旧制第一高等学校寮歌解説
不知火の |
昭和15年第50回紀念祭寄贈歌 九大
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1、 不知火の筑紫の果に あかねさす空を望みて
丘憶ふ吾等の集ひ 打 2、ひんがしの大き 矛とりし四年の春に わが丘の今日の喜び 3、力もて吾等の和する 壽ぎの聲のとよみに 海渡り 4、苔積みて五十を重ぬ 八寮の並らぶ窓邊に 夕かげる灯ししのびて 結ぼれし |
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譜にに変更はない。MIDI演奏は、左右とも同じ演奏である。 テンポは、♩=52で、このまま歌うと極めてゆっくりである。メトロノームによるテンポ指示の寮歌は、一高では大変に珍しい。「嗚呼先人の」(原譜)、「新渡戸校長惜別歌」、「一高音楽班班歌」位である。 |
語句の説明・解釈
多くの大学から寄贈歌のあった本郷最後の昭和10年紀念祭にも、かって明治・大正時代、寄贈歌の常連で会った九州帝国大学からのからの寄贈歌はなかった。この寮歌は、大正9年寄贈歌「漁火消えゆき」以来、二十年ぶりの懐かしい九州帝国大学からの寄贈歌である。作詞作曲者とも不明であるが、4番歌詞に「八寮の並らぶ窓邊に」とあることから、本郷一高を知る大先輩からの寄贈をうかがわせる。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
不知火の筑紫の果に あかねさす空を望みて 丘憶ふ吾等の集ひ 打 |
1番歌詞 | 都から遠く離れた九州の地で、朝日の昇る東の空を望みながら、向ヶ丘を慕う我らが集まった。心をなごませて紀念祭を祝って、寮歌を歌おう。 「不知火の筑紫の果に」 「不知火の」は、「筑紫」の地名にかかる枕詞。領(し)らぬ霊(ひ)がよりつく意からとも、都から知らぬ日(多くの日数)を尽くして行く地の意から「筑紫」にかかるともいう。「筑紫」は、九州の古称。また、筑前(今の福岡県の北西部)・筑後(同南部)をさす。 「西に離れて三百里 筑紫の果に迷ふ時」(明治45年「筑紫の富士」5番) 「つくしの果に今よ今 うたげのむしろうちひらき」(明治41年「紫淡く」12番) 「天つ日の目覺むる涯に 不知火の幸を覓めつゝ」(昭和19年6月「嗚呼悠久の」1番) 「あかねさす空を望みて」 「あかねさす」は、東の空が茜色に映える意から昇る太陽を連想し、美しく輝くのをほめて、「日」「昼」「紫」「君」にかかる枕詞だが、ここでは、文字どうり「茜色に映える」の意。「あかねさす空」は、一高のある東の方向の空。 額田王 「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が手を振る」 「丘憶ふ吾等の集ひ 打和み祝ぎて歌はん」 向ヶ丘を慕う福岡一高会の紀念祭の集いをいう。「丘」は、向ヶ丘のこと。 |
ひんがしの大き |
2番歌詞 | 東アジアの大陸諸国を興隆させようと国を挙げて、武器をとって足かけ4年の春に、我が向ヶ丘は今日の紀念祭の喜びの日を迎えた。 「ひんがしの大き大地 興さんと國を擧りて 矛とりし四年の春に」 「ひんがしの大き大地」は、中国大陸。東亜の諸国。「興さんと」は、日本の満蒙政策に反対する中国を従わせて、日本が主導する東亜の新秩序を建設しようとの意。「矛とりし」は、支那事変のこと。同年他寮歌の3年に比べ1年多い。足かけ4年の意で、持久戦となり長引いていることを強調するためであろう。昭和11年1月の華北5省の自治化を企図した第1次北支処理要綱、同8月の華北5省に防共親日満地帯建設を企図した第2次北支要綱から起算すれば、昭和15年は満4年となる。 「三年を經にし聖戦や 御稜威は坤にあまねくて」(昭和15年「瑞雲罩むる」2番)、 「御戰も三年めぐりて 彌高く御稜威擧りぬ」(昭和15年「清らかに」9番) |
力もて吾等の和する 壽ぎの聲のとよみに 海渡り |
3番歌詞 | 紀念祭を祝い、我らが力強く歌う寮歌の大きな声が、海を渡り、日本軍に禍をもたらす凶悪な神を取り鎮める鬨の声と響け。 「力もて吾等の和する 壽ぎの聲のとよみに」 「壽ぎの聲」は、紀念祭を祝い、寮歌を歌う聲。「とよみ」は、鳴り響くこと。 「海渡り醜の魔神 取鎮む喊聲とも響け」 「醜」は、ごつごつして、いかついさま。転じて、醜悪・凶悪の意。「魔神」は、禍神で、人に不幸や禍をもたらす神。具体的には日本軍の敵である中国国民党政府軍、中共軍(紅軍)をいうものであろう。 |
苔積みて五十を重ぬ 八寮の並らぶ窓邊に 夕かげる灯ししのびて 結ぼれし |
4番歌詞 | 一高寄宿寮は、苔むして、今年、齢50年を重ねた。八寮の甍が並ぶ寄宿寮の窓辺に、夕暮れにともる祭りの灯を遠く偲んで、向ヶ丘で結んだ友を思おう。 「苔積みて五十を重ぬ 八寮の並らぶ窓邊に 夕かげる灯ししのびて 結ぼれし友情を思はん」 「苔積みて」は、苔むして。長い年月がたって。「かげる」は、蔭るか。「夕かげ」は、日が傾いて辺りが夕方らしい暗さになった状態。また、その中に見える物の姿をいう。「八寮」は、本郷一高にあった八棟の一高寄宿寮。「作者の念頭には立寮50年の歴史の大半をなす本郷時代のイメージが強く働いて、このような表現になったのだろう」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。作詞者は不明であるが、本郷一高経験者の作詞かも知れない。 |