旧制第一高等学校寮歌解説
春や朧の |
昭和11年第46回紀念祭寮歌
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1、春や朧の夕まぐれ 芙蓉 ほつえの梅のさそい香に 丘は變れど變りなき 柏 2、 罪よ僞善よゆるさじと *「凡百」のルビは昭和50年寮歌集で「ぼんびゃく」に変更。「はんびゃく」でも間違いではない。 *「昇宿」は昭和50年寮歌集で「昴宿」に変更。 3、吾が 若きが故に 6、春訪れて四十六 祖国の岸に浪騒ぎ 丘の創業重ければ 今 *「月映」のルビは昭和50年寮歌集で「つくばえ」に変更。 |
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音符下歌詞「ほつえ」(3段1小節)は、「ほずえ」であったのを訂正した。 譜に変更はない。MIDI演奏は左右とも同じである。 前2曲が漢語調で長調であったのに対し、この寮歌は和語調のハ短調で、曲頭に「想ひを込めて」とある。作詞者が、この紀念祭の後、中途退学して向陵を去って行ったのを予期したかのような憂愁に満ちた悲しいメロディーとなっている。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 | ||||||||||||||||||
春や朧の夕まぐれ 芙蓉 |
1番歌詞 | 朧に霞んだ春の夕まぐれ、日本の山野に若草が芽吹き青々としてきた。一高が向ヶ丘から駒場に変っても同じように、春を告げる南枝の梅の花の香に誘われて、柏の木が寮室の窓辺に雫して、今年も紀念祭が巡ってきたことを知らせる。 「春や朧の夕まぐれ 芙蓉山下に草綠み」 「芙蓉」は、富士山。「山下」は、山裾。「芙蓉山下」は、日本の山野。 「ほつえの梅のさそひ香に 丘は變れど變りなき 柏滴す欄干に 又廻り來る宴かな」 「ほつえ」は「秀つ枝・上枝」で、「ホ」は突き出ている意、「ツ」は連体助詞。先のほうの枝。南にさし出した南枝。「さそい香」は、春信の香。春が来たことを知らせる。「丘は變れど變りなき」は、本郷から駒場に移っても変ることなく。「宴」は、紀念祭。「柏」は、一高の武の象徴「柏葉」の柏。「雫す」は、雫の音で、紀念祭の春が巡ってきたことを知らせる。「欄干」は手すり、らんかん。寄宿寮の窓辺のことであろう。 「南枝蕾を破りては 春信來る梅花より」(大正9年「一夜の雨を」2番) |
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2番歌詞 | 俗世間を遠く去り、天高く輝く昴に届けとばかりに聳える駒場の時計台に、旧向陵の自治の燈を移し、寄宿寮の自治の礎を定めた。一高生は、新しく自治の象徴となった時計台を朝に夕に眺めながら、罪や偽善は決して許さないと、誇りを持って新向陵の自治を守っている。 「凡百の世を遠く去り 昇宿に誇る塔に 傳統の法火守り移し 礎置きし自治の城」 「凡百」は、もろもろの意。ここで「凡百の世」とは、塵埃に汚れた俗世間。「昇宿」は 「罪よ偽善よゆるさじと 新城守の誇あり」 「新城」は、新向陵・駒場の南・中・北の三つの寮。明寮が開寮したのは昭和14年9月6日のことである。「新城守」は、新向陵の自治を守る一高生。後鳥羽院の次の和歌を踏まえる。 後鳥羽院 「我こそは新島守よ 沖の海の荒き波風こころして吹け」 |
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吾が |
3番歌詞 | 自分がこんなに嘆き悲しんでいるのを人は知っているだろうか。悩みは、あまりに大きいので、憂いのない悟りの境地に入り、悩みを解消しようとしたが、悟りの境地に入る秘密の鍵が得られない。若さ故に、正義感に燃え真理を追求すればするほど、時勢の矛盾に突き当たり、苦悩は深まるばかりで、憂いは容易に尽きることはない。 「吾が歎息を人知るや 世紀の懊惱饗動せば 無憂樹の常蔭求むれど 秘密の扃解けずして」 「 「無憂樹の常蔭」の「無憂樹」は、むうじゅ。「あそか」は梵語。釈尊の生母摩耶夫人が出産のため生家に帰る途中、藍毘尼園の樹の下で釈尊を生んだ。安産であったため、この樹を無憂樹といい、その花を無憂華という。「常蔭」は、いつも陰になって日の当たらないところ。トはトコの約。「無憂樹の常蔭」とは、悟りの境地の意。「扃」は、入口を閉めた戸や門。また、閉めておくために取り付ける装置、鍵など。 「堅き扉も開かれん 秘鑰は己が心にて」(大正6年「あゝ青春の驕樂は」4番) 「秘鑰をすてゝ合掌の おのれに醒めよ自治の友」(大正9年「春甦る」6番) 「若きが故に真摯なる 憂いは繁に盡き難し」 「繁に」は、しげく。しばしば。「若きが故に真摯なる」は、若い正義感で、真理を追究して行けば行くほど、社会の矛盾に突き当たり、苦悩が深まっていったと思われる。 「一高寮歌の柱の一つたる思想詩の系列に立ち、釈迦の誕生にちなむ無憂樹によせて、思想的安定の世界を求めつつ、それに到達し難き若き悩みを、屈折したリズムでうたっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
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4番歌詞 | 綺麗なバラは、鋭い毒の刺を隠し持っているいうが、ああ、なんと偽りの多い世の中であろうか。そんな世に惑わされることなく、ひとり、清い一高寄宿寮の生活の中で、かけがえのない親友を探し当てることが出来たので、いつもは若々しい一高健児の目に感激の涙がこぼれる。 「貴に匂へど花薔薇 秘むる毒刺の鋭けれ」 「貴に」は、上品に。綺麗に。「匂ふ」は、赤く映える。色美し映える。匂いをいうのでなく、視覚的に美しい意。「薔薇」は、バラ。 「あゝ僞りの汚世にひとり 柏の蔭の逍遥に 生命の友を探ね得て 常若の子に涙あり」 「ひとり」は、汚れた世に向ヶ丘だけが汚れていないの意。「柏の蔭の逍遥」は、向ヶ丘三年。「柏の蔭」は、一高寄宿寮。向ヶ丘。人生の旅の途中に、若い三年間を向ヶ丘に立ち寄り、柏の蔭で旅寝する。「逍遥」は、気分転換などのために散歩することであるが、ここでは向ヶ丘での生活。「生命の友」は、かけがえのない親友。「常若」は、常に若々しい。3番歌詞の「常蔭」にならった表現か。 「第四節も、世は汚濁と偽善に充ちている時、ただ向陵の地に於てのみ、命を傾けて信愛しうる友を得た若き日の感激を歌う。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
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もろきは花と若さにて |
5番歌詞 | 花の命は短くて、若さは過ぎ易いものであるが、自分は、三年の春を待たずに一高を中途で退学しなければならなくなった。奇しき縁で向ヶ丘で固く契った友に、そういって嘆いたら、友は、我が憂いのように悲しみ、励ましてくれた。友の厚い情に胸が詰まり、咽び泣いてしまった。時代の波が、いかに狂って行く手を拒もうとも、自分はこれと戦い、克服して我が道を行くつもりである。 「もろきは花と若さにて 運命の前に喞つとき」 「運命」は、別れの運命。作詞者(昭和9年入学)の中途退学と解す。退学の理由は、具体的には不明であるが、3番歌詞の「世紀の懊悩」のよる「繁に盡き難い憂」の故であろう。 「奇しき丘邊の邂逅に 友の情に噎びては」 「丘邊の邂逅」は、向ヶ丘での出会い。「友」は、4番歌詞の「生命の友」である。 「噎ぶ」は、泣き声で言葉も途絶えがちになる。胸が詰まる。 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番) 「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ」(同上寮歌4番) 「流轉の波は狂へども 我戰はん我勝たん」 「流轉の波」は、激動する時代の波。思想・学問の自由が弾圧され、軍の横暴が目立ち、個人の自由は大きく制約されていった。「我戰はん我勝たん」は、一高を中途退学すれば、厳しい世間の荒波に揉まれることになるが、激動する時勢に流されることなく、我が道を歩んでいくとの叫びであろう。
「第五節終行の『我戦はん我勝たん』はその前行までの柔美な表現に対し、やや唐突な感あるが、之は、重畳たる時艱に対する敗北の予感に対する反撥であろう。」(井上司朗「一高寮歌私観」) |
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春訪れて四十六 祖国の岸に浪騒ぎ 丘の創業重ければ 今 |
6番歌詞 | 今年も向ヶ丘(駒場)に春が廻ってきて、46回目の開寮紀念日を迎えたが、祖国日本は、ワシントン条約に続き、ロンドンの海軍軍縮会議からも脱会を決め、英米との国際的な緊張はさらに高まった。時局が緊迫した状況下では、駒場での自治の建設に困難もあるが、今夜のように月の光が一段ときれいで、夜が明けてしまうのが惜しい夜には、よく熟成した酒の入った酒甕に寄りかかって、昔ながらの月をながめるとよい。一高の栄光の歴史・伝統が偲ばれて、熱い思いがこみ上げ、万感胸に迫るものがあろう。 「春訪れて四十六 祖國の岸に浪騒ぎ」 「祖國の岸に浪騒ぎ」は、英米との対立で、国際的緊張が高まったこと。昭和11年1月、日本がロンドン海軍軍縮会議からの脱退を通告したことを踏まえる。日本は、軍備平等権の原則を主張して英米と対立し、脱会となった。 「丘の創業重ければ 今月映の良夜に」 「丘の創業」は、新向陵の建設。駒場自治の礎を築くこと。「重ければ」は、使命の重さと、建設の困難の両方をいう。 「 「熟びし酒甕に倚れる時 無限の想胸に燃ゆ」 「熟びし酒甕」は、熟成した酒の入った甕。一高の伝統精神を暗喩するか。「無限の想」は、「熟びし酒甕」、すなわち一高の伝統精神に対するものであり、「胸に燃ゆ」と結んだのは、中途退学してゆく自分の、一高に対する切々たる思いを表すものであると解されよう。 「第六節の前半は、時局緊迫裡に、駒場での自治の城の建設の至難さを『丘の創業重ければ』という秀れた表現で示し、その問に『今月映の良夜に熟びし酒甕に倚れる時』と、古語脈を自由に駆使して、個性を出している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |