旧制第一高等学校寮歌解説

人の世の

昭和15年第50回紀念祭寄贈歌 東北大

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 1、人の世の(こヾ)しき路に    (うるは)しき夢を結びし
   故郷(ふるさと)三年(みとせ)を戀ひて    我等又相うち集ひ
   辿り來し同じ(えにし)を      今更にかへり見すなり

 2、幾山河北に離れて     丘に()ん術とてなけれ
   春は亦此所にも在りて   望郷(おもひ)こそ(うつゝ)を離れ
   若き血はあやしく躍り    新しき力を喚びぬ

 3、故郷の櫻や咲ける     橄欖の梢や如何に
   今は又篝火を廻り      感激の歌や唱へる
   若き子よ駒場の森に    新しき惱や持てる

 6、さればいざ若き友等よ   ひたすらに眞理(まこと)に生きん
   瀆れなき傳統(つたへ)を秘めて   夜もすがら洩るる自治燈(あかり)
   五十なる丘の(よはひ)の     光榮(さかへ)ある希望(のぞみ)に滿てり
 平成16年寮歌集で、次のとおり変更された。
1、「みとせを」(3段1小節)       ファー ミレーレー
2、「えにしを」(5段1小節)        ドーシドーレ
イ短調の哀調のメロディー、拍子は、「人の世の岨しき路に」を「ひーとのーよのーー」とタータタータの伝統的リズムを基本とした2拍子で始まり、「故郷の三年を戀ひて」で、「ふーーるさーとーのーーー」とゆっくりと伸ばしたリズムの4拍子に変え、「我等又相うち集ひ」で2拍子に戻し、最後「(かへ)りみすなり」と思いこめて4拍子に変える。このように歌詞にあわせ、2-4-2-4と絶妙に拍子を変え、またリズムを変え故郷・向陵への想いを哀調のメロディーで奏でる。感心する他ない。ちなみに作曲は、「新墾の」の服部正夫である。
 


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
人の世の(こヾ)しき路に (うるは)しき夢を結びし 故郷(ふるさと)三年(みとせ)を戀ひて 我等又相うち集ひ 辿り來し同じ(えにし)を 今更にかへり見すなり 1番歌詞 人の世は、嘘偽りが多く、険しく厳しいものであるが、向ヶ丘だけは違って、夢のように楽しい日々を過ごすことが出来た。その心の故郷・向ヶ丘の三年が恋しくなって、我等も、また、仙台で紀念祭を開いて、奇しくも向ヶ丘で同じように三年を過ごした縁を、今宵もまた懐かしくふり返るのである。

「人の世の岨しき路に 美しき夢を結びし 故郷の三年を戀ひて」
 「美しき夢を結びし」は、夢のように楽しい日々を送った。「故郷の三年」は、向ヶ丘で過ごした三年。
 「人の世の、小昏き山路」(大正15年「人の世の」1番)
 「嗚呼紅の陵の夢」(大正3年「黎明の靄」2番)

「我等又相うち集ひ 辿り來し同じ縁を 今更にかへり見すなり」
 「我等」は、仙台一高会の面々。「辿り來し同じ縁」は、同じ一高で学んだ縁。「かへり見す」は、ふりかえって見る。懐かしく振返る。
 「過ぎし三年を偲びては 語りは盡きぬ柏蔭」(昭和10年「嗚呼先人の」2番)
 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)
 「地方の大学に行った人達が、いかに紀念祭ごとに、士気を鼓舞されたかが判る。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
幾山河北に離れて 丘に()ん術とてなけれ 春は亦此所にも在りて 望郷(おもひ)こそ(うつゝ)を離れ 若き血はあやしく躍り 新しき力を喚びぬ 2番歌詞 仙台は幾山河を遠く北に離れているので、向ヶ丘に行ってみんなと会うことが出来ない。しかし、
ここ仙台で春の紀念祭を祝うと、望郷の念が募って、魂はこの地を離れ、懐かしい向ヶ丘に向う。すると向陵健児の若き血潮が不思議にも甦って、雄々しい力が湧いてきた。

「幾山河北に離れて 丘に會ん術とてなけれ」
 「丘」は、向ヶ丘。
 「北に百里を距つとも」(昭和10年「嗚呼先人の」2番)

「春は亦此所にも在りて 望郷こそ現を離れ」
 「春」は、紀念祭。「望郷」は、故郷の向ヶ丘を懐かしく慕う心。「現を離れ」は、仙台にあることを忘れ、魂は向ヶ丘に向う。

「若き血はあやしく躍り 新しき力を喚びぬ」
 「若き血」は、向陵健児の血。かって向ヶ丘で学んでいた時の正義に燃える血。「あやしく」は、不思議に。「新しき力」は、雄々しい力。「新しき」は、立派、素晴らしいの意。
故郷の櫻や咲ける 橄欖の梢や如何に 今は又篝火を廻り 感激の歌や唱へる 若き子よ駒場の森に 新しき惱や持てる 3番歌詞 故郷の向ヶ丘の桜は、もう咲いたであろうか、また橄欖の梢は芽吹いているであろうか。今宵は、篝火を焚いて、その周りを廻りながら、感激して寮歌を歌っているだろうか。後輩よ、駒場にも暗い時代の波が押し寄せ、これまでにない悩みも多いことだろうに。

「故郷の櫻や咲ける 橄欖の梢や如何に」
 「橄欖」は一高の文の象徴。軍靴の音高い厳しい世に、一高の自治は、学問は、どうだろうかと様子を案じている。
 「岡邊の櫻變らねど」(昭和10年「嗚呼先人の」3番)
 「橄欖の花手に採りて」(昭和10年「嗚呼先人の」5番)

「今は又篝火を廻り 感激の歌や唱へる」
 「篝火」は、紀念祭の篝火。第50回紀念祭は、2月2日、一般公開終了後の夕、飾り物を焚いて、大寮歌祭りを催した。

「若き子よ駒場の森に 新しき惱や持てる」
 「新しき惱」は、これまでに経験したことのない新しい悩み。新向陵建設というより、非常時で統制の強まった自治を如何にして守っていくかの悩みであろう。
 「第三節は、・・・たぎりあふれる向陵への思慕と理解とを、後輩の上にそそいでいる。一句一句、向陵を真に愛するものでなければ吐露することのできぬリズムに貫かれて居る。しかし、今やこうして語りはげます母校が、既にこの世にないことが、私達老兵にとっては、堪らなく淋しい。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「第三節までを読めば、向陵三年間の経験が、魂の『故郷』としていかに重大な意味があったものかがよく分かる。卒業後、東京を離れ地方の大学に学んだ人たちにとって、その思いは一層強く胸に響き、『望郷こそ現を離れ』とまで詠まれているのも、決して誇張ではなかったであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
世はなべて豺狼の(ごと) 信義なく榮利に(くは)し 極東の嵐も去らで 西歐は闇とはなりぬ 向陵の若き血潮は 永劫の北斗たらずや 4番歌詞 世界は、極悪無慈悲な豺狼の如き国ばかりだ。信義などどこえやら、一国の利益繁栄ばかり追求して弱い国を恣に侵している。支那事変が終わらずアジアに嵐が吹き荒れているというのに、第2次世界大戦が勃発して戦雲が空を蓋い、西欧は闇となった。嵐が吹き荒れ、闇の世にこそ、正義に燃える一高生は、夜空に輝く北斗の星となって、迷える世の人々に、道を照らして行く手を示さなければならない。

「世はなべて豺狼の如 信義なく榮利に詳し」
 「豺狼」は、山犬と狼。極悪無慈悲な人のたとえ。ここでは、独ソ不可侵条約を結び、領土的野心を満たすためにポーランド、フィンランドに侵攻したドイツとソ連を踏まえる。
昭和14年8月23日 独ソ不可侵条約。
9月 1日 独軍、ポーランド侵攻。
3日 英仏、対独宣戦、第二次世界大戦勃発。
17日 ソ連軍、ポーランドに侵攻。
11月30日 ソ連軍、フィンランドに侵攻。
12月14日 国際連盟、ソ連を除名処分。

「極東の嵐も去らで 西歐は闇とはなりぬ」
 「極東の嵐」は、支那事変。何時終わるとも見通しが立たず泥沼化していた。「去らで」の「で」は、活用後の未然形を承けて打消の意を表し、下の語句を接続させる。「西歐は闇」は、昭和14年9月に独軍のポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦の勃発をいう。アジアでもヨーロッパでも戦争になった。

「向陵の若き血潮は 永劫の北斗たらずや」
 「向陵の若き血潮」は、正義に燃える一高生。「北斗」は、北極星。日周運動でその位置をほとんど変えることがないので、方位・緯度の指針となる。寮歌では、真理・正義・理想の象徴。闇となった世に、北斗の如く輝いて、世の行く道を示すのが一高生の使命であるの意。
 「自治の光は常闇の 國をも照す北斗星 大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治34年「春爛漫の」6番)
 「単なる誇張ではなく、向陵生活を真剣に味わった者の抱懐する当然の誇りであり、自負であり、」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
星遷り時代(とし)は巡りて 大八洲生ひ立ちしより 偉なる哉東亞を守り 二十六世紀を經たり 光輝ある東亞を興し 外國(とつくに)指標(しるべ)となさん 5番歌詞 日本は建国以来、偉大な八紘一宇の思想の下に、東亜の国々を守って幾星霜、今年、皇紀2600年を迎えた。日本は、自由にして繁栄に充ちたる新東亜を建設して、欧米列強の植民地支配に苦しんでいるアジアの国々に明るい未来を示そうではないか。

「星遷り時代は巡りて」
 「星遷り」は、星は1年に天を一周するとの考えから、年月が経つこと。年毎に降る霜を加え、「星霜うつり」ともいう。
 「星霜移り人は去り」(明治35年「嗚呼玉杯に」4番)

「大八洲生ひ立ちしより 偉なる哉東亞を守り 二十六世紀を經たり」
 「大八洲」は、(多くの島からなる意)日本国の古称。「偉なる哉東亞を守り」は、八紘一宇(世界を一つの家とすること)、後の大東亜共栄圏の思想をいう。「二十六世紀」は、西暦ではなく、昭和15年に皇紀2600年を迎えたこと。
  「皇国の国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本」(昭和15年7月26日第二次近衛文麿内閣閣議決定「基本国策要綱」)
 
「光輝ある東亞を興し 外國の指標となさん」
 「光輝ある東亜」は、自由にして繁栄に充ちたる新東亜。「外國」は、欧米列強の植民支配にあるアジアの国々。東南アジアで完全な独立を保っていたのは、日本とタイのみ。昭和5年、瑞穂會主催で、インド問題について一高で講演し、多くの一高生を感激せしめたインドの亡命志士ラス・ビハリ・ボース(印度独立連盟、後にチャンドラ・ボース等と運動を統合し、インド仮政府を樹立)等は、新東亜建設に熱い期待を寄せていた。「指標」は、行く手。アジアの明るい未来への道。
さればいざ若き友等よ ひたすらに眞理(まこと)に生きん 瀆れなき傳統(つたへ)を秘めて 夜もすがら洩るる自治燈(あかり)は  五十なる丘の(よはひ)の 光榮(さかへ)ある希望(のぞみ)に滿てり 6番歌詞 そうであるから後輩達よ、国を守る一高生は、ひたすら真理を求め生きていこう。時代の嵐にも消えることなく、夜通し寮窓から洩れる自治燈の光は、50年の誕生を迎えた向ヶ丘が、さらに幾久しく栄えていくことを示して輝いているのだ。

「さればいざ若き友等よ ひたすらに眞理に生きん」
 「若き友等」は、後輩の一高生達。「眞理に生きん」は、虚偽を排し真理の道に生きよう。

「瀆れなき傳統を秘めて 夜もすがら洩るる自治燈は 五十なる丘の齢の 光榮ある希望に滿てり」
 「瀆れなき傳統」は、俗塵に侵さることのない自治の伝統。時代の嵐にも消えることない自治の伝統。「自治燈」は、紀念祭の灯。自治の伝統、教えを喩える。「五十なる丘の齢の」は、50周年を迎えた向ヶ丘の。「光榮ある希望」は、向ヶ丘が幾久しく栄えること。
 
                        

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