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    BGMは、一高明治四十五年第二十二回紀念祭寮歌「霧淡晴の」。 

小さな旅ー名所旧跡を訪ねて
船屋・大江山と高浜城址

  
大江山鬼の里
 第28番成相寺、第29番松尾寺の西国札所巡りの旅路には、日本三景の天橋立や安寿と厨子王の山椒大夫屋敷跡など見るべき名所旧跡が多い。ここでは、丹後半島の北端に近い伊根の船屋、丹後半島の付根の大江山鬼の里、それに若狭・高浜城址に立ち寄ってみましょう。
 天橋立などは、また別途の機会に譲ります。

 *大江町は、現在、合併されて福知山市の一部となっている。
 

伊根の船屋


船屋
  車に車庫があるように、船にも船屋があっていいいが、端艇部のボートなど一部の船を除き、漁船というのは岸壁に繋ぐもの、砂浜に引揚げておくものである。伊根の船屋を見るまでは、船屋付き漁民住宅が存在するなど信じられなかった。
 
 京都府与謝郡伊根町には、伊根湾にそって230軒あまりの船屋が並ぶ。1階が船の格納庫、2階が住居となっている。手漕ぎの小船から大型の機械船になるにつれ、船屋からはみ出している船を多く見かけるようにはなったが、それでも多くの船は窮屈そうに住宅の1階に入っている。昔は、写真上左のようにきちんと格納されていた。

 切り立った山を背にし前面が海の狭い土地を巧みに利用した漁民の知恵のなせる技であろうが、私のように波荒い熊野灘に育った者にとっては、津波や高潮、台風の時には、家が壊され流されるのではないかと心配である。そうなれば被害は甚大である。しかし、この奥深く入り江となった伊根湾では、湖のように波は穏やかで荒れることがなく、また潮の干満による高低差も少ないということである。

*伊根の船屋は、平成17年に漁村では始めて国の「重要伝統的建造物保存地区」と指定された。

 

伊根湾

平屋の船屋

所狭しと船屋が建並ぶ



大江山酒呑童子の里


真下飛泉の歌碑
 源 頼光が酒呑童子を退治したことで有名な大江町を訪ねる。途中、年配の者なら誰でも知っている哀愁に満ちた「こゝはお国を何百里 離れて遠き満州の・・・・」で始まる「戦友」の大きな歌碑が道端に建っていた。大江町(京都府加佐郡、現在は合併されて福知山市))は作詞者の真下飛泉の故郷である。
 
 大江山には、いくつもの鬼伝説があり、大江町では鉱山跡地を「酒呑童子の里」としてPRしている。
 この地には「日本の鬼の交流博物館」が設けられているほか、鬼の伝説をとどめる「鬼の岩屋」「頼光の腰掛岩」「酒呑童子屋敷跡」などの遺跡が多くある。
 
 皇祖神は、伊勢の地に落ち着くまでに、あちこちに遷座したというが、この丹波の地にも一時的に鎮座した。大江町には伊勢神宮より54年も前に祀られた格式の高い元伊勢神宮がある。

日本の鬼の交流博物館


高浜城址


高浜城址
 西国札所第29番松尾寺から若狭に入り、福井県高浜町の高浜城址を訪ねました。
 高浜城は珍しく海を背にした城で、1,565年に戦国の武略家逸見昌経の築城と伝えられる。逸見昌経は、よほど善政を敷いたのだろう、没後400年にあたる昭和56年、領主の慰霊と顕彰の意を表するため濱見神社が城跡に建立された。

 この付近の海岸には浸蝕によって出来た洞窟が8ヶ所あって、「八穴(やな)」の奇勝と呼ばれている。
 その代表が明鏡洞で、丸い洞窟の向こうに日本海を望み、水平線が美しく鏡のようだとして、その名が付けられた。
 

明鏡洞



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