旧制第一高等学校寮歌解説

陽は黄梢に

昭和11年第46回紀念祭寄贈歌 千葉醫大

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1、陽は黄梢(こうしょう)に燃えそめて    淡靑の空明くるをり
  意氣甦へる丘の上       理想(のぞみ)に生くる丈夫(ますらを)
  志操の清き(かげ)冴えて      白鷺(はくろ)は高く翔るなれ

5、紺碧(みどり)かヾよふ(にひ)潮路      蒼溟雲ぞ(はろ)かにて
  望郷の念しきりかな      土壤(つち)匂ひたつ柏蔭
  光榮(はえ)の祭と偲びつゝ      自治の船出を(うた)はなむ
*「杳」のルビは昭和50年寮歌集で「はる」と変更。
譜に変更はないMIDI演奏は左右とも同じです。


語句の説明・解釈

一高が本郷から駒場に移転して、最初の年の紀念祭寄贈歌で、かつ千葉醫大から初めての寄贈歌である。一高と千葉醫大は浅からぬ縁がある。すなわち明治34年、各高等学校の醫学部は独立した時、、一高醫学部も千葉醫学専門学校と改組され独立した。大正12年4月、この千葉醫学専門学校が大學に昇格し、千葉醫科大学となった。

語句 箇所 説明・解釈
陽は黄梢(こうしょう)に燃えそめて 淡靑の空明くるをり 意氣甦へる丘の上 理想(のぞみ)に生くる丈夫(ますらを)が 志操の清き(かげ)冴えて 白鷺(はくろ)は高く翔るなれ 1番歌詞 黄色い若芽が出た梢に朝日が色美しく照り始め、薄暗い空が明けてゆく。新向陵・駒場に移って、一高生の意気は甦ったように軒昂で、理想に向って力強く生きようとする固い志は、空高く翔けて行く白鷺の光り輝く姿に似て高くて清い。

「陽は黄梢に燃えそめて 淡靑の空明くるをり」
 「黄梢」は、黄色い芽の出た梢。秋であれば彌生道の黄葉の梢であるが、季節は春と解する。 「淡靑」は薄い緑青の色、従って「淡靑の空」とは夜明け前の薄暗い空をいう。
 「淡靑春に霞して」(大正7年「淡靑春に」1番)

「意氣甦へる丘の上」
 「意氣」は、一高生の意気。駒場に移って、その意気は甦る。「丘」は、向ヶ丘(駒場)。

「理想に生くる丈夫が 志操の清き光冴えて 白鷺は高く翔けるなれ」
 「志操」は、守って変えない志。堅い操。「清き光冴えて」は、一高生の志操が清いことをいう。
「白鷺」は、ダイサギ、チュウサギ、コサギ等、白い鷺の種類をいう。清くて高い一高生の志操に喩える。
 「あらゝぎに登りて仰ぐ 青空に白鷺の舞ひ」(昭和21年「あくがれは」2番)
春逸樂の灯に()ちて 紅塵ふかき巷より 離れて澄める時計䑓(うてな)かげ 自我(おのれ)に覺めし若人が ()むる眞理の様相(さま)みせて 星座は皓く刻むなれ 2番歌詞 一高のシンボル・時計台は、俗塵ただよう紅灯の巷から遠く離れ、澄んだ空に清い姿で聳える。一高生は、時計台を仰ぎ、真理を追究することが自分の使命であると悟った。星は、一高生が求める真理を黙示して、真っ暗な夜空を白く刻むようにして輝いている。

「春逸樂の灯に顯ちて 紅塵ふかき巷より 離れて澄める時計臺かげ」
 「逸楽」は、気ままに楽しみ遊ぶこと。「紅塵は、俗世の汚れ。「灯に顯ちて」は、俗塵が灯に照らされてたくさん、はっきり浮んで見えるさま。「かげ」は、姿。佇まい。

「自我に覺めし若人が 尋むる眞理の様相みせて 星座は皓く刻むなれ」
 「自我に覺めし若人」は、真理を追究するのが自分の使命であると悟った一高生。「皓く刻む」の「皓く」は白く。ちなみに白い星は表面温度の高い星、冬空ならばオリオン座の一等星リゲルが、夏空であれば、こと座の一等星ベガ(織姫)が代表的な星である。
若きはなべて誠實(まこと)なる 情熱(ちしほ)深紅にさす胸の 萌芽ぞ(あだ)()る勿れ 擾亂の風荒ぶとも 生命(いのち)の園に培へば 花冠豊かに開くべし 3番歌詞 若い時は、おしなべて真面目で純粋なため、正義感に燃え、悲憤慷慨することが多い。胸に芽生えた正義の芽は、摘んでしまうことなく大切にするべきである。世は乱れ騒々しくなっているが、思想揺籃の地・向ヶ丘で、人間修養に努め学問に励めば、豊かな人材が育成され、世に出て能力の花が開くことであろう。

「若きはなべて誠實なる 情熱深紅にさす胸の 萌芽ぞ徒に截る勿れ」
 「なべて」は、おしなべて。全般に。「誠實」は、真面目で純粋。「情熱深紅にさす胸の」は、繊細多感で、正義感が強く、悲憤慷慨することが多いことをいうか。「萌芽」は、正義の芽。人生意気に感じる心。
 「人生意氣に感じては たぎる血汐の火と燃えて」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)

「擾亂の風荒ぶとも 生命の園に培へば 花冠豊かに開くべし」
 「擾乱の風荒ぶ」は、学問の自由・思想弾圧、軍国化、英米との対立等の昏迷を深める時勢をいう。具体的には、昭和10年2月28日、貴族院で菊池武夫が美濃部達吉の天皇機関説を攻撃(天皇機関説事件の始まり)、同7月、真崎教育総監が罷免され、所謂統制派と皇道派の対立が激化する中、8月12日、永田鉄山陸軍省軍務局長が、皇道派の相沢三郎中佐に刺殺された。紀念祭直前の昭和11年1月15日には、日本は、ロンドン海軍軍縮会議からの脱退を英米に通告、英米との対立が鮮明となった。
 「生命の園」は、命を育てる学園、思想揺籃の地、心の故郷である向ヶ丘。「花冠」は、花びらの集まった、花の最も綺麗な部分。
 「生命の泉綠の野 露けき丘の故郷に」(大正15年「生命の泉」1番)
 「われらの命の芽生えの地 われらの心のみのれる地」(大正5年「われらの命の」1番)
 「第三節も、屈節した意味のリズムがたのしく次の句を追わせる。小さい自由の思弁の萌芽も、向陵の秀れた伝統の中に大切に培えば、『花弁豊かに開くべし』とうたっているが、正にその如く文化の形而上、形而下の両界にわたり、向陵はこの国最高の人脈を形成した。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
人生(ひとのよ)ぞ惜しむべき (くろ)き汚獨に染まぬ日の 三年尊き追憶(おもひ)かな 混沌の地にさまよへど 傳統(つたへ)の泉汲みわけし 友情永く結ぶらむ 4番歌詞 人生には、名残惜しい思い出があるものだ。世の汚獨に侵されることなく清く過ごすことの出来た向ヶ丘の三年は、貴い経験であり、懐かしくてたまらない。一高生は、今、新向陵は建設途上にあり、迷うことも多いが、豊かな一高の伝統の泉を友と汲みあって築いた友情は、これからも末永く続くことであろう。

「噫人生ぞ惜しむべき」
 「惜しむ」は、去るもの、失われるものを、名残惜しく思う。過ぎ去った向ヶ丘三年を追慕し、若き日に戻れるものなら戻りたいとの気持ちをいう。

「黝き汚獨に染まぬ日の 三年尊き追憶かな」
 「黝き汚獨に染まぬ」は、汚れた世の塵埃に侵されない。「三年」は、向ヶ丘三年。

「混沌の地にさまよへど 傳統の泉汲みわけし 友情永く結ぶらむ」
 「混沌の地にさまよへど」は、3番の「擾乱の風荒ぶ」世の中のことか、移転して間もない自治建設途上の駒場のことか。続く句は、向ヶ丘での友情を述べたものであることから、後者と解す。
紺碧(みどり)かヾよふ(にひ)潮路 蒼溟雲ぞ(はろ)かにて 望郷の念しきりかな 土壤(つち)匂ひたつ柏蔭 光榮(はえ)の祭と偲びつゝ 自治の船出を(うた)はなむ 5番歌詞 自治の大船が行く紺碧に光り輝く新しい海路、すなわち新向陵は、青海原の雲のはるか遠い彼方なので、望郷の念がしきりに募る。まだ建設中で、土の匂いがする新向陵で開催される最初の光栄ある紀念祭を遠く千葉から偲びつつ、新向陵の自治の船出を祝って、寮歌を歌おう。

「紺碧かゞよふ新潮路 滄溟雲ぞ杳かにて」
 「かゞよふ」は、静止したものが、きらきらと光って揺れる。
「新潮路」は、5番最後の句の「自治の船出」の海路、新向陵・駒場の船出の海路をいう。「滄溟」は、青々とした海。青海原。
「望郷の念しきりかな 土壤匂ひたつ柏蔭 光榮の祭と偲びつゝ 自治の船出を唱はなむ」
 「望郷の念」は、故郷・向ヶ丘を想う心。「土壤匂ひたつ」は、建設中で土の香が匂う。「柏蔭」は、旅寝する場所。向ヶ丘。寄宿寮。「自治の船出」は、新向陵の門出。
 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年「新墾の」3番)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
森下達朗東大先輩 この寮歌は、「亞細亞の東」(明治37年)と並んで、色に関する表現がきわめて多いことで知られる。(黄、淡靑、白、紅、皓、深紅、黝、紺碧、滄)全部で9色になるが、「紺」と「碧」を別に数えるならば、10色になる。 「一高寮歌解説書の落穂拾い」から


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