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    BGMは、一高明治四十五年第二十二回紀念祭寮歌「霧淡晴の」。 

小さな旅ー名所旧跡を訪ねて
信州の鎌倉と結願の寺

  
北向観音の提灯
 日本百観音巡礼満願のお礼に善光寺参りを予定していたが、善光寺だけでは”片詣り”となって、ご利益を欠くという。信州・別所温泉にある北向観音と善光寺の両方に参らなければならないというのです。

 そこで、善光寺にお参りした後、別所温泉に1泊、北向観音のほか”信州の鎌倉”といわれる信州上田・塩田平の古塔巡りをしてきました。

 上田までは長野新幹線、上田から別所温泉までは上田電鉄別所線に乗りました。私にしては、妻を伴った滅多にない新幹線はグリーン車による旅で快適、上田電鉄もローカル色豊かでのんびりした旅でした。

信州の鎌倉

 鎌倉時代、北条氏の一族の北条義政が独鈷山の麓に居を構えて以来、北条氏の滅亡まで3代57年間にわたりこの地を治めた。北条氏の庇護の下、この地域に仏教文化が栄え、鎌倉から室町時代の寺院や仏像等多くの文化財が残されているので、戦後、この地域を「信州の鎌倉」と呼ぶようになったようです。
 

安楽寺三重塔
  安楽寺五重塔(国宝)は、国内唯一の禅宗様式の八角三重塔。大法寺三重塔(国宝)は、信州で最も古い塔で、優美な姿から「見返りの塔」と呼ばれている。
 中禅寺薬師堂(重文)は鎌倉初期の創建。常楽寺は北向観音の本坊、石造多宝塔は石造りでは珍しい重文となっている。
 前山寺三重塔(重文)は、「未完成の完成塔」として名高い。二層三層に勾欄がなく、扉も窓もないので、未完成と言われている。前山寺では、庫裡でこの地方特産の「くるみおはぎ」を食べた。それほど甘くないので、辛党でも結構いけるのでは。

 

大法寺三重塔

中禅寺薬師堂

常楽寺石造多宝塔

前山寺三重塔



結願の寺

善光寺と北向観音


善光寺本堂
 江戸時代、西国33箇所観音巡礼の旅で、往きは東海道、帰りは中山道という道順をとる巡礼者は、帰途善光寺に立ち寄り、満願を報告し、お礼参りをしたという。そして旅の疲れを温泉で癒そうと別所温泉に向かい北向観音にお参りしたのだろう。
 新幹線が開通し、中山道で帰る巡礼者が少なくなった今、お礼参りは高野山とか、比叡山にする(朱印帳にも高野山や比叡山が記載されているものあり)人もいるようだが、私は昔どおり長野の善光寺(南向)と別所温泉の北向観音にした。

 善光寺本堂(国宝)は、1707年の再建、総檜皮葺、高さ30m、奥行き54m、間口24mの堂々たる建物。 仁王門には高村光雲ほか作の仁王像が、山門(重文)楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」の額を掲げる。3文字の中に5羽の鳩が隠され、また「善」の字が牛の顔に見えるという。善光寺参詣の時に確かめてください。

善光寺山門

善光寺仁王門

善光寺紅葉

北向観音
 善光寺と北向観音の両方にお参りしないと、ご利益はないというが、善光寺の賑わいに比べると、北向観音はひっそりしていた。
 外陣の提灯(冒頭の写真)が印象的だった観音堂のほか、西方崖の上に立つ薬師堂(医王尊瑠璃殿)も小堂ながら一見に値する。境内には芭蕉の句碑など見るべきものが多いが、名作「愛染桂」のモデルになったという高さ22mの大木のカツラの霊木もその一つである。

北向観音薬師堂


上田城と生島足島神社


上田城
 「信州の鎌倉」の古塔巡りのついでに、上田城と生島足島神社に立ち寄りました。
 上田城は、智将真田真幸が築城、もともと天守閣はありませんが、櫓・城門等が復元されています。真幸と次男幸村が徳川勢を二度にわたって苦しめたことにより、天下の名城とうたわれた。

 生島足島神社は、日本列島の真中で、ご神体は「土」である。武田信玄の願文(重文)や起請文(重文)があることで有名。武田信玄は、この神社に謙信との戦いに勝利するように祈願する一方、武将たちから「決して信玄に叛くことはない」旨の起請文を取っている。

生島足島神社


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