旧制第一高等学校寮歌解説

障へ散へぬ

昭和17年第52回紀念祭寮歌 

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         (祭)
1、()()へぬ     時の流に
  (あら)けゆく       丘の萬象(くさぐさ)
  そのかみの     (かげ)は無けれど
  橄欖(かんらん)の        梢こぼるゝ
  月影は        今に(さや)けく
  美しき         友情(なさけ)の花の
  咲きしてふ      柏下蔭(かししたかげ)
  往にし日の      夢を追ひつゝ
  けふ一夜(ひとよ)       語り明さん

          (思)
2、蜘蛛手(くもで)なし      迷へる歩み
  黄昏の        野道辿りて
  はふり落つ      涙ぬぐひし
  若き日の       感傷(いたみ)は言はじ
  あはれわが     秋津島根に
  ひた寄する      浪の高きを
  召されなば      勇みて往かん
  荒男(あらしを)の        父祖(おや)ゆ繼ぎし
  (たけ)(たま)         我に宿れり
*「父祖」のルビは昭和50年寮歌集で「みおや」に変更。

3、増荒男(ますらを)は       名をし立つべし
  校長(おさ)共に       (あめ)に向ひて
  呼ばはりし      清きその御名(みな)
  大君の         命畏(みことかしこ)
  ()()きて      鬼となりにし
  先人の         魂よ安かれ
  護國(くにもり)の         柏葉兒(はくやうじ)われ
  劒太刀         いよよ()ぎつゝ
  暫時(しましく)も         懈怠(けたい)あらねば
*「劒」は昭和50年寮歌集で、「劔」と変更。

          (祭)
5、向陵よ         (たま)故郷(ふるさと)
  凍てつける      その丘の上に
  熱く組む        心と心
  衆星(もろぼし)の         (むか)北辰下(ほしした)
  (あめ)焦がす       篝火(かがり)めぐりて
  (のぼ)りし子        去りゆく(をのこ)
  おしなべて       此の一時に
  無限(かぎりな)の         感慨(おもひ)を籠めて
  いでや舞ひ      いざや歌はん
曲は弱起で始まる。

 平成16年寮歌集で、歌詞の文句を一部、弱起から強起に変更する等次のように改めた(不完全の小節も小節数にカウント)。

1、「ときのながれに」(1段)、「あらけゆく」(1段から2段)、「そのかみの」(2段)、「かげはなけれど」(2段から3段)、「かんらんの」(3段)、「こずゑこぼるる」(同)、「けふひと夜」(6段)、「かたり」(同)を弱起から強起に変更した。たとえば、「ときれに」は「きのな」と強拍音を変えた。

2、二つのフェルマータ、一つのブレスを削除した。
「さへなへぬ」の「ぬ」(1段3小節1音)、「あらけゆく」の「く」(2段1小節3音)の2分音符に付点を付けたので、フェルマータを削除しても、実質は変わらない。

3、「ぬ」(1段3小節1音)、「く」(2段1小節3音)、「さ」(2段3小節1音)、「つ」(6段1小節1音)の各音符に付点を付け、「る」(3段3小節5音)の付点2分音符の付点と8分休符を除った(「こずえ」等を後にずらしたための措置)。「想ひをこめて」から、「希望を以て」に曲想、リズムが変るところで、小休止等がなくなった。ここの箇所に限っては、従前どおり、「梢こぼるゝーー」と伸ばして、かつ8分休符程度の小休止を置いて、「月影は今に明けく」と曲想を変え、リズムを変え続けた方が自然な感じがするが、どうだろう? あまりに急ぎ過ぎる。

4、最終小節は、点2分音符と8分休符の不完全小節に改められ、完全な弱起の曲に修正された。

 曲頭に「想ひをこめて」とあるように、「障へ散へぬ」とゆっくりしたリズムで始まるが、途中、「そのかみの」(2段3小節)から、タータの伝統的リズムを徐々に入れ、曲想文字「希望を以て」が入る「月影は今に明けく」からは、調子のよい完全にタータタータの伝統的リズム中心となる。しかし、ハ長調・4分の4拍子の曲で、伝統的リズムとなっても、もの悲しさが漂うのは、時節がらか、致し方ない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
()()へぬ    時の流に
(あら)けゆく      丘の萬象(くさぐさ)
そのかみの    (かげ)は無けれど
橄欖(かんらん)の      梢こぼるゝ
月影は       今に(さや)けく
美しき       友情(なさけ)の花の
咲きしてふ     柏下蔭(かししたかげ)
往にし日の    夢を追ひつゝ
けふ一夜(ひとよ)     語り明さん
(祭)
1番歌詞
(あらが)うことの出来ない時の流れに、向ヶ丘の全てのものが崩れていって、往時の面影はなくなった。しかし、橄欖の梢から漏れる月の光は、昔と変わりなく向ヶ丘を明るく照らしている。かって、美しい友情の花が咲いていたという柏の木蔭に、向ヶ丘が向ヶ丘らしくあった昔の思い出を辿りながら、紀念祭の今日一夜、友と語り明かそう。

「障へ散へぬ 時の流に 散けゆく 丘の萬象」
 「障え散へぬ」は、拒否できない。どうすることもできない。「なへ」は「助動詞「なふ」(下二段)の未然形。ニ合ウの約で、できる。打消しに使われることが多い。「ぬ」は、打消しの助動詞「ず」の連体形。未然形を受ける。一高同窓会「一高寮歌解説書」は、文法的には「障へ散へぬる」が正しいとするが、このように解すれば間違いではない。「なへ」は、動詞ではなく、上代東国方言の助動詞である。「散けゆく」は、そこを離れてばらばらになる。離散する。「萬象」は、校友会の解散、修業年限の短縮などの諸制度、自治の伝統など。
 万葉4432防人 「障へなへぬ命にあれば愛し妹が 手枕離れあやに悲しも」
 「障碍を受けず、萎えることのない怒濤のような時流の意。『障へ散へぬ』は文法的には『障へ散へぬる』が正しい。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「そのかみの 俤は無けれど」
 「かみ」、昔の。往時の。「俤」は、おもかげ。

「橄欖の 梢こぼるゝ 月影は 今に明けく」
 「橄欖」は、一高の文の象徴。
 古今747在原業平  「月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして」

「美しき 友情の花の 咲きしてふ 柏下蔭に」
 「てふ」は、と言ふの約。「柏」は、一高の武の象徴「柏葉」の柏。「柏下蔭」は、向ヶ丘。一高寄宿寮をいう場合も多い。人生の旅の途中に向ヶ丘に立ち寄って、柏の下蔭に旅寝する。
 「知惠と正義と友情の 泉を秘むと人のいふ 彌生が岡を慕ひつゝ」(大正15年「烟り争ふ」1番)

「往にし日の 夢を追ひつゝ けふ一夜 語り明かさん」
 「往にし日の 夢を追ひつゝ」は、向ヶ丘が向ヶ丘らしくあった過ぎ去った日々の思い出を辿りながら。「時の流に 散けゆく」前の一高の思い出である。「けふ一夜」は、今宵、紀念祭の一夜。

 「(1月31日)同夜はイーブ(イブ)とて寮生は外出したが、12時頃にはみな帰寮し、全寮がストームの嵐にわき返り、水泳部の河童踊りも加わった。
 翌2月1日(日)は朝から急に雪となり、一面白銀の中で、式典・講演・慰霊祭(日華事変以来の戦没先輩21柱)が執行された。午後1時からは、降りしきる雪の中を家族や友人がぞくぞくと各寮に来て歓談を重ね、一方で各種の催し物も行われたが、最後に午後4時半から積雪約5寸に及ぶグラウンドで、午後8時まで大寮歌祭が挙行され、これですべての諸行事は無事終わった。」(「向陵誌」昭和16年度ー17年2月紀念祭)

 「第一節は序章で、『障へ散へぬ、時の流に、散けゆく、丘の万象』という素晴らしいうたい出しで、今宵は、向陵の往時の栄光と友情の花には及ばないが、月影はさやかな柏の蔭に語ろうといい、」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
蜘蛛手(くもで)なし    迷へる歩み
黄昏の       野道辿りて
はふり落つ    涙ぬぐひし
若き日の      感傷(いたみ)は言はじ
あはれわが    秋津島根に
ひた寄する     浪の高きを
召されなば     勇みて往かん
荒男(あらしを)の       父祖(おや)ゆ繼ぎし
(たけ)(たま)       我に宿れり
(思)
2番歌詞
真理を求め、野道をさ迷う中に、日が暮れてきた。蜘蛛のように八本の足があったら、迷わなくてもすむのに、道が分からない。多感で繊細な若者が傷つき悲しんでいることは口に出さず、溢れ落ちる涙を拭って、じっと我慢している。ああ、なんと、この日本の国に高き荒波が押し寄せ風雲急を告げている。戦争となり召されれば、護國の旗を戴く一高健兒として堂々と出征する覚悟はある。大和男児伝来の大和魂は、我にも宿っているのだ。

「蜘蛛手なし 迷へる歩み 黄昏の 野道辿りて」
 「蜘蛛手」は、蜘蛛の手足のように八方に伸びていること。蜘蛛のように八本の足も無いのでの意。

「はふり落つ 涙ぬぐひし 若き日の 感傷は言はじ」
 「はふり落つ」は、溢れ落ちる。「若き日の 感傷」は、多感で繊細な若人故の感傷。

「あはれわが 秋津島根に ひた寄する 浪の高きを 召されなば 勇みて往かん」
 「秋津島根」は、日本国の古称。「ひた寄する浪の高きを」は、太平洋戦争目前をいう。太平洋戦争は昭和16年12月8日に始まったが、寮歌の募集はそれ以前のことであった。歌詞は「召されなば 勇みて往かん」と続くが、作詞者は実際に学徒出陣で応召、訓練中、戦車事故で戦傷死している。
 昭和16年8月1日、アメリカは対日石油輸出を全面停止、同11月26日、ハル長官は、野村大使らに日本の最終案を拒否し、新提案(ハルノート)を提示した。これを日本は、米の最後通牒と結論した。すでに11月5日の御前会議で、12月初旬の武力行使を決意していた(「帝国国策遂行要領」)。12月1日、御前会議において、対米英蘭開戦が決定され、日本は太平洋戦争へと突入していった。

「荒男の 父祖ゆ繼ぎし 猛き魂 我に宿れり」
 「荒男」は、「あらしを」で強い男。アラシは終止形。形容詞の連体形が未発達であった時代の用法の名残とみられている。「父祖ゆ」の「ゆ」は、・・・から。・・より。「父祖(おや)」のルビは、昭和50年寮歌集で、「みおや」と変更された。「猛き魂」は、物事に対し、激しく活動する荒御魂。所謂大和魂と解す。和御魂(昭和12年「新墾の」結の「和魂」)に対す。

 「第二節に於て、寮生活に於ける青春の感傷と感激は深い思い出だが、既に昨年末、大戦に突入不可避の日本の現状に於ては、いつでも応召の心構えを『あはれわが秋津島根に、ひた寄する浪の高きを、召されなば勇みて往かん』と雄々しく、しかもかなしくうたい上げている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
増荒男(ますらを)は     名をし立つべし
校長(おさ)共に     (あめ)に向ひて
呼ばはりし    清きその御名(みな)
大君の      命畏(みことかしこ)
()()きて    鬼となりにし
先人の      魂よ安かれ
護國(くにもり)の      柏葉兒(はくやうじ)われ
劒太刀      いよよ()ぎつゝ
暫時(しましく)も       懈怠(けたい)あらねば
3番歌詞 「丈夫は名をし立つべし 後の代に聞き継ぐ人も語り継ぐがね」と安倍校長共々、清きお名前を天に向かって何度も叫んだ。天皇のご命令を恐れ謹んで、出征して英霊となった先人の魂よ、安らかに眠れ。一高生には、国を護る重大な使命があるので、武道に精進し、尚武の心を磨きつつ、しばらくの間も、怠るようなことはないのだから。

「増荒男は、名をし立つべし 校長共に 天に向ひて 呼ばはりし 清きその御名」
 「がね」は、活用語の連体形を承けて、・・・するために。「校長」は、安倍能成校長。「清きその御名」は、支那事変で戦死した丈夫の名。第52回紀念祭で催された先輩英霊21柱の慰霊祭を踏まえる。
 万葉4165 「丈夫は名をし立つべし 後の代に聞き継ぐ人も語り継ぐがね」

「大君の 命畏み 出で征きて 鬼となりにし 先人の 魂よ安かれ」
 日華事変以来の戦没先輩は21柱にのぼり、第52回紀念祭で慰霊祭が催された。「鬼となりにし」は、英霊となった。戦死した。「畏み」は、つつしんで承る。
 「萬骨あだに遼東の 幽鬼となりにし戰も」(明治39年「波は逆巻き」2番)
万葉4328 「大君の命畏(みことかしこみ)いそにふり うのはらわたる父母を置きて」
万葉1785 「大君の命(かしこ)み天ざかる 夷(ひな)をさめにと」


「護國の 柏葉兒われ 劒太刀 いよよ研ぎつゝ 暫時も 懈怠あらねば」
 「柏葉兒」は、一高生。「護國」は、一高の校旗護國旗。護國は、一高の建学精神である。「劒」は昭和50年寮歌集で、「劔」と変更された。「劒太刀」は、一高生の尚武の心をいう。「ねば」は、打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」+接続助詞「ば」。既定条件を示し、・・・ないから。従って、「懈怠あらねば」は、意味的には、懈怠することがないので、「先人の 魂よ安かれ」となる。
 「我等求道に懈怠して 誰が新世を導かむ」(昭和12年「春尚浅き」2番)
 「國護る旗し掲げて 柏葉兒起ちて雄叫へば」(昭和16年「時計臺に」5番)
 「我は歎息かじ柏葉兒 永遠に慕はん武香陵」(昭和14年「光ほのかに」3番)
 万葉4467大友家持 「剣太刀いよよ研ぐべし古ゆ さやけく負ひて来にしその名ぞ」

 「第三節は、すでに出征、戦死している先輩達に対し、天の遙かな方に向い、安倍校長達と共に、後続の吾等健在なれば、み魂安かれとの祈りをを捧げる。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
(あかね)さす      亞細亞の空に 
千尋なす     海の彼方(かなた)に 
新たなる     道は拓けぬ
(あだ)ならじ      三年が憩ひ 
我が(たま)は     今ぞ(きよ)けく 
我が力      今ぞ溢れぬ
今日しもぞ    起つべき(とき)か 
光榮香(はえかほ)る     護國旗(はた)し捧げて 
男われ       奮ひてゆかん
4番歌詞 茜色に明けてゆく亜細亜の空に、波濤万里を越えた大陸に、日本の新たなる道は開けた。向ヶ丘で三年の間、修養したことは無駄ではなかった。我が魂は今ぞ清らかで、我が力は漲っている。今こそ、起つべき時であろう。光栄の歴史の滲みた護國旗を捧げて、国を護る一高健兒は、奮って征こう。

「茜さす 亞細亞の空に 千尋なす 海の彼方に 新たなる 道は拓けぬ」
 「あかねさす」は、東の空が茜色に映える意から昇る太陽を連想し、美しく輝くのをほめて、「日」「昼」「紫」「君」にかかる枕詞だが、ここでは、文字どうり「茜色に映える」の意で、アジアの夜明けをいう。「千尋」は、せんひろ。極めて長い、深いこと。千尋の谷などという。
 昭和15年7月26日、 閣議で、「基本国策要綱」(大東亜新秩序・高度国防国家の建設方針)決定し、日満支をベースに東洋の新秩序を建設する方針を明確に宣言した。
 「あかねさす空を望みて 丘憶ふ吾等の集ひ」(昭和15年「不知火の」1番)
 額田王 「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が手を振る」

「徒ならじ 三年が憩ひ 我が魂は 今ぞ浄けく 我が力 今ぞ溢れぬ」
 「三年が憩ひ」は、向ヶ丘三年の修養。人生の旅の途中、三年の間、向ヶ丘に憩いし、真理の追究と人間修養に励む。
 「たまゆらの、三年が憩ひ」(昭和2年「たまゆらの」別離)

「今日しもぞ 起つべき秋か 光榮香る 護國旗捧げて 男われ 奮ひてゆかん」
 「護國旗」は、一高の校旗。唐紅に燃える色。「ゆかん」は「征かん」。実際に戦地に赴くのではなく、一高健兒の昂ぶる尚武の心をいう。2番歌詞の「召されなば 勇みて往かん」が受動的なのに対し、自動的積極的な歌詞となっている。
 「あはれ護國の柏葉旗 其旗捧げ我起たん」(明治37年「都の空に」10番)
 
 「出征は護国のためであり、それのためには魂の浄化が前提であると、類なく透徹した知性をもって、征くべき暗い運命に自ら対処している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
向陵よ       (たま)故郷(ふるさと)
凍てつける    その丘の上に
熱く組む      心と心
衆星(もろぼし)の       (むか)北辰下(ほしした)
(あめ)焦がす     篝火(かがり)めぐりて
(のぼ)りし子      去りゆく(をのこ)
おしなべて     此の一時に
無限(かぎりな)の       感慨(おもひ)を籠めて
いでや舞ひ    いざや歌はん
(祭)
5番歌詞
向ヶ丘よ、わが魂の故郷よ。向ヶ丘は凍てつくような寒さであるが、一高生は、迸る熱情で心と心を結んで、一丸となって自治を守っている。諸星の中心に輝く北極星を天に仰ぎながら、天を焦がせと言わんばかりに赤々と燃え上がる篝火を巡って、一、二年生も、今宵限りに向ヶ丘を去る三年生も、みんな、この寮歌祭の一時に、向ヶ丘に対する限りない思いをこめて、さあ舞おう、いざ歌おう。

「向陵よ 魂の故郷 凍てつける その丘の上に 熱く組む 心と心」
 「向陵」は、向ヶ丘を漢語的に表現したもの。「魂の故郷」は、向ヶ丘を思想揺籃の地として思慕する。「凍てつける」は、氷りつく。実際の寒さというより、非常時で、暗く自由のない時勢のことをいう。
 昭和17年2月1日の紀念祭は、雪が降りしきる銀世界の中で行われ、グラウンドで行われた寮歌祭の時の積雪は五寸に及んだ。ただし、歌詞はこれを詠んだものではない。
 「わがたましひの故郷は いまも綠のわか草に」(大正5年「わがたましひの」1番)

「衆星の 共ふ北辰下 天焦がす 篝火めぐりて」
 「北辰」は、北天の星辰の意で、北極星のこと。衆星の中心となり動かないので、帝居または天子などに喩える。方位・緯度の指針となることから、寮歌では真理・正義・理想の象徴とされることが多い。「諸星の 共ふ」は、北極星の周りを廻る多くの星。前述のとおり、この年の寮歌祭は、2月1日、午後4時半から8時まで積雪5寸のグラウンドで行われた。

「上りし子 去りゆく男 おしなべて 此の一時に 無限の 感慨を籠めて いでや舞ひ  いざや歌はん」
 「上りし子」は、向ヶ丘に登った子。在校の1・2年生。「去りゆく男」は、卒業の3年生。「此の一時」は、紀念祭のこの一時。紀念祭のこの時だけは、日頃の鬱屈した気分を忘れて。「いでや」は、いやもう。さてさて。文章の書き初めにいう語。ここでは、さあ、さあ。「いざや」は、さあ。どれ。他を誘う時や、自分が思い立った時に発する語。「無限(かぎりな)の 感慨を籠めて」は、向ヶ丘に対する限りない思いを込めて。
 「ああ極みなの空のもと」(昭和17年「彌生の道に」謳)
 「今年の春の紀念祭 健兒無限の慨あり」(明治37年「都の空に」8番)

 「終節はこの歌の白眉で、・・・、寒い二月の夜の紀念祭の篝火を、うたいつつめぐる寮友をたたえ、しかもこの今の一瞬の中へ『おしなべて この一時に 無限の 感慨をこめて』と無限のものを包摂した得こと(包摂し得たこと?)を深く何ものかに謝しつつ、『いでや舞ひ  いざや歌はん』と結ぶ。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 出征の予感を前にした秀れた詩である。そして、之は、ひとり横山氏(作詞者)のみの感懐ではなく、戦雲下の向陵生に共通の思いだったろう。之を、遠く明治37年の穂積重遠氏の『都の空』に比べるとき、昭和のこの時代の若人の国家観、生命観、並びにその相互のかかわり合いが、いかに(ひだ)ふかくなっているを思わずに居られない。それでいて、この寮歌には意識的な反戦の匂いはない。寧ろ、青春の純粋な憂国の思いがあふれている。それが一層悲しさを増すのだ。 「一高寮歌私観」から


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