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2006年12月4日(月)
国際総会に参加して

奇岩に寄りそう村 カランバラ

メテオラ(ギリシア語で「宙に浮く」
の意)の修道院

高さ400m程の岩塔郡に5つの
修道院が点在

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 11月末、国際山岳ガイド連盟総会に出席するためギリシャに行ってきた。場所はギリシャ中部のメテオラ。奇岩の上に中世の修道院が建てられている世界遺産の地である。
 国際山岳ガイド連盟(UIAGM)は加盟する各国間の連携をはかり、ガイドの技術レベルの統一し、各国のガイドがスムースに活動(仕事)できるよう協力し合うことを目的に1965年に作られた機関。日本も含め現在23カ国が加盟している。

 今回の出席者は各国から約40名。会議はフランス語、ドイツ語を中心に英語翻訳で進められたが、語学がそれほど得意でない僕には、正直言ってついてゆくのは至難のワザだった。山登りの数倍疲れた。同行の方が語学に堪能でどうにかなったけど、僕だけだったらアウトでした。
 しかしながら会議や他国のガイドに接して、ガイドという職業を改めて真摯に、かつ厳しく見つめなおす機会となった。人の命を預かる仕事なのだから当たり前なのだろうけれども、我々ガイドは日々自己を研鑽してレベルを高めてゆかなければならないと感じた。大変な仕事に就いてしまったもんです。

2006年
12/4  国際総会に参加して
12/4 メテオラ・クライミング
12/4 ギリシャ犬事情
8/21 ボリビアの登山
8/21 最大の核心
8/21 ペケーニョ・アルパマヨ、コンドリリ登攀
8/21 リャマ
8/21 イリャンプ
4/14 これからです。
2005年
3/18 「運命を分けたザイル」
2/25 雪崩について
1/28 華麗なる音楽家
1/16 「生き方」の問題
1/5 新年にあたって
2004年
10/16 急告!オンエア決定
10/13 雨ばっかりですが、、、。
9/3 長らくご無沙汰いたしました
6/9 マッキンリー(デナリ)の風
5/31 3歩進んで3歩さがる
4/27 やっぱり山スキー
4/2 山スキー三昧
3/19 ちょっくらカラマクへ
2006年12月4日(月)
メテオラ・クライミング

Traumpfeiler

hypotenuse

hypotenuse

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 会議が終わり肩の荷が下りたのでさっそくクライミングにゆく。

 
ここ、ギリシャ・メテオラのユニークな岩塔は大きなもので高さ300mほどあり、マルチピッチのルートが何本も引かれている。岩質は集塊岩というのだろうか、砂岩のような岩に無数の石が混じった岩質(三つ峠のような)である。当然岩は硬いとは言えず、地元のガイドからもポピュラーなクラシックルートを登ったほうがいいよ、と言われた。
 我々は3日間で4本のルートを登ったが、どれも面白かった。中でもTraumpfeiler(250m V+)とhypotenuse(225m Y+)は☆☆☆のお奨めルートである。機会があったら登りに行ってみてください。
 グレードは易しくてもトップは「ホールドがかけるんじゃないか」というハラハラドキドキのクライミングが楽しめます。

2006年12月4日(月)
ギリシャ犬事情

生きてる???
まってぇ〜〜 どこ行ってたの・・・・・

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ギリシャには犬、ノラ犬が多い。アテネオリンピックでかなりの数のノラが処分されたそうだが、それでも至る所でピクリとも動かないで眠りこけてるのや、ちょろちょろ歩き回っているのを見かけた。しかも旅行者や部外者に敵対的というのではなく、かなり馴れ馴れしいというか懐きやすい。おそらくギリシャ人はノラ犬に寛大なのだろう。

 我々がクライミングに行った際、ノラが2匹ついてきて、岩場の取付きに降りてくるまで(2〜3時間)じっと、けなげに待っていた。けっして綺麗なやつらではないのだが(体にはけんかによるのであろう数々の傷跡があった)、ここまでマークされると、こちらもホロリとしたりする。ビスケットをあげるくらいで勘弁してもらったが、近年まれにみる忠犬ぶりを見せてくれた。
おそらくもう2度と会うことはないだろうが、幸せに暮らしていってほしいと思う。ギリシャの方もたまには肉の切れはしでもあげてください。

2006年8月21日(月)
ボリビアの登山

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 6月中旬から1ヶ月ほどボリビアに行ってきた。ボリビアは日本ではあまりなじみがないかも知れないが、6000m級の山々を有する高所山岳地帯でもある。今回は5000mの山2つ(ペケーニョ・アルパマヨ5370m、コンドリリ5648m)とイリャンプ(6368m)をガイド登山(クライアント1名)してきたのである。

結果的にはイリャンプは登頂できなかったものの、アルパマヨ、コンドリリを登り、ボリビアアンデスの山々を満喫することができた。アプローチが近く天候も安定しているので、比較的短期間に6000m峰など高所のクライミングが楽しめる。もっと日本にも知られてもいいと思うのだが、情報量が少ないのだろうか、期間中日本人クライマーには会わなかった。その代わりというのではないが、アメリカ人のクライマーはちょくちょく来ているようだ。まあ近いからね。
 そんな感じで、日本人の多いツーリスティックな場所はあまり好きではないという方には、ボリビアはお奨めの場所だといえよう。おっとその前に、あまり英語は通じないのでスペイン語は必須ですよ、アミーゴ。

2006年8月21日(月)
最大の核心

首都ラパス

街のレストランで

街を望む

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 今回のボリビアの山旅で最大の核心はボリビアにたどり着くまでにあった。
 アメリカ経由で首都ラパスに行ったのだけれど、アメリカに入国する際、イミグレーションで別室に呼ばれ、話を聞くと係官は、僕のパスポートではアメリカに入国できない。今すぐ日本に帰るか新しいパスポートを取得しなければならないと言う。ホワッツ!? どうゆう事? よくよく事情を聞くと僕のパスポートには機械で読み取るバーコードがなく、これが無いとアメリカには入国させないというのだ。「アメリカはトランジットですぐボリビアに行く。 そんなことは聞いていなかった。2年前にはちゃんと入国できた」などといってもなしのつぶて。確かに僕のパスポートは98年にネパールで取得したもので古いタイプのもの。でも有効期限は2008年まであるのに、、、。ネパールがまずかったか、、?
 取調べ室で2時間もかけてあれこれ犯罪者のごとく調書をとられ、乗り換えの飛行機には間に合わないかもと諦めかけたが、アメリカ入国のビザ65ドルを支払って何とか飛行機にすべりこんだ。飛行機に乗ったとたんどっと疲れがでてもうヘロヘロ。山の何倍も疲れるデこりゃ。
ボリビアではいの一番に日本大使館に赴き、新しいパスポートを取得した。ICチップ入りの最新型のものだ。できれば「発行地 日本」にしたかったのだけれど文句はいえない。10年後は日本でパスポートを取るぞ。

2006年8月21日(月)
ペケーニョ・アルパマヨ、コンドリリ登攀

ペケーニョ・アルパマヨ

コンドリリ

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 ラパス近郊のスキー場で高度順応をしてペケーニョ・アルパマヨ(5370m)とコンドリリ(5648m)を登りに行った。ベースキャンプが同じで両方アタックできる。ペケーニョ・アルパマヨとは小さなアルパマヨということ。ペルーにあるアルパマヨの小型版といったところか。コンドリリとはコンドルが羽を広げたという意味で、どちらも形の良い秀峰である。

 6月21日、BC(4700m)に入る。レスト・準備の後、23日ペケーニョ・アルパマヨにアタック。氷河を越え、雪稜をたどって頂上まで約5時間。最後のサミットリッジは急峻でなかなか緊張させられた。山頂からの絶景を楽しんで下山。コンパクトにまとまった山といった感じである。
 1日レストの後、コンドリリにアタック。今度は中間にキャンプを設け、1泊2日の行程とする。6月25日、5000mのハイキャンプより氷河、岩稜、雪稜を登り、最後は両側が切れ落ちたナイフリッジをへて山頂へ。ここからもボリビアアンデスの山々を見渡すことができた。
 2つの山を登ってみて、ボリビアの山はヨーロッパアルプスの山々の標高を高くしたもののように感じた。ヨーロッパのようには整備されてはいないが、それぶんワイルドな山が味わえる。でももう少し英語が通じるといいんだけどね。

2006年8月21日(月)
リャマ

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 この不思議な動物は南米のアンデス地方(4000m以上)に生息し、多くは家畜として飼われている。今回のボリビア登山ではいたる所でお目にかかることができた。一見首を長くしたヤギのように見えるが、顔は優しそうで、性格も臆病なようだ。触ってみようと近づいてもさっと逃げてしまう。辞典をひも解いてみると、「ラクダ科。体長1m程度。頭かた尻までの長さ2mほど。毛や皮を衣類として利用し、荷物の運搬にも使われる云々〜」とある。
 一度リャマが登山の荷を運んでいる姿を目撃したが、せいぜい5〜6キロの荷物が背中に括り付けられている程度だった。ロバのボッカ量の5分の1ほどで、荷物はあまり得意じゃないみたいだ。多くは毛から衣類を作るために飼われているらしい。写真を撮ろうと近づくと、草を食んで下げていた顔をひょこっと上げ、しばらく「何だ?」といった感じできょとんとしている(状況把握に時間がかかる)しぐさがかわいい。そしてある一線を越えるとピューっと逃げ去ってしまう。
 なんともほのぼの感の溢れる動物で、わがあきる野市にあるムツゴロウ王国にも入れてあげたい気がするが、この東京の暑さではすぐ参ってしまうだろうな。リャマに会いたいという方はやっぱりアンデスまで行かれるのがよろしいかと思う。

2006年8月21日(月)
イリャンプ

イリャンプ

キャラバン

コックのフェリックス

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今回のメインの山、イリャンプ(6368m)登山に出発する。アンコーマという車止めの集落から2日行程で氷河のモレーン上にベースキャンプ(5300m)を設営。ここから1日でアタックする予定である。

7月5日朝3時にキャンプを出て、真っ暗の中氷河を進む。昨日取り付きまでトレースしていたため、何とかルートがわかるが、知らないと結構迷いそうだ。2時間ほどで取り付きの雪壁に到着し、ここからは60度くらいの傾斜の氷雪壁を標高差300mほど登る。予定では3時間ほどで抜けて尾根上にでるはずであったが、思うようにスピードが上がらず、稜線まで残り100mくらいのところで8時半を回っていた。このまま進んで登頂できたとしても、帰りはビバークになること必至で、相談の上、今回は無理せずに引き返すことにした。登れなかったことは残念だが、登山期間中の1週間、我々のほかにクライマーの姿はなくこじんまりと山に向かい合えたことは贅沢なことであった。まあ、また機会があったら再チャレンジするとしよう。

2006年4月14日(金)
これからです。

 4月より国際山岳ガイドに認定された。この数年いくつかのガイド研修やら、試験やらを受けてきたのだが、規定の科目をパスして晴れて(?)国際ガイドとなったわけだ。この資格を得ると、世界の国際山岳ガイド連盟に加盟している国でガイド行為を(名目上)することができる。要するに「あんたは、まあ世界(ヨーロッパ)水準に達してまっせ」ということである。
 国際ガイドという言いかたはおそらく日本だけで、フランスではguide de haute montagne(高山ガイド)と言われ、正ガイドと見なされる。つまり正ガイドの資格を得るまではガイド候補生(aspirantアスピラント)とされ、ガイド見習いの扱いを受ける。
 僕が国際ガイドを意識したのは2002年にヨーロッパに行ったときで、ヨーロッパのガイドを見て「彼らと同じレベルにならなきゃ」と思ったときからである。そして今、やっと彼らと同じ土俵に上がり、これから本当に僕のガイドとしての人生が始まるのだ、と言えよう。さらにプロとしてやる以上は、かつてフランスのガイドが言ったように、ガイドとしての誇りをもってやっていきたい。
 「ガイドの職業こそ、こよなく美しい。けがれを知らぬ土地で、その職務を果たすのだから。」(ガストン・ルビュファ)

2006年4月13日(木)
最近の遭難に思う

 このところ山での遭難が立て続けにおこっています。自然がいったん猛威を揮うと人間の存在がいかに微力なものかまざまざと見せつけられました。遭難の原因はいくつかの要因が重なったためなのでしょうが、我々人間が何がしかの理由でデッドラインを越えてしまったということでしょう。
 痛ましい遭難を繰り返さないためにも、我々は事故事例に注目し「何が原因だったのか、どうしたら避けられただろうか」と考えることが大切だと思います。そしてそれら教訓を自分のものにして蓄積すること。また、山に入ったら最悪の場合を想定して、そのときどう対処すべきかをシュミレーションしておくことも必要だと思います。
 そしてリーダーはしっかりとリーダーシップを発揮し、パーティーがばらばらにならぬよう統率することです。何となくですが、このところの事故をみているとパーティー間の統率のなさも原因の一因になっているような気がします。お互いの遠慮もあるでしょうが、決めるところはビシッと決めることが求められているように思います。リーダーはその責務の重さを今一度思い返し、時には心を鬼にすることも必要だと思います。

あきる野行進曲 2006