旧制第一高等学校寮歌解説

北海浪は高うして

昭和16年第51回紀念祭寮歌 

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 1、北海浪は高うして      黒鷲風に狂ふ時
   藝術(たくみ)の華と誇りたる     ラテンの都今何所

 2、七つの海を支配して    領土(くに)に日落つる時なしと
   榮華に驕る老國に     落()の光今淋し

 3、戰破れ廿年の        悲歌絶叫にゲルマンの
   血に彩りし忍辱は      今日の誇と榮えたり

 4、熊羆東に咆ゆる時     虎豹の西に(さけ)びては
   嘯く鬼の聲長く        大和島根に雲暗し

10、先人こゝに傳へ來し     護國の血潮たぎる時
   今こそ立ちて大君の     (しこ)の御楯とならんかな
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、同じ演奏である。
ハ短調・4分の2拍子、かつタータータータ(付点8分音符と16音符の繰り返し)の伝統的寮歌のリズムの寮歌。曲頭に「緩やかに」とあるが、つい調子に乗って速く歌いたくなる軍国調の寮歌である。1・2・3段は、対応する小節のリズムは同じである。締めの4段2・3小節だけは、例の「筑紫の富士」や「春尚浅き」で歌い崩したように、「いーいーづー」と歌詞の内容上、弱起のような結果になっている。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
北海浪は高うして 黒鷲風に狂ふ時 藝術(たくみ)の華と誇りたる ラテンの都今何所 1番歌詞 北海の波は荒れ、黒鷲が風に乗って暴れ廻る時、藝術の都、花のパリと誇っていたフランスの都は、今どうなっていると思うか。ドイツ軍に哀れにも占領されてしまった。

「北海浪は高うして 黑鷲風に狂ふ時」
 昭和14年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し第2次世界大戦始まった。「北海」は、イギリスと、ヨーロッパ大陸のベルギー、オランダ、ドイツ、デンマーク、ノルウェーなどに囲まれた大西洋の縁海。エルベ川、ライン川などが注ぐ。近年は北海油田の開発で注目されている。「黑鷲」は、ドイツ。ドイツは、ポーランド侵攻後、昭和15年に入って、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランスと次々に侵攻し降伏させた。
 「北海波は荒うして ラインのほとり風寒く」(昭和15年寮歌「瑞雲罩むる」3番)
 
「藝術の華と誇りたる ラテンの都今何所」
 「ラテンの都」は、パリ。フランスの首都パリは、昭和15年6月14日、ドイツ軍により占領された。
七つの海を支配して 領土(くに)に日落つる時なしと 榮華に驕る老國に 落()の光今淋し 2番歌詞 七つの海を支配し、日没することがない広大な領土を有していると榮華に驕っている大英帝国もすでに国が傾き、衰退の影が淋しい。

「七つの海を支配して 領土に日落つる時なしと」
 「七つの海」は、世界の海。時代により地域により具体的な海は異なるが、帆船時代にアラビア人が七つの海と言ったのは、大西洋・地中海・紅海・ペルシャ湾・アラビア海・ベンガル湾・南シナ海である。現在は、北太平洋・南太平洋・北大西洋・南大西洋・インド洋・北極海・南極海をいう。

「榮華に驕る老國に 落暉の光今淋し」
 「老國」は、世界各地に領土・植民地を有する大英帝国。「落暉」は、落日。
 「没する陽なき舊世界の 覇者永久に覇者ならず」(昭和7年「春は萬朶の」4番)
戰破れ廿年の  悲歌絶叫にゲルマンの 血に彩りし忍辱は 今日の誇と榮えたり 3番歌詞 第一世界大戦で敗れて20年、ドイツは、天文学的な賠償を負わされ塗炭の苦しみを味わい、敗戦国として血の滲む恥辱に耐えた。ドイツの今日ある誇りであり繁栄となった。

「戰敗れ廿年の 悲歌絶叫にゲルマンの」
 「廿年」は、両大戦間の二十年。「ゲルマン」は、ドイツ。「悲歌絶叫」は、敗戦国としての塗炭の苦しみ。

「血に彩りし忍辱は、今日の誇と榮えたり」
 「忍辱」は、もろもろの侮辱・迫害を忍受して恨まないこと。ただし、ドイツは、戦勝国の敗戦国への報復的とも言える賠償条件を定めたヴェルサイユ条約を条約とは呼ばず「強制的に書き取らされたもの(ディクタート)」と呼び、怨恨感情がドイツ人の間に広まった。
熊羆東に咆ゆる時 虎豹の西に(さけ)びては 嘯く鬼の聲長く 大和島根に雲暗し 4番歌詞 欧州で起きた戦争は2年目を迎え、ソ連はバルト三国を併合し、ドイツは、オランダ、ベルギーを降伏させた勢いで、ついにパリを陥落させ、フランスは、ドイツに降伏した。その間、イタリアは英仏に宣戦してドイツ陣営に加わった。戦局は独伊の枢軸側が優勢とはいえ、長引いており、日独伊三国軍事同盟を結んだ日本に戦雲がかかってきた。

「熊羆東に咆ゆる時 虎豹の西に號びては」
 「熊羆(ゆうひ)」は、くまとひぐま。普通、勇猛な人を喩えるが、ここではソ連。「虎豹」は、虎と豹。転じて、強暴なものにたとえる。ここでは、ドイツとイタリア。
 「熊羆東に咆ゆる」は、バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)の併合(昭和15年8月)などのソ連による欧州戦線を踏まえる。「東」をアジアと解する時は、昭和14年5月11日のノモンハンで日ソ両軍が衝突したノモンハン事件となるが、4番歌詞は、第2次世界大戦を述べたものとする立場からソ連の欧州東部戦線とする。なお、独ソ戦が開始されたのは、昭和16年6月22日のことである。
 「虎豹の西に號びては」は、イタリアの対英仏宣戦(昭和15年6月10日)、ドイツのパリ占領(同年6月14日)などの欧州西部戦線を踏まえる。

「嘯く鬼の聲長く 大和島根に雲暗し」
 「鬼」は、うち捨てられた戦死者の亡霊。「嘯く鬼の聲長く」は、嘆きうめく戦死者の声が長く。戦局が長引いていること。「大和島根」は日本のこと。「雲暗し」とは、日本にも戦雲がかかってきた、すなわち太平洋戦争が近いことを予測。昭和15年9月、日独伊三国同盟の締結により、英米との戦争は不可避の情勢となっていた。
 杜甫『兵車行』 「君見ずや青海の頭 古来白骨人の収むる無く 新鬼は煩冤(はんえん)し舊鬼は哭し 天陰り雨湿うとき声の啾啾たるを」*「煩冤」は、もだえうらむ。
「日独伊三国同盟」:昭和14年、第2次世界大戦の開戦とともにヨーロッパで勝利を得たドイツに刺激された日本陸軍と、日米関係悪化に備えようとした松岡洋右外相等が、ドイツ側の強い要請を受け推進力となって実現した。条約は支那事変およびヨーロッパ戦争に参加していない国(米)からの攻撃を受けた場合に相互援助を与えることが規定されていた。ドイツ側は、アメリカの対独参戦を防ぎ、日本側は南方政策に対するアメリカの介入を抑止する目的であったが、かえってアメリカを刺激し、対米関係を悪化させた。
暗雲(あめ)を蔽ふ時 丘に祭の來れども 祝の歌の聲低く 愁の影の深きかな 5番歌詞 戦雲が天を蔽う時、向ヶ丘に紀念祭がやってきたけれども、祭を祝う寮歌の声は低く、寮生は日本も、いつ戦争になるのかと時局を非常に心配している。

「暗雲天を蔽ふ時 丘に祭の來れども」
 「暗雲」は、戦雲。戦争間近を表す。「丘」は、向ヶ丘。「祭」は、紀念祭。

「祝の歌の聲低く 愁の影の深きかな」
 「祝の歌」は、寄宿寮の誕生を祝う紀念祭寮歌。
鋒先(ほうせん)衣血に染り 騎突劍毛吹くといふ 若き命を皇國に 捧げし英魂(たま)の尊しや 6番歌詞 先鋒は衣を血に染めて突進し、騎兵は吹きかけた毛をも切るするどい剣をかざし敵を斬り進んでいく。そんな戦場で、国に命を捧げた若い英霊のなんと尊いことか。

「鋒先衣血に染り 騎突劍毛吹くという」
 「鋒先」は、先鋒。部隊などの先頭に立つ者。「剣吹毛」は、吹きかけた毛をも切るほどの名剣のこと。
 杜甫『喜聞官軍已臨賊寇二十韻』 「鋒先ちて衣血に染む、騎突きて剣毛を吹く。喜びは覺ゆ 都城の動くを、悲みは連う子女の號ぶを。」*「官軍の己に賊寇に臨むを聞くを喜ぶ二十韻」は、杜甫が家族と過ごしていた鄜州の羌村で、王朝軍の長安進攻を知り、歓喜して作った詩。

「若き命を皇國に 捧げし英魂の尊しや」
 「英魂」は、死者の魂に敬意を表していう語。戦死者。
あゝかの男子(をのこ)思ふ時 (なんだ)は頬をつたひてし 友よ空しき名に溺れ 果敢なき夢を追ふ勿れ 7番歌詞 あゝ、あたら若き命を戦場の露と散らした一高生、戦争さえなければ、向ヶ丘で一緒に青春を謳歌していたのにと思うと、思わず涙が頬を伝う。友よ、時節に阿ねて名声を得ようと、そんなつまらないことに、うつつを抜かすのは止めよう。

「あゝかの男子思ふ時 涙は頬をつたひてし」
 「かの男子」は、6番歌詞の「英魂」。戦死した一高生をいうものであろう。
「友よ空しき名に溺れ 果敢き夢を追ふ勿れ」
 「空しき名」は、現世の名声。
 「流るゝ水に記しけん 消えて果敢なき名は追はじ」(明治40年「仇浪騒ぐ」5番)
 「時局の風潮に追随することを戒めている意か」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
(みどり)の濃き陰に 日毎文武の技を練る ますらをのこよ白梅の 香とこそ匂へ(すが)しくて 8番歌詞 柏の葉が青々と茂った向ヶ丘で、日夜、文武両道に精進している強く逞しい一高生よ、清く汚れなき白梅の香りを世の中に漂わせてほしい。

「柏緑の濃き陰に 日毎文武の技を練る」 
 「柏の陰」は向ヶ丘。柏の葉は、一高の武の象徴である。
 「綠濃き柏の蔭に 我等集ひぬ若さ秘めて」(昭和16年「ほのぼのと明けゆく」3番)

「ますらをのこよ白梅の 香とこそ匂へ清しくて」
 「白梅」は、汚れなき(まこと)の心を象徴する。「白梅」は、また、一高が文の神様として祀る「菅原道真」の梅、自治の梅花の梅、友垣を結ぶ清き梅である。
 「春立ちかへりて向ヶ陵に 南枝の白梅香に立ちそめぬ」(大正3年「柏の濃綠」2番)
 「開きそめたる梅の花 色香も清き心もて 御國に盡す益荒雄が」(明治32年「向が岡の春風に」1番)
 「高き啓示ぞ梅の花 花さく迄はちりだもいとふ 向陵三とせ千餘人 蕾に清き友垣の」(明治40年「思ふ昔の」5番)
 「花さくまでは世の塵に たち交わらじと冬ごもる 梅のこゝろを心にて いざやしなはむ色も香も」(明治25年「雪ふらばふれ」2番)
 「自治の梅花に東風吹かば 遙かに『匂ひおこせ』かし」(明治45年「筑紫の富士に」5番)
橄欖の花咲くところ (さつ)々として風起こり 雲捲き龍のかけりては 壯士の胸の高鳴りぬ 9番歌詞 風がサッと吹き雲を巻くと、その雲を捉え龍が昇天するように、橄欖の花が咲く向ヶ丘の意氣盛んな一高生は、雄飛の機会をじっと待って胸が高鳴るのである。

「橄欖の花咲くところ 颯々として風起こり」 
 「橄欖の花咲くところ」は、芸文の花咲くところ。向ヶ丘のこと。「橄欖」は一高の文の象徴。
「雲捲き龍のかけりては 壯士の胸の高鳴りぬ」
 「雲捲き」は、雲を捉えて。「壯士」は、意気にはやるもの。血気盛んな男子。一高生のこと。
 三国志『呉志、周瑜伝』 「蛟龍雲雨を得ば、ついに池中の物に非ざらん。」 龍が雲雨を得て天に昇ること。英雄が機会を捉えて、大業を成し遂げることをいう。
 李訓『周易』 「龍は雲を呼び、虎は風を起こす」


先人こゝに傳へ來し 護國の血潮たぎる時 今こそ立ちて大君の (しこ)の御楯とならんかな 10番歌詞 先人が今日まで連綿として伝えてきた護國の血潮が熱く燃える時、一高生は今こそ起って、天皇の頑強な楯となり、国を守ろうではないか。

「先人こゝに傳へ來し 護國の血潮たぎる時」 
 「護國」は、一高の建学精神。一高の校旗は、唐紅に燃える護國旗。

「今こそ立ちて大君の 醜の御楯とならんかな」
 「醜の御楯」は、天皇の楯となって外敵を防ぐ防人が自身を卑下していう語。「醜」は強く、頑丈なことの意。
 万葉4373下野防人 「今日よりはかへり見なくて大君の 醜の御楯と出で立つ我は」
                        

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