BGMは、一高明治四十五年第二十二回紀念祭寮歌「霧淡晴の」。
小さな旅ー名所旧跡を訪ねて
北海道神宮と樺戸集治監
NHK大河ドラマで「獅子の時代」(菅原文太主演)というのがあった。維新の戦いで敗れた旧会津藩士が食うために厳寒の北海道に追いやられ、飢えと寒さと戦いながら原野を切り開いていく物語であったと記憶する。そのドラマで主人公が収監された北海道・月形の樺戸監獄をいつの日か是非訪ねて見たいと思っていた。 札幌に行く用があったので、大河ドラマの跡を辿って、旧会津藩士が最初に開拓で苦労した余市で一泊。翌日、JRで札幌へ出て、まず北海道開拓を祈念して建てられた北海道神宮にお参り。そして石狩川を溯って、車で月形へと行き、現在は博物館となっている旧樺戸集治監を見学した。 野幌の北海道開拓村等、北海道開拓史上、見学すべきところは他にも多いが、それらは別途の機会にまわし、このページでは、北海道神宮と樺戸集治監を簡単にご案内します。 |
北海道神宮
明治の初め北海道の守護神・開拓の神として、大国魂神ほか二神を祀った。 開拓判官島 義勇(写真下左に島 義勇銅像)が御霊代を箱館から背負い、札幌の地に入り、明治3年5月、北5条東1丁目に仮の社殿を建てた。翌明治4年、現在の円山に遷座し、札幌神社と命名された。 昭和39年、近代日本の礎を築いた明治天皇を増祀し、神社名を現在の北海道神宮と改めた。 北海道神宮は、地下鉄東西線円山公園駅から徒歩12分である。北海道開拓史に興味のある方は、是非、訪ねてみてはどうでしょうか。境内の小鳥の声に耳を傾けながら、先人が幾多の困難を克服しながら、今日の北海道を築いた歴史に思いを致したいものである。 |
二の鳥居 |
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本殿(写真右)にお参りしたら、末社の開拓神社(写真下中)と穂多木神社(写真下右)にもお参りしよう。 開拓神社は北海道開拓に功労のあった高田屋嘉兵衛・近藤重蔵・間宮林蔵・黒田清隆など37柱を祀る(昭和13年創建)。例祭日は蝦夷を北海道に改称した8月15日である。 穂多木神社は、北海道の拓殖事業に資本を提供するために明治33年に設立された北海道拓殖銀行で永年勤務し功労のあった物故役職員の御霊を祀る。昭和25年同行が普通銀行に変った時に、北海道神宮境内に遷座した。「国破れ山河あり」といいますが、「銀行失せて神社あり」ということでしょうか。穂多木神社の「ほたぎ」とは、北海道拓殖銀行の頭文字から命名されたようです。 |
本殿 |
島 義勇銅像 |
開拓神社 |
穂多木神社 |
樺戸集治監
樺戸集治監本庁舎 |
明治14年樺戸集治監が開庁され、初代典獄に月形 潔(旧福岡藩士)が就任した。 広大で千古斧を知らざる蝦夷地の開拓には、内地からの移民、屯田兵の力だけでは不足であった。集治監開庁に当たっては、囚人(極悪犯や政治犯)の労働力を使って、山林荒野の開墾や道路・鉄道等の工事にあたらせようとの目的もあった。月形村(初代典獄月形の姓から命名)の人口は職員も含め約2000人。当時の空知郡の総人口は約2800人といわれるから、集治監の存在は、ずば抜けて大きかった。囚人は上川仮道路や月形〜当別間道路、月形〜増毛間道路等の主に道路工事に使役された。 ちなみに網走刑務所が樺戸集治監の分監として開庁したのは明治24年のことであった。明治36年には集治監制が廃止され、北海道の監獄は、樺戸・網走・十勝の三監獄となり、大正8年に遂に樺戸監獄は廃監となった。 *昭和48年新たに「月形刑務所」が設置されている。 写真左の本庁舎の建物は、明治19年に建替えられた監獄事務所。玄関前にはライラックの白い花が、囚人の思いを込めてか、心なし悲しそうに咲いていた(写真下左)。初代典獄月形は、月形町開拓の祖として立派な銅像が立っている(写真下右)。樺戸博物館(写真下中)には、集治監の39年にわたる歴史が展示解説されている。 樺戸集治監(月形樺戸博物館)へは、札幌からJR札沼線で1時間30分であるが、かって囚人が船で護送された跡をたどりながら石狩川を車で(健脚の方は徒歩で)溯ってみてはどうでしょうか。今も残る石川河畔の監獄波止場に立って、維新戦争に敗れ政治犯として最果てのこの北の地に果てた幾多の囚人に思いを馳せながら、それらの霊の安かれとお祈りしましょう。 |
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樺戸集治監玄関 |
樺戸博物館本館 |
初代典獄 月形 潔 |