旧制第一高等学校寮歌解説

彌生の道

昭和17年第52回紀念祭寮歌 

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(序) 彌生の道に風寒く     公孫樹の枯葉(かれは)音もなく
    散りしくあたり(しぬ)びかの  春の跫音(あのと)よ近きかな」
*「忍びか」のルビは昭和50年寮歌集で「しの」と変ったが、「しぬ」が原文で、今の寮歌集でも音符下歌詞は「しぬ」である。
    
(あめ)(くら)きにそそり立つ   (あらわ)の梢仰ぐとき
    あゝ三年(みつとせ)向陵(ふるさと)も     やがて去るべきわが身なり」
    季節(とき)の流れのいきさらに 迅き三年(みとせ)よ、わが城郭(しろ)
    こゝろ倚りゆく欄干(おばしま)に    ああ追憶(おもひで)の盡きぬかな」
*「いきさらに」は「いまさらに」の誤植。昭和50年寮歌集で訂正された。
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じ演奏である。
哀調のニ短調で、途中サビの「ちりし くあーたり しぬびかの」の小楽節のみ4拍子から3拍子に拍子が変わる。タタターターのリズムが心地よく、メロディーを一気に盛り上げる。全体に高音部が多く、声が出ずらい寮歌ではあるが、一高生に広く愛唱された。太平洋戦争前後の、死をも覚悟せざるを得なかった深刻な時世だったからこそ、こういう清純で悲愴、抒情溢れるメロディーが求められたのだろう。曲頭に「しづかに・情をこめて」とある。この寮歌の作曲は大山哲雄、他に名歌「運るもの」も作曲している。


語句の説明・解釈

学年短縮の為、昭和17年は2回の卒業があり、紀念祭も2月と6月の2回催された。第52回紀念祭は2月(1月31日、紀念祭、2月1日、式典、2月2日、3年生送別全寮晩餐会)、詩の応募が太平洋戦争勃発(12月8日)前だったため、この時の紀念祭寮歌には、太平洋戦争を歌った寮歌はない。開戦後、別途特別に「征米英歌」として寮歌が募集された。後に紹介する「曙に捧ぐ」と「寒風颯颯」の二篇である。
 この寮歌「彌生の道に」は、序・迷・情・現・想・別・謳の題をもつ七節(七五・四行の一小節×3を一節とする)、八十四行の歌詞で、長さにおいて一高寮歌中、最大である。あまりに長いので、通常、「序」のみを歌う。解説は、当初、序のみに止めようと思ったが、全節の解説とした。
 *平成16年寮歌集正誤表で、「忍びか」(序第一節)の「忍」のルビは「しぬ」に、「嫋び」(迷第一節)の「嫋」のルビは「なよ」に、「玉杯」のルビは「たまうき」に、それぞれ訂正された。

語句 箇所 説明・解釈
彌生の道に風寒く 公孫樹の枯葉(かれは)音もなく 散りしくあたり(しぬ)びかの 春の跫音(あのと)よ近きかな」
第一節歌詞
弥生道に風が冷たく吹いて、銀杏の落葉が音もなく散り敷くあたり、春が忍び足で近づいているようだ。

「彌生の道に風寒く 公孫樹の枯葉音もなく」
 「彌生道」は、一高校内を東西に貫く銀杏道。一高生の絶好の散策路であった。駒場一高の寮歌には頻りに登場する。それだけ一高生に愛されていたのだろう。
 「霞立つ紫の丘 公孫樹道黄葉づる下を」(昭和12年「新墾の」追憶4番)
 「誠の友を知りにしは 銀杏の路の夕まぐれ」(昭和13年「怪鳥焦土に」4番)
 「銀杏も散りぬ彌生道 獨り静かに逍遥へば」(昭和14年「光ほのかに」3番)
 「銀杏の道の黄昏や 時計臺の影の長くして」(昭和14年「上下茫々」4番)
 「彌生道風もつめたく 思ひ出は湧きて出づなり」(昭和15年「清らかに」1番)
 「黄金なす落葉さやげば ひたぶるの愁ひすヾろに」(昭和16年「時計臺に」1番)
 「白々と夜霧流るゝ 銀杏道迷ひも果てず」(昭和16年「あさみどり」想2節)
 「銀杏葉積る彌生道に 我等佇む月光浴びて」(昭和16年「ほのぼのと」5番)

「散りしくあたり忍びかの 春の跫音よ近きかな」
 「忍びか」は、「忍びやか」で、人目を避けているように感じられるさま。ひそか。忍び足で近づいて来るの意。昭和50年寮歌集で、「しの」とルビが変更されたが、原文どおり、今も「しぬ」と歌われる。「跫音」は、足音。
(あめ)(くら)きにそそり立つ (あらわ)の梢仰ぐとき あゝ三年(みつとせ)向陵(ふるさと)も やがて去るべきわが身なり」
第二節歌詞
どんよりした冬空にそそり立つ、葉が落ちた銀杏の梢を仰ぐとき、はや三つ年が過ぎて、向ヶ丘を去るべき身なのかと思い一入である。

「天の黯きにそそり立つ 裸の梢仰ぐとき」
 「天の黯きに」は、冬空特有のどんよりした空と解す。「裸の梢」は、弥生道の銀杏の梢。「そそり立つ」は、高く大きくなった銀杏に、三年の年月を感じさせる。銀杏は、現在のような鬱蒼とした大木ではなかった。
 「秋闌けて街の銀杏は あらはなる肌に震へど」(昭和9年「空洞なる」5番)

「あゝ三年の向陵も やがて去るべきわが身なり」
 この年をもって学年が短縮され、2年半ないし2年となった。三年の向陵生活を過した戦前最後の卒業生である。
 昭和16年10月16日、大学・高校などの修業年限を6ヶ月程度短縮することが決定された。18年3月卒業予定者は17年9月卒業に繰り上げられた。
季節(とき)の流れのいきさらに 迅き三年(みとせ)よ、わが城郭(しろ)よ こゝろ倚りゆく欄干(おばしま)に ああ追憶(おもひで)の盡きぬかな。」
第三節歌詞
時の移ろいは、いまさらいうまでもなく光陰矢のごとく、何と速いことだ。もうこの寄宿寮とも別れの時がきてしまった。いつの間にか寮の窓辺に寄り添って、ああ、これで夢のような向ヶ丘の旅路も終わったかと、つくづく思う。

「季節の流れのいきさらに 迅き三年よ、わが城郭よ」
 「いきさらに」は誤植か。昭和50年寮歌集で「いまさらに」に変更された。「城郭」は、寄宿寮。寄宿寮は、「嗚呼玉杯に」に代表されるように、自治の船に喩えられることが多いが、その籠城主義から自治を害そうと押し寄せる魔軍を防ぎ自治を守る城とも喩えられる。
 「寄せなば寄せよ我城に 千張の弓の張れるあり」(明治35年「混濁の浪」2番)
 「吾が住み慣れし城郭に 発展の文字示さずや」(昭和10年「大海原の」1番)

「こゝろ倚りゆく欄干に ああ追憶の盡きぬかな」
 「欄干」は、手すり。欄干。ここでは寮室の窓辺と解した。「こころ倚りゆく」は、無意識にと解した。いつの間にか。「追憶」(おもひで)は、思い出す縁となるもの。深く心にとどまるほどの無上の楽しみ。「盡きぬ」の「ぬ」は、完了存続の助動詞。
秋の曠野(あらの)をひとり往き ひとり還らふ夕まぐれ (なよ)びの牧笛(ふえ)()(とほ)く 光茫(ひかり)は闇の彼方(あなた)なる」
第一節歌詞
真理を求めて、秋の荒涼とした曠野を一人さ迷い、夕方薄暗くなって一人還る毎日である。迷える子羊を導いてくれる笛の音は、遠くて微かにしか聞えないので、どの方向に進んでいいか分からない。求める真理の光は、闇の彼方にあり、ただ、さ迷うばかりである。

「秋の曠野をひとり往き ひとり還らふ夕まぐれ」
 「還らふ」は「還らひ」(連用形)の連体形。「ひ」は、四段活用の動詞(連用形)を作り、反復継続の意を表す。くり返し帰る。「夕まぐれ」は、夕方の薄暗い頃。

「嫋びの牧笛の音も杳く 光茫は闇の彼方なる」
 「嫋び」は、弱弱しい意。昭和50年寮歌集で、「たをび」とルビが変わったが、誤植であろう。一高同窓会「一高寮歌解説書」でも、「たをび」は古例がなく、「たをやぐ」「たをやか」などからの新造語だろうとする。昭和17年2月発表時に寮生に配布された「新寮歌集」(全6頁)に所収の作詞者山下 浩原詞でも昭和18年寮歌集原文と同じ「なよび」であり(作曲の大山大先輩のコメント)、「なよび」が原作に忠実な正しい読みである。「光茫」は、くっきりと線または束になって見える光。ここでは真理。
 「特に、『光茫は闇の彼方なる』という句には、戦争に対する一つの否定的見透しがあり、之が末節『謳』の中央四行の軍への隠微たるレジスタンス、微妙に相照応している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
ああさながらに徑昏(みちく)れて などか歩みの遲かりし 仰ぎて見れば(まなじり)に 宿るは露か星の影」
第二節歌詞
ああ、しかしながら道は暮れてしまって、どうしてか歩みが遅くなった。夜空に瞬く星を仰ぎ見ると、目に涙が浮ぶ。きっと星の光に光っていることだろう。

「ああさながらに徑昏れて などか歩みの遲かりし」
 「徑昏れて」の「徑」は、真理追究の道。「などか」は、どうしたわけか。「など」(副詞)+「か」(疑問の助詞)。「遲かりし」の「し」(回想の助動詞)は、「か」を承けて連体形止めとなった。

「仰ぎて見れば眥に 宿るは露か星の影」
 「露」は、涙。夜空を見上げているので、地上の萩に結んだ露は目に入らない。「宿るは露か星の影」の「か」は疑問詞を承ける係助詞。
迷妄(まどひ)に嫋()びし幾夜さも (あし)(かたみ)(さそ)() く えがての心友(とも)をわれ得たり 思へば恩恵(めぐみ)(おほ)きかな。」
第三節歌詞
どうしていいか心が乱れ、憔悴しきった夜が幾夜あったか。そんな夜に友の憂いは我が憂いと一緒に泣いてくれる心の友を寄宿寮で見つけた。思えばみのり多い向ヶ丘の三年であった。

「迷妄に嫋びし幾夜さも 葦の迭に誘ひ哭く」 
 「嫋びし」は、弱弱しくなった。萎えてしまった。「幾夜さ」は幾夜。「よさ」は「よさり」の転で、夜。「葦の迭に」(かたみに)は交互に。「『葦』」はイネ科の多年草で、節ごとに葉がたがいちがいについている(互生葉序)ことから『互いに』の意に用いている。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)。「誘ひ」は、一緒に何かをする気にならせる。
 「かたみに面は知らねども 同じ思ひのかよふかな」(大正4年「散りし櫻を」4番)

「えがての心の友をわれ得たり 思へば恩恵饒きかな」
 「えがて」は、「得難」と解した。「恩恵饒き」は、みのり多い。
きのふ綠の(かし)の蔭 けふ橄欖の(みづ)(きは) 想ふ由縁(ゆかり)邂逅(めぐらひ)に 結びし(たま)幾重垣(いくへがき)
第一節歌詞
昨日は対校試合で、ともに柏葉の旗を振り、今日は藝文花さく橄欖の泉のほとりで君と理想を語り合った。奇しき縁で出会った友と、魂と魂を通わせて幾重にも友垣を結んだ向ヶ丘が懐かしい。

「きのふ綠の柏の蔭 けふ橄欖の泉の際」
 「柏」は一高の武の象徴「柏葉」の柏。「橄欖」は、一高の文の象徴。向ヶ丘での文武にわたる精進の中で、友垣を結んでいくさまをいう。

「想ふ由縁の邂逅に 結びし魂の幾重垣」
 「由縁の邂逅」は、友と奇しき縁で向ヶ丘で出会ったこと。「魂の幾重垣」は、心の友を得、友情を深めていったこと。
 
若きを誇る甕ゆゑに 湛ふや紅き美酒(うまざけ)は (なれ)れにし友情(なさけ)君がため 酌むはわが()ぞ銀の匙」
第二節歌詞
若さ燃える五体故に、赤き血潮が体中に溢れている。熱き血潮は、親しく友情を契った君に捧げるためのものだ。有馬皇子は旅の途中、椎の葉を用いたが、君には銀の匙にまさる我が掌で我が熱き血潮を汲んで飲ませよう。

「若きを誇る甕ゆゑに 湛ふや紅き美酒は」
 「甕」は、身体。五体。「紅き美酒」は、赤き血潮。酒に喩える。
 「啻に血を盛る瓶ならば 五尺の男児要なきも」(明治40年四高應援歌「啻に血を盛る」1番)
 「夜は夜もすがら歡の 甕に融けゆく夢ごころ」(大正5年「朧月夜の」3番)

「睦れにし友情君がため 酌むはわが掌ぞ銀の匙」
 熱き血潮は、親しく友情を契った君に捧げるためのものだ。有馬皇子は旅の途中、椎の葉を用いたが、君には銀の匙にも見劣りしない我が掌に我が熱き血潮を汲んで直接君に飲ませよう。
 「銀の匙」は、高価な貴重なもの。また体調に合わせ匙加減するの意味がある。「わが掌ぞ銀の匙」は、あの有馬皇子でさえ旅の途中は椎の葉を使った。向陵に旅枕中はそんな貴重なものは使うべくもないが、また、匙加減も、匙を使うより君のことを知り尽くしている我が直接、きめ細かく加減して飲ますというような意味があるのではと思料する。

 「『銀の匙』は中勘介の小説(大正10年)を意識したか」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 有馬皇子 「家にあれば笥に盛る飯を 草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」
友よ哀傷(うれひ)は青けれど せめては君が(かがや)かの (まみ)の光にふたたびを 新たの契り交はせかし。」
第三節歌詞
愁いに沈んでいる友よ、愁いは青春につきものだから仕方がないが、愁いから抜け出し、君の瞳が耀きを取り戻したとき、なんとしても、改めて友情の契りを交わしたいものだ。

「友よ哀傷は青けれど せめては君が燦かの」
 「友よ哀傷は青けれど」は、佐藤春夫の詩による表現か(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。「かし」は、強く相手に念を押す意の助詞。

「瞳の光にふたたびを 新たの契り交はせかし」
 「瞳の光にふたたびを」は、愁いから抜け出し、瞳に輝きを取戻し元気になったとき。「かし」は、強く相手に念を押す意の助詞。
宴はあはれ()けぬれど 別れなばまた逢ふことの ありや何日(いつ)ぞと知るべけむ 將來(ゆくて)の途も(くら)かるを
第一節歌詞
紀念祭は、趣深く宴たけなわとなったが、我々の前途には暗雲が立ち込め、今ここで別れたら何時再び会うことができるのか、知るべくもない。

「宴はあはれ闌けぬれど 別れなばまた逢ふことの」
 「宴」は、紀念祭の祝宴。ただし、2月1日の第52回紀念祭では、時節柄か、晩餐会、茶話会などの宴会はなかった。そのかわり、「紀念祭にあわせて2月2日午後6時から、三年生送別の全寮大晩餐会が開催され、楽友会のベートーヴェンの交響曲『第一番』の演奏や、寮歌をはさんで寮生の所感が述べられ、午前4時近くに及ぶ盛況であった。」(「向陵誌」昭和16年度ー17年2月)
 「いま別れてはいつか見む この世の旅は長けれど」(明治44年「光まばゆき」4番)

「(1月31日)同夜はイーブ(イブ)とて寮生は外出したが、12時頃にはみな帰寮し、全寮がストームの嵐にわき返り、水泳部の河童踊りも加わった。
 翌2月1日(日)は朝から急に雪となり、一面白銀の中で、式典・講演・慰霊祭(日華事変以来の戦没先輩21柱)が執行された。午後1時からは、降りしきる雪の中を家族や友人がぞくぞくと各寮に来て歓談を重ね、一方で各種の催し物も行われたが、最後に午後4時半から積雪約5寸に及ぶグラウンドで、午後8時まで大寮歌祭が挙行され、これですべての諸行事は無事終わった。」(「向陵誌」昭和16年度ー17年2月紀念祭)

「ありや何日ぞと知るべけむ 將來の途も晦かるを」
 「將來の途も晦かるを」は、戦時下では、明るい将来は望むべくもない。日華事変以来の先輩英霊は、21柱に上った。
 「今までのどの寮歌にも見られなかった卒業後の前途に対する暗い予見をうたっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
げにも現世(うつつ)は八重(むぐら) 見わたす限り醜草(しこぐさ)の しこりに花の色()せぬ、 推移(うつり)はてなき(すがた)かな
第二節歌詞
全くこの世は何重にもからまった見苦しい蔓草のようだ。見渡す限り、何の役にも立たない雑草が蔓延しているために、本来なら世の中に輝き匂うべき花が色褪せ埋もれてしまっている。このような世相は、一体いつまでまで続くというのだろうか。

「げにも現世は八重葎 見わたす限り醜草の」
 「八重葎」は、多くのむぐら。多種多様の蔓草。「葎」は、カナムグラ・ヤエムグラなど、蔓でからむ雑草の総称。「醜草」は、みにくい草。きたない草。悪強い雑草。跋扈する軍国主義、軍人、それに追従する人々をいうものであろう。

「しこりに花の色褪せぬ、 推移はてなき相かな」
 「しこりに」は、寄り集まって一団となっているので。蔓延しているので。「花」は、きれいな花。優秀な一高生。「相」は、軍国主義の世。
されども友よ思へ、彼の 波濤(はたう)越え征く聖戦(みいくさ)に 若き丹潮(にじほ)(さわ)ぐとき 丈夫(をのこ)使命(つとめ)いや重き
第三節歌詞
そうとばかり嘆くな、友よ。波濤萬里を越えて勇敢に戦っている支那事変に若き血潮が騒ぐ時、一高健兒の使命がいかに重いかに思いを致すべきだ。

「されども友よ思へ、彼の 波濤越え征く聖戦に」 
 「されども」は、そうではるが。しかし。「聖戦」は、支那事変。太平洋戦争のことではない。寮歌応募時には太平洋戦争はまだ始まっていなかった。昭和16年12月8日、日本軍はマレー半島に上陸し、ハワイ真珠湾を攻撃して、大東亜戦争(太平洋戦争)は始まった。そのため、急遽、「征米英寮歌」が、紀念祭寮歌決定後、別途、募集された。

「若き丹潮の騒ぐとき 丈夫の使命いや重き」
 「丹潮」は、血潮。「丹」は朱色の砂土。赤色の顔料。「丈夫」は、一高生。
 「あゝさ丹づらふ色若く 光と香ふ武士が」(昭和14年「あゝさ丹づらふ」1番)
 この寮歌の歌詞は、寮歌委員ないし担当教授から加筆修正され、作詞者は大いに不満を漏らしていたと仄聞する。 この歌詞の原文は、「一高木曜会」(寮歌を歌う会、現水曜会)の井下登喜男一高先輩の話によれば、次のとおり。
      されども友よ想へ彼の   波濤(おどろ)越えゆく皇帥(みいくさ)
      いかに丹潮(にじほ)(さや)ぐとも    君、われ、若き使命(つとめ)あり
     (原文歌詞は、森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」で確認)
 「前向きの勇ましげな表現は、あくまで外部からの批判や圧力をかわすための韜晦であったように思われる」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 
苔の細道かき分けて 「更に光明(ひかり)を」求めては 宇宙(あめ)眞理(まこと)藝術(たくみ)追ふ われら永劫(とこは)矜持(ほこり)なれ」
第一節歌詞
苔生した古びて暗い道をかき分けて進むために、もっと明るい灯を求めて道を照らして、真理を追求する。これが一高生の不滅の誇りである。

「苔の細道かき分けて 『更に光明を』求めては」
 「苔」は、蘚苔類に限らず広く菌類・地衣類・シダ植物なども含めて苔といった。先人が辿った険しい苔生した、暗い真理追究の小道である。「更に光明を」は、Goethe ”Mehr Licht” ゲーテの臨終の語。「光明」は、明るく輝く光のことであるが、仏教では、仏・菩薩から放つ光。智慧や慈悲を象徴する。真理に至る道を照らして導く灯、すなわち真理を解く智慧のことである。

「宇宙の眞理と藝術追ふ われら永劫の矜持なれ」
 「宇宙の眞理と藝術」は、宇宙の真理。藝術は、技芸学術のことだが、ここでは宇宙の創成、造形、法則、すなわち、真理と解す。
 「こういう陰鬱な状況下でも、真理と芸術とを捨身で追求することを向陵の徒の誇りとしているのは見事だと思う。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
さらば相互(かたみ)()人生(たび)の 幾日(いいひ)とどまる時あらば 夢のゆらぎに結ぶ實の 告げてよ(とげ)と花の路  
第二節歌詞
それならば、互いに一人で行く真理追究の旅で、幾日も前に進むことが出来ずに迷うことがあれば、夢のお告げで教えてほしい。自分は今、迷ってイバラの道にいるのか、真理に至る花の道にいるのかを。

「さらば相互に適く人生の 幾日とどまる時あらば」
 「さらば」は、真理追究が一高生の誇りであるとするならば。「人生」は、真理追究の旅。「幾日とどまる時あらば」は、幾日も前に進めないでいる時があれば。「幾日(いいひ)」のルビは誤植か。昭和50年寮歌集で「いくひ」に変更された。

「夢のゆらぎに結ぶ實の 告げてよ棘と花の路」
 「夢のゆらぎ」は、夢のお告げの意か。「ゆらぎ」は、音を立てること。「結ぶ實」は、結果。成果。「棘と花の路」は、イバラの道に迷っているのか、真理に至る花の路を進んでいるのか。
夕の梵鐘(かね)にさそはれて 塒にかへる鳥あらば 想へ東方(ひがし)向陵(ふるさと)を かの搖籃(ゆりかご)佳聲(うましね)
第三節歌詞
入相の鐘の音に誘われて、ねぐらに帰る鳥がいれば、故国日本を思え。わが故郷向陵を思え。子守唄のように一高生を育ててくれた向ヶ丘の寮歌の歌声を思え。

「夕の梵鐘にさそはれ 塒にかへる鳥あらば」 
 「梵鐘」は、鐘楼の釣鐘。「夕の梵鐘」は、晩鐘。入相の鐘。「塒にかへる鳥」は、具体的には不明であるが、応召した一高生のことか。戦い終え兵営(「塒」)に帰るの意か。英霊となった同胞の意か。それならば、「塒」は西方浄土の意となる。
 第52回紀念祭では、支那事変以来の先輩英霊21柱の慰霊祭が行われた。

「想へ東方を向陵を かの搖籃の佳聲を」
 「東方」は、太陽が昇る東。故国日本。少なくとも前句の「鳥」は、西にいることになる。「向陵」は、向ヶ丘。「搖籃の佳聲」は、子守唄。紀念祭寮歌。
ああ苧環(をだまき)の盡くるなき 思慕(おもひ)のあるを去りがたき 丘にしあるを()が子らぞ あすは別離(わかれ)といふならむ」
第一節歌詞
苧環の糸の尽きることがないように、次から次へと思慕が湧いてきて向ヶ丘を去り難い。まだ寄宿寮にいるのに、「明日はお別れですね」などというのはどの寮生であろうか。

「ああ苧環の盡くるなき 思慕のあるを去りがたき」 
 「苧環」は、つむいだ麻糸を、中が空洞になるように円く巻きつけたもの。次句の向陵への思慕を断ち切れない喩えに用いる。
 伊勢物語 「いにしへのしづの苧環繰り返し 昔を今に成す由もがな」
 「賤のをだまきくりかへし 昔がたりにあたらしき 薫を添へよわが健兒」(明治39年「柏の下葉」9番))
 「以前の向陵生活の思い出が忘れられない心情を述べた意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「丘にしあるを誰が子らぞ あすは別離といふならむ」
 「丘」は、向ヶ丘。
祭典(まつり)の宵の燈火に  暗き(うてな)幻燈(うつしゑ)に 殘れる夢の(あわき)(かげ) いまひとたびと見かへるを 
第二節歌詞
紀念祭の宵の灯の明りに映し出された時計台の黒い影に、今、一度と振り返ると、断ち切り難い向ヶ丘への郷愁が心を掠める。

「祭典の宵の燈火に 暗き臺の幻燈に」 
 「祭典」は、紀念祭。「宵の燈火」は、祭の灯、所謂自治燈。飾り物の中に含まれる。第52回紀念祭は、「大戦に突入した際であることや物資欠乏の点から」(「向陵誌」昭和16年度)飾り物は中止された。緊急総代会で「自治灯は飾り物の中に含めて中止すべきものではない」との意見が出されたが、ペンディングとされた。自治燈はほとんど点されなかったのではないか。従って、かってのような、夜通しこうこうと自治燈の輝く不夜城のような紀念祭ではないため、「暗き臺の幻燈」の表現になったか。「臺」は、一高のシンボル時計台。

「殘れる夢の淡き影 いまひとたびと見かへるを」
 「殘れる夢」は、思い尽きない郷愁。「見かへる」は、うしろをふりかえり見る。見かえす。
ああ逝く春のいつまでか 此處にとどむと言ふべけむ さらば最終(いまは)にわが友よ 老いの五十二(よはひ)や歌はなむ
第三節歌詞
ああ、春は残り少なく、向ヶ丘の春は終ろうとしている。終に別れの時が来た。向ヶ丘と友と、もう二度と会うこともないであろう。最後の最後に、我友よ、歳を重ねて五十二となった寄宿寮の寮歌を一緒に歌おう。

「ああ逝く春のいつまでか 此處にとどむと言ふべけむ」 
 「逝く春」は、過ぎゆく春。残り少ない春。季節の春ではなく、向ヶ丘の命脈の春のように響く。

「さらば最終にわが友よ 老いの五十二や歌はなむ」
 「最終」(いまは)は、命が今となってはの意。臨終。「老いの五十二」は、年を老いて五十二歳となった寄宿寮。「歌はなむ」の歌は、悲傷惜別の寮歌。挽歌を歌おうとしているようである。
  「この紀念祭を最終(いまは)と言い切っているが、之でよく当時の検閲が通ったと思う。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
寂しきときは(はね)とりて 神もうたふのならひなり ああ(きは)みなの空のもと  呼ばなむ、友よ、若人よ」
第一節歌詞
淋しい時は、翼を外して、神も歌うならわしである。ああ満天の星が輝く涯しない夜空の下、若き友よ、マントを脱いで、さあ、集れ。

「寂しきときは翮とりて 神もうたふのならひなり」
 ギリシャ神話のオルペウスとその妻エウリュディケの話をさすか。「翮」は、一高生のマントを喩える。
「ギリシャ神話、OrpheusとEurydice。Orpheusは黄泉の国に行き、竪琴に合わせて歌い、蛇に噛まれて死んだEurydiceを返してもらうが、(地上に帰り着くまでに振り返ってはならないという)約束を破ったため、Eurydiceは再び黄泉の国に戻ってしまう。Orpheusは悲しんで歌い、狂乱した人々に殺されて黄泉の国に下り妻と再会する。」(井下登喜男一高先輩「一高寮歌メモ」 一高同窓会「一高寮歌解説書」同旨)
 「何か西欧神話を思わせるような表現で、どんなに死に近い鬱屈した状況下に於ても、青年の意気は、それを払いのけて、生命のうたを謳歌する権利あることをいい」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「ああ極みなの空のもと 呼ばなむ、友よ、若人よ」
 「極みなの空」は、涯しない空の意か。
 「無限(かぎりな)の 感慨を籠めて」(昭和17年「障へ散へぬ」5番)
「呼ばなむ」は、何度も呼ぼう。既述のように、2月1日午後4時半から8時まで、積雪5寸のグラウンドで大寮歌祭が挙行された。
 
せめて今宵は君とわが 首途(かどで)を祝う玉杯(たまうき)に 返らぬ日日を(うた)はなむ 生命の限り謳はなむ」
第二節歌詞
せめて今宵は、我らの首途を祝って盃を汲み交わし、二度と返らぬ丘の日を懐かしみ、生命の限り、寮歌を歌おうではないか。

「せめて今宵は君とわが 首途を祝ふ玉杯に」 
 「玉杯(たまうき)」のルビは、昭和50年寮歌集で、「たまつき」と変更された。「たまうき」は、玉で作った杯。もちろん杯の美称である。「首途」は、一高を卒業して社会に出る門出である。

「返らぬ日日を謳はなむ 生命の限り謳はなむ」
 「返らぬ日日」は、向ヶ丘三年の青春の日々。かっての自由な日々の意を含める。

 「迫り来る彼等の青春に断絶の運命を与えんとするものに対し、複雑骨に徹する叫びを繰返し、無限の余韻を今に残している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
袂をわかつ高層(たかどの)の 去らぬ名殘に謳はなむ さらば三年(みとせ)(をか)の日よ! さらば(をさな)き夢の日よ!
第三節歌詞
今宵限りに別れる寄宿寮の、名残尽きない思い出を歌おう。さらば向陵の三年よ! さらば若き日の夢よ! 

「袂をわかつ高層の 去らぬ名殘に謳はなむ」 
 「袂をわかつ」は、去寮。別れる。「高層」は、三年の間、友と起臥を共にした寄宿寮。「去らぬ名殘」は、名残尽きない、断ちきり難い名残。

「さらば三年の陵の日よ! さらば稚き夢の日よ!」
 「三年の陵の日」は、向ヶ丘の三年。前述のとおり、この年をもって学年が短縮され、2年半ないし2年となった。三年の向陵生活を過した戦前最後の卒業生である。「(をさな)き」は、若きの意。「稚」の字は、人間修養のまだまだ途中の未熟者の意をこめてか。
                        

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