旧制第一高等学校寮歌解説

運るもの

昭和17/6年第53回紀念祭寮歌 

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 1、(めぐ)るもの星とは呼びて    罌粟(けし)のごと砂子(すなご)の如く
   人の住む星は(まろ)びつ

 2、運命(さだめ)ある星の轉べば    靑き月赤き大星(おぼし)
   人の子の血潮浴びけん
*「青き月」は昭和50年寮歌集で「青き星」と変更されたが、平成16年寮歌集で、元の「青き月」に戻された。

 3、紫に血潮流れて       ふたすぢの劔と劔
   運命とはかくもいたまし 

12、(ほこり)かに運命を秘めて    星轉び民等謳はん
   天地(あめつち)(あけ)に映ゆると
イ短調、4分の7拍子は不変。混合拍子は一高寮歌では珍しい。

譜は平成16年寮歌集で次のように変更があった。
1、「めぐるもの」(1段1小節)           ミーミーーファーファミーー
2、「ほしとは」(1段2小節)             ラーシドーレー
3、「ほし」(2段3小節・3段2小節)        シーラ
 
 歌詞五・七調3行を最後の行を繰り返し4行として、各語(五語・七語)に1小節をきちんとあて、計8小節、一部形式の歌曲とする(元々は4分の3拍子で、16小節二部形式の歌曲であった。これを4分の7拍子の混合拍子に改め、現行譜にした経緯については、作曲者本人による説明を末尾に掲載しているので、ご参照ください)。
短い曲ながら、音程は起伏に富んでいる。しかし、音程は1オクターブを超えることはなく、素人でも歌い易く工夫されている。
 イ短調は、数ある調の中でも、澄み切った混じりけのない、素朴な悲しみを表現するといわれている。歌詞とよく合っている。
 平成16年寮歌集で、変更された歌い方は、確かに戦後の一高生は、このように歌うが、作曲の大山大先輩から、「元の譜で歌って下さい」と強く指導されている。作曲者として、違和感を感じるのは当然であろう。
戦争中、自らの死を予測したかのような悲傷のこの寮歌は、広く万人の胸を打ち今も寮生に歌い継がれている。


語句の説明・解釈

昭和16年10月16日、大學・高校などの修業年限を6ヶ月短縮することが決定され、昭和18年3月卒業予定者は、17年9月卒業に繰上げられた。これに伴い、昭和17年は年2回の紀念祭となり、第53回紀念祭は、同年年6月7日に開催された。
 
 この寮歌の作詞者は清水健二郎。昭和18年東大仏文科1年の時に兵役志願、海軍少尉として横須賀軍港に繋留中の戦艦長門に乗艦中、昭和20年7月18日、敵機爆撃により壮烈な最期を遂げた。戦死という自らの運命を予測したかのような寮歌「運るもの」は、地球を他の天体と同じ星の一つとして宇宙的に捉える。先ず、その星で、人類誕生以来、対立抗争を繰り返し、血を流し合ってきた歴史を運命として理解し、その悲惨を歎く。次に、勃発した大東亜戦争に話題を移す。万葉の古歌を引用し、また占領地南方の美しい景色を巧みに描写しながら、この戦争の正義とアジア各国の欧米植民地からの解放、さらに東亜の新秩序の形成に、一高の伝統精神を活かせば、輝かしい日本の将来が約束されると詠う。作詞者の「あきらめの愛国心」が随所に朧化した形で表出し、軍に対するレジスタンスの真意を垣間見ることができる。この寮歌は、生命をも脅かされた戦時下の厳しい時代、戦争には内心反対しながらも、苦しみの末、運命としてこれを受容し、国民の義務として兵役に就き、壮烈な最期を遂げた良心的学徒・清水健二郎の、偽らざる内心の精一杯の吐露であった。作曲大山哲雄の名曲を得て、寮歌「運るもの」は多くの寮生の共感を呼び、戦中戦後の一高で最も愛唱された寮歌の一つとなった。

 私が、この寮歌と作詞の清水健二郎の名を初めて知ったのは、フランス語の担任松下和則先生からである。サン=テグジュペリの「星の王子様」を使った講義の冒頭、先生は「私の一高の後輩に、『運るもの』というたいへん美しい詩を書いた清水健二郎という寮生がいた」と寮歌の紹介から、授業に入った。この寮歌を歌うとき、今は亡き先生のお姿が目に浮ぶ。先生は、東大の仏文では、地震研究所助手を退官しての学士入学の為、逆に清水健二郎の一年遅れの後輩であった。
 
 全曲12番を通して歌うのを好む寮生も多いが、寮歌祭など時間的制約のある場合は、1・2・3・12番を歌う。歌詞は平易で、一種のしりとり歌となっているので、全曲12番と長いが、暗誦するのも、さほど困難ではない。      

語句 箇所 説明・解釈
(めぐ)るもの星とは呼びて 罌粟(けし)のごと砂子(すなご)の如く 人の住む星は轉びつ 1番歌詞 宇宙を支配する大きな力により定めらえた運命により宇宙空間を運行するものを星と呼ぶ。人の住む地球も星の一つで、無限の大きさの宇宙からみれば、罌粟の粒のように、また砂子のように非常に小さいものである。地球は、太陽の周囲を自転公転しながら悠久の歴史を刻んでいく。

 「罌粟」は、けし。けしの種子が小さいことから、転じて、微小なことに喩える。砂子も同じ。「轉ぶ」は自転・公転すること。

 「われわれの住む地球を、毎日自転しつつ遠く太陽の軌道をめぐっている遊星の一つとうたい出しているが、作者の胸奥には、その太陽系の遙か奥から、万象を摂理している大いなる存在に対する意識があったことが、親友岡本哲治氏(学習院大学教授)から私に頂いた長文の御返書(無限の友情こもる)により察知せられる。それは、その大きな存在によっては、いかなる権力も、その価値を限定的に認められているにすぎないが、吾々は生身で、その超越的存在を認識することが出来ないから、具体的に国というものを、その存在のモデルと見る外はなく、従って、現象的には、決定的に国を愛する外はないという考え方であって、この点、清水氏とその理解者岡本氏とは、不思議な位に一致していたと思われる。更に岡本氏によれば、清水氏は、その具象的表現に於て、極めて確固とした愛国心を持っていたという。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「冒頭第一節~三節において、作者は地球を他の天体と同じ星の一つと見なす。いわば宇宙的なパースペクティヴのもとに、罌粟粒のごとき地球上では、遙かに遠い昔から絶えず人類が対立抗争を繰り返し、『劔と劔』とを持って戦い合い、血を流し合って来たと回顧し、その人類の歴史を普遍的、人道的観点から通観して、『運命とはかくもいたまし』と単刀直入に痛み悲しんでいる。ここには明らかに、ヒューマニズムから来る反戦的思索と感情が、作者の精神を突き動かしているさまが看て取れる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「まず地球という本来はおおらかに平和であるべきものが、表層の部分で波の中の罌粟粒か砂のようにゆれ動き、国同士が武器をもって闘い傷つけ合う出来事が起こっている。そんなおぞましくもいたましいことをだれが望むものか、と理想と現実の大きな隔たりを痛恨こめて慨嘆している。」(稲垣眞美「旧制一高の非戦の歌・反戦譜」)
運命(さだめ)ある星の轉べば 青き月赤き大星も 人の子の血潮浴びけん 2番歌詞 地球上の人類には、なんと戦争という悲惨な運命が組み込まれているというのか。その長い地球の歴史の中で、赤い大星の地球上で、人は血を流し合って争い、戦争を繰り返してきた。地球を回る青い星の月は、地球上で繰り返す凄惨な戦いを古からずっと見てきた。

 「星の轉べば」は、自転公転して時を刻めば。長い歴史の中には。「青き月赤き大星」の「赤き大星」は地球というのが通説。「凄惨な戦いを繰り返す地球を月は古よりずっと見てきた」と解す。「赤き星」は火星とみてもいい。その場合は、地球上の争いを、天空遙か彼方から月と火星が見てきたとなる。この方が自然かもしれない。昭和50年寮歌集では、「青き月」が「青き星」の誤植との立場からか、「青き星赤き大星」と改めた。(平成16年寮歌集で、もとの「青き月」に戻した)。この場合は、月や地球・火星に限らず、夜空に輝く赤や青の、また大小の星々一般をいう。青い星は月、シリウス(おおいぬ座、和名「あおぼし」)、赤い星は火星、アルデバラン(おうし座)、ベテルギウス(オリオン座)、アンタレス(さそり座)等と夜空を眺めながら想像するも面白いかもしれない。具体的に、「青き星」はアメリカ、「赤き星」をソ連と解釈し、一部には戦後の米ソの冷戦まで作者は見通していたと実しやかにいう者もいるが、論外。 
「人の子の血潮浴びけん」は、戦争のこと。人が人を殺しあう戦争も宇宙を支配する大きな力の意思であって、宿命というか。

 「大きな意志により宿命づけられた地球の運行の過程に、『青き月赤き大星』までも、戦禍によって血をあびたろうとする。この『青き月』が、『青き星』の誤植となす説が根強く存在している。月とする説では、月を地球の腥惨な争いを俯瞰する点景とみるが、星とする説は、一つは青き星、赤き星と星々の種々相をいったものとし、その二は、青き星をアメリカ、『赤き星』をソ連邦と見て、共に、その成立までの幾多の流血を、作者は嘆いていると説く。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「”青き月赤き大星も”の詩句は、これは”青き星赤き星”が原詩だったかとする説が当時の寮生の間にあり、一部に”青き星”となって載っている寮歌集もある。青き星をアメリカと見、赤き大星を旧ソ連邦と見ると、人の子の血汐浴びけんの”人の子”は日本のわれわれのこと。血を流すのは日本人となる。”青き星”でなく、”青き月”とすると、地上の争いを観照する月の立場が現れて、”人の子”も日本のわれわればかりでなく、広く人類の死傷を歌うことになり、この場合は非戦・厭戦の秘められた意味はかえって強まるかも知れない。」(稲垣眞美「旧制一高の非戦の歌・反戦譜」)
紫に血潮流れて ふたすぢの劔と劔 運命とはかくもいたまし 3番歌詞 今、この星では、日独伊枢軸側と米英を中心とした連合国側の二つの陣営に分かれて、貴重な血を流し合っている。人類の運命とは、かくも痛ましいものであるというのか。

 「ふたすぢの劔と劔」は、日独伊枢軸側と米英を中心とする連合国側の間の戦争。「自由と共産」あるいは「米ソの対立」説もあるが、それは戦後になってからの後付けの解釈である。

 「『ふたすぢの剣と剣』とは、別に自由、共産という思想的対立と採らなくても、世の中の利害相反するものの対立の常なることを指すと見てよいだろう。それを『はるかなるもの』の存在を認識し得ぬ人類の宿命と見ているところに、作詞者の宗教的直観の如きものを感ずる。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「”ふたすぢの劔と劔”の表現も本来の清水のものではなかった。原作の資料が失われており、作者の清水自身が戦没の運命を辿ったので、いまとなっては調べる由もない。ただ、”運命とはかくもいたまし”とあるからには、本来劔を交えるべきでない、ともに戦うべきでないもの同志の間で戦闘が行われて、おぞましい運命に落ちることになるという意味を強調する字句だったことが推察される。清水が”ふたすぢの劔と劔”の表現を不満としたという旧友(文科端艇部の友人で当時文科乙類三年に在学した香川保一、のち最高裁判事)の証言がある。」(稲垣眞美「旧制一高の非戦の歌・反戦譜」)
いたましき運命はあれど この星の正義(まこと)呼ばはん ()の民ら(みこと)かしこみ 4番歌詞 戦争は、痛ましいものではあるが、大君の赤子である我々は、畏れ多くも大君のご命令を謹んで承け賜って、、国を挙げて、この戦争に勝利しなければならない。日本にはアジアの民を解放して大東亜共栄圏を建設するという大義名分がある。正義は我にあるのだ。

 「この星の正義」は、大東亜共栄圏の建設。「陽の民」は、日本人。

 「第四節に於ては、作詞者のふかい思弁に基く愛国心の表現で、『この星の正義呼ばはん 陽の民ら命かしこみ』と、地球上に正義を取り戻そう、国民が、大み言を奉戴して、といい、それに対してこの節の冒頭に『いたましき運命はあれど』と、日本の正義の確立、理想貫徹が、流血の惨を伴うことを嘆いている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「第四から六節では一転して立脚点は普遍的人類的なそれから、特殊な日本の国民的なそれへと転換され、『万葉集』(20・4414)『大君の命畏み 愛しけ眞子の手離り島傳ひ行く』(助丁秩父郡大伴部少(小)歳作)を引き合いに出しつつ、今や『この星の正義』の名において始められた戦争下、個人的感情はどうあれ、国民としては大君(=国家)の命ずるところに背くことはできぬという諦念を強いられていることを表白している。」(一高同窓会「一高寮解説書」)
「大君の命かしこみ (うつく)しけ眞子の手(さか)り 島傳ひゆく」とうたはん 5番歌詞 「大君のご命令を謹んで承って、(いと)しい妻子を遠く武蔵の国秩父に残して、防人の任について島々を渡っていくことだ」と昔、防人が詠ったという万葉の歌を歌って任務につこう。

 「愛しけ」は、いとしい。かわいく思う。「眞子」は、妻や子供を親しんで言う語。マは接頭語。南方作戦に従軍する兵士を壱岐・対馬・筑紫の防備に徴用された昔の防人に重ねる。
 万葉4414大伴部小歳 「大君の命畏み 愛しけ眞子の手離り島伝ひ行く」

 「そのいたましい運命に、この国の民たちは、正義の名のもとに”大君の命かしこみ”---天皇の命令という、そむくことのできない令状によって()でたつことを強制され、若き子らも南の戦場に駆り立てられる。空を仰げば南十字星が美しく招き、椰子の葉末は爽やかに風にそよいでいるのに・・・と。」(稲垣眞美「旧制一高の非戦の歌・反戦譜」)
島傳ひゆくとうたひし 遠つ(おや)いづちますらん みんなみの耀(かがよ)ふ空や 6番歌詞 「島傳ひゆく」と詠った防人の魂は、今、故郷の秩父に安らかに眠っているのだろうか。それとも南方の空に美しく輝く星となって、故国日本を遠く離れ、南の島で兵役に就く兵士の安全を見守ってくれているのだろうか。

 「遠つ祖」は、先祖。ツは連体助詞。「みんなみの耀ふ空」は、日本軍が占領した南方の南十字星耀く空。マレー・フィリピン・ジャワ・スマトラ・ビルマ等。
 「第六~八節においては、これまで英・米・蘭諸国の統治下にあった南方(フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシア等)に日本軍が侵攻して敵軍を屈服せしめた現実を踏まえつつ、その血なまぐさい現実を『みんなみの耀ふ空』 『十字星』 『島めぐる椰子の葉』等の美しい爽やかな自然のイメージによって詩化し、朧化した」(一高同窓会「一高寮歌私観」)
 「”遠つ祖いずち(そのまま)ますらん”とあるのは、清水健二郎の出身地が瀬戸内に面した香川県観音寺で、その祖先は塩飽水軍につながると見る故郷の級友がいる。そうであるなら”遠つ祖”でいいのであるが、もし天皇、皇室の先祖を意味するのであれば、この場合”遠み祖”でなければならない、という五味智英先生の指摘があった。」(稲垣眞美「旧制一高の非戦の歌・反戦譜」)
みんなみの空十字星 (まみ)あげて民ら仰げば 島めぐる椰子の葉青し 7番歌詞 南の島の満天に輝く星々の中でも、ひときわ目立って美しい南十字星。この星の下、波間にはるか続く島々の白い浜辺には椰子の木の青い葉が海風にそよぐ。

 暮れ行く夜空に輝く星、黒いシルエットとなって海に浮かぶ島影、白砂の続く残照の海辺に青い葉の椰子の木と、それら情景が目の前に浮ぶように色彩豊かに描く。
椰子の實の枝を(さか)りて 漂ひし時の流れよ 岸に今我ら立ちたり 8番歌詞 椰子の實が一つ、海辺に流れ着いた。この椰子の實は、何処の島から流れてきたのだろうか、、また枝を離れてからどのくらい海に漂っていたのであろうか。我ら兵士もまた、椰子の實と同じように、今、故国日本を遠く離れ、この南の島に立っているのだ。

 流れ着いた椰子の實に、南方戦線に従事する我が身を重ねる。哀愁を感じる。「椰子の實」は、藤村の詩を踏まえる。

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の實一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて
(なれ)はそも波に幾月
(もと)の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寢の旅ぞ
實をとりて胸にあつれば
(あらた)なり流離の(うれひ)
海の日の沈むを見れば
(たぎ)り落つ異郷の涙
思ひやる八重の汐々(しほじほ)
いづれの日にか國に歸らむ
うち寄する波にくだけし (ふる)きもの光なきもの (まこと)知る(あけ)來にけるを 9番歌詞 恣にアジアの民を虐げてきた欧米の旧宗主国は、今、日本の南方作戦により打ち負かされ、その権威と力は、地に落ちた。アジアは、真の自由と繁栄を約束する大東亜の夜明けを今、迎えたのだ。

 「陳きもの光なきもの」は、アジアを支配していた欧米列強。英国ー印度。米国ーフィリピン。蘭ー蘭印。仏ー仏印。「苟知る曉」は、欧米宗主国から解放され、自由と繁栄を約束された夜明け。「苟」は、正義。アジアの自由と繁栄。

昭和17年1月 2日 マニラ占領。
2月15日 シンガポールの英軍降伏。
3月 1日 ジャワ島上陸、8日、ラングーン占領 9日ジャワのオランダ軍降伏。
5月 1日 ビルマのマンダレー占領(南進作戦一段落)。
5月 7日 マニラのコレヒドール島の米軍降伏。

 「第九節ではこれまで植民地を支配していた『陳きもの光なきもの』に代わって『苟知る曉』、すなわち真の正義に立脚した新時代(『曉』)が到来すべきことを示し」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)       
(あらた)なる民のしるべと 雄々しくも岡にのぼれば 柏葉に露ぞしづくす 10番歌詞 日本が占領した南方の地に相応しい新しい統治方針に何がいいのかと考えながら、けなげにも向ヶ丘に来れば、一高の象徴柏葉に露が雫しているのに気が付いた。

 「親」は、新しい。親身、親心などの意をこめる。「しるべ」は、南方占領地の民の指針、統治方針。軍政が敷かれた。「岡」は、向ヶ丘。「柏葉」は、一高の武の象徴。「柏葉」の読みについて、作曲者の大山哲雄大先輩にお尋ねしたところ、次の回答を頂きました。「昭和17年当時は(またそれ以前でも)『柏葉』と書けば誰でも『はくよう』と読んでいました。もち論清水氏も『はくよう』と読んでいた筈で『振り仮名を付ける必要がない』と思われたに違いありません。」
いみじくも露にうつれる 新星(にひぼし)(すがた)よかくて 人の世の運命を秘めぬ 11番歌詞 柏葉の露に映ったこの星の新しい姿は、人の世の輝かしい未来を築くに、まことに理想的なものである。

 一高の伝統、すなわち自治の精神を占領地の統治の方針とすれば、輝かしい未来を約束した世界秩序の姿が見えてくるという。「新星の相」は、大東亜共栄圏成立後の日本が主導する新しい世界秩序。「人の世の運命」は、世界の、人類の未来。

 「十一節は、象徴的で、葉末の露にうつる新星の相、即ち日本の相は、人間の世の逃れがたい運命が宿っていると、暗い人為のいかんともしがたい---軍民の努力も、時運に抗しがたい---宿命をうたっている。岡本氏(前記)の道破したごとき清水氏の『あきらめの愛国心』の底にひそむ軍に対するそこはかとなきレジスタンスが、高貴な形で、ここに結晶しているとみるべきであろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
(ほこり)かに運命を秘めて 星轉び民等謳はん 天地(あめつち)(あけ)に映ゆると 12番歌詞 輝かしい栄光の未来に向かって、地球は時を刻んでいく。地球の上では、新しい世界秩序に歓喜した人々が喜びの歌を歌う。
 
 「朱」は、輝かしい栄光の未来を意味する。太平洋戦争初期の日本の大勝を踏まえて、大東亜共栄圏の栄光を讃える。あるいは、新しい世界秩序の下での人類の輝かしい未来を謳歌する。

 「終節に於て、緒戦の勝利に酔った国民に対し、矜らしき運命を負って地球はめぐり、そこに日本の正義は樹立され、その民らは皆、今、天地は、自分達の大いなる栄光を約束するように真紅の暁紅に燃えている、とうたっているが、ニヒルの批判がひそんでいる。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「結末の十から十二節では、その新秩序の指導精神が、『柏葉』すなわちわが一高精神につながると言わんばかりの想念を提示、そこに生まれるはずの『新星の相』=『新しい日本の姿』にこそ、『朱に映ゆる』輝かしい人類の今後の運命が秘められている、という暗示的表現をもってこの歌を歌い収めている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「その自らをもまきこむ狂瀾の地平を観照しつつ、抗い難い運命的なものに対して、かつて学びの岡にあった自恃を胸に秘めつつ、天地を朱に染めて火柱の立つ戦いの終末にも、魂の叫びを歌い上げようというのである。」(稲垣眞美「旧制一高の非戦の歌・反戦譜」)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 この歌は当時審査委員の一人だった阿藤伯海先生を感激せしめて当選し、当選後も岡本氏(前記、一高同期)によれば、2、3箇所、先生と合議で、作者が自ら筆を入れて、稿が定まったと聞くが、恐らくは、検閲に対する備えだったろう。そういわれれば、冒頭第一節から第四節までと、末尾十一、十二節との間に、雄々しく颯爽たる防人調と、東亜新秩序謳歌の五節ほどを、サンドウィッチの如く挟んでいる。それ以外の章を味読すると、実にデリケートに、レジスタンスとそれと不可分の哲学的愛国心とを、精緻にうたに上げた秀作であって、その点、名曲と相俟ち、「新墾に」に充分拮抗する昭和の大寮歌である。そしてその詩としての成功の一つの秘密は、前記の如く、一節36文字と言う短歌に近い抒情性をもって思想性を象徴化し、しかも12節という大連作により、その思想性をも確保した点に在る。だが、それは形式のことで、この作の香気は何よりも、作家志望であった氏の詩魂に基づくものだろう。
「一高寮歌私観」から
園部達郎大先輩 南方レンパン島の捕虜生活から帰還して、初めて一高の会に出た折、初めて示され、驚いたことを未だ忘れない。まず、「萬葉集」二十巻(4414)、武蔵国助丁、秩父郡大伴部小歳の「防人歌」がそっくり、その五に納まっていること、そして、私が昭和18年1月南を指して行ったその心況をズバッと表現している。次に、作者は、南の海はご存知ないのだろうが、3年間、危うさを隠して方々の島を渡り歩いてみた風景を短詩の中に見事に描写していること。妙に懐しい南十字星の椰子にかかる有様、感心しました。そして、この作は昭和17年6月、私の出立する前にこれを覚える暇は十分あったはず。もしもこれを覚えておけば、南方の方々で、「運るもの」をはやらして歩けたものを。何も一高同窓生だけに、でなく。そんなことを思い継いだことだった。そして今は六十年の昔、飽かず見上げし「みんな(ママ、みんなみ?)に耀ふ空」、サザンクロスやオリオン等を懐しく思い続けるのです。
「寮歌こぼればなし」から
大山哲雄大先輩

夏の紀念祭の寮歌歌詞入選作が決まり、作曲が募集されたとき、当時18歳(現在の数え方で)だった私が応募した曲は3拍子で書かれていました。
 ご承知かと思いますが、入選曲の選定は、寮委員に作詞者を加えた審査委員が、手拍子を打ちながら歌われる応募曲の全てを聴いて決定します。応募曲が一曲残さず歌われたのち、委員による採点合計の上位の数曲が再び歌われ、最終的に投票により1曲が選ばれます。歌い手(10人前後)とピアノ伴奏(1人)は楽友会に属する寮生の役目でした。
 私が応募した楽譜は残っていませんが、(上記の如く)4分の3拍子で書かれていました。選定された曲の楽譜は(多分寄贈曲等の他の楽譜とともに)写真印刷できる形に楽譜を清書することを専門とする店に届けられ、そこで出来上がった楽譜と手書きの歌詞とが印刷屋に届けられて、そこで仕上がったパンフレットが その年の「新寮歌集」として寮生に配布されるのだと理解しております。
 正確な記憶はありませんが、新寮歌の作曲者となった私は(多分 朴歯の高下駄とマントいう 当時の一高生のいでたちで)巷に出てこの新寮歌を高吟したかもしれません。手拍子を打ちながらこの寮歌を歌っているうちに、寮歌の自然な歌い方に則すれば 偶数番目の小節の末尾に1拍の休みが入ることに気が付いた次第でした。そうすると、元々の各小節は全て3拍であったところが1小節ごとに4拍となり、全体として「3拍+4拍」の繰り返しとなります。それを楽譜に表現するには、1小節ごとに4分の3、4分の4と拍数を変更する方法もあるかもしれませんが、それよりも、4分の3拍子で書かれていた2つの小節を1つにまとめて4分の7拍子と書いたほうが見やすい と判断した次第です。1つになった(元は2つだった)小節の切れ目に、原稿では点線の小節分離線を入れましたが、業者の都合でしょうか これが省かれでしまい、おまけに、原稿どおり4段に書いて欲しかった曲が3段にされてしまった次第です。パソコンで楽譜が書ける現在ならこんな事は起こり得ないのですが…。

「運るもの」の拍子につて、作曲者である大山哲雄大先輩にお尋ねし、回答をお寄せいただいたもの。


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