの原因で生ずる痙攣を抑えるため、麻酔薬を点滴のような形で投薬治療を受けてこられたのですね。そして、麻酔薬の効果が切れると、再び痙攣が起こるという状態が続いておられたのですね。

「脳死の状態ではないか」と告げられたのは、何かお兄さんの状態に変化があったからなのでしょうか?


>僕が見たのは、そのリンクで紹介されているほど激しいものではなく、
>ちょっと二の腕と指先が震えるような感じでした。
>初期には書いたように、寝返りを打つようにだるそうに動くときがありました。

>脳波を調べてみたら、ずっと平坦で、「痙攣」と平行して脳波に異常がなく
>やはり「痙攣」ではなく脊髄反射だろうと言われました。
>脳波以外は耳に超音波?を聞かせて脳の反応を見るテストで、
>これも反応無し、とりあえず今日のところはそれだけでした。

>脊髄反射と言うのはよくわかりませんが、別に刺激を与えたときに
>震えるのではなく、もう20秒間隔でひっきりなしです。
>ただ、以前の痙攣では唇は震えていたのですが、今回は腕だけなので
>脊髄で止まっていると言うのもありうる話だと思いました。

>脳死だろうと言われて5日目ですが、すごく安定しています。

『法的脳死判定マニュアル』、厚生省厚生科学研究費 特別研究事業、「脳死判定手順に関する研究班」平成11年度報告書、日本医事新報社、1999.

このP. 13 〜 P.15 に記載があるのですが、脊椎反射、脊椎自動反射、と自発運動との区別をすることが注意事項として挙げられています。また、「けいれん」が認められた場合は、脳死判定を行わないことになっています。

「脊椎反射」は、刺激に対して生じる反応と考えられ(下の杉本先生のご説明)、
「脊椎自動反射」は、脊髄の変性によって刺激を加えないでも起こる反応で、『外科治療』Vol.64(4)、496- 497、1991.の中に「安定した循環動態のもとで長期に体の管理を行った際には、脳死後に自動運動が高頻度に起こることが確認された。内因性の刺激に対して反射として、このような運動が起こると推定されるが、脳死判定のうえで矛盾のある動きといえる。」とあります。

いずれにしても、このような研究はあまり行われていないようですし、専門家の間でも議論の余地のあるところではないでしょうか。ネットで、「法的脳死判定に関する情報」をざっと探してみたのですが、医療関係の運営するネットでさえも、誤解を招きかねない古い情報が記載されていて、何とも気がかりな印象を持ちました。医療側は、先ずこういうところから改善していかなければ、というかプロとしての自覚を持たなければいけないんじゃあないかと思いました。

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Re 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 5日(土)00時43分09秒

ゆうみんさん、お返事ありがとうございます。

「お兄さんは、一ヶ月間くらいの間、何らかの原因で生ずる痙攣を抑えるため、麻酔薬を点滴のような形で投薬治療を受けてこられたのですね。そして、麻酔薬の効果が切れると、再び痙攣が起こるという状態が続いておられたのですね。」

はい、そうです。その繰り返しのような一ヶ月でした。
かなりきつい麻酔薬(イソゾールと言う)で医者の側もできるだけ早く切りたかったそうです。
けど、痙攣が復活するから使わざるを得ず、それも極力少ない量で済むようにしてました。
案の定、一度薬の副作用か血圧が急激に下がり、白血球と赤血球や血小板も急減して
このときは医者の方も覚悟したそうです。その後、正常に戻りましたが。

>脳死の状態ではないか」と告げられたのは、何かお兄さんの状態に変化があったからなのでしょうか
はい、実はもうこの頃には前出の血液関係のトラブルも治り、
薬をある程度減らした上で痙攣が治まって、ようやく回復だ、と思った矢先でした。
今度は脈が減り始め、CTを撮ると脳に影が出来ていると言われました。
以前も影が出来ていたのですが、例の薬を入れると消えたので、今度も大丈夫と思ってたのですが
次の日に、影が消えていない、瞳孔が開いていて、尿の調節が出来ていない、
脳にゾウエキ剤?を入れたがCTに現れなかった、よって脳死だろうと言われて
ICUから個室に移されたのです。

勿論、前に述べたとおり薬を使っている以上断言は出来ないとのことでした。
それで、今日は全て抜ける頃なので厳密に検査してみようという話になったのです。

本当は色々と検査する予定だったのですが、前述の2つだけ3時間くらいかけて検査していました。
やはり医者としても、こういう運動が起こったので脳死じゃないかも、と思ったのでしょう。
しばらくは様子を見ると言っていました。

脊髄自動反射がどういうものかはわかりませんが、今日の兄の運動はかなり規則的で
震えるような運動でした。昨日まで開いていた口も今日は閉じており、
いつもは閉じている目も開こうとしていました。
心なしかいつもより顔色が良かったです。

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ひろきさん (2) 投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月 5日(土)12時37分13秒

こんにちは、あなたのご投稿を読ませていただきました。

「イソゾール」というのは、「Thiamylal Sodium(チアミラール・ナトリウム)」という静脈内麻酔薬ですね。今、ざっと調べた範囲の情報です。何かのご参考になればいいのですが...。

これは伝え聞いた話ですが、患者さんは会話は出来なくても、耳は聞こえているとよくいわれますからね、今のお兄さんに対するあなたのその思いや、幼い頃の共通の懐かしい思い出話など、問わず語りに話して差し上げてはいかがでしょうか...。どうぞお大事にしなさってください。

http://www.kpu-m.ac.jp/CCN/topics/topics/w0010.html

話題0010 脳死判定について
Date: Wed, 4 Feb 1998 00:56:40 -0400
Subject: [CCN:00631] 「脳死判定」についての素朴な疑問

↑ 話題の論点は異なりますが、麻酔専門医のイソゾール(商品名)「thiamylal sodium(サイアミラール・ナトリウム)」に関するかなり専門的な話が載っています。何かのご参考になるやも知れません。

http://www.anesth.or.jp/drug/drug2/6999

チアミラールナトリウム
thiamylal sodium(JP)
バルビツール酸系全身麻酔剤

↑ このお薬の「医薬品添付文書」です。

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病院です 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 5日(土)15時29分22秒

ただいま亡くなりました。かなり急でした。僕が来たときは正常だったのに30分で急変しました。待っていてくれたのでしょうか。
みなさん色々とありがとうございました。

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残念ですね 投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月 5日(土)23時12分21秒

>ひろきさん

あなたやご両親の想いも空しく、25歳という若さでご逝去になられたお兄さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。   合掌

>みなさま

ご挨拶もせず、突然の書き込み申し訳ございませんでした。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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God bless you お兄ちゃん 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 6日(日)00時28分59秒

今日は、この様子だとどうも長引きそうだな、と思って散髪屋に行ってから
2時10分ぐらいに病院に到着したら
ちょっと血圧が低めだということ以外は安定していて
今日も大丈夫かな、と思ってたら
段々と血圧が下がってきて、
父が「今日は泊りかもしれないなあ」
と言ってたのですが、
その後も急激に下がり
僕が到着してから30分ぐらいで
血圧も脈拍も限りなく0に近づきました。

実際の死亡判定時刻は2時56分ですが、
その5分、10分前には息を引き取っていたと思います。
奇しくも大勢いた友達が帰って、僕が到着したばかり
ちょうど親子4人だけが揃っていたときでした。
わざわざ待っていてくれたのでしょうか。
家族が心配しながら神経を使いながら一夜を過ごさないよう
昼のうちにケリをつけようとしてくれたのでしょうか。

これで日曜に通夜ということになり
友達は働いている人も多く
このタイミングも計ったかのようでした。

日曜に通夜、月曜に本葬、そして
火曜からは僕は大学が始まります。
もう、学校は休んでできるだけそばにいよう、
テストは諦めようと思っていたのでしたが
これも兄の叱咤激励かもしれません。
最後まで僕のことを気遣い本当にありがとうございます。

今回はいろんな貴重な経験が出来ました。
もっとも、いくら貴重な経験とはいえ、やはり知らずに済んだらどれほどよかったことか。
しかし、時間を元に戻さない以上は、この経験を糧にがんばるしかありません。
ここで腐ってしまっては兄に申し訳が立ちません。

また、ここに書かせていただくと思います。そのときはよろしくお願いします。

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ひろきさん 投稿者:なな  投稿日: 1月 6日(日)01時29分17秒

書き込みは読ませていただいておりました。

尊兄のご冥福をお祈り申し上げます。

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ひろきさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 1月 6日(日)03時49分05秒

いま書き込みを拝見しました。
お兄さまのご冥福をお祈り申し上げます。

突然の急変で、まだこころの整理もついていないことと思います。
ひろきさんも、さぞかし大変だったでしょう。

また、いつか、何か書き込んでみてください。

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ひろきさん(3) 投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月 9日(水)10時55分15秒

ひろきさん、おひさしぶりです。

もう大学に通われていますか?
また落ち着かれたら、あなたやご両親そして身近な方々の、お兄さんへの想いや、
医療に対するご感想、脳死に対する医療側の対応などへのご感想など...
お話を聞かせてください。

寒さが続きます、お疲れを出されませんように。

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ありがとうございます 投稿者:ひろき  投稿日: 1月 9日(水)22時52分51秒

>また落ち着かれたら、あなたやご両親そして身近な方々の、お兄さんへの想いや、
>医療に対するご感想、脳死に対する医療側の対応などへのご感想など...
>お話を聞かせてください。

いまいくつか文章を書くつもりでいます。
今回の出来事を日記形式にまとめたもの、私と兄との関係について、
そして法学部生と言う観点から今回の事件を契機に法と脳死と臓器移植について述べたもの。
全部、自分の心の整理をつけるためのもので、公表するために作るわけではなく
特に最初の二つは全く私的なもので他の人が読んでも意味があるとは思えません。
ただ、法と脳死と臓器移植は完成させたいと思います。
これからテストが始まりその合間を縫って書くので、他の資料はほとんど読みませんし
臓器移植法さえ読まずに書くつもりです。
最終的にはこれを踏み台にして、来年に脳死を扱えるようなゼミに行きそこで発表する予定なので
今はむしろ何も調べず白紙の段階の意見をまとめるのが大事だと思ったからです。

ただ、こればかりは掲示板で収まるような内容ではないので、メールで送らせていただくことにします。よければ読んでください。完成に時間がかかりそうですが。

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「医事法学」 投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月10日(木)11時21分16秒

>ひろきさん

お忙しい最中にも拘わらず、ご丁寧なご投稿をありがとうございました。あなたは、法学がご専門だったのですね。わたしは、「医事法学」を少し囓ったことがあるんですが(門前の小僧ですが...、ハイ。)(^^;; 、この分野の草分け的な存在のお一人である唄孝一先生が、まだ東京都立大学におられた頃に、ある大学の特別講義を何度かお聴きした事があります。「医事法学」は、当時は法学の中でもまだまだ存在感の薄い一分野であると言われていた(と思う)のですが、今や「先端医療や生命科学と法」に関する問題は、人の死生観や生き方をも大きく揺るがしかねない程の問題となっているように思います。あなたが、自らの問題として取り組まれようとなさっている「法と脳死と臓器移植」の問題は、また私たちひとりひとりの問題でもありますね。是非、読ませてください。ご健筆をお祈りしています。

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みなさまへ 投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月14日(月)01時53分24秒

ここの掲示板の流れを中断させてしまったようで、森岡先生、みなさまどうも申し訳ありませんでした。これからも投稿させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

お詫びと言ってはなんですが、「生命倫理」関連のご案内を転記させていただきます。

『いのちを語り合う会』

日程:(毎月第三金曜日)2002年1月18日、2月15日、4月19日、5月17日、6月21日、7月19日、10月18日、11月15日、12月20日

時間:18:30 〜 20:00

場所:上智大学カトリック・センター(JR四谷駅より徒歩3分。大学北門の側に、新宿通りに面しているところ)

連絡先:J.マシア先生(上智大学教授、カトリック・イエズス会員)
    上智大学(研究室)
    〒102-8554 東京都千代田区紀尾井超7−1 
    Tel.: (03)3238-3843  Fax.: (03)5991-6928
    e-mail: j-masia@hoffman.cc.sophia.ac.jp

J.マシア先生(上智大学教授、カトリック・イエズス会員)が、「一般市民と専門家のあいだ」、「科学技術文明と宗教のあいだ」を結ぶ架け橋になるようにとお世話を始められ、今年は、「生命の始まり」、「生殖医療」、「幹細胞」などのテーマを予定されています。感心のある方々にお声をかけてくださいとのことですので、どうぞよろしくお願いします。

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ゆうみんさん 投稿者:てるてる  投稿日: 1月14日(月)18時25分42秒

全然、中断していないと思います。
ひろきさんの、法と脳死と臓器移植についてのレポート、私も読みたいと思います。

2ちゃんねるのスレッドも、この話をもっと続けたい人がいるようです。
移植を受ける人の気持ち、移植以外の脳死身体の利用の場合なども、とりあげるとよいのかな、と思います。

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てるてるさん 投稿者:ゆうみん  投稿日: 1月15日(火)01時27分30秒

ありがとうございます。ひろきさんも、今はいろいろな想いが交錯しておられるのではないかと思うのです。試験中とのことでもありましたし...。身近な者の死を受け止めるという作業は、想像以上のことと思われます。「生活における衝撃の度数」を表したある資料によると、「生活の変化」に対する「衝撃度」は、配偶者の死が100に対して、近親者の死は63となっています。ちなみに、親しい友人の死は37、解雇は47、家族の健康面での変化は44となっています。これに対して、仕事における責任の変化は29,生活状態の変化は25、個人的な習慣の修正は24、などです。(出典がわかりません、すいません)。身近な人の喪失体験が、いかに重いものであるかが実感されます。

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(無題) 投稿者:ひろき  投稿日: 1月15日(火)22時19分25秒

私は不真面目な学生なので試験中の今でも毎日ここをチェックしてます。
敢えて書き込む内容がなかったので、最近は書きませんでした。
勉強しないと兄に怒られるかもしれませんが、兄が僕のことを自慢していたのは
ろくに勉強もせずぐうたらしているのに、成績は何故か良いということで
ガリ勉はむしろ兄の嫌う所だっとので、これでいいと開き直っています。

来年のゼミは法理学を取ろうと思っています。
テーマは「生命倫理と法」です。何か発言できることが多いかもしれません。

>「生活における衝撃の度数」
これはいろんなケースを平均化したもので、個々の差があるのは当然でしょうね。
配偶者でもある程度自活していけるか完全に片方の収入に頼りっぱなしかで変わるでしょうし
近親者だとずっと一緒に暮らしてきたのと、何年も音信不通とでは全然違うでしょう。

僕の場合は、お互い大学に行ってからも下宿せず、家に帰ると夜は親友のように談笑していたし
お互い認め合っていましたから、衝撃度は限りなく配偶者のそれに近いでしょう。
僕が独立した後なら10ぐらいは緩和されたかもしれませんが。

配偶者は自己形成が完了した後で知り合った人でしょう。
出会ってから亡くなるまでのプロセスは完全に整理可能です。
ところが、僕が物心がつく前から深く係わり合いになっていた人物というのは
ちょっと複雑になると思います。
その人の思い出が始まるところの記憶はドロドロしている。
人格形成はその人との歩みによって作られている場合が多い。
「私」との繋がりは配偶者よりも複雑で深いと思います。
ただ、そういう人は多くの場合家族で、親が先立つのは世の道理で
これに文句を言っても始まらない。けれども、兄の場合は話が違う。
いつかは離れていく存在としても、離れる前にこういうことが起こったというのは
衝撃は相当きついです。今でもずっとひきずっています。

しかし配偶者の死はどんなものか味わったことがないので何とも言えませんね。
今回の件から言えることは、もうそんな目に会いたくないということですが。
これ以上は耐えられませんから。今でも限界ギリギリです。独りものですからその心配はないですが。

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ひろきさん 投稿者:りんご  投稿日: 1月16日(水)00時43分55秒

ひろきさん、書き込みありがとうございます。
決して、不真面目ではありませんよ。
真面目に、そして真剣に生きておられると思います。

「生活における衝撃の度数」は、「社会的再適応評価尺度(Holmes and Rahe(1967))」のようです。死別や悲嘆を考えるときに、「配偶者の死を100」とするということはよく聞くのですが、りんご的には、これは、外国の、しかも40年以上も前のものらしいので、なおさらしっくりきません。

また、日常的にいわれる「喪失体験」は、専門的には「対象喪失」と呼ばれ、次の3つの意味を持っているそうです。(保坂隆著「がんとこころ」テンタクル、1400円)
1、現実的な人や物
2、自分が一体化していた環境・地位・役割
3、自分自身の機能や体の一部
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b1466966685c01062fe?aid=p-morioka00730&bibid=02008427&volno=0000

かけがえのない大切な人が亡くなるということは、遺されたものにとって、ほかの事と比較できないことだと思います。

りんごのこころの中では、父の死が、人生最大の衝撃であり危機で、医療不信への気づきの連続でした。
ことしで、もう6年になりますが、そのときの悲しみが、ときどきフラッシュバックしたりします。

ひろきさんも、これから、つらいと思うことにぶつかるかもしれません。
でも、そういうときは、どうか無理をせずに、なごみ掲示板にも遊びに来てくださーい(^^;。

あと、法律のことは、よくわからないので、是非是非、論文を書いてこの世に発表して下さい。

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(無題) 投稿者:ひろき  投稿日: 1月16日(水)01時21分59秒

>りんごのこころの中では、父の死が、人生最大の衝撃であり危機で、医療不信への気づきの連続でした。
私の場合は、兄の死自体は極めて理不尽と思いますが、
倒れてから死の過程までどの段階をとっても充分な措置は取られていたので
そういう意味での理不尽な悲しみはないです。
時間を戻せたら、と今でも思いますが、確実にこの段階で処置していたら助かっただろう
というのがないんです。熱の出た日に本人が遊びに行かなければ、とかは無茶な話だったでしょうし
熱が出た段階で意識のハッキリしている患者を救急救命センターに運ぶのも無理でしょう。
意識不明から発見されるまでの3時間ほどのブランクも
ベッドで寝ている以上は、もっと長い間気付かない可能性も高かったわけで、
これもしかたない。
最終的には運命なのかなあ、と感じています。

断言を避け「〜の可能性もあります」「ないとは言い切れません」「かもしれません」的な
医者の発言はどうかと思いましたが、救急救命の現場で働いている以上は仕方ないかな、と思っています。

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ひと 投稿者:りんご  投稿日: 1月16日(水)02時06分45秒

よく考えると、医療不信というよりか、父とかかわった医療者への不信にちかいでしょうか。
半年くらいは人間不信にも似た感情がわき出ていました。
そんな時、近代ホスピスの創設したCicely Saunders先生の講演会を聞く機会に恵まれ救われました。
A・デーケン先生のお話もあり、外国では、家族や遺族へ悲嘆ケアがあるということを知り、遺族としてうれしく思いました。
その会場が、上智大だったんです。ゆうみんさんの書き込みをみて思い出しちゃった。

ひろきさんは、ご自分の思ったことや感情を的確な言葉で表現できて、うらやましいです。

りんごは、まとまりつかなくて、言葉よりも行動にうつしてしまうのでした。

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行動 投稿者:りんご  投稿日: 1月16日(水)13時10分31秒

というより衝動かも、だって、下記の講演会も、そんな世界的に有名な方だと認識してなかったのに、なぜか、上智大に行ってみなければというと思いにかられ行動したの。

同じ時期、朝日新聞のテーブルトークでの中川米造氏のインタビュー記事「瞬間で区切れぬ生と死」が眼にとまったのと、父の書棚で偶然、中川氏の「医学を見る眼」(NHKブックス)を発見!

(きっと、リアル本屋さんには、ないと思うので、こちらを)
http://www.easyseek.net/search/index.php3?c_no=10&search=%92%86%90%EC%95%C4%91%A2

それは、医療のあり方や脳死を考えるきっかけになった瞬間でした。
そして、りんごの医療者不振は、和らいでいったのでした。
なので、中川氏のお礼を言いたかったのに、なんと、中川氏も亡くなられてしまい、期を逸してしまった出来事があり、りんごは決意したの、生きてる(この世にいる)うちに行動しなければって。

だから、この森岡せんせのHPで「脳死の人」を見たとき、発売したら探しに行こうって思い、本屋さんめぐりを始めたのでするう。

中川氏について、立岩氏のHPよりですう。
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0w/nkgwynzu.htm

りんごの父は、闘病4ヶ月で亡くなったけど、それでも、りんごは、さまざまな想いがめぐり情緒不安的になったりも・・・。
まして、救急の患者さんは、ある日突然、それも、親や配偶者だけではなく、兄弟や、子供が生命の危機に・・・。
考えただけでも、家族にとって受け入れ堅い出来事だと思うのでした。。。

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素通りできない 投稿者:mani  投稿日: 1月19日(土)17時57分28秒

Ciao,
ぱっと見て帰るつもりだったのですが。
りんごさんとよく似た経験をしています。
掲示板のテーマはちょっと無視しちゃいます。

悲嘆の心理学、というのが日本でほんの少しだけ取り扱われた時期に
ちょうど私がいろんなevent記憶を乗り越えようとしたこと、
上智のセミナーにも参加しようかな、と思ったこと、
周囲はいろいろ、少ないけれども日本なりのケアができてきそうな気も
してはいるけれど、結局は、ヒトは忘却の動物、時間が解決してくれるみたい。
はやく、時間以外の助けてくれる選択肢が増えてくれることを期待しています。

何を書こうとしたか忘れてしまった。
りんごさんが何年か前の私のようだったので、つい。

では。

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時間 投稿者:りんご  投稿日: 1月19日(土)22時41分53秒

・maniさん
恐縮です、そして、ありがとうございます。
また、涙が出てきてしまったあ〜。
悲しみの涙ではなくて、りんごのことを気にかけて下さったmaniさんへの感謝の涙。。。
りんごとよく似た経験をされたというmaniさんは、りんごの人生の先輩ということですね。

りんごの場合、時間だけに解決されても納得出来ないというか、時間では解決できないことに気づいたので、行動にうつしてしまっているのでしょう。
それにしても、これから、どうなっちゃうのかなあ。
ことしも、りんごメモメモを書かなくては・・・。

とにかく、こんなりんごは、たくさんのみなさまに、あたたかく見守られ、ささえられて生きております。
みなさま、ありがとうございます。

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私事で申し訳ありません 投稿者:ひろき  投稿日: 2月13日(水)15時15分26秒

ジャーナリストの日垣隆さんに今回の件についてメールを出したところ(理由は本文中に書かれています) ありがたいことにわざわざWEB上に取り上げてくれました。 氏自身の臓器移植に関する意見もあります。

http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/iimail/019.html

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ひろきさん 投稿者:森岡正博  投稿日: 2月13日(水)18時48分05秒

拝見しました。よいやりとりですね。あたたかいものを感じました。

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(無題) 投稿者:ひろき  投稿日: 4月17日(水)23時51分15秒

お久しぶりです。てるてるさん、わざわざありがとうございます。

近況報告ですが、親しい兄の死は立ち直るのに2,3ヶ月かかりました。
「立ち直る」の中身は、友達と会って気軽に談笑できる、
夜に思い出しては涙を流すこともなくなった
思い出話を楽しくできるようになった、などです。
それでも、大学時代の友人や会社の同僚が訪ねて来るといまでもつらいものがありますが・・・

先月、母方の祖母がなくなったのですが、何の感慨もなかったです。
私は元々死についてはドライで運命論者的な見方があり、これは兄も同じような死生観でした。
そういう人間がここまでショックを受けたと言うことです。
両親が一度に亡くなっても、3日程度で立ち直ったと思います。
こういう言い方は不謹慎でしょうが。

あの1ヵ月半の出来事を日記形式にまとめるつもりが
テスト勉強で忙しく、それが終わると就職活動で忙しく、
就職活動がうまくいかなかったようなので、今は公務員試験対策に一番忙しく
ほとんど進まない状況です。

今年のゼミは「生命倫理と法」というのを選びました。
教授は生命倫理何とか会もやっている田中成明という人です。
尊厳死、クローンなどを扱いますが、脳死関係もかなり時間を割きそうです。
この一年でかなり勉強したいと思います。

兄がコツコツ貯めたお金は家族が使えるはずもありません。
会社に桜の記念植樹をさせて頂きました。

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