旧制第一高等学校寮歌解説

悲しみに

昭和21年第57回紀念祭寮歌 

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、悲しみにまなこ晦みて   光なくうちあらがひつ
  果しなきうばらの原に   もろ人は群れさまよひぬ
*「さまよひぬ」は平成16年寮歌集で「さまよひつ」と変更。

2、猛り立つ力の極み     荒れ迫る濤に挑みて
  ありし日の榮えを空しく   濁り江の淵に沈みぬ

3、集へども我愉しまず    虚しさは搖れ漂ひぬ
  友がきの惇きを忘れ    丘のべも人の群のみ

4、此の丘や千草の競ひ   手折り來し夢かずかずに
  柏蔭の泉に寄せて     知慧語る望みはありき

6、定めなき荒れ野の道も   遙かなる空のきはみに
  新生の希ひをひそめ    曙の光はあるを
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じである。
五・七調4行の歌詞の各五語・七語を1小節にきっちりあてがい、8小節、一部形式の歌曲とした。各段1小節(五語)、各段2小節(七語)は、ほぼ同じリズムである。後半の「うばらの原に もろ人は群れさまよひぬ」は若干変化させ、終結する。
 ロ短調・4分の4拍子の同じ寮歌を、一高生の中には、歌詞をかみしめ極めてゆっくり歌う先輩が多いが、新制東大は比較的速く歌う。この歌を歌っていると、何かに追いかけられる感じとなる。そのため、ゆっくり歌っている心算が段々速くなってしまう。七語の歌詞がどうしても早口になってしまうのが原因であろうが、それにしても不思議な寮歌である。


語句の説明・解釈

戦争中の第56回紀念祭は、昭和20年2月1日に行なわれ、「日は夢み雲白く」と「暁星の淡ききさらぎ」の二篇の寮歌が選ばれたが、残念ながら曲が残っていない。
 昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏した。寮生とともに玉音放送を倫理講堂で謹聴した安倍校長は壇上に立ち、「日本は敗れた。建国以来未曾有のことである。もう一度この国を建て直さなければならない。その道は険しく何が起きるか分からない。しかし学に志す者は理性を失わず、冷静に対処しなければならぬ。寮生諸君、決して軽挙妄動してはならない。」と熱意をこめて説いた(「向陵」一高百年記念号から)。
 昭和21年2月29日、高校修業年数が3年に復活、また同3月9日には寄宿寮委員制度が1年半ぶりに復活した。しかし、一高の伝統の象徴とも矜持とも言われた「正門主義」と「美・長髪禁止」の条項が総代会、再提案後の寮生投票で否決される等、個人主義の思潮が向陵にも押し寄せた。当時の異常ともいえる食糧難で寮の維持が難しくなった背景事情もあるが、自治共同の伝統ある全寮制は次第に形骸化し、所謂アパート化が確実に進行して行った。
 こうした中、戦後最初の第57回紀念祭は、昭和21年6月22日に開催された。修業年限3年制復活で卒業生のいない紀念祭は、また明治23年の第1回以来、初めてのことであった。

語句 箇所 説明・解釈
悲しみにまなこ晦みて 光なくうちあらがひつ 果しなきうばらの原に もろ人は群れさまよひぬ 1番歌詞 敗戦の混乱と悲しみに、真偽や正邪の区別がつかなくなって、人々は生きる目標を失い、互いに争っている。かって経験したことのない経済的困窮の世の中に、人々は食うものもなく右往左往している。 
 
 「悲しみ」は、自分の力でとても及ばないと感じる切なさをいう。「晦」は、陰暦の月の最終日、すなわちその夜は月がなく闇夜である。敗戦の混乱で、真偽や正邪の区別が分からなくなっての意。「光」は真理、希望、目標をいう。「うばら」は、いばらに同じ。「光なく」は思想的精神的な混乱を、「うばら」は経済的物質的困窮をいうと解す。「群れさまよひぬ」は、平成16年寮歌集で「群れさまよひつ」に変更された。
猛り立つ力の極み 荒れ迫る濤に挑みて ありし日の榮えを空しく 濁り江の淵に沈みぬ 2番歌詞 帝国陸海軍は己の力を過信して、強国米英軍を相手に戦争を起こしてしまった。明治維新以来、先人が営々と築いてきた過去の繁栄を壊し、日本を破滅させてしまった。
 
 「濁り江」は、水の濁った入り江。
集へども我愉しまず 虚しさは搖れ漂ひぬ 友がきの惇きを忘れ 丘のべも人の群のみ 3番歌詞 寮生活をしていても、ちっとも楽しくない。逆にむなしさがこみ上げてきて、心が晴れることがない。かっての自治共同の精神や友の憂いに吾は泣く厚い友情というものがなくなった。今や向陵も荒廃し、烏合の衆の集まりとなってしまった。

 「友がき」は友人。「惇い」は人情が厚いこと。
 「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)
 「友と今一つこゝろの (まこと)なる縁むすびぬ」(昭和19年6月「曙の燃ゆる」3番)
 「四つの城まばゆけれども 歌聲は低く地に落ち」(昭和21年「あくがれは」3番)
 「熱きもの友の情を 願ひにし思ひたがひて」(同上寮歌4番)
此の丘や千草の競ひ 手折り來し夢かずかずに 柏蔭の泉に寄せて 知慧語る望みはありき 4番歌詞 向陵には、学問技芸の草花が咲き競い、先輩たちはその草花を手折りたくさんのものを学び取ってきた。また智惠と正義と友情の泉を秘むと詠われた向陵である。一高の伝統である真理を共に追求する望みはある。

 「千草の競ひ」とは、「藝文の花(学問技芸)の花咲き乱れ」ていると同じ意味であろう。「柏葉」は一高の武の象徴。「柏蔭」は、その柏葉の木蔭であり、「泉」は一高の伝統精神がプールされたところと解す。もちろん、抽象の世界である。「知慧」は仏教用語で、真理を明らかにし、悟りを開く働きのこと。
 「 藝文の花咲きみだれ 思想の潮湧きめぐる 京に出でゝ向陵に 學ぶもうれし、武蔵野の」(明治43年「藝文の花」1番)  
 「手折りてし 橄欖の枝」(昭和8年「手折りてし」1番)
 「知惠と正義と友情の 泉を秘むと人のいふ 彌生が岡を慕ひつゝ」(大正15年「烟り争ふ」1番)
 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年「新墾の」3番)

 「四、五節は、そういう中にも、寮生達が事物の真相を見究める理性の眼を失わず、向陵の遠く深い伝統 ー 特に真理追求の流れに、つよい期待をよせ、たとえ現前の濁流に、一切の既成価値が押し流されているように見えても、その中で不滅のものを、いかに悩みと闇がおどろおどろしくても、求めてゆこうとする姿を描いている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
大いなる時の流れに うつろひしたくみの花の 香を慕ひ色を求めつゝ 行きなやむ闇夜のおどろ 5番歌詞 戦時統制の下で、寮委員任命制や軍隊式の修練要綱実施などで大きく制約され後退した伝えの自治をどのようにして復活させるか、暗中模索のいばら道である。

 「うつろひしたくみの花」は、後退してしまった自治。「香を慕ひ色を求めつゝ」は、伝えの自治の復活。「行きなやむ闇夜のおどろ」は、暗中模索の困難。「おどろ」は、やぶ。イバラなどの刺のある草木。
 「手折りてし橄欖の枝 青き葉は落ち 香は失せたれど」(昭和8年「手折りてし」1番)
 「昭和19年8月以降の寮幹事制は、戦時においてなお自治寮の実質を極力残そうとした苦心の対応策であったとはいえ、校長を全寮長とし、総代会を失い、幹事長以下が任命制であったことは、形の上でも自治寮と称し得ぬものとなっていた。
 戦後の混沌たる世相の中に、いちはやく往時の自治寮への復帰がはかられたのも自然の勢いというべきであろう。そして、その実現への努力が具体的に進められたのは、昭和20年11月に発足した第6期幹事の任期中であった。・・・・
 昭和21年11月16日に開いた第1回幹事会で、秋山第6期幹事長は同期幹事の任務として、(1)自治制度の復活、(2)食生活の向上、(3)戦後の整理という基本課題の三つを掲げた。」(「向陵誌」昭和20年度)
定めなき荒れ野の道も 遙かなる空のきはみに 新生の希ひをひそめ 曙の光はあるを  6番歌詞 道なき荒野でも、真理を追究して行けば、遙か彼方の空の涯に 敗戦の痛手を乗り越え新しい向陵、新しい日本が甦る曙の希望の光がきっと射すことであろう。すなわち、真理を追求する一高の伝統精神にのっとれば、いつかは未曾有ともいえる戦後の危機を乗り越え、自治共同の友情溢れる向陵を再び甦らせることが出来る。同時に戦争で荒廃した日本の復興も可能であると説く。

 「第六~八節の終結部では、この荒廃の中にも新生の希望、曙の光は潜んでいることの指摘、そして先輩たちの築いた高く輝かしい伝統に見ならって、この『昏き日の迷ひ』から脱出、現実の嵐を突き抜けて、永久的価値のある向陵伝統の精神を友らと共に探り求めていこうとの希望と決意の表明をもって歌い収めている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
昏き日の迷ひを捨てゝ 仰ぎ見よかの頂きを あかつきの光に染みて 雲破る峰聳えたり 7番歌詞 敗戦後の混沌とした思想の巷に迷うことは止め、富士の頂きを仰ぎ見よ。富士山は、雲を突き抜いて雲の上に顔をだし、日の出の光に赤く輝いて聳えているではないか。

 「昏き日」は敗戦後の思想混沌とした日。「かの頂き」は、富士山の頂き。真理・正義・孤高の精神を象徴する。「あかつきの光」は、希望。「雲」は、行く手の障害。
 「神聖し生命の歌を 夏嶽に絶叫ふ柏葉兒」(昭和19年6月「曙の燃ゆる」結)
現し世の嵐はあれど 望みなる峰は招きつ 我が友よ求めて行かん とこしへの心の息吹を 8番歌詞 敗戦後の大混乱があり、またGHQによる教育制度の大改革が予想されるけれども、真理を啓示する孤高の富士山を仰いで、一高生は不滅の真理を求めていこうではないか。

 「現し世の嵐」に、教育制度の改革を含むとすれば、「とこしへの心の息吹」は、不滅の真理とともに、心の故郷向陵の永遠の存続をも意味する。昭和21年3月20日、6・3・3制の教育制度を提言した米国教育使節団第一次報告書が提出されており、この時既に向陵の運命は風前の灯に立たされていた。
 「朝に仰ぐ芙蓉峰 啓示の姿燦として」(昭和14年「上下茫々」3番)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 私達は寮歌集を繙き、この歌によってまず向陵の健在を知り、さらにその数節によって、向陵生の、戦後の混乱の中に、早くも真理追求と、人間性涵養とを以て、世界に通用する価値であり、その追尋が日本の行くべき途であるとの確固たる見透しと信念とをもったことに深く表敬する。 「一高寮歌私観」から


解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌  昭和本郷の寮歌 昭和駒場の寮歌