旧制第一高等学校寮歌解説

榛、薫る

昭和17/6年第53回紀念祭寮歌 

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       舞
1、(はしばみ)薫る野の末に       揚羽蝶舞ふ水無月を
  君も舞はずや、生れしは   光を浴びて翔けむため
  君と語らむ、世にあるは    笑まひ樂しく歌ふため

       幻
2、うつろはぬなきうつし世に   夢の(あららぎ)影映えて
  紅き心を白妙の         君が情と競ひなば
  あはれ寂しき此の丘に     (はちす)の園に似るらむか

       曙
3、夏の祭の曙に          星の(うたげ)(あら)けては
  洽ねく熙す()の惠み      享けてまどろむ合歓(ねむ)の蔭
  大いなるかな安らひの      黄金(こがね)溢るる圓かさよ
*「溢るる」は昭和50年寮歌集で「溢るゝ」に変更。
       悼
4、精神(こころ)の國に目覺めあひ     丘の門出の旅すがら
  逝き歸らぬ同窓(はらから)の        十指(とを)にも餘るその數の
  (さち)多かりし追憶(おもひで)を        我は代りて謳ふなり
*「逝き」は昭和50年寮歌集で「逝きて」に変更。
      
挽歌
5、靑き葉の 靑きがまゝに 朽ち果てて
      白き光に     何を夢みる
*「果てて」は昭和50年寮歌集で「果てゝ」に変更。

6、(きづな)より 解き放たれて  我が友は
      今日の祭に    愉しかるらむ
原譜には、5段、6段の各終わりに反復記号があるが、省略している。
 譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じ演奏である。
ニ長調・8分の6拍子、1番から4番は、七・五調・六行の歌詞を素直に3部形式の曲にまとめ、歌詞四行(第4小楽節)の「光を浴びて」以外の七語の小節には、タタタ(3連続の8分音符)を配す。曲想にgraziosoとあるように優美である。しかし、「光を浴びて」だけは、これと異なるゆっくりとしたリズム。これは、同じリズムの繰り返しによる単調さを避ける役割を果すとともに、「光を浴びて翔けむため」がこの歌詞のキーワードであることを示す。挽歌の部の5番、6番は、逆に五・七調の歌詞。テンポを落とし、同じように七語に3連続の8分音符ないし4連符を配すが、「白き光に」は、「光を浴びて」と同じリズムとする。最後の七語「何を夢みる」には、タタタのリズムを配さず、かつ弱起とするため、歌詞は3小節にまたがる。
 速度記号のandante graziosoは、「歩くような速さで、優美に」、adagioは「ゆるやかに」の意味である。従って、最後の5番・6番は「挽歌」の歌詞に相応しくテンポを落として歌う。


語句の説明・解釈

長引く戦争に、一高からの応召者にも犠牲者が目に付くようになった。「応召と戦死」、それが太平洋戦争の勃発とともに、ますます現実的なものとなった。昭和17年2月の「障え散へぬ」でも、「出で征きて鬼となりにし 先人の魂よ安かれ」と一高同胞の戦死者を鎮魂した。この寮歌では、さらに事態が悪化したのを受け、「悼」「挽歌」の節を設ける。「逝きて歸らぬ同窓」の鎮魂と、「靑きがまゝに朽ち果てて」しまう青春の断絶から、ついに「向陵が死んだ」と言わんばかりに、挽歌までを詠う。 かっては「あはれ人生(このよ)強者(つはもの)と 雄々しく叫」(大正6年寮歌「櫻眞白く」3番)んだ同胞が、「青き葉の 青きがまゝに 朽ち果てて 白き光に何を夢みる」と嘆き悲しむ、なんと切ない悲惨な世の中に変わってしまったのか。6月開催の紀念祭に相応しく、「揚羽蝶舞ふ水無月」、「夏の祭の曙」、「合歓の蔭」など、従来の春の紀念祭寮歌にはみられなかった夏の季節感あふれる語句を使い、また優れた情景描写でもって、一見、優雅な表現の詞となっているが、その実、軍への激しいレジスタンスを含む。5・6番の悼・挽歌では、内に抑え抑えてきた眞情が、ついに我慢の限界、外に迸り出てしまったのあろう。 詞・曲共に誠に秀作であるが、寮生にそれほど歌われない。惜しい寮歌である。

語句 箇所 説明・解釈
(はしばみ)薫る野の末に 揚羽蝶舞ふ水無月を 君も舞はずや、生れしは 光を浴びて翔けむため 君と語らむ、世にあるは 笑まひ樂しく歌ふため
1番歌詞
ハシバミの実が香る野の外れに、アゲハチョウが舞う6月、一高で初めて夏の紀念祭が行われた。君がこの世に生を享けたのは、あのアゲハチョウのように太陽の下で、自由にのびのびと舞ったり、飛んだりするため、また君がこの世にあるは、笑い歌い、青春を謳歌するためである。しかし、残念なことに、今は非常時で、そんな普通の事も叶わない世の中となってしまった。

 「榛」は、カバノキ科の落葉低木(高さ約3メートル)。春、開花し、雌雄同株、小花が穂状に付く。雄花は黄褐色、雌花は紅色。果実は、堅果で10月頃に熟す。食用。ヘーゼル・ナッツは、セイヨウハシバミの実。「野の末」は、野のはて。駒場のこと。「揚羽蝶」は、夏の蝶(3月から11月)。「水無月」は、陰暦6月の異称。水を田に注ぎ入れる月の意。寮歌では、陽暦の月を陰暦の月名でいうことが多い。夏の紀念祭ならではの「榛」、「揚羽蝶」が登場した。「光」は、自由。もしくは真理。

 「第一節『舞』は、当時よくも検閲をパスしたと思える程、優雅な表情につつんだ軍へのはげしいレジスタンスだ。即ち1、2句のの秀れた叙景のあとに、『君も舞はずや、生れしは 光を浴びて翔けむため 君と語らむ、世にあるは 笑まひ樂しく歌ふため』と、人生の目的、青春の意義は、全体の中に個を圧殺することではなく、自由なる自己実現にあることを主張している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
うつろはぬなきうつし世に 夢の(あららぎ)影映えて 紅き心を白妙の 君が情と競ひなば あはれ寂しき此の丘も (はちす)の園に似るらむか
2番歌詞
戦争で、なにもかも変わってしまった世の中に、一高のシンボル時計台だけは変ることなく、陽に映えて聳えている。赤い血潮の燃えた我が心と白妙の如き純粋で清い君の心が競い合って向ヶ丘に友情の花を咲かせているので、活気が失せたとはいえ、我が向ヶ丘は、泥池に気高く純白の蓮の花が咲いた清廉潔白な花園に似ているのだなあ。

 「塔」は、一高のシンボル時計台。一高の自治、一高精神を象徴する。「白妙」は、殻の木の皮の繊維で織った布、または白い色のことだが、ここでは枕詞的に「君が情」にかかる。紅き心に対す。「君が情と競ひなば」は、向陵生活の中で友との友情を深めれば。「なば」の「な」は、完了存続の助動詞「ぬ」の未然形。「蓮の園」は、世間の濁りに染まない清廉潔白な花園。蓮は仏教とのかかわりの深い花で寺院の前庭などに植えられる。「蓮の園」には、向陵を人間修養の場として捉える宗教的な意味が感じとれる。大正2年寮歌「ありとも分かぬ」(3番)で、「この世のいのちひと時に こめて三年をたゆみなく淋しく強く生きよとて 今はた丘の僧園に」と詠ったのと同じ趣旨であろう。「似るらむか」の「らむ」は、推量の助動詞(連体形)。「か」は疑問の終助詞であるが、活用語の連体形を承けているので、疑問の意は和らいで詠歎の意となる。
 「『蓮の園に似るらむか』は、濁りに染まぬ清浄高潔な精神の支配している向ヶ丘(=一高)を暗に形容した表現であろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「第二節あたりを見ると、この作者も等しく学徒出陣の前途を控え、一種の無常観に立っている様だ。移りゆくものみなの中に、向陵にだけはまだ残る不動不滅友情をふかく発掘、依拠するならば、『あはれ寂しきこの丘も』即ち近来やや低調化した向陵も『蓮の園に似つらむか』を寧ろ仏教的にたたえている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観})
夏の祭の曙に 星の(うたげ)(あら)けては 洽ねく熙す()の惠み 享けてまどろむ合歓(ねむ)の蔭 大いなるかな安らひの 黄金(こがね)溢るる圓かさよ
3番歌詞
星を仰ぎ夜を徹して行われた夏の紀念祭の宴も夜が明け、散会となった。あまねく照らす陽射しに、つい眠りに誘われて、目覚めたばかりの合歓の木の花蔭にうとうとと微睡んでしまった。光り輝く陽射しを全身に浴びて、戦時下であることさえ忘れ、大いなる安らぎに浸る、なんという心地よさよ。

 「夏の祭」は、紀念祭は、通常、2月1日のところ、この年は半年の繰上げ卒業のあった年なので、特別に6月にも開催された。「星の宴の散けては」は、夜を徹しての野外の宴会も散会したので。篝火を囲んで、夜通し寮歌を歌ったのであろうか。紀念祭当日の6月7日、午後6時から午後9時まで、明寮北側で篝火を囲んで盛大に寮歌祭が行われた。翌日8日には食堂で、午後6時から午前2時まで紀念祭全寮コンパが開かれた。「陽の恵み」は、戦争とは無縁の自由、安らぎを恵む。「合歓」は、マメ科の落葉小高木。葉は細かい羽状複葉。葉は夜閉じて垂れる。6から7月頃、紅色の花を球状に集めて咲く。「黄金」は、太陽の光線。「溢るる」は、昭和50年寮歌集で「溢るゝ」に変更された。
精神(こころ)の國に目覺めあひ 丘の門出の旅すがら 逝き歸らぬ同窓(はらから)の 十指(とを)にも餘るその數の (さち)多かりし追憶(おもひで)を 我は代りて謳ふなり
4番歌詞
思想揺籃の地・向ヶ丘で自我に目覚め、互いに切磋琢磨した修養の途中で、卒業も待たず出征して行って還らない同胞の英霊の数も十指に余るほどとなった。寮歌祭では、幸多かった頃の思い出を思い浮かべながら、亡き友に代わり寮歌を歌うのである。

 「精神の國」は、向陵のこと。思想揺籃の地であり、人格形成の場であった。2番では「蓮の園」といっている。「丘の門出の旅すがら」は、卒業も待たずに途中で。「逝き歸らぬ同窓」は、支那事変以来の一高同窓の戦死者。2月1日の前紀念祭の時で、戦没先輩は21柱を数えた。「逝き」は、昭和50年寮歌集で「逝きて」に変更された

 「向陵という精神の王国で知り合った自分達が、すでに出征戦没した級友、先輩の幾十となったみ魂に向かい、その人達の幸多かりし丘の日の思い出を、その人達に代ってうたおうといっている。大いなる鎮魂である。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「6月6日は紀念祭のイーブである。夕方、校長・生徒主事・寮委員による飾り物の点検があり、ほとんど問題はなかった。先輩も多数来寮して終夜寮歌の高唱が絶えなかった。
翌6月7日は紀念祭の当日である。午前8時10分から多数寮生が参列して式典、ならびに慰霊祭が行われた。慰霊祭に際し、黙祷の間に陵禅会の般若心経読誦があったのは新機軸であった。・・・午後6時から小雨を冒し、明寮北側に篝火を囲んで寮歌祭。三高戦の勝利をも祝して午後9時まで盛大に行われた。翌8日は午後6時から食堂で紀念祭全寮コンパが開かれて午前2時に至った。」(「向陵誌」昭和17年6月紀念祭)
青き葉の 青きがまゝに  朽ち果てて 白き光に  何を夢みる 挽歌
5番歌詞
青き葉は、青いままに実を付けることもなく、朽ち果ててしまった。昼の陽光に照らされて、今何を夢みているのだろうか。すなわち、あたら将来ある青年が戦場の露と消えていった。白木の箱に入って、今、一体どんな夢をみているのであろうか。

 「果てて」は、昭和50年寮歌集で「果てゝ」に変更された。「白き光」は、白昼の日光。白骨、白木の箱に射す光。
 「出て征きて 鬼となりにし 先人の 魂よ安かれ」(昭和17年「障へ散へぬ」3番)
 「『青き葉』は、まだ若い身空での意味の喩えで、まだ将来性に満ちた若々しい時期に、成熟を待たずに戦争の犠牲になって、惜しむべきことに若くして命を失ったことをいい表している。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「この寮歌には万葉の長歌に対する反歌のごとく、二首の挽歌がついているが、それは恰も53年の間続いた一高の自治と自由との終焉に向けられたものの如くである。・・・青きがままに朽ち果てて、とは何という悲痛な青春の断絶であろう。戦時中、かくのごとく、醒めた眼で、日本の行手と、その中に在る向陵を見つめている向陵生の高い知性が、ここにも示されている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
絆より 解き放たれて 我が友は 今日の祭に 愉しかるらむ 挽歌
6番歌詞
戦没した寮友達は、死ぬことによりあらゆる現世の絆から解放されて、靈となって、今日の紀念祭を思う充分に楽しんでいることだろう。

 「絆」は、現世の束縛。兵役。「今日の祭」は、今宵の紀念祭。
 「『絆より解き 放たれて』の中に、時局の圧迫 ー 具体的には軍事教練等ーより解放されて、今日、紀念祭の一日のみは、自由にその青春をたのしめる寮生を祝福している」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「今日の祭りでは、国家とか戦争などという世俗の『きずな』から解き放たれてといっている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
                        

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