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2005年3月18日(金)
「運命を分けたザイル」

遅ればせながら「運命を分けたザイル」を観てきました。ご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、久しぶりにガツンとくる映画でした。
 内容はアンデスの未踏の岩壁に二人のイギリスの青年が挑み、見事初登攀を成し遂げたものの下降中アクシデントに見舞われ、壮絶な下山を強いられるというものです。下山中、クレバスに落ち宙吊りになったパートナーを助けられずやむおえずザイルを切断するサイモン。クレバスから壮絶な脱出を試みるジョー…。実際の当事者であるジョーとサイモンのインタビューと登山の再現フィルムを交互に織り交ぜ、そのインタビューがそのままナレーションになってゆくというドキュメンタリー風の作りになっています。そのせいか再現の俳優が「あれ、本物だっけ?」と思わせるほどの現実味を帯びています。山岳映像もよく撮っているなと思わせる見事なものでした。
 それにしてもこのような遭難劇をくぐり抜けた2人のその後の人生は、大きく変わってしまったんじゃないかと思いました。2人にとってこの登山は振り払おうとしても振り払えるものではなく、まるで亡霊のようにたえず背後にあって脅かし続けたのではないでしょうか。それから自由になるため、ジョーは本を書き、映画を作る必要があった…。山はいとも簡単に人の人生を翻弄する力をもっているのだ。そんなことを考えさせられる映画でした。重い内容ですが、一見の価値はあります。

2005年
3/18 「運命を分けたザイル」
2/25 雪崩について
1/28 華麗なる音楽家
1/16 「生き方」の問題
1/5 新年にあたって
2004年
10/16 急告!オンエア決定
10/13 雨ばっかりですが、、、。
9/3 長らくご無沙汰いたしました
6/9 マッキンリー(デナリ)の風
5/31 3歩進んで3歩さがる
4/27 やっぱり山スキー
4/2 山スキー三昧
3/19 ちょっくらカラマクへ
2005年2月25日(金)
雪崩について

 2月中旬、立山の文部科学省登山研修所で2つの研修を受けてきました。最初は文登研の講師の研修会、ついでガイド協会の雪崩検定です。これらの研修でじっくりと雪崩について考えてきました。
 ふだん僕たちは体力とか技術とか「攻撃的(?)」なことには力を入れても、雪崩対策など防御についてはおろそかになりがちなものです。しかし雪山をやる以上雪崩の危険は避けては通れませんし、実際雪崩事故も減ってはいません。その雪崩に遭わないためにはどうしたらよいか、雪崩に遭ってしまったらどう対処するか、などいろいろなことを学んできました。
 ビーコン、ゾンデ、スコップを持って雪山に入る人は増えてきましたが、それらをちゃんと使いこなせる人は意外に少ないものです。そして何よりも雪崩に遭わないために雪を知る、雪崩を知ることが欠かせないのです。まだまだ僕自身知らないことだらけですが、少しづつでも理解を深めてゆきたいと思っています。
 積雪を知るには雪を掘って断面を観察することが必要ですが、いやあ今回は掘りました。トータル30mくらいになったんじゃないでしょうか。そう考えると雪を知るにはつまるところ「体力」ということ?

2005年1月28日(金)
華麗なる音楽家

 先日武道館にスティングのコンサートに行ってきました。いやあ、よかったですよ。これがなかなか。凝ったステージングもさることながら、スティングという人の音楽に対する情熱がひしひしと伝わってくるコンサートでした。
 ジャズやワールドミュージックを吸収した独自の音楽にはかねてから「質の高さ」を感じていましたが、パワフルな演奏と計算されつくしたステージ構成は、まさに「完璧」という言葉がふさわしい。そこには好きな音楽というものを突き詰めてきた男の肖像を見たような気がしました。
 一緒に行った連れ合いによれば、会場の女性のほとんどはスティングにメロメロで、ピンクのフェロモンを出してたということでしたが、そういえば何となく会場はモヤってたように思います。なあんて。
 スティング、53歳。これからもすばらしい音楽を作っていってくれることでしょう。何かとても良いパワーを受け取った2時間でした。

2005年1月16日(日
「生き方」の問題

 12月の初め、『岳人』の取材で西穂高に行ってきました。内容は『岳人2月号』の特集「雪山真剣勝負」として載っています。雪山に入るための技術的、精神的アドバイスを書きましたので、今後雪山をやっていこうという方の参考になれば幸いです。。
 山小屋では取材スタッフともいろいろな話をする機会に恵まれましたが、「登山はその人の生き方だ」という話題になって、なるほどなあと感ずるところがありました。「文は人なり」といいますが、登山にもその人の在り方が反映されるのかもしれません。所詮「遊び」にすぎない登山ですが、逆に遊びという自由な領域でその人の人生観が色濃く出るということは言えると思います。
 どういう登山をやっているか、どのくらい続けているか、フルタイムクライマーか、たまにハイキングに行く程度なのか。人それぞれの人生があるように、それぞれの志向、スタンスがあって、それらは当事者の在り方と密接に関わっている。いうなればひとつの登山は、それをおこなった人の志向や考えを浮き彫りにし、表現してしまうのです。
 と、そんなことを酔った頭でつらつら考えてみたのでした。そう思うと人の登山を尊重しなければならないし、自分の山登りももう少し大切にしたいという気がします。

2005年1月5日(水)
新年にあたって

 あけましておめでとうございます。昨年11月に東京の郊外の町あきる野市に引っ越し、新生活を始めました。この雑感記も「あきる野行進曲」とし、装いも新たに新装開店します。パチパチ(拍手)。今までサボりすぎていたことを反省し、今年はマメになるぞ、と気持ちを新たに取り組んでゆきます。
 さて、やはり今僕が一番気にかかっているのは、年末に起きたスマトラ沖の津波です。被害者が15万人を超えるといわれる大災害は自然の恐ろしさをまざまざと見せつけました。普段我々は山に登って自然からよいものを受け取っていますが、自然はひとたび牙をむけばこのような大惨事をもたらすのですね。
 実はちょうど地震の起こる1ヶ月前、タイのプーケット近くのプラナンにクライミングに行っていました。現地の詳しい状況は分かりませんが、おそらく壊滅的な打撃を受けたものと思われます。我々がお世話になったバンガローやレストランのスタッフ、食事のたびに近寄ってきた猫たちはどうなったのだろう。楽しい思いをさせてもらっただけに、テレビの報道を見るにつれ暗澹たる気持ちになります。犠牲者がこれ以上増えず、少しでも早い復興がなされることを願うばかりです。

あきる野行進曲 2005