旧制第一高等学校寮歌解説
りょうりょうと |
昭和22年第58回紀念祭寮歌
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1、りょうりょうと笛吹けや友 君のみは寒空を たまゆらの春にいのちはありやなし 丘にも花は咲きにしを あてなる花は咲きにしを 4、さらば舞へこの夜 あかあかと頬にかヾよふ ひとすじのいのちたゝへむ 血塗りてし歌にひヾきはありやなし 悲傷のさだめ別れこそ 悲傷のさだめ別れこそ *「あかあかと」は平成16年寮歌集で「あかあかき」に変更。 |
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譜に変更はない。MIDI演奏は、左右とも全く同じです。1番・4番を演奏する。テンポ記号andanteは「歩くような速さで」の意。 1、弱起で始まるのみならず、歌詞各句は全て弱起の曲となっている。 2、拍子は4分の4拍子で、最初から最後まで変わらないが、調は、歌詞の途中で転調する。 1)1番から3番まで 最初の4行はヘ短調、5から7行はヘ長調。 2)4番 ヘ短調。 この寮歌は、なんといっても最後の「血塗りてし」以下が圧巻である。特に「悲傷のさだめ別れこそ」(リフレイン)は、感情を込めて絶叫して終えよう。詩もメロディーも悲傷の極致ともいうべき作で、名歌である。通常、1番、4番を歌う。出だし「りょうりょうと」は、なかなか合わない。リーダーに合わせていくことが特に大切である。 |
語句の説明・解釈
前年第57回紀念祭寮歌「あくがれは高行く雲か」に続く宮地 裕先輩の作詞寮歌である。 「第58回紀念祭寮歌は、(復員して葉山の実家で栄養失調の身をやすめた)その後、ふたたび駒場の寮に入り、1年ちかくのあいだ、あたらしい戦後の寮生活を経験し、やがて一高を去って京都へ行くことを予期しつつ、いささかの感慨をもって、これも(第57回紀念祭寮歌「あくがれは」と同じく)、葉山の家に帰って、つくったものと記憶している。」(宮地裕先輩「歌十三篇ーあとがき その1」から) 作詞の宮地 裕先輩に、先輩が作詞した「あくがれ」と「りょうりょうと」についてコメントをお願いしたところ、快く承諾していただき、次のメールをお寄せいただいた。 「若き日の歌たちよ―――五十七回の「あくがれは」の冒頭は、もと「恋といふ心は知らず」であった。「あくがれは高ゆく雲か」と直して発表されたので、勝手に直すとはけしからんと、寮委員会室に行って詰問したら、五味智英先生が直されたということだったので、そうかと言って引きさがった。編集刊行した小誌を五味先生にも呈上したかどうか、記憶がはっきりしない。今となってはどっちでもいいような気がしている。五十八回の「りょうりょうと」のほうが、当時も今も、いいと思うし好きでもあるが、それぞれに若き日の思い出として、終生、胸に抱いていくことであろう。(2011・09)」 作詞者は、この歌に「向陵悲傷訣別の歌」との題を付けている。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
りょうりょうと笛吹けや友 たまゆらの春にいのちはありやなし 丘にも花は咲きにしを あてなる花は咲きにしを |
1番歌詞 | 友よ、あたりに響き渡るように君の得意な草笛で別れの曲を吹いてくれ。君は、僕との別れをもう悲しまないと言った。君だけは寒空に向かって、雄々しい心の 春にも命と言うものがあるのであろうか。来たと思ったら、すぐ行ってしまう。向陵で終生の友を得たのに、はや別れの春が来てしまった。いつまでも、この向陵で友と一緒にいたいのに。 「りょうりょうと笛吹けや友」 この友は、作詞宮地裕の昭和18年文甲2組の親友後藤昌次郎(昭和24年第60回紀念祭寮歌「日のしづく」の作詞者)のことという。「りょうりょう」は「喨喨」で、奏楽などの音が明るく響き渡るさま。後藤先輩は「知る人ぞ知る草笛の名手」であったという(「向陵」終刊号ー矢部徹先輩「最後の一高寮歌ー日のしづく」)。 「 「愛しき」は、友との悲しい別れ。「追はじ」は、めそめそしない。 一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「愛する人を顧みずに出征した」と(?)、また井上司朗大先輩は、「前年の寮歌で、五味先生から修正をうけた『恋といふ心は知らず』という表現の源泉を生かし、ストイックな寮友の『愛しきは追はじ』という姿勢(これも向陵の一主柱)に、自らの思いを託している」(「一高寮歌私観」)と解説する。 「君のみは寒空を 「截り」は、「断ち切る」の意。「寒空を 一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「冬空に飛行機で攻撃に出動した、の意か」とする(?)。 「たまゆらの春にいのちはありやなし」 「たまゆらは」一瞬の。短い。「ありやなし」は、有名な伊勢物語の「名にしおはばいざこととはむ都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」の「ありやなしや」を踏まえる。 「『ありやなし』と、結論の不限定によって漂渺たる意味のリズムを出し(ただし、解釈的にはこの『なし』をとり去った意味に大体おちつくであろう)それに続く二行の下句を、それぞれ「咲きにしを」・・・とこれ亦、意味と係結を中断して余韻を生ぜしめる方法をとっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「丘にも花は咲きにしを あてなる花は咲きにしを」 「花」は友との友情の花。「あて」は「貴」、上品な。ここでは、「貴重な」、あるいは「他所では得難い」の意。 「貴に匂へど花薔薇」(昭和11年「春や朧の夕まぐれ」4番)。 一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「第7句までは、戦死した友人を悼んだ句とみられる」とする。以下、同書は、全篇、亡き友についての歌詞として解釈するが、如何なものか。 「嘗ては向陵にも美しい花々が咲き、青春の日々があった。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) |
くさぐさの想ひに滿つる とことはの月に光はありやなし |
2番歌詞 | いろんな思い出がつまった向ヶ丘の三年は過ぎ、二度と返らぬ夢となってしまったけれども、一高生の自分には、今宵、別れの紀念祭がある。寮歌祭では、太鼓を思いっきり大きな音を響かせて叩きたいものだ。 月は満ち欠けを繰返しながらも永遠に光を失うことはない。向ヶ丘には、一高を象徴する時計臺が、かすかに輝いているが、その光は、月の光のように弱弱しく、今にも消えそうな光となってしまった。 「くさぐさの想ひに滿つる 「くさぐさ」は「種種」で、物事の品数・種類の多いさま。「かへらね」は「かへらねども」の意。 「われにあり今宵の祭り いんいんと鼓打たばや」 「いんいん」は「殷殷」で、音の盛んなさま。「鼓」は太鼓。「ばや」は話し手自身の行為を表す語について自分の希望を表す助詞。 「とことはの月に光はありやなし」 「とことは」は、永遠。永久。月は満ち欠けを繰返しながらも、永遠に光りを失うことがないの意。 「杜にも塔の火はあるを わびしき塔の火はあるを」 伝統の荒廃した向陵をいうものと解すが、一高廃校の運命を予測したかのようでもある。「杜」は向陵、「塔」は一高のシンボル・時計臺のこと。「わびしき」は、元来あった生気・活気が衰えて、荒れはてた感じである意。「火」は、一高の伝統の輝き。さらに一高の命脈を喩える。新月として生まれ変わった月が満ちて光を取り戻すように、敗戦の痛手から復興し、一高は、再び往時の輝きを取り戻すことがあるであろうか。 一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「亡き友は、月の如く永遠に我が心に生きている」と解す(?)。 天野貞祐昭和21年2月9日に一高校長となった。昭和21年11月11日、教育刷新委員会で天野校長は旧制高校の長所を生かす「前期大学構想」を主張した。しかし、この主張は採用されることなく、天野校長は23年2月7日、突然辞職をし、一高生に衝撃を与えた。今から思えば、昭和21年3月5日に米国教育使節団が来日し、6・3・3制の教育改革を求める第1次報告書を提出した時点で、一高廃校の危機は迫っていた。 |
み星飛びみ星落ちぬる この丘に擧ぐる杯 杜の |
3番歌詞 | 流星が流れて落ちて、夜空の彼方に消えてしまった。ついに、三年の命運が尽き、向ヶ丘と別れの時がきたのだ。向ヶ丘に別れの乾杯をしよう。自治の燈に尽きぬ名残を炎と燃やして、友よ、もっともっと酒を酌み交そう。 別れを惜しむ友に、嘆きはないであろうか。ないはずがない。瞳に涙を浮かべているわけでもなく、また、玉のような涙を流しているわけでもないけれども。 「み星飛びみ星落ちぬる この丘に擧ぐる杯」 「み星飛びみ星落ちぬる」は、流星が流れ落ちて消えてしまった。一般に「星落」は、「星落秋風五丈原」というように、聖賢・名将・偉人などの死をいうが、ここでは「星」は、向ヶ丘三年の命運と解する。一高廃校は、この時点では決まっていなかった。一高教授会が新制大学成立後は東大に合流することを決めたのは、この年昭和22年12月16日、一高存続の主張が認められず天野校長が一高校長を辞職したのは、既述のとおり、翌年の昭和23年2月7日のことである。「ぬる」は、完了存続の助動詞「ぬ」の連体形。「この丘」は、向ヶ丘(駒場)。 「杜の灯に盡きぬなごりの ほのほ燃ゆ酒ほせやほせ」 「杜の灯」は、自治燈の灯。「ほのほ」は、向陵惜別の情炎。 「離りがたき友になげきはありやなし 瞳にやどる露なきも あふるゝ玉の露なきも」 「露」は、涙。「瞳にやどる」は、「歌十三篇」記載の原詞では、「瞳にやどす」。平成16年寮歌集で、原詞どおりに訂正された。「なきも」は、涙をぐっと堪えているからであろう。 |
さらば舞へこの夜 血塗りてし歌にひヾきはありやなし 悲傷のさだめ別れこそ 悲傷のさだめ別れこそ |
4番歌詞 | そうであるなら友よ、今宵一夜を一緒に躍り明かそうではないか。篝火の炎が燃え上がり、火の粉が飛び散って、友の紅の頰がいっそう赤く照り輝いている。一生懸命に生きようとしている若者の生命を讃えよう。 軍隊帰りの自分が作った歌は、友の心を動かす響がないのだろうか。そんなはずはない。別れこそ悲しく痛ましい向陵の 「さらば舞へこの夜 「火むら」は、ほのお。火炎。「火の子」は、火の子と火の粉をかける。 「あかあかと頰にかゞよふ ひとすじのいのちたゝへむ」 「あかあかと」は、「歌十三篇」記載の原詞では、「あかあかき」。平成16年寮歌集で原詞どおりに訂正された。 「血塗りてし歌にひゞきはありやなし」 「血塗る」は、釁るで、刀などに血を塗る。戦い、また人を殺すことをいう。 「戦場での血なまぐさい歌、即ち軍歌をいう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「『血塗りてし歌』は、出征の事実を踏んでの表現だろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「悲傷のさだめ別れこそ 悲傷のさだめ別れこそ」 定めとはいえ、向陵と、また友と別れることは、身を切られるように辛い。 「友と別れた悲しみ痛みの運命の、消し難いことをいう」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 前年の寮歌(「あくがれは」)より、表現形式の上に一層の整正が見られる。四節より成る各節は皆、五七の四行のあとに、五七五の長い一行と七五の二行を加えた独自の定型を創出している。 | 「一高寮歌私観」から |