旧制第一高等学校寮歌解説
清らかに |
昭和15年第50回紀念祭寮歌
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1、清らかに秋の夕ぐれ 淋しくも華麗なる 彌生道風もつめたく 思ひ出は湧きて出づなり 2、はやすぎし三年うるはし 紅き頬望みかヾやき 此の丘に慕ひ登れば 柏葉の森は清くて 若人とわれは誇りき 過ぎにしは繪にてこそあれ 10、ふるさとは今宵まつる日 月照れば篝燃え立ち 五十路なる齢祝ひて 杯に酒し掬みては 高うたふなつかしの歌 友びとよ宵を踊らむ |
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各段最初と最後の小節が不完全小節であるが、曲としては、弱起の曲となっている。 平成16年寮歌集で、次のとおり1箇所変更があった。(不完全の小節も小節数にカウント) 「よーいみ」(5段2小節)の「み」の音はシからラに変更された。その他は変更なし。 |
語句の説明・解釈
一高寮歌に、こんな清純なメロディーの寮歌があるなんてと驚かれる方も多いのではないだろうか? しかも支那事変が泥沼化し、第2次世界大戦が既に欧州で始まり、英米との戦争を目前にした緊迫した時代の寮歌である。歌詞では、8番・9番で「偲ばずや征きしつはもの」「御戰も三年めぐりて」と長引く支那事変にも触れている。2番の最後の「過ぎにしは繪にてこそあれ」の文句が有名である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
清らかに秋の夕ぐれ |
1番歌詞 | 夕陽に美しく照り映えた向ヶ丘の秋の夕暮れ、淋しそうに、しかし華麗に黄葉した銀杏の葉が落ちた道を、かそこそと踏んで逍遥する。彌生道に冷たい風が吹いて、銀杏の枯葉が夕陽に輝きながら落葉した。向ヶ丘を去る日が近くなったと思うと、懐かしくて向ヶ丘三年の思い出が次から次へと湧いてきた。 「彌生道風もつめたく 思ひ出は湧きて出づなり」 「清らかに」は、美しく。ここでは夕陽に映えるさまをいう。「彌生道」は、一高校内を東西に貫く銀杏路、寮生の散策路であった。現在の彌生路は銀杏の木々も大きくなり夏など、鬱蒼としているが、向陵誌の写真で見ると当時はまだ若木で背も低かった。「風も冷たく」は、冷たい風に銀杏の枯葉が舞い散ったことであろう。「思ひ出」は、2番歌詞の最初に「はやすぎし三年うるはし」とあるように、向ヶ丘三年の思い出。 |
はやすぎし三年うるはし 紅き頬望みかヾやき 此の丘に慕ひ登れば 柏葉の森は清くて 若人とわれは誇りき 過ぎにしは繪にてこそあれ | 2番歌詞 | 麗しい三年は早くも過ぎた。頬紅の若人が望みを輝かせて、この丘に憧れて一高に入学してみると、柏の森は、俗塵から遠く離れ清くて、若人らしく意気溌剌と過ごすことができた。過ぎ去った日は、もう戻りたくても戻れない思い出の一コマ、絵のようなものだ。 「はやすぎし三年うるはし 紅き頰望みかゞやき 此の丘に慕ひ登れば 柏葉の森は清くて」 「此の丘に登れば」は、一高生となって。「柏葉の森」は、向ヶ丘。「柏葉」は一高の武の象徴。読み方は、「はくよう」と「かしわば」の二手に分かれる。「清くて」は、汚れなく。向ヶ丘は、俗塵を断って籠城しているので汚れがない。 「あゝ東よりはた西ゆ 柏の森に集ひ來て」(大正6年「櫻眞白く」3番) 「嗚呼紅の陵の夢 其の香其の色永劫に」(大正3年「黎明の靄」2番) 「若人とわれは誇りき 過ぎにしは繪にてこそあれ」 「若人とわれは誇りき」は、若人らしく意気溌剌として過ごした。「過ぎにしは繪にてこそあれ」は、昭和30年代の流行歌「哀愁の街に霧が降る」に「過ぎし日のあの夜は、カラー・フィルムのコマか」という歌詞があったが、同じような意味であろう。高校の頃に読んだヘルマン・ヘッセの小説「青春は美し」を思い出す。 「誇の丘の三つ歳や 天翔け渡る自由に生き」(昭和8年「古りし榮ある」4番) 「橄欖の森柏葉下 語らふ春は盡きんとす」(大正3年「黎明の靄」2番) 「あはれ人生の強者と 雄々しく叫ぶ同胞よ」(大正6年「櫻眞白く」3番) |
友どちも心交しき 夜は更けて蝋燭の火に 語りつぐおのが悲しみ 手をとりて肩をたゝきて 朝明けを共に見しかな 今去りてすべてむなしく | 3番歌詞 | 友だちどうし、夜更けに蝋燭の灯を継ぎ足しながら互いの苦しみ悲しみを打明けた。手を取り肩を叩きながら、時間が経つのも忘れて朝まで、互いを慰め励まし合ったこともあったことだなあ。 「友どちも心交しき 夜は更けて蝋燭の火に 語りつぐおのが悲しみ」 「友どち」は、友だちどうし。「どち」は、親しい間柄の人、仲間のこと。「蝋燭の火」は、寄宿寮には消灯時間(自習室は午後12時頃)があって、それ以降は蝋燭の灯で勉強したりした。「語りつぐ」は、語り継ぐのほかに蝋燭を取り換えてはの意を含む。蝋燭の火は、太さと長さにもよるが、一本で一晩は持たない。 「手をとりて肩をたゝきて 朝明けを共に見しかな」 「手をとりて肩をたゝきて」は、慰め励まし合うこと。「朝明けを共に見し」は、朝まで共に過ごしたことをいう。 |
書讀めばよろこびを知り 旅行きて樂しさと呼ぶ 先人の踏みゆきし道 新しく拓きゆく道 雄々しくも我は進みき あこがれのみちびくまゝに | 4番歌詞 | 読書の喜びを知り、旅行の楽しさも知った。興味を持ち、やりたいと思ったことは、先人の業績の跡をたどり、また新しい道を切り開いて、何にでも雄々しく自分は挑戦してきた。 「あこがれのみちびくまゝに」 興味を持ち、やりたいと思ったことには何でも挑戦した。 |
春去りて花に浮き立ち 水流る川のほとりを 青空に若さ謳へば 雲雀鳴き雲にかくれし 仕合せの時もありしか めぐりくる別れえ知らず | 5番歌詞 | 春が巡って来て桜の花に浮かれ立ち、水温む川のほとりに出た。青空に向って若々しい声を張り上げて歌うと、雲雀は我が歌を追いかけて囀りながら天高く上って雲に隠れてしまった。そんな幸せな時もあったので、迫りくる三年の別れをつい忘れてしまっていた。 「春去りて花に浮き立ち 水流る川のほとりを 青空に若さ謳へば」 「春去りて」は、春がめぐって来て。「去り」は、時・季節が移りめぐって来ること。 万葉1151 「夕されば小倉の山に鳴く鹿は こよひは鳴かず 「雲雀鳴き雲にかくれし 仕合せの時もありしか めぐりくる別れえ知らず」 雲雀は天高くホバリングして鳴く。その姿を若々しい我が歌声を追いかけて天高く上り、雲に隠れてしまったと表現。「めぐりくる別れ」は、向陵悲傷の別れ。三年が過ぎれば向ヶ丘を去らねばならない、友と別れなければならない運命。「ありしか」の「しか」は、回想の助動詞「き」の已然形。あったので。「え知らず」は、とても知ることができない。うっかり忘れていた。「え」は、打消し表現を伴って、よく・・・(せぬ)。とても・・・(できない)。 |
風吹きて月はさやかに しらじらと道を照せば 歡樂はすべて消え果て 悲しくも指を折りつゝ 去りてゆくその日 |
6番歌詞 | 風が吹いて空気が澄んだせいで月の光は冴えて、はっきりと人の道を照らしてくれたので、我が身から行楽の心は全て消え失せた。あと何日たつと別れの日がくると、指を数えては悲しくもの思いに沈んでしまう。人の世は淋しいものと人はいうが、そのとおりである。 「風吹きて月はさやかに しらじらと道を照せば 歡樂はすべて消え果て」 「しらじらと」は白々とで、はっきりと。「道」は、人の踏み行うべき道。「歡樂」は、5番歌詞の「花に浮き立」つような行楽の心のこと。 「悲しくも指を折りつゝ 去りてゆくその日思ふなり」 「去りてゆくその日」は、迫りくる別れの日。「去り」は前述(5番歌詞「春去りて」の説明参照)。「 「人の世は淋しさといふ」 人の世は淋しいものだと人の云う。 若山牧水 「幾山河越えさり行かば寂しさの 果てなん国ぞ今日も旅ゆく」 |
若さそもいつか滅びむ 友どちの厚き情けも 永遠とひとな思ひそ 何時の世もたゞひとりして 旅行くは運命にてある いざ野行き光追はゞや | 7番歌詞 | 若さと言ってもいつかは老いるものだ。友達どうしの厚い友情も、永遠に続くものとは思わないでくれ。真理追究の旅は、何時の世もただ一人でするのが運命である。さあ、野に出て真理を追い求めることとしよう。 「若さそもいつか滅びむ 友どちの厚き情けも 永遠とひとな思ひそ」 「若さそも」の「そも」は、それも。そもそも。「友どち」は、友達どうし。 「永遠とひとな思ひそ」は、永遠に続くものと思わないでくれ。「な・・・そ」は、禁止の意をやさしく表す。どうか・・・しないでおくれ。 「たまゆらの三年のちぎり 去り行かばかなしきものを」(大正13年「曉星の」饗宴) 「何時の世もたゞひとりして 旅行くは運命にてある いざ野行き光追はゞや」 「旅行く運命」は、真理を追究して旅する運命。「いざ野行き光追はゞや」の「野」は、真理追究の 「光を追ひて野を行けば」(大正5年「わがたましひの」3番) |
此の三年過ぎてうるはし なつかしの思ひたえずに 知るしらず涙こぼるゝ 偲ばずや征きしつはもの 憂ひなくわれら學べり 踏みゆかん眞理指す道 | 8番歌詞 | 過ぎ去った向ヶ丘三年は麗しい。懐かしく絶えず思い出しては、知らず知らずのうちに涙がこぼれてくる。支邦事変に出征した一高生のことを忘れていけない。出征した同胞のお蔭で、我々は平穏に学園生活が送れるのだ。真理追究の道に励もう。 「此の三年過ぎてうるはし なつかしの思ひたえずに」 「此の三年過ぎてうるはし」は、2番歌詞の「はやすぎし三年うるはし」を承ける。 「偲ばずや征きしつはもの 憂ひなくわれら學べり」 「征きしつはもの」は、支那事変に出征した一高生。昭和13年9月15日、長引く支那事変に一高からも初の応召者が出た。 「出征して行った先輩友人達のお蔭で、自分達が今までのんびり寮生活にひたれたことを感謝している。之亦非常下にゆれる寮生のデリケートな心情の一面をしめす。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
御戰も三年めぐりて 彌高く御稜威擧りぬ 朗らかの建設の音 受けつがば榮えを守りて こぞり立ち力盡さむ 東洋の盟主われらは | 9番歌詞 | 支那事変も三年がたって、益々天皇の威光が高く輝いて戦績が上がっている。アジアの未来を拓く新東亜建設の事業を受け継ぐことがあれば、東洋の盟主である我等は、こぞって起ち、この栄光ある事業を守り力を尽くそう。 「御戰も三年めぐりて 彌高く御稜威擧りぬ」 「御戰」は支那事変のこと、昭和12年7月7日に始まった盧溝橋事件以来三年近く経った。「御稜威」は、天皇の威光。 「朗らかの建設の音 受けつがば榮えを守りて こぞり立ち力盡さむ 東洋の盟主われらは」 「朗らか」は、明るく響き渡る。「建設の音」は、新東亜の建設の槌音。あるいは新向陵の建設の槌音。ここでは「東洋の盟主われらは」の句から前者と解す。「受けつがば」は、受け継ぐことがあれば。未然形の仮定条件となっている。 昭和13年11月3日、近衛首相、東亜新秩序建設を表明(第2次近衛声明)。同年12月16日、興亜院設置。「第2次近衛声明」とは、日本の戦争目的は、「東亜新秩序の建設」にありとし、蒋介石の下野、汪兆銘の引き出しを図ったもの。「東亜新秩序声明」ともいう。 「東洋の盟主われらは」 「盟主」は、同盟の主催者。西洋列強の支配からアジアを解放する国。 |
ふるさとは今宵まつる日 月照れば篝燃え立ち 五十路なる齢祝ひて 杯に酒し掬みては 高うたふなつかしの歌 友びとよ宵を踊らむ | 10番歌詞 | ふるさとの向ヶ丘は、今宵、紀念祭の宴の日だ。日が暮れ月が出れば、篝火が燃え上る。寄宿寮の50歳の誕生を祝って、杯に酒を汲んでは、懐かしい寮歌を高誦して、友よ、今宵は踊り明かそう。 「ふるさとは今宵まつる日 月照れば篝燃え立ち」 「ふるさと」は、向ヶ丘。「まつる日」は、紀念祭の日。 記念すべき第50回紀念祭は、2月1日、2日の二日間で行われた。時局の進展に伴って、飾り物廃止の要請が、特に学校側からあったが、深更に及ぶ大論争の上、飾り物は製作、一般公開は一日と決まった。2月2日午後4時一般公開を終了した後、4時35分から午後6時30分頃まで、紀念祭のフィナーレに相応しく大篝火を焚いて寮歌祭を行なった。 「五十路なる齢祝ひて 杯に酒し掬みては 高うたふなつかしの歌 友びとよ宵を踊らむ」 「五十路なる齢」は、開寮50周年。「なつかしの歌」は、寮歌。「なつかし」は、50周年にちなんで、なつかしい思い出の寮歌という意か。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 五十回の紀念祭という本来は大いに士気高揚すべき時のうたが、全節にかかる沈鬱の色を漂わせているのは、寮生の青春を脅かす戦雲のためであろう。 | 「一高寮歌私観」から |