旧制第一高等学校寮歌解説
嚴白檮の |
昭和15年第50回紀念祭寮歌
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1、 高らかに祝の調べ 大いなる自治を謳ひぬ 天そゝる高き *「嚴白檮」は昭和50年寮歌集で「嚴白禱」と改められたが、誤植で原文が正しい。 2、 秋津島 春秋や二千六百 民族の理想は高く 猛鷲の崑崙越えて 三更の月色寒し *「八千杵」は昭和50年寮歌集で、「八千戈」と変更。 3、流らふる狭霧亂れて 新しき生命を告ぐる 大陸に流れし血潮 慘として天日赤し 柏葉兒今し立たずば 東洋は何時か *「再繁」のルビは昭和50年寮歌集で「おこ」と変更された。 4、一城を昨日落して 一城を今日又落す 遠空の 涯しなき道にはあれど 時代の苦惱繁にはあれど 香りする橄欖の下 嘆き捨て雄々しく行かん |
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譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じである。 途中、2拍子から3拍子に変り、最後にまた、2拍子に戻る。最後のレードドーソ ソーシードー「築き來しかな」は、マスターするのに時間がかかった。誰も歌ったことも、聞いたこともない寮歌をマスターするのは難しいが、時代背景を調べ、語句の意味を塾考し、歌うのは、また楽しからずやである。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
1番歌詞 | 勢いよく白樫の木が繁った神々しい向ヶ丘に、瑞雲がたちこめている。開寮50周年を祝う楽友会の奏でる楽のしらべが空に響き渡って、大いなる自治を讃えた。天に届けとばかりに聳える一高のシンボル・時計台を仰ぎながら、栄光の一高寄宿寮の歴史を偲べば、自治をかくも高く一途に築いてきたものだと思う。 「嚴白檮の神さびにける 丘の邊に瑞雲こめて」 「嚴白檮」は、稜威樫・厳樫とも書く。「イツ」は神や自然の勢威。自然の勢いが盛んで、繁茂している樫の木。駒場本館前にでんと聳える白樫のことである。ここでは、一高の象徴「柏葉」の柏の木の意味に使っている。「神さび」は、神々しい不思議な様子を示す。「瑞雲」は、めでたいしるしの雲。昭和15年は、一高寄宿寮の紀念すべき50周年にあたる。 「綠なす白檮の香りや今はたいづこ」(昭和14年「春毎に」1番) 古事記『雄略天皇』 「御諸の厳白檮がもと白檮がもとゆゆしきかも白檮原童女」 古事記『倭建命』 「命の全けむ人は畳薦平群の山の熊白檮が葉を髻華に挿せその子」 「高らかに祝の調べ」 東大音楽部、東京音楽学校、東高音楽部の応援を得て、2月1日は晩餐会の席上で、2月2日は一般公開として嚶鳴堂で、寮歌を加え楽友会の演奏があった。 「昭和15年2月の紀念祭には、これ(ベートーヴェンの『第五交響曲第一楽章』)を先輩箕作秋吉作曲の『二つの舞曲』とともに演奏し、好評を得た。」(「向陵誌」楽友会昭和15年2月) 「天そゝる高き塔 ひたぶるに築き來しかな」 「 |
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2番歌詞 | たとえ背くものがあっても、多くの武器を持った皇軍が疾風の如く鎮めてしまうので、畝傍の山の木の葉がざわざわと音を立てることもなく、すなわち、強力な軍隊を持った天皇に刃向う者は、この日本の国にはなく、天皇の治世は、安定している。日本の国が建国されてから、時の波が捲き去った年月は極めて長く、今年、記念すべき皇紀2600年を迎えた。大和民族の理想は高く、東亜の盟主として、東亜の新秩序を建設しようと腐心している時、ソ連軍が崑崙を越えて、ノモンハンで我軍を襲い、我軍に多くの犠牲者が出た。渺々とした深夜の原野に、月の光が冷たく照って、淋しい。 「八千杵の王師疾み 畝傍山木の葉さやがず」 「八千杵」は、多くの杵、すなわち多くの武器。奈良・天理の石上神社は、大和王朝の武器庫であったという。「八千杵」は、石上神社に伝わる大和朝廷の武器の象徴としての「七支刀」(国宝)を念頭においたものとも考えられる。「七支刀」は、鉾に似て、刀の左右に3本の枝刃の出た合計7本の刃を持った刀で、神功皇后時代に百済王から大和朝廷に贈られたものという。「杵」は、大きな楯の意で、「ほこ」と読ませるには無理があるということか、昭和50年寮歌集で「戈」に変更された。「王師」は天子の軍隊、皇軍。「畝傍山木の葉さやがず」は、反乱がないこと、治世が安定していること。古事記『神武天皇』に「狭井河よ雲立ちわたり畝傍山 木の葉 中大兄皇子 「香具山は畝火ををしと耳成と相あらそひき神代よりかくにあるらし 「秋津島建國れにし時ゆ 捲去りし時劫の波の 春秋や二千六百」 「秋津島」は、日本国の異称。「ゆ」は、時や動作の起点をあらわす助詞。・・・より。・・・から。「時劫の波」とは極めて長い時間のこと。「劫」は永劫などと使う。「春秋や二千六百」は、昭和15年は、皇紀2600年の記念すべき年であった。 「民族の理想は高く」 「民族の理想」は、3番歌詞の「東洋は何時か再繁らん」から、東亜の盟主となって、アジアの国と民を西欧列強の支配から解放することと解す。具体的には、日本を盟主とする東亜の新秩序建設をいう。 「猛鷲の崑崙越えて 三更の月色寒し」 ノモンハン事件で日本軍がソ連機動部隊に完敗したことをいう。 「猛鷲」はソ連軍、「崑崙」は 中国古代に西方にあるとされた高山、チベットと新疆ウイグル自治区の境を東西に走る大山系のこと。ここでは満蒙の国境の山程度の意味。「猛鷲の崑崙越えて」とは、昭和14年5月12日、ノモンハンで満・外蒙両軍の衝突から日・ソ両軍の戦闘に発展し、同年8月20日、機動力に勝るソ連軍に関東軍は完敗、第23師団は全滅した。独ソ不可侵条約の締結によるヨーロッパ情勢の変化により、同9月15日モスクワで停戦協定が結ばれた。 「三更」は、今の午後11時から午前1時頃。子の刻に当る。その時を知らせるのに鼓を三打したので、三鼓ともいう。「月寒し」とは、ノモンハン事件での日本軍の完敗を踏まえた表現である。なお、ソ連軍の被害が戦後次第に明らかになるにつれ、必ずしも日本軍の完敗ではなかったのではないかとの意見もある。 |
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流らふる狭霧亂れて |
3番歌詞 | ヨーロッパでは、立ち込める白い霧を乱して、砲音が轟き黒煙が世界をおおって、第二次世界大戦が勃発した。支那事変を戦っているアジアでは、事態を打開しようと模索しているようであるが、支那事変で流れた犠牲の血で染まったかのように、大陸の夕陽は真っ赤に燃えている。一高健児が今こそ起たなければ、アジアの諸国は、何時、自由を取り戻すことが出来るというのか。一高健児よ、起て。 「流らふる狭霧亂れて 砲音は世界を覆う」 第2次世界大戦の勃発を踏まえる。「流らふる」は「流らひ」(連用形、「ひ」は反復・継続の接尾語)の連体形。つづけて流れる。立ち込める白い霧を乱して、黒い硝煙が立ち込める。 昭和14年9月1日、ドイツ軍、ポーランドに侵攻、第2次世界大戦が勃発、9月3日、英仏は、ドイツに宣戦を布告した。 「新しき生命を告ぐる 胎動の聞えはすれど 大陸に流れし血潮 慘として天日赤し」 「新しき生命を告ぐる胎動」は、、昭和13年11月3日、中国の汪兆銘政権を引出し事態の進展を図った第2次近衛声明で示した東亜の新秩序建設、昭和13年12月22日、第3次近衛声明で示した近衛三原則(善隣友好、共同防共、経済提携)をいうか。日米間では、関係打開を図ろうと知米派の野村外相・グル―大使の会談が昭和14年11月4日から開始された。「大陸に流れし血潮」は、支邦事変やノモンハン事件で流された血。「天日」は、太陽。「赤し」は、戦死者の血に染まって赤い。 戦友 「ここは御国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下」 「戦争目的の単なる肯定にとどまっていない、作者の良心の声を聞くことができる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「柏葉兒今し立たずば 東洋は何時か再繁らん」 東洋の盟主としての一高生の意気を示す。「 「我等起たずば東洋の 傾く悲運を如何にせむ」(明治35年寮歌「混濁の浪」5番) 「こぞり立ち力盡さむ 東洋の盟主われらは」(昭和15年「清らかに」9番) |
一城を昨日落して 一城を今日又落す 遠空の |
4番歌詞 | 戦国の戦いで、砦を一つづつ落として根城に迫ったように、一歩一歩前進しながら、真理を目指して、限りない時の流の中を、今、この時を真剣に生きていこう。果てしない道を歩むことになるが、また時節の苦しみ悩みは次から次へと尽きないが、橄欖の花が咲き匂う向ヶ丘で、嘆くことを止めて、真理を求めて雄々しく前に進んで行こう。 「一城を昨日落して 一城を今日又落す」 戦争のことではなく、「遠空の秘義目指し」、すなわち真理追求のため、一歩一歩着実に前進することをいう。 「遠空の秘義目指し 永遠の現在にぞ生きん」 前句の「一城を昨日落して 一城を今日又落す」を承ける。「遠空の秘義」は、真理。「永遠の現在」は、生きている今、この時を大切にの意。時局がひっ迫し、いつ召集され、死ぬかもしれない厳しさをこの句にこめる。 「眞理追及こそ人生の最高価値であり、短い生の今のこの瞬間の中にこそ、永遠が宿っていると見ている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「涯しなき道にはあれど 時代の苦惱繁にはあれど 香りする橄欖の下 嘆き捨て雄々しく行かん」 「涯しなき道」は、真理追究の道。「時代の苦惱」は、軍国主義の世で、学問・思想の自由のない苦悩。「橄欖」は、一高の文の象徴。「香りする橄欖の下」は、橄欖の花が咲き匂う下。向ヶ丘では学問技芸が盛んであるので。「藝文の花咲きみだれ 思いの潮湧きめぐる」(明治43年「藝文の花」1番)向ヶ丘での意。「香り」は、臭覚的な匂いにも、視覚的な美にもいう。 |
草枕駒場の宿に 起臥して三年が憩ひ つひに行く道とは知りぬ しかすがに |
5番歌詞 | 人世の旅の途中で立ち寄った駒場の寄宿寮も、起伏しして三年が経った。いつかは別れの日が来ることは覚悟していたが、そうはいっても、別れというものは悲しいものだ。酒樽を叩いて、友よ寮歌を歌え。向ヶ丘で過ごした三年の思い出は何時までも尽きないが、燃えさかる篝火の赤い炎を仰いで、幸多かれと旅立ちを祝って寮歌を歌おう。 「草枕駒場の宿に 起臥して三年が憩ひ」 「草枕」は、旅の枕詞と使われることが多いが、ここでは「旅寝の枕」。「三年が憩ひ」は、寄宿寮で三年を過ごすこと。 「たまゆらの、三年が憩ひ」(昭和2年「たまゆらの」1番) 「つひに行く道とは知りぬ しかすがに別離悲しみ」 「つひに行く道」は、卒業して向ヶ丘を去り、世間に旅立つ道。「しかすがに」は、そうはいっても。 厳しい時局下、若き身で死をも覚悟しなければならない運命と、三年の向陵生活を終え、それぞれ別れ離れになる運命の両方の意を含むか。 古今・業平861 「つひにゆく道とはかねてききしかど 昨日今日とは思はざりしを」 「当時の寮生達の、複雑な心の屈折の後、辿りついた諦念の如きものを吐露している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「酒甕打ち歌へいざ友 追憶は何時し涯ねど いや照き篝仰ぎ 幸福多き首途の歌を」 「 |