旧制第一高等学校寮歌解説
時は流れぬ |
昭和15年第50回紀念祭寄贈歌
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時は流れぬ五十年 『春爛漫』を歌ひてし 人の姿を見よや今 *「武香」のルビは昭和50年寮歌集で「むこう」と変更されたが、一高同窓会「一高寮歌解説書」で指摘するように原文が正しい。 あゝ 礎石となれる人々の 若き姿を思ひ出よ 紀元は二千六百年 向陵茲に五十年 變らぬ意氣を君に見て われ感慨に胸せまる 北蒙疆の雪の山 西漢口の長流や 海南島の蒼瀾に 旭旗輝く新亞細亞 その建設を念として 天壌無窮 皇統の *「天壌無窮」と「皇統の」の間の空白は、昭和50年寮歌集で句読点「、」に変更された。 *歌番はついてない。 |
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譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じ演奏である。 音楽班・樂友會以外の作曲で伴奏付きの譜も珍しい。 |
語句の説明・解釈
皇紀2600年、第50回紀念祭の記念すべき年に、明治38年寮歌「平沙の北に」の作詞・作曲のコンビ青木得三・大島正滿大先輩から寄贈された寮歌である。大學生以外の先輩からの寄贈歌は、なくはないが稀有である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
時は流れぬ五十年 |
1番歌詞 | 時は流れて、一高寄宿寮は、今年、開寮50周年を迎えた。向ヶ丘の桜の花蔭で、「春爛漫」を歌っていた明治大正卒の先輩が、今、各方面で活躍する姿を見るがよい。 「時は流れぬ五十年 武香ヶ陵の花陰に」 「時は流れぬ五十年」は、明治23年3月1日に、東・西二寮を開寮してから、今年で50年経ったこと。「武香ヶ陵」は、向ヶ丘の美称。 「『春爛漫』を歌ひてし 人の姿を見よや今」 明治の頃は、一高の代表寮歌は「嗚呼玉杯」でなく、「春爛漫」であった。「嗚呼玉杯」が、一高の代表寮歌となったのは、大正に入ってからである。「歌ひてし 人の姿」は、主に明治大正卒の一高先輩の活躍する姿である。「てし」は連語で、完了の助動詞「つ」の連用形「て」+過去の助動詞「き」の連体形「し」。歌っていた。 |
あゝ |
2番歌詞 | 我が大和民族は、明治維新以来、近代化の大事業を進め、世界に誇る興隆を遂げた。興隆の礎石となって貢献した一高生の先輩が数多くいる。その先輩たちが若き一高生の時に向ヶ丘で如何に過ごしたか思い出せ。 「世界に誇る興隆」 日本は、明治維新以来、西欧化を進め、殖産興業に努めた結果、日清・日露の戦争に勝ち、東亜の盟主としてアジアで唯一、列強入りを果たした、世界に誇る日本の興隆。 |
紀元は二千六百年 向陵茲に五十年 變らぬ意氣を君に見て われ感慨に胸せまる | 3番歌詞 | 昭和15年は皇紀2600年、その記念すべき時に、一高寄宿寮は開寮50年を迎えた。自分たち明治の一高生と変わらない意気を後輩の君たちの中に見て、感無量である。 「紀元は二千六百年 向陵茲に五十年」 「向陵」は、ここでは一高寄宿寮のこと。 一高自体は、昭和13年11月1日に創立60周年記念式を行った。ただし、昭和13年は、明治7年の東京英語学校設立からは64周年、明治10年の東京大学予備門からは61周年にあたる。駒場移転のため、記念式が遅れた。 「變らぬ意氣を君に見て われ感慨に胸せまる」 「變らぬ意氣」は、明治の時代の一高生と変わらない後輩達の意気。 |
北蒙疆の雪の山 西漢口の長流や 海南島の |
4番歌詞 | 北は、蒙古国境の大興安嶺の雪の山に、西は武漢三鎮の揚子江の流れに、南は海南島の波の上まで、日本の支配が及んだ。新しいアジアの朝を告げて、それらの地には日章旗が朝日に輝いて翻っている。 「北蒙疆の雪の山」 「北蒙疆」は、満州国と外蒙古の国境。「疆」は境のこと。「雪の山」は、中国東北部の大興安嶺山脈の山々(海抜1100から1400メートル)をいう。 昭和14年5月、満州国西部ノモンハンの国境線をめぐり、満・外蒙両軍が衝突し、日・ソ両軍の戦闘に発展した(ノモンハン事件)。同年8月20日、日本軍は、ソ連機動部隊に圧倒され、第23師団は壊滅した。ただし、戦後、明らかになったソ連の資料の検討により、ソ連側も相当の被害があり、日本軍の完敗ではなかったという意見も出ている。 「西漢口の長流や」 昭和13年10月27日の日本軍による武漢三鎮(漢口・武昌・漢陽)占領を踏まえる。漢口は、現在は中国湖北省都武漢市の一部。長江(揚子江)中流の漢水との合流点にある。「長流」は、長江、揚子江のこと。 「海南島の蒼瀾に」 昭和14年2月10日、日本軍の海南島上陸を踏まえる。「蒼瀾」は青い波。 「旭旗輝く新亞細亞」 「旭旗」は、日の丸の旗。日本の勢力圏が北は内蒙古から、西は漢口、南は海南島まで拡がったことをいう。昭和13年12月、興亜院(昭和17年、大東亜省に吸収)を設置して支那事変の占領地を統治させた。 「北樺太の雪の原 西大連の灣頭に 朝日の御旗かげ清く 領土は南北三千里」(明治39年寮歌「太平洋の」2番) 「登る朝日に露消えて 東亜の覇業成らん時」(明治37年「都の空」10番) |
その建設を念として 天壌無窮 皇統の |
5番歌詞 | 新しいアジアの建設を常に念頭において、永遠に続く万世一系の皇統の下、国を守る一高生の意気も、皇統と共に永遠に変わることがないように祈る。 「その建設を念として」 「その建設」は、4番歌詞の最後の新亞細亞の建設。「念として」は、念頭において。常に心がけて。 「天壌無窮 皇統の 下に之より幾千年 男兒の意氣よ變らざれ」 「天壌」は天地のこと。「無窮」は、永遠に続くこと。「皇統」は、天皇の血統。「天壌無窮」と「皇統の」の間の空白は、昭和50年寮歌集で句読点「、」に変更された。 |