旧制第一高等学校寮歌解説

紫の叢雲

昭和11年第46回紀念祭寮歌 

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1、紫の叢雲つきて       さし出でぬ天つ日の影
  清らけく朝風渡り       打響く生命の歩み
  神さぶる代々木の森を   仰ぎ見る駒場の丘邊
  國を()る若き男子等     相集ひ(つち)うち振ふ

2、古りにける彌生が丘に   育める深き想を
  忘れじと胸に刻みて     紅の護國の旗を
  相共に仰ぎいだきつ     雄々しくも移り來りぬ
  草深き武藏の野邊の    綠濃き希望(きばう)の丘よ

4、變轉の時の流れに      盛衰の歴史は移り
  幾世紀さかり誇りし      文明の夢の浮城(うきしろ)
  沈み行く夕陽の如く      嚴かに西に(かたぶ)
  (ひんがし)のわたつみの底     (あけ)の鐘響き渡りぬ
譜に変更はない。MIDI演奏は、左右とも同じである。
 MIDIはテンポ100で演奏しているが、このまま歌うと早口で舌を噛みそうである。ほとんど歌われなかった寮歌ではあるが、実際歌う時は、もっともっと遅く歌ったと思う。一度だけ一高先輩と歌ったが、その時はテンポ60位であったと思う。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
紫の叢雲つきて さし出でぬ天つ日の影 清らけく朝風渡り 打響く生命の歩み 神さぶる代々木の森を 仰ぎ見る駒場の丘邊 國を()る若き男子等 相集ひ(つち)うち振ふ 1番歌詞 朝日の光が、紫色の群雲を突き破って射し出した。清々しい朝風が木々の梢をわたって、ざわざわと木々の息吹の音を響かせている神々しい代々木の森を仰ぎ見ながら、駒場の丘に国を守る若き一高生が相集い、新向陵建設の槌を振っている。

「紫の叢雲つきて さし出でぬ天つ日の影」
 「叢雲」は、あつまり群った雲。主に雨降りの前後の雲、月にかかる雲をいうが、ここでは「天つ日」(太陽)にかかる。「つきて」は、突きて。

「清らけく朝風渡り 打響く生命の歩み」
 「打響く生命の歩み」は、梢をわたる風のざわめきを木々の息吹の音に喩える。

「神さぶる代々木の森を 仰ぎ見る駒場の丘邊」
 「神さぶる代々木の森」は、神々(こうごう)しい明治神宮外苑。明治神宮の祭神は明治天皇と昭憲皇太后である。
 「而してこの地や稍々、都心を遠ざかると雖も元之我が農林界の淵源にして、老樹その歴史を誇り、屋上畏くも神宮を拝し、遠く武蔵平野を一眸の裡に収む。當に以て思を練り志を養ひ向陵精神を宣揚し天下に覇を唱するに足りぬべし。」(昭和10年9月14日、佐々木生徒主事「開寮式辭」)

「國を護る若き男子等 相集ひ鎚うち振ふ」
 「若き男子等」は、一高生。「鎚うち振ふ」は、施設建物の建設ではなく、新向陵の建設、本郷から駒場へ自治の傳統を移し、その礎を築くこと。

古りにける彌生が丘に 育める深き想を 忘れじと胸に刻みて 紅の護國の旗を 相共に仰ぎいだきつ 雄々しくも移り來りぬ 草深き武藏の野邊の 綠濃き希望(きばう)の丘よ
2番歌詞 苔むした彌生が岡で長い間培ってきた一高魂を忘れてはいけないと、から紅の護國旗を先頭に、本郷から駒場まで、全員、銃を担いだ武装姿で行進して移ってきた。草深い武蔵野の郊外の、綠り濃い駒場の丘に。

「古りにける彌生が丘に 育める深き想を 忘れじと胸に刻みて」
 一高は明治22年から昭和10年まで、本郷区向ヶ岡彌生町にあった。昭和10年9月14日、本郷から駒場に移転した。「育める深き想」は、明治23年の開寮以来、育んできた一高の伝統。

「紅の護國の旗を 相共に仰ぎいだきつ 雄々しくも移り來りぬ」
 「紅の護國の旗」は、一高の校旗・護國旗。深紅の旗である。「相共に仰ぎいだきつ」は、護國の心、勤倹尚武といった一高の伝統精神、すなわち一高魂を本郷から駒場に移転するために、一高生は全員、護國旗を先頭に、銃を担いで武装行進したことを踏まえる。
 「染むる護國の旗の色 から紅を見ずや君」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)
 「昭和10年9月14日 駒場移転。午前7時20分、嚶鳴堂で「訣別式」。8時30分、護國旗を先頭に森校長はじめ武装した寮生一千、本郷市民に見送られて正門を出発、途中二重橋で皇居遥拝、渋谷、駒場の地元市民の出迎えを受け、11時40分、駒場新校舎正門に到着。午後2時、雨天体操場で開寮式」(「一高自治寮60年史」)
 「向ヶ丘の長い歴史によって培われた深い哲学を胸に刻み、護国旗を抱いて、新向陵に移ったといい」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「草深き武蔵の野邊の 緑濃き希望の丘よ」
 「希望の丘」は、新向陵・駒場。
 「絶域の丘邊に籠り」(昭和11年「若駒の嘶く」想)
 「西武蔵野の翠色に」(昭和10年「薄靄こむる」5番)
 「武藏野の草深き野に 移り來てすでに三年ぞ」(昭和12年「武藏野の」1番)
傳へ來し古き荒鐡(あらがね) 今こそ力振ひて 諸共に鍛へ鍛へつ 顯正の劍となさん 培ひし尊きをしへ 永遠(とこしへ)生命(いのち)目指して 苦みの(うち)に生かしつ 新しき光求めん 3番歌詞 新向陵建設の鎚を振い、旧向陵で長い間培ってきた伝統を鍛えに鍛えて、破邪顕正の劍、すなわち新しい伝統を作っていかなければならない。旧向陵で大切に守り育ててきた自治の教え・四綱領は、駒場においても永遠に存続するように、新向陵建設の苦しみの中にも伝統を生かしながら、新しい自治の指針を模索していこう。

「傳へ來し古き荒鐡 今こそ力振ひて 諸共に鍛へ鍛へつ 顯正の劍となさん」
 「古き荒鐡」は、伝統の精神、すなわち一高魂。「顯正の劍」は、破邪顕正の劍。誤った見解を打破り、正しい見解を打ち出すこと。ここでは新向陵の新しい伝統となるもの。「今こそ力振ひて」は、1番歌詞の「相集ひ鎚うち振ふ」を承ける。
 「『傳へ來し古き荒鐡』は、『荒鐡』は『鐡』の意で、力強い理想、意気をいう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「第一節の『鎚』をうけて、この鎚をもって、伝統たる素鉄を、鍛え鍛えて、破邪の剣となさんと比喩適切」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「舊向陵50年間に涵養し得たる傳統の精神、乃ち一高魂を、この新天地に向って如何に移植しまた如何に之を演練すべき乎は、實に最大關心事に属する。」(昭和10年9月14日森校長「開寮の辞」)
 「諸子は先ず事前に於て、静かに先進者が胎したる業績を追念し其の光輝ある歴史に對し、極めて意義深き創造の頁を附加すべき使命の下に、更に確乎不抜の決心が要望せられて居る事を銘記しなければならない。」(同上の森校長「開寮の辭」)

「培ひし尊きをしへ 永遠の生命目指して 苦しみの中に生かしつ 新しき光求めん」
 「培ひし尊きをしへ」は、四綱領。「新しき光」は、自治を導く新しい指針。
 「惟ふに四綱領の包攝せらるゝ一高建學の大精神は時所を超越して、事ある毎に常に新たなる生命を寄與しつゝある。かるが故にそのまま)、所謂新向陵の開拓者を以て任ずる諸子は、徐に之を味讀して内觀反省を怠らず、善を奬めると同時に惡弊を揚棄矯正するの勇者たらなければならない。」(昭和10年9月14日森校長「開寮の辞」)
 「(昭和11年)5月29日には、全員委員が計画していた四綱領の額の各室への配布が実現した。」(「向陵誌」昭和11年)
 「向陵の尊い精神を、ただ深い苦しみを通して体得し、之に駒場で、新しい光りを当てようといっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」
變轉の時の流れに 盛衰の歴史は移り 幾世紀さかり誇りし 文明の夢の浮城(うきしろ) 沈み行く夕陽の如く 嚴かに西に(かたぶ)き (ひんがし)のわたつみの底 (あけ)の鐘響き渡りぬ 4番歌詞 移り変わる時の流れに、栄枯盛衰の主役が代わって、何世紀のもの間、繁栄を誇った西洋の文明国は没落して夕陽の如く西の海に沈み、代わって、東の海から朝日が曙光眩く昇って、東洋に朝が訪れたのである。

「變轉の時の流れに 盛衰の歴史は移り 幾世紀さかり誇りし 文明の夢の浮城 沈み行く夕陽の如く 嚴かに西に傾き 東のわたつみの底 曉の鐘響き渡りぬ」
 シュペングラーの「西洋の没落」を踏まえる。西洋は没落し、東洋の時代が来ると解釈する。
 ドイツの文化哲学者シュペングラーは、主著「西洋の没落」(第1巻大正7年刊、第2巻大正11年刊)の中で、世界史を八つの独立した高度の文化圏に分け、それぞれが独立した生成・繁栄・没落の過程をたどる。そのうちヨーロッパのキリスト教文化は既に終末を迎えていると断言し、第一次大戦後の西ヨーロッパの危機感を背景に大きな反響を呼んだ。
 「變轉の時の流れ」は、流転の時の流れ。無常をいう。「浮城」は、軍艦の雅称。ここでは砂上の楼閣のように、一見立派だが、長続きしないこと。西洋のキリスト教文化、西洋諸国を喩える。「わたつみの底」は、海の底。「曉の鐘響き渡りぬ」は、西の海(西洋)に沈んだ太陽が、東の海(東洋)から曙光眩く昇る様を喩える。
 「『幾世紀さかり誇りし 文明の浮城』は、西洋文明の軽薄なることをいい、それに対して東洋の勃興を謳歌しようとしている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「榮華は古りし二千年 殿堂それは衰へて 廢墟にむせぶ秋の風 悵恨の歌さながらに 音蕭々と響く哉」(大正12年「榮華はふりし」1番)
 「七つの海を支配して 領土に日落つる時なしと 榮華に驕る老國に 落暉の光今淋し」(昭和16年「北海浪は高うして」2番)

 「第四節に歌われている西欧文明衰退のアイデアは、多分、当時の日本でよく読まれ、言論界でもしばしば取りあげられた、ドイツの思想家シュペングラー著『西洋の没落』に拠る所が多いのではないかと推測される。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
光榮の歴史は古く たぎり立つ血潮は若き 秋津洲大和島根の 國民(くにたみ)使命(つとめ)ぞ重き 湧き起る生命(いのち)調(しらべ) 臆せずに唱へ和しつゝ 渾沌の世界を救ふ 新しき力示さん 5番歌詞 皇紀三千年を誇る日本の歴史は古いけれども、国民の血は若く、東亜の盟主としての重い使命に血潮が滾り立つ。新向陵に湧き起る寮歌の調べに、一高生は堂々と高らかに唱和して、混迷の世界を救う新向陵の新しい伝統を示そう。

「秋津洲大和島根の 國民の使命ぞ重き」
 「秋津洲大和島根」は、秋津洲も大和島根も日本国。「國民の使命ぞ重き」は、東亜の時代を迎えるに当たり、東亜の盟主としての日本国民の使命は重いの意。
 「秋津島根に建國の 理想を繼ぎて文化國 築く力を育てしが」(昭和10年「大海原の」3番)
 「第四、五節においては、今や沈滞に向いつつある西洋文明に代わって、『渾沌の世界を救ふ』使命を荷っているのは『大和島根』のわが国民であるあることを歌い』(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「湧き起る生命の調べ 臆せずに唱へ和し 渾沌の世界を救ふ 新しき力示さん」
 「生命の調べ」は、寮歌。昭和10年10月15日に開催された寮歌祭を踏まえるか。他に、日本の国際問題としては、ロンドン軍縮会議からの脱退(昭和11年1月15日通告)、一高の問題としては、対三高戦乱闘事件(昭和10年8月19日庭球戦)と三高戦廃止決議が考えられる。ここでは、自治の調べ、寮歌とする。新向陵を建設し、国民に新たなる日本の行く手を示すことが、混沌の世界を救う一高生の使命と解する。
 「唱へ和す」は、一人が先ず唱え、他の大勢の者がこれに合わせて唱えること。「渾沌の世界」は、西洋が没落し、東洋の時代を迎えようとしている世界。現実的には、英米との対立が深刻化し、国際緊張が高まった世界。「臆せず」は、思想・学問の自由の弾圧に屈せず堂々と。「新しき力示さん」は、混迷の世界を救う新向陵の新しい伝統。3番歌詞の「顯正の劍」である。
 「寮歌は、我等の心の奥底にひそむ生命の力を、揺り動かせてくれる天籟である」(峰尾都治・竹田 復「昭和30年寮歌集」序)
力あれ丘の若人 眞摯(まこと)なれ光()めつゝ 夢遠き武蔵の野邊に 仰がずや久遠の星斗 使命(つとめ)知る血潮燃ゆるを 抱かずや降魔の劍 いざさらば門出の(うた)に (ことほ)ぎの美酒(うまき)掬まんか 6番歌詞 一高生に力あれ。真理を求めるに真摯たれ。巷を遠く離れた武蔵野の駒場の丘で、真理を求めて北斗の星を仰ごうではないか。渾沌の世界を救う使命感に燃える一高生は、今こそ破邪顕正の剣を振って、世に立つべき時である。向陵よ、いざさらば。互いに、世に出る門出を祝い、寮歌を歌って、紀念祭の酒を酌み交わそう。

「力あれ丘の若人 真摯なれ光求めつゝ」
 「丘の若人」は、一高生。「光」は、北極星の光が黙示する真理。

「夢遠き武蔵の野邊に 仰がずや久遠の星斗」
 「夢遠き」は、快楽、繁華街から遠い、すなわち雑踏を離れ塵のない意と解した。「久遠の星斗」は、真理の星。日周運動によりほとんど位置を変えないので方位・緯度の指針となる北極星。寮歌では正義、眞理を黙示する北斗の星の名で歌われることが多い。

「使命知る血潮燃ゆるを 抱かずや降魔の劍」
 「使命」は、5番歌詞の「渾沌の世界を救ふ 新しき力」を示す使命。「降魔の利剣」 不動明王などが手に持つ、悪魔・魔物を降伏(ごうふく)する鋭い剣。一高生の不正・不義を正さんとする熱い情熱・意気をいう。3番歌詞の「顯正の劍」、5番歌詞の「新しき力」と同じ意であろう。
 
「いざさらば門出の譜に 壽の美酒掬まんか」
 「門出」は、卒業して世間に出ること。「壽の美酒」は、紀念祭を祝い友と酌み交す酒をいう。

 「第六節において、その(渾沌の世界を救う)使命感に燃えるわれわれこそ、真摯に久遠の理想の光を求め、『降魔の劍』、すなわち破邪顕正の力を発揮すべき時であると歌っている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
                        

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