旧制第一高等学校寮歌解説

日のしづく

昭和24年第60回紀念祭寮歌 

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           丘の最後の紀念祭に
             夜の歌
 日のしづくしづくのごとに    たまゆらのいのちかなしみ
 たどり來てふりさけみれば  ふかき夜のよどみのそこひ
 くろぐろと空をかぎりて     ふるさとの塔はそびえぬ

 星々はみだれとびかひ    まがつ氣のただよふまゝに
 ひとのよはゆくへしらぬを   さだめなる光こがれつ
 橄欖のみづの葉かげに    旅の子はそらを仰ぎぬ

 あめはるかしろがねのかは  たへの音にながれめぐりて
 あたらしき星や生れたる    あらゝぎをめぐりてもゆる
 あかあかきほのほのかなた  いつかしき星のまたゝき

 あゝ北斗
 光あれうましふるさと      いざさらば向ヶ丘よ
ト短調・4分の3拍子、andanteは「歩くような速さで」の意。左右のMIDI演奏は、全く同じ演奏である。
 この寮歌には、もともと譜はなかった。作詞・後藤昌次郎先輩の級友である矢部 徹先輩により作曲され、平成16年10月30日発行の「向陵」一高130周年記念号(終刊)に発表された。作曲の経緯、歌詞の内容等は、矢部 徹先輩自身が前記「向陵」終刊号に寄稿した「最後の紀念祭寮歌『日のしづく』をご参考ください。
 この寮歌、「あゝ北斗」から「光あれうましふるさと」の間に、1小節、3泊を置くところで、リーダーの指示が明確でないと歌声が合わなくなることが多い。特に万感を込めて歌う重要な意味をもつ箇所であるので、気をつけたい。


語句の説明・解釈

昭和24年、一高最後の第60回紀念祭は、2月4日から6日まで3日間に亘り開催された。1年生から3年生まで揃ったまさに一高最後の紀念祭であった。4月以降も、一高は東京大學教養学部第一高等学校として昭和25年3月24日まで存続したが、在学生は3年生のみ、キャンパスは新制東大教養学部、寮は東大駒場寮となって、そこに同居する奇妙な形であった。一高生の大半は寮を退き、通学する道を選んだという。昭和24年3月をもって、全寮制の伝統ある一高寄宿寮は、廃校を前に、実質的に終焉を迎えていたのである。
 「一高生は、新制東大生が図書館内で騒々しく雑談するなどマナーが悪いのに驚き、彼等を子供扱いした。彼等の教養学部を示すCの襟章を『チャイルドのC』と皮肉くる者がいた。角帽を大切にかぶって登校する彼等を、『フクちゃん部隊』と呼ぶ者もいた。対照的に、新制東大生は一高生に対し、反撥的気分をもって接した。
 摩擦はきわめて不愉快な形で生じた。・・・(新制東大の新入生歓迎晩餐)会の最後に、一本松委員長は、『城を明け渡す』独特の感慨をこめて『玉杯』を唱ふことを提案した。・・・期待は無残に打ち砕かれた。新制東大生の中から、一人がメインテーブルに飛び出して、『玉杯』を『軍国主義のアナクロニズムと非難したのである。・・・圧倒的多数の東大生がこれに同調し、晩餐会はきわめてきまずい雰囲気で幕を閉じた」(「向陵誌」昭和23年より終焉まで) 

語句 箇所 説明・解釈
丘の最後の紀念祭
 夜の歌
前置き 「丘の最後の紀念祭」
 第一高等学校最後の紀念祭。昭和25年は紀念祭はなかったので、この昭和24年の第60回紀念祭が一高最後の紀念祭である。
 翌年の昭和25年は、既述のように、3年生だけであったが、2月1日に一高最後の寮歌祭を、また3月24日の一高最後の日には、晩餐会の後、一高の終焉を弔う寮歌祭が夜を徹し催された。余談ながら、この時、正門から取り外され、篝火に燃やされたはずの「第一高等学校の門札」が、遠藤郁夫一高先輩により、最近、無傷のまま、同窓会に提出され、ミステリーとなっている。遠藤先輩は、かくあることを恐れ、門札を廃校前に正門から外して、下北沢の自宅の屋根裏に隠し持っていたという。篝火に燃やされたのは、門札紛失後、学校が掛け直した予備の門札ということになる。今、駒場教養学部の美術博物館に保存されている。

「夜の歌」
 「時代は昼でなく夜であった。向陵の運命も夜であった。篝火をめぐって歌う紀念祭の宴も夜であった。私のイメージの中に、昭和18年文甲二組でめぐり会った友、宮地裕の第58回紀念祭寮歌の調べがあった。
     さらば舞へこの夜一夜を 火むら立ち火の子躍れり 
     あかあかと頬にかヾよふ ひとすじのいのちたゝへむ・・・・」
       (作詞者自らの解説ー矢部 徹先輩「最後の紀念祭寮歌『日のしづく』)
 
日のしづくしづくのごとに たまゆらのいのちかなしみ たどり來てふりさけみれば ふかき夜のよどみのそこひ くろぐろと空をかぎりて ふるさとの塔はそびえぬ 1番歌詞 日の光が射すごとに、廃校となる母校一高の短い命を悲しんでいる。今、向ヶ丘を去るにあたって、越し方をふり返って見ると、時計台が、思想昏迷の極みに陥った暗黒の世に、超然として黒々と夜空に聳えている。

「日のしづくしづくのごとに」
 日の光が射すごとに。すなわち、四六時中、一高の廃絶が頭を離れることはない。
 「日のしづく(動詞、雫く)しづく(名詞、滴り)の如く、と国文学的に、生命の形容と解釈するよりも、作者の意は、『しづく』という名詞をしずかに重ねることにより、瞬間の時の刻みを表現したかった由で、素直であり、それに従いたい。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「たまゆらのいのちかなしみ」
 短い命を悲しんで。既に一高の廃絶は決まっていた。
 昭和22年12月16日、一高教授会は、昭和24年における新制東京大学の創立に参加するとの決定を下していた。昭和23年2月7日、天野校長が辞職し、一高生に衝撃を与えた。同12日倫理講堂で開かれた送別式で、天野校長は『道理に生きてきた自分は又、道理に死なねばならない』と告辞をして、一高を去った。

「たどり來て」
 向ヶ丘での来し方を辿り来て。向ヶ丘を去るに当たっての意。作詞の後藤昌次郎は、本来昭和18年に文甲に入学した。下肢の骨髄炎の後遺症で兵役は免除され、自ら留年の道を選び、戦後の昭和21年に文甲を中退して理甲に再入学した。昭和24年に卒業し、向陵での起伏しは六年に及んだ。「彼の述懐によれば、戦争中生死の大事を解く鍵が、哲学の中にあると確信していたが、もっともらしい哲学体系が、敗戦の現実の前に崩壊するのを目の当たりにし、現実の検証に堪えない学問は学問に値しないと思い、文科をやめて理科に入り直した。」(作曲者の矢部 徹一高先輩) 「ふりさけ」は、振り向いて遠くをのぞむ。「さけ」は遠ざける意。

「ふかき夜のよどみのそこひ くろぐろと空をかぎりて ふるさとの塔はそびえぬ」
 「ふかき夜のよどみのそこひ」は、思想が昏迷し、混乱の極みの敗戦直後の社会状況をいう。
 「かぎりて」は、空の一角を占めて。超然と聳えるさまと解す。「限る」は、伸展していく時間の先端を、そこまでと定めて切る意だが、後には空間についていう。「ふるさとの塔」は、一高のシンボルの時計臺。「ふるさと」は、魂のふるさと向陵。
 「この時その塔は、もう永遠性が失われていた。之を明治45年の京大寄贈歌『花は桜とうたひけむ」の第五節『かうべめぐらす向陵は むなしく立てり新緑に されどもわれは其時よ わすれぬ影を見たるかな』に示された向陵の永遠性と比較する時、感慨無量である。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
星々はみだれとびかひ まがつ氣のただよふまゝに ひとのよはゆくへしらぬを さだめなる光こがれつ 橄欖のみづの葉かげに 旅の子はそらを仰ぎぬ 2番歌詞 真理を黙示すべき星は乱れ飛びかい、人の世は、禍の霊の気の向くままに翻弄されて、一体、どこへ行こうとしているのであろうか。そういう思想昏迷の世にあっても、一高生は、乱れ飛ぶ星の中から、真理を黙示する星を見つけて真理を得ようと、向ヶ丘の橄欖の瑞々しい葉蔭から空を仰ぐのである。

「星々はみだれとびかひ まがつ氣のただよふまゝに」
 思想昏迷の敗戦後の世のさまをいう。「星」は、真理。価値判断の基準。「まが」(禍)は、真っ直ぐな、正しいものに対して、不正・害悪の意。「つ」は連体助詞。「き」は機嫌。「ただよふまゝに」は、禍の霊の気の向くままに。
 「作詞者後藤氏は、戦後混乱時代の寮生活中、中学時代の足痛が再発したのと、あらゆる価値観の顛倒に失望し、帰郷、沈思の後、自然科学以外、頼るものなしと考えて文科を中退、改めて理科甲類を受験し、再び入寮した」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)。
 「ここでの『星々』は、世間に流行するさまざまな価値観を指していると見られる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「さだめなる光こがれつ」
 「さだめなる光」は、真理。一高生の使命は真理を探求することである。その真理を黙示する星の光に憧れての意。
 「黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ」(明治36年寮歌「緑もぞ濃き」1番)
 「第四節の『北斗』と照応し、仰ぎ尊ばれる確固たる崇高な理念を意味している。」(一高同窓会「一高寮解説書」)

「橄欖のみずの葉かげに」
 向ヶ丘の瑞々しい橄欖の葉蔭に。「橄欖」は一高の文の象徴。「みづ」は、植物の、聖なる生命力に満ちたさま。

「旅の子」
 一高生。人生は真理を追求する旅であり、旅の途中、若き日の三年間を向陵で過すとの考えによる。

「そらを仰ぎぬ」
 真理を黙示する星の光を求め、空を仰ぐのである。
あめはるかしろがねのかは  たへの音にながれめぐりて あたらしき星や生れたる あらゝぎをめぐりてもゆる あかあかきほのほのかなた いつかしき星のまたゝき 3番歌詞 天上はるかに遠く、星が妙なる音を立てながら天の川を流れ天空を廻っている。その天の川に、今、新しい星が誕生した。時計台を廻って高く赤々と燃える篝火の彼方に、荘厳な星が瞬いている。

「あめはるかしろがねのかは」
 「しろがねのかは」は、銀河。天の川。

「たへの音にながれめぐりて」
 「たへの音」は、霊妙な音。天の川では、妙なる音を立てて星が流れながら、天空を廻っている。

「あたらしき星や生れたる」
 「あたらしき星」は、敗戦後の混乱した世に、秩序をもたらし、人に希望をもたらす星。2番歌詞の「みだれとびかふ」星ではない。「新しい崇高な理念・理想の意。」(一高同窓会「一高寮解説書」)

「あらゝぎをめぐりてもゆる あかあかきほのほのかなた」
 「あらゝぎ」は、時計台。1番歌詞の「ふるさとの塔」のこと。「あららぎ」は、斎宮(天皇の即位ごとに選定されて、伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王または女王)の忌詞で、アララ(粗)ギ(葱)の意かという。「あかあかきほのほ」は、紀念祭の篝火。

「いつかしき星のまたゝき」
 厳かで荘重な星の瞬き。前述の「あたらしき星」のことである。「いつかし」は、潔斎してお仕えしたい気持ちになるの意。「荘厳さを感じさせる理念・理想の意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

 「之(第三節の歌詞)は秀れた描写であると共に、ふかい宇宙神秘が漂ふ。向陵の終焉は寮生の英知の底にひそむかくのごとき宗教感のうちに捉えられた。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
あゝ北斗
光あれうましふるさと いざさらば向ヶ丘よ
結び あゝ北斗。わが魂の故郷に栄光あれ。いざさらば向ヶ丘よ。

「あゝ北斗」
 「北斗」は、北斗七星ではなく、北極星のこと。日周運動によって、ほとんど位置を変えないので、方位および緯度の指針となる。このことから、寮歌では、真理・目標・希望を示す星として歌われる。ここで、万感の思いを込めて、「ああ北斗」と、この星に一高は永遠なれと祈る。
 「普通には北斗星を指すが、ここでは第二・三節に詠まれている『星』や『さだめなる光』の象徴的な含意と重ね合わせた意味で使われている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「光あれうましふるさと」
 栄光あれ、美しき魂の故郷。一高は亡んでも、、一高生の胸に永遠に生き、その精神は永遠に不滅である。

「いざさらば向ヶ丘よ」
 4月1日、1年生は新制大学進学のために中退して、一高在学生は3年生のみとなった。6月30日、一高は「東京大学第一高等学校」と改称され、翌昭和25年3月24日、ついに長い歴史と伝統を誇る一高は廃校となった。

 「作者は、一高に、恒星北斗をみている。混沌の世の指標たるべかりし北斗 ─ その一高は今、この地上から失われていく。然し、その長き伝統よ、光あれ、そして、それは不滅のものとして、光鋩を長くこの世に曳かしめよ─ 作者の祈りは熱い。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                       

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