旧制第一高等学校寮歌解説
時計臺に |
昭和16年第51回紀念祭寮歌
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1、 黄金なす落葉さやげば ひたぶるの 嗚呼三とせ夢の旅路も やがてしも疾くぞ盡きぬる 2、人の世は辛く惡しきを こゝのみぞみちの故郷 かりそめの奇しき縁しに むつびてし心と心 まことこそ褪せじと言ふを はたそれも 3、ひたすらに心の旅は みやこどり何處いさよふ 言問はんすべあらなくに ふみ分けぬ先哲の 空しくぞ 6、ふるさとは なつかしき 7、 今宵こそ別れのうたげ しかすがにそヾろかなしも さらば君世をば憂ひつゝ |
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ハ短調・8分の6拍子ないし4分の3拍子は変わらず。 譜は、平成16年寮歌集で、次のとおり変更された。*小節数は不完全小節もカウント。 1、「ぬー」(2段4小節) ①拍子:4分の3拍子 ②2音ラを削除 ③4分休符を置く。 「しじまわたりぬ」の最後を少し短くして、4分休符を置いて、一息入れる。 2、「に」(4段7小節) ①拍子:8分の6拍子 ②付点を取って2分音符 ③8分休符を置く。 「おもひすずろに」の最後を少し短くして、8分休符を置いて、一息入れる。 3、「るー」(6段4小節) ①2音ラを削除 ②8分休符を置く。(不完全小節は不変) 「おもひすずろに」を少し短くして、8分音符を置いて、一息入れる。 以上の措置で、歌詞の五語・七語の語句の後には、一息入れるために、すべて4分ないし8分の休符が入った。 3部形式の歌曲で、メロディー構成は、A-B-A。Aメロディーは、主メロディーのミラシドシラミで始まり、甘く切なくゆっくりとした8分の6拍子、全ての語句は弱起となっている。これに対しBメロディーは、ターーター(2分音符と4分音符)の3拍子で、全ての語句は強起、クライマックス部分である。「黄金なす落葉さやげば ひたぶるの」と高音部が続くため、少し苦しいが、これを乗り切れば、「愁ひすゞろに」と最後まで低音部が続く。主メロディーのミラシドシラミに戻って、「やがてしも」と1オクターブ上げて、一息入れ、「とくぞつきぬる」と「き」のフェルマータを思いきり伸ばして、「嗚呼三年夢の旅路も やがてしも疾くぞ盡きぬる」を歌って終われば、一高生はもう夢心地の境地である。ちなみに主メロディーのミラシドシラミは、「時計臺に」、「四つの城」、「嗚呼三とせ」、「やがてしも」(最後の一音は異なるが)と、4回も出てくる。それでいて飽きないのは、不思議である。拍子、リズム、メロディーと組合せ構成が絶妙であるからであろう。 7番歌詞「世をば憂ひつゝ」は字余りとなっている。七語で「世をば憂ひつ」と歌う人が多くなっている。寮歌祭でも、ここはなかなか合わない。出だしは、淡谷のり子が昭和12年にリリースした「別れのブルース」に少し似ている。「一高ブルース」とも呼ばれることがある。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1番歌詞 | 時計台に狭霧がたちこめて、南・中・北・明寮の四つの城は、すっかり静寂につつまれた。彌生道に散り敷いた黄金色の銀杏の落葉が、一陣の風にざわざわと音を立てたので、どうしょうもない愁いがどっと襲ってきた。嗚呼、夢のように楽しかった向ヶ丘三年の旅路は、早くも間もなく終わってしまうのだなあ。 「時計臺に狭霧はこめて 四つの城静寂わたりぬ」 一人彌生道を逍遥中とも、秋の夜長に、ベッドでなかなか眠れないでいる、どちらの場面ともとれる。「時計臺」の読みの「あららぎ」は斎宮の忌詞で、「塔」のこと。このことから時計臺を「あららぎ」と言った。ここに、「斎宮」とは、天皇の即位ごとに選定されて、伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王または女王のこと。「四つの城」は、南・北・中・明の四寮。明寮は、入学定員増のために増設され、昭和14年9月に開寮した。 「黄金なす落葉さやげば ひたぶるの愁ひすゞろに 嗚呼三とせ夢の旅路も やがてしも疾くぞ盡きぬる」 「黄金なす落葉」は、黄葉した銀杏の落葉。校内を東西に貫く彌生道の銀杏の落葉であろう。「ひたぶる」は、一途に。どうしよもなく募る気持ち。「すゞろ」は、これという確かな根拠や原因も関係のない、とらえ所のない状態。「旅路」は、人生の旅の途中、向ヶ丘に立ち寄った三年の旅寝。「ぞ」を承けて「盡きぬる」と連体形で止め、詠歎の意を表す。「ぬる」は、完了存続の助動詞「ぬ」の連体形。 「橄欖の森柏葉下 語らふ春は盡きんとす 嗚呼紅の陵の夢」(大正3年「黎明の靄」2番) |
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人の世は辛く惡しきを こゝのみぞみちの故郷 かりそめの奇しき縁しに むつびてし心と心 まことこそ褪せじと言ふを はたそれも |
2番歌詞 | 人の世は辛く、嘘と偽善に満ちているが、故郷向ヶ丘だけは、真理の通る別天地であった。人生の旅の途中で、偶然にもほんの一時を過ごした向ヶ丘で友と心と心を親しく結んでおいた。人は、向ヶ丘で追究してきた真理こそは色褪せることなく永遠のものというけれども、真理の追究すらも、ひょっとして今は向ヶ丘を思い出すための 「人の世は辛く惡しきを こゝのみぞみちの故郷」 「みちの故郷」は、道理の通る故郷。向陵は俗界の塵を絶った別天地であった。 「人の世の岨しき路に 美しき夢を結びし」(昭和15年「人の世の」1番) 「人の世の、小昏き山路」(大正15年「人の世の」1番) 「かりそめの奇しき縁しに むつびてし心と心」 「かりそめ」は「仮染め」の意。ほんの一時的なこと。7番歌詞では、「暫時」の漢字を充てる。「むつびてし」は、馴れ親しんでおいた。「てし」は連語で、完了の助動詞「つ」の連用形「て」+過去の助動詞「き」の連体形「し」。・・・しておいた。・・・ておいた。 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番) 「まことこそ褪せじと言ふを はたそれも追憶なりしか」 「まこと」は、向ヶ丘で追究してきた不滅の真実。「褪せじ」は、色褪せない。不滅である。「はた」は、あるいはひょっとして。「しか」は、回想の助動詞「き」の已然形。詠歎の意を表す。「追憶」(かたみ)は、死んだ人、別れた人を思い出すよすがとして見るもの。向ヶ丘を思い出すよすが。 |
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ひたすらに心の旅は みやこどり何處いさよふ 言問はんすべあらなくに ふみ分けぬ先哲の |
3番歌詞 | ひたすら真理を求めて旅しても、その昔、業平が尋ねたという都鳥が何処で羽を休めているか分からない。都鳥に道を尋ねる方法もないので、古今東西の賢者の書・教えを繙いて真理を探ってみたが、無駄に時間が経つばかりで、涙はとどまることなく溢れ出た。 「ひたすらに心の旅は みやこどり何處いさよふ 言問はんすべあらなくに」 「心の旅」は、「まこと」(2番歌詞)を求める旅。真理を求める旅。「いさよふ」は、ぐずぐずして前に進まない。動かず停滞している。ここでは「羽をやすめる」と解した。 古今411在原業平 「名にしおはばいざ言とはむ都鳥 わが思ふ人は有りやなしやと」 「ふみ分けぬ先哲の業績 空しくぞ蠟燭くちて 永劫の涙あふれぬ」 「先哲」は、前代の哲人。昔の賢者。「業績」とは、古今東西の書・教え。 「 「 「とはに歩む眞理の夜途 先き行きし後をたどりて」(昭和8年寮歌「風荒ぶ」夢) 「第三節は、作詞者のいわんとする真の主題ー即ち真理への何ものにも換えがたい情熱を、検閲に備えてか、口籠もりつつ、うたひ、胸迫って涙をながしている。こういう暗くしかも純粋の涙は、昭和13年頃からしきりに現れ出し」た。(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 確かに、前記新墾の「永久の昏迷抱きて」の時より時局が一層深刻化し、英米との決戦の戦雲がいよいよ目前に迫っていた。死をも覚悟しなければならない厳しい状況で、なおも一高の伝統である真理を追求し続けようとして懊悩し絶叫する、あるいは絶望する若き学徒の姿がひしひしと伝わってくる。 |
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露しとど |
4番歌詞 | 辺りは露にひどく濡れて、月はようやく西に沈み、わずかに東の空が白み朝が明けてきた。緑の木々が生い茂った丘に真理を求めてさ迷っていると、鶏が鳴いて新しい時代の朝が来たことを告げるので、嗚呼、これでやっと、朝が来た、踏み迷う闇よ去れと願う。今こそ、世を導く使命を負った一高生は、その重い責任を果たさなくてはならない。 「露しとど殘月傾きて しのゝめの黎明は來れり」 「しとど」は、シトシトの意で、ひどく濡れるさま。「殘月」は、明け方まで残っている月。「しのゝめ」は、東雲。夜明け。わずかに東の空が白む頃をいう。 「綠なす丘に迷へば 鷄は新時代を告ぐるを 嗚呼昏迷かくて失せばや 責任重き柏兒ぞわれ」 「綠なす丘」は、柏や橄欖の木々が生い茂った向ヶ丘。「綠」は、真理を表す色。「昏迷」は、道理に暗くて分別に迷う闇。「ばや」は、願望を表す終助詞。「柏兒」は、柏葉兒。一高生。 「綠なす眞理欣求めつゝ」(昭和12年「新墾の」序) 「昏迷の冬今去りて 希望の曉鐘は鳴り出でぬ」(昭和12年「春尚浅き」1番) 「鷄は新時代を告ぐる」は、第2次近衛内閣が昭和15年7月26日、日満支の結合を根幹とする「大東亜新秩序」建設のため、「国防国家体制の完成」をめざすとうたった「基本国策要綱」を閣議決定したことを踏まえる。同年春、ドイツが欧州大陸で大勝すると、ドイツと結んでの東亜新秩序の拡大、国内新体制の構築が叫ばれた。同年9月27日に日独伊三国軍事同盟が締結され、同年10月12日に新体制運動の指導的組織となる大政翼賛会が結成された。 |
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男子われ生ける甲斐あり あひあひて |
5番歌詞 | 聖天子の治める御代に、友も自分も男子として生まれてきたのは誇りであり生き甲斐である。紅に燃える護国旗を掲げて、一高健児が起って雄々しく叫んでいるので、暁鐘の鐘は高らかに響き渡って朝を呼び、東洋は朝日が登って赤く輝いている。 「男子われ生ける甲斐あり あひあひて聖代に生れぬ」 「あひあひ」は「相合」、物事を一緒にすること。「聖代」は、聖天子の治める御代。めでたい御代。 万葉996 「御民われ生けるしるしあり 天地の榮ゆるときに逢へらく思へば」 「男の子は人の誇にて」(大正5年「朧に霞む」5番) 「國護る旗し揚げて 柏葉兒起ちて雄叫へば 高らかに時鐘は亘りて 東洋はあかく燃えたり」 「國護る旗」は、一高の校旗・護国旗。一高建学精神は護国である。「柏葉兒」は、一高生。「 「我等起たずば東洋の 傾く悲運を如何にせむ」(明治35年「混濁の浪」5番) |
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ふるさとは |
6番歌詞 | 故郷の向ヶ丘の橄欖の木は、五十一歳の年輪を刻んで、古木の風格が出てきた。常緑の葉は、ますます緑濃くなって、活き活きとしている。一高生は、待ちに待った安倍能成大先輩を校長に迎え、頬を紅に輝かせて、校長と共に一高の自治を守り、新しい自治を築いていこうとしている。 「ふるさとは五十一歳の さびたけぬ橄欖の木は 常綠いよゝさやけく」 「五十一歳の」は、橄欖の木が51年の年輪を刻んだこと。「さびたけぬ」は、古木の風格が出ている。「ぬ」は完了存続の助動詞の終止形。橄欖の木にかかるのであれば、「ぬる」と連体形であるべきところ、語数の関係で「ぬ」としたか。「橄欖」は、一高の文の象徴。「さやけく」は、くっきりと際立っているさま。安倍能成校長を迎え、一高の雰囲気が活き活きとしてことをいう。 「紅顔の丘の子達は なつかしき校長ともども あらたなる自治を築かむ」 「丘の子」は、向ヶ丘の子。一高生。「なつかしき校長」は、安倍能成校長のこと。「あらたなる自治」は、駒場一高の自治の礎を築くという意味であるが、戦時体制で、ますます深刻化する情勢下、安倍校長とともに伝統ある一高自治をいかなる形で守り、時代に合せ構築していくかが問題であった。「あらたなる」には、新しいの意の他に、見事な、立派なの意がある。 昭和15年9月21日、安倍校長着任、早朝、二百数十名の寮生が東京駅頭に出迎え、「嗚呼玉杯」二唱、安倍校長万歳三唱。(「一高自治寮60年史」) 「第二学期は、(橋田)校長の後任に京城帝大教授安倍能成(明治39年文科、大正10~13年一高講師)が決定したという朗報で始まった。実際の着任は9月21日であったが、9月3日にこの報道を聞くと、外務省問題(学校が夏期休暇中寄宿寮の一部を外務省領事館巡査合宿のために貸与しようとした事件。総代会で否決したため、特高教室を貸与した)に現れた自治の軽視に割り切れないものを感じていた寮生は、かって個人主義を唱道して向陵に新風を吹き込んだこの新校長の登場に、一筋の光明を見出したように歓喜した。」(「向陵誌」昭和15年度) 「この当時、外圧によって一高の自治が非常に圧迫されて居り、これに対し、安倍校長が外柔を以てつよい抵抗を続けているのを見るにつけ、より次元の高い自治の建設を希求されたものだろう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
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7番歌詞 | なみなみと注がれた酒が杯から溢れるように、希望は空しくも一杯胸に詰まっていいる。今宵は、ついに別れの紀念祭を迎えた。そうであるので、落ち着かず悲しいけれども、こんな自由のない暗い時代となってしまったことを憂いながら、今度会う時まで、しばし別離の盃を乾して、別れることにしよう。 「今宵こそ別れのうたげ しかすがにそゞろかなしも」 「別れのうたげ」は、第51回紀念祭。「しかすがに」は、そうであるところで、が元々の意味。転じて、そうではあるが。ここは、元々の意味に使われている。 「国家の要請としての新体制運動が強く叫ばれ、物資の欠乏も日を追って激しくなる中で、第51回紀念祭に寮の飾り物を行うべきかどうか、紀念祭を公開とするか、それとも非公開とすべきかの二点が、具体的な論議の中心であった。・・・向陵内外の諸情勢を慎重に審議検討した結果、紀念祭を公開とし、飾り物も行うべしということに委員の意見が一致した。そこで、正副委員長らは、昭和15年12月27日、安倍校長を下落合の自宅に訪問、真情を吐露して懇請した結果『真剣に祭りをやるならやってよし、任せる』との許しを得た。ただ従来の飾り物焼却は行わず、利用可能なものの回収を行うという条件が付けられた。」(「向陵誌」昭和15年度) 「さらば君世をば憂ひつゝ 暫時の別盃ほさんか」 こんな自由のない暗い時代でなかったらという思いが手にとるように伝わってくる。 前述したように、昭和15年春、独軍が歐州で大勝すると、政界では独と結んでの東亜新秩序の拡大、国内新体制の確立が叫ばれた。9月には日独伊三国軍事同盟が結ばれ、10月には政党が解散され、大政翼賛会が結成された。日本は刻一刻と対英米戦争へと近づいていった。
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先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 発表当時、寮生の一部より、時局柄『暗すぎる』という異議が出て、恒例の紀念祭直前のNHKの新作寮歌ラジオ放送には第二席の『あさみどり』が放送された。だが大東亜戦争の敗色濃い昭和19年より戦後にかけ、この歌は、その沈鬱なるが故に、寮生の間に非常によく歌われるものとなった。そいう処に、寮歌の時代性がある。 | 「一高寮歌私観」から |