メディアによるマインドコントロール

第一回 私が監視地獄に陥れられた日

第二回 アミーゴじゃないよの一言で鈴木あみがあみーごに

第三回 「一言文化」とマインドコントロール

第四回 ヒットの操作にまつわる問題

メディアの組織暴力行為への加担について、オーストラリアの Paul Baird氏による、非常に素晴らしいサイトがありますので、ぜひご覧ください。
日本語の要約を作りたいと思っています。

Satellite Surveillance and Human Experimentation

★メディア・マインドコントロールの手口の分析

主に被害者の読心などの監視情報に絡んだ、恥辱・虐待目的の言動である。被害者である標的者が持っている出演者の印象に応じさまざまな心理攻撃をしかけてくる。好意的なもの・悪意のもの・卑猥なもの・無意味なものなど、様々な言動が繰り返される。主に被害者が持っている印象が、そのまま反映されることが多いようだ。それらを組み合わせることによって、効果的に被害者を監視の恐怖に陥れ、絶望や混乱、狼狽、職業や生活の破壊へと誘導する。

媒体としては被害者が興味を持っている、ありとあらゆる人・物を利用する。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・歌・CM・ゲームソフト・インターネットなどが、私に対する攻撃に利用されてきた。標語などを使ったものも多い。「金融ビックバン」という言葉があるが、あれは私が東京駅で不審者に「小室哲也が大きなかばんを投げた。ビック・バッグ(バン)」というおかしな付きまといを受けた1996年11月の直後に、不思議なことに橋本内閣によって掲げられる標語となった。経済などに絡んだ標語は誰の目にも留りやすく、繰り返し書くことができるという点で効果的だ。橋本内閣の1997年の新年の演説にも、私が読んでいた文章とそっくりそのままの文言が使われ、気味の悪い思いをさせられた。私のような、新聞すらきちんと読まない、情報源の少ない人にとっても、メディアは手段を選ばずに精神侵略をおこなう。

メディアによるマインド・コントロールは、本人が気づく相当前から開始されてしまうという問題がある。私にとってもおそらく、中学校入学前後に開始されていたと思われる。読心などの監視装置に対する情報がいきわたっていないため。被害に勘付いた標的者は大きな混乱におそわれ、「超能力では」などといった、非日常的状態に陥れられる。また、強い狼狽があり、長期にわたって監視に対する恐怖や不安に苦しめられ続けなければならなかった。

おそらく、巨大な裏金が動いているのだろうが、メディア関係者の頭はいかれ蝕まれてしまったとしか考えられない。そこには、現代社会の根源的な問題がある。

☆略歴

メディアの関与はおそらく中学校に入学した、1986年ごろから始まっていたのではないかと思われる。当時あったことは、知人の名前(とくに異性)とそっくりなタレントなどが出てきて、何度か奇妙に感じたという程度です。被害認識のきっかけとなった将棋番組に、そのころ、ちょっとした不審点がある。また、読心などのスパイによって知った嗜好や興味などが、番組などに反映されるような事がはじまっていたようだ。また、私の行動を揶揄するような内容もいくつかあったようにみうけられる。

メディアの私へのマインドコントロールの関与が強まり始めたのは、1994年ごろではないかと推測している。大学に入学してからしばらくはテレビ・新聞などとは縁遠く、毎日、専門書位にしか目を通していなかったのだが、そのころから邦楽のCDをよく聞くようになったのが端緒になっているようだ。個人的な失恋の情景などが、歌詞などに挿入されているのが散見される。メディア情報との接点の少ない、私のような人物の場合、街頭でも流れているような音楽を利用する事は効果的だったお思われる。その後、京大教授の竹内氏の人間大学の出演などを通して、マインドコントロールは大学とメディアが共謀したものになっていったと推測している。1996年秋からのNHKの朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」では、私が幼少から強い憧憬を抱いていた将棋の世界が題材になっていた。そこに登場する男性人物に、私の当時の境遇との不自然な一致があり、恐怖を覚えた事があった。

その後、奇妙な番組やコマーシャルなどが、継続的に、たびたび出現していたようではある。その後、1998年8月になって、NHK教育の将棋対局番組において、読心や視覚的スパイ情報を、直接的に反映する発言がなされ、驚愕し、非日常的状態に陥れられた。その直後に会った、北大の大学院の入試の面接においては、すでに、かなりの不安を持っていた記憶がある。監視に対する強い恐怖を感じたまま、長い年月を過ごさざるを得なかった。1998年以降最近まで、私の読心スパイによる内容が番組や記事、CMなどに反映されることが相継いでいた。現在でも、マスメディアの著しい人権侵犯は、継続されているようだ。海外メディアなどを含めた、世界的な加害ネットワークが活用されている。

特に私は、過去に不審人物に脅された事や恐怖などのため無抵抗になっていたので、被害を多く受けてしまったと考えられる。また、医学書の中に、病気の症状の例として「テレビが何かへんなことをしゃべっている」ということが載っているのを、被害を認識する前から知っていたため、口に出したらまずいと感じる点もあった。テレビに出演している人がえらい人であるとか、立派な人であるといったような錯覚を持っていたのは、従順化してしまった一因といえるだろう。

また、将棋番組が録画番組だと知っていたので、しばらくの間確信を持てずにいた。そのうちに、被害が拡大してしまった経緯がある。録画番組を通しても視聴者との双方向の「対話」を実現する技術は確立されているようだ。時間操作は、私にとっては、1つのアトラクションであった。ビデオやDVDなどを通して、同様なことをするのも可能なようなので、時間の操作はかなり使いがっての良いもののようだ。結局のところ、物理的な操作では寿命が長くなるわけではないのだから、一人ひとりに与えられた、時間を無駄にするべきではない。

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