旧制第一高等学校寮歌解説
若綠濃き橄欖の |
昭和17/6年第53回紀念祭寮歌
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1、若綠濃き橄欖の 下に三年を憩ひたる その 問はむ駒場に高く立つ (2.3番省略) 1、東亜の 四海あまねく照らす可き 強き文化の樹たずんば 雄圖は空し仇なるを 起て向陵を名に負はヾ 1、今聖戦に一億は 正義の劍抜きもてり 人種の差異に 手をたづさへて共々に 東亞の樂土創らんか *「讓る」は平成16年寮歌集で「護る」に変更。 (6番省略) 1、空に星象色冴えて 柏の露に佇めば 天地静かに 若き心の奥深く さゝやく聲を君よ聞け |
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譜に変更はない。MIDI演奏は左右とも全く同じである。長内 端曲13曲目の寮歌(含む御大典奉祝歌)である。 2拍子で、タータタータの寮歌の伝統的リズムにのせて、七・五調6行の歌詞を、6小楽節に収める(3部形式の歌曲)。軽快である。このうち、歌詞3行目「その追憶の」、および4行目「丘邊の草も」を弱起とする。心憎い技巧である。クライマックスの第三楽節(5・6段)の出だし「問はむ駒場に高く立つ」は、他の段のリズムを変更し、特異性を発揮、これまた効果的である。しかし、長内 端の作曲寮歌としては、あまり歌われなかった。 |
語句の説明・解釈
昭和17年6月の寄贈歌とだけあって、寄贈元の大学名がない。作詞者は昭和17年3月一高理乙卒、同年東大医学部入学であるので、東大寄贈歌であると思われる。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
若綠濃き橄欖の 下に三年を憩ひたる その |
1番歌詞 | いつも若々しい緑の橄欖の下で、三年を過ごす年限の素晴らしく大切なことは、向ヶ丘の草木も知っているかどうか、駒場に高く聳える一高のシンボル時計台に、夜、そっと聞いてみよう。 高校の修業年限が6ヶ月短縮され、本来ならば昭和18年3月卒業予定者が、17年9月に、繰上げ卒業することになったことを踏まえる。この修行年限の短縮に伴い、6月7日に今年2回目の第53回紀念祭が催された。「橄欖」は、一高の文の象徴。「丘邊の草」は、向ヶ丘の草。一高生を喩える。「時計台」は、一高の象徴で、一高精神を具現するもの。「夜半の聲」は、時計台のほんとうの声を夜半にそっと聞いてみようの意であろう。高校三年は絶対に必要であるとの声を期待している。 晩翠 『懐郷』/東海遊子吟』 「その趣のいみじさは つめたき路の石も知る」「問はむみどりの苔つゝむ 古墳の夜半の声いかに」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) |
今宵自治 |
2番歌詞 | 今宵は寄宿寮の自治を祝う紀念祭だ。しかし、3年の修業年限が短縮されたために、今年は、2回目の紀念祭である。半年も早く心の故郷を、向ヶ丘を去らねばならない三年生の心中は、一体、如何なものであろうか、推察するに忍びない。時間の経つのも忘れ、深夜遅くまで語り合った友と、向ヶ丘を出て、これから行く人生の旅路は、果てしなく遠いものである。 「再び出づる」は、今年2回目の卒業生。「夜半にふけゆく鐘の音をともにかぞへし」は、ついつい話がはずんで夜更けまでの意であろう。「鐘の音」は、時の鐘。ちなみに講談によく出てくる丑三つ時は、今の午前2時から2時半の鐘で、丑の辰刻(午前0時から2時半)の三つ目の鐘である。時計が普及した昭和の時代に深夜の時の鐘の必要はなく、実際に撞かれることはなかった。「旅路は遠し何萬里」は、召集され何萬里も離れた戦地に赴くことあるべしの意をこめる。 晩翠『懐郷』/東海遊子吟』 「夜半に更け行くソルボヌの 鐘数へしもいくたびか」「潮路は遠し一万里」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) |
行手の旅路いや遠く 寶庫の扉重くとも 血潮の文字のけざやかに 汝を待ち待つと示せるを いざ出で征かん吾が寮友よ 駒も勇みていなゝけり | 3番歌詞 | 行く手の旅路がどんなに遠いものであっても、また真理の入った宝の倉の扉がどんなに重く苦労しようとも、真理を求める血潮がはっきりと「汝を待ち待つ」と真理探究の旅路に一高生を駆り立てる。用意万端、お伴の駒も勇んで嘶いている。友よ、いざ眞理の旅に打って出よう。 「寶庫の扉重く」とは、行く手の困難障害をいう。「駒も勇みていななく」は、準備万端、旅立ちを促している。 「文字のけざやかに 汝を待ち待つと」の出典は不明。大正12年「榮華は古りし」2番の歌詞に「石の扉は重けれど 炎の文字のいと紅く 『勇士を待つ』と書きけるを」とあるを参照にしたか。大正11年10月、一高生を相手に英雄伝説を熱く語り感動を与えた一高先輩鶴見祐輔が、昭和16年11月に再び「太平洋時代と日本民族の使命」と題し、一高で講演した。今回もこの英雄伝説の影響が大きかったと思料する。ちなみに、同じような歌詞「覺めよ世界は人を俟つ」のある昭和10年寮歌「大海原の」の前年秋にも、鶴見祐輔とともに英雄伝説の著書で有名な澤田謙の講演が昭和9年9月に一高で開催され、多くの一高生に感動を与えている。具体的には、モーゼの十戒を納めた聖櫃、ナポレオンがエジプト遠征の際に発見し、シャンポリオンが解読した「ロゼッタ石」等が考えられるが、森下達朗東大先輩が、最近、聖杯探究物語を踏まえたものであるとの説を示されている。 「昭和16年の秋、日米関係の緊迫する中で、11月には先輩鶴見祐輔氏を招き『太平洋時代と日本民族の使命』と題する講演会を催した。」(「向陵誌」弁論部昭和16年度) |
東亞の |
4番歌詞 | 東亞の運命を担い、日本民族を導く一高生よ。世界をあまねく教化する強い文徳がなければ、大東亜共栄圏の建設は絵に描いた餅に終わって実現は出来ない。向陵を名に負う一高生よ、一高魂を発揮して起て。 具体的な講演内容は不明であるが、4番歌詞も前述した鶴見祐輔の「太平洋時代と日本民族の使命」の影響が強いのではと思料する。「文化」とは、占領地の民を教化する文徳。一高精神がそれだというか。「雄圖」は、雄大な計画。大東亜共栄圏の建設のこと。 「いみじくも露にうつれる 新星の相よかくて」(昭和17年6月「運るもの」11番) 晩翠『金華山より太平洋を望みて/曙光』 「来る東亜の運命を双の肩の上荷ふもの」「四海あまねく照らすべき偉大の想と芸術と科学となくば邦国の光栄遂に何の意ぞ」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) |
今聖戦に一億は 正義の劍抜きもてり 人種の差異に |
5番歌詞 | 今、アジアの民を解放する聖戦に、一億の国民は正義の血に燃えている。人種は違っても同じアジアの民であるのだから、日本民族は、「世界中は一家のように仲良くしよう」という八紘一宇の人類愛で抱擁し、アジアの民族と手を携え、東亜の自由と繁栄を目指す大東亜共栄圏の建設に励もう。 「聖戦」は、アジアの民を欧米列強の支配から解放する大東亜戦争。「人種の差異」は、開戦当初、占領した南方諸国には様々な人種がいた。フィリッピン人、インドネシア人、マレー人等。植民地には、朝鮮人、台湾人もいた。「一宇の愛」は、一つ屋根の愛。世界は一家、人類みな兄弟の意。八紘一宇をいう。「東亞の樂土」は、大東亜共栄圏。なお、「一宇の愛を譲る可き」は、平成16年寮歌集で、「一宇の愛を護る可き」と変更されたが、「護」は誤植か。「讓る」は、大和民族の屋根をそっくり他の人種にも提供すること。この点に関し、森下東大先輩から次のコメントをいただいた。 「『譲』も『護る』のどちらも誤植であり、原詩の「壊(やぶ)る」が正しい。『人種の差異に同胞は一宇の愛を……可き』の部分の歌詞の解釈は貴兄の解説のとおりでよいと思いますが、ここでの『べき』は反語と解して、『人種の差異によって一宇の愛をやぶってもよいものか、いやそうではない』という文脈になると考えられることから、「譲る」や「護る」では貴兄のような解釈にはならないでしょう。やはり原詩の「壊(やぶ)る」が「譲る」や「護る」に誤植されたと考えたい。」 晩翠『登高賦』/暁鐘 「人種に差異の同胞の一宇の愛を壊るべき」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 日本書紀 「兼二六合一以開レ都、掩二八紘一而為レ宇」 「人種の差異があっても、世界を一つのものとして愛を護るべきだ。当時の『八紘一宇』のことも考えにあったのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
あゝ向陵の若人よ 光と愛と誠もて 永く此の世を照らしめよ 東亞新に興る音の 過去を淋しむ曲ならず 光榮の響とかはるまで | 6番歌詞 | あゝ一高生よ。自治の光と愛と誠を以て、永くこの世を照らして民を導いてくれ。大東亜共栄圏が建設され、アジアの民が単に欧米列強から解放されたというに止まらず、アジアの民に真に自由と繁栄がもたらされるまで、照らし続けてくれ。 「光」は、自治の光。あるいは真理。「東亜新に興る音」は、大東亜共栄圏の建設。「過去を淋しむ曲」は、過去を淋しがらせる調べ、すなわち、植民地の苦しみからの解放。「淋しむ」(連体形)は、淋しがらせる。淋しい思いをさせる。「光榮の響」は、東亜の真の自由と繁栄。 「自治の光は常闇の 國をも照す北斗星」(明治34年「春爛漫の」6番) 晩翠『登高賦』/暁鐘』 「光と愛と詩とをして 永く此世を掩はしめよ」 「世紀新に替る後 秋風愁の曲ならず」 「あらしの声も天上の 無窮の楽とひゞくまで」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 「東亜新秩序の基本精神を第二行の『光と愛と誠』に置き、リズム高く、その理想貫徹をうたっている。」(井上司朗「一高寮歌私観」) |
空に星象色冴えて 柏の露に佇めば 天地静かに |
7番歌詞 | 夜空に星の光が冴えて、柏の葉に結んだ露が星影を宿し光っている。戦死した一高同胞の英霊が星となって心の故郷に帰ってきたのだ。夜の 「浄靈」は、一高同胞の英霊。戦死者。「聖戦」の殉教者。「無紘の響」は、弦のない楽器の響。戦死した一高同胞のもの言わぬ声。星の瞬きが黙示する。 「終節は、この歌詞の」精髄であって・・・戦雲は世界をこめているが、寮の夜半、ひとり、燦然と神秘に輝く星座を仰ぐとき、その奥から、遙かに大いなる聖霊のはてしなき響が身に迫ると、敬虔な宗教的透観を自他に呼びかけている。その緊張した声調は、昭和12年『春尚浅き武蔵野の』の第五節、昭和14年『上下茫々数千載』の第四節と、共に寮の夜半より宇宙の奥のものに通う崇き心をうたっている三絶とも称すべきであろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「絃がなければ実際の音は立たない。したがって『無絃の響』とは耳には聞こえて来ないが、遠いかなたから心の奥底に聞こえてくる音なき響きをいう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |