旧制第一高等学校寮歌解説
ああさ丹づらふ |
昭和14年第49回紀念祭寄贈歌 東大
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ああさ *「道途」は昭和50年寮歌集で「首途」に変更。 大火は流る 遊子の思ひさびし時 海樓あやに崩れしが 三年は丘に佇みて 汝が靑春の花いくさ *「かかれ」は昭和50年寮歌集で「かゝれ」に変更。 時代のなゐに搖ぎつつ 宴の 今日夢殿に春淡く 昔の歌に翼あり *「搖ぎつつ」は昭和50年寮歌集で「搖ぎつゝ」に変更。 *番数は昭和50年寮歌集で付けた。昭和18年の寮歌集にはない。 |
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4段3小節2音ファにナチュラル記号が付くが(現譜も同じ)、上の譜ではソフトが対応していない(また不必要)ので省略している(♯ファは4小節前で、影響を受けぬ)。 ハ長調・4分の3拍子、譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じである。 ドレミード ミファソーの主メロディーが心地よく清々しい。ますます暗くなっていく時世だこそ、このような清純なメロディーが寮生に愛唱されたのであろう。同じように清純な前二曲「春毎に」、「丘の雲」よりこの寮歌が好まれたのは、歌詞はさて置き、曲の上では、この曲は拍子が3拍子で、リズムが伝統的なタータ(付点8分音符と16分音符)を基本としている。調子よく歌えるからである。それに各段3小節のリズムを変え、メロディーに変化をつけている。これがこの寮歌の曲としての大きな特徴と思う。極めつけは、終わりのミーファソーーミ レーレドーー(「覚めざりき」)ではないでしょうか。「さーあめーえ」と1オクターブ上げるのは少々苦しいが、天井を見上げながら頑張って声を出そう。 昭和50年寮歌集で、「げいせい」の「せ」(3段1小節3音)の音が4分音符で付点が落ちているが、誤植である。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 | ||||||||||||||||||
ああさ 光と香ふ |
1番歌詞 | 頬紅に色美しく光輝く一高生は、向ヶ丘に護國旗を高くかかげ、建学精神である護国の心を今日まで固く守ってきた。 「ああさ丹づらふ色若く 光と香ふ武士が」 「さ丹づらふ」は枕詞。紅顔の意から「君」「妹」、赤い色の意から「もみち」「紐」「色」に」かかる。「香ふ」は、色美しく映える。「武士」は、一高生。 「花は櫻木人は武士 武士の魂そなへたる 一千人の靑年が」(明治23年「端艇部部歌」) 「緋縅着けし若武者は 鎧に花の香をのせて」(明治42年「緋縅着けし」1番) 「緋縅しるき若武者の そびらの梅に風ぞ吹く」(明治38年「王師の金鼓」5番) 「霓旌高く掲げ來て 道途の夢は覺めざりき」 「霓旌」は、にじのように美しい旗。羽毛で作った五色の旗。天子の旗。これを、①護國旗、②自治の旗、③一高に入学した時の初心、志操等と解することができるが、天子の旗から①の護國旗と解す。「道途」は、昭和50年寮歌集で、「首途」に変更された。「首途の夢」は、護国の建学精神。なお「霓旌」を自治の旗、初心と解する場合は、それぞれ理想の自治、真理追究の意となる。 「『霓旌』は、もと貴人の儀仗の一種で、羽毛を五色に染めてつづった旗。ここでは、たんに『旗』の意味。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「第一節は、いろいろ解釈のしようがあるが、一、二行は向陵生を指し、それが霓旌(将軍の旗、覇者の旗)を掲げつ、青春の闘いの夢はまだ醒めないというほどの意。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) |
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大火は流る 遊子の思ひさびし時 海樓あやに崩れしが |
2番歌詞 | 支那事変は、南京が陥落し、国民党政府は西の重慶に落ちのびた。支那事変が長引いているうちに、季節は、さそり座のアンタレス(大火)が西に傾き、早や秋となった。夜空を眺め、昔ながらの月に故郷・向ヶ丘への想いを馳せていた。明け方近くとなって、月が西に落ちてしまい、月の光に思い描いた故郷の夢は、蜃気楼のように惜しくも崩れてしまった。 「大火は流る幾秋を 虞淵の方に月落ちて」 「大火」は、①さそり座の首星アンタレス(中国名大火)。②支那事変、③人生の戦い(真理追究)の三つを重複して意味すると思われるが、上の説明では、第1説(アンタレス説)、第2説(支那事変説)によって解釈した。「大火は流る」は、大火が西の空に傾くことをいい、秋の訪れの表現として、しばしば漢詩などに詠われる。 李白『太原早秋』 「歳落ちて衆芳歇(や)み、時は大火の流るるに當る。霜威塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり。夢は繞る邊城の月、心は飛ぶ故國の樓。歸らんと思へば汾水の若く、日として悠悠たらざるは無し。」 徳川光圀『立秋雨』 「大火已に 西に流れ、郊墟に涼氣浮かぶ。暑は殘れども梧葉の雨は、洗ひ出す一天の秋を。」 「人生を一つの戦いと見なし、一高入学と共に自覚的な寮生活を開始する若人の姿を、『武士』の戦場への『首途』に喩え、継続する戦争状態を『大火』に喩えつつ、--- ただしここには人生の戦いと中国大陸での実際の戦い・日支事変の両方が含まれているようである」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 昭和12年7月7日、盧溝橋で日中両軍が衝突して始まった支那事変は、日本軍の南京占領(同年12月13日)、翌年には武漢三鎮占領と勝ち進んだが、中国側は抗戦を止めず、戦線は持久戦の様相を呈していた。「幾秋」は、支那事変が長引いていること。また、「行く秋」をかけている。「虞淵」は、太陽が入ると想像された伝説上の場所。西と解した。「虞淵の方に月落ちて」の「月」は、「大火」をアンタレスとする第1説では、故郷の向ヶ丘に想いを馳せる月。「大火」を支那事変とする第2説では、重慶に落ちのびた国民党政府。国民党政府の旗は青天白日旗で太陽であるが、中国全土を統治できず光りが弱いので月に喩える。南京陥落後、蒋介石の国民党政府は、太陽の没する方向の西の重慶に落ち延びた。昭和12年から20年まで、重慶を戦時首都とした。 「月も隠ろひ星落ちて 大陸闇に迷ふ時」(昭和13年「怪鳥焦土に」1番) 「アンタレス」は、夏の星座さそり座の主星で赤星。天の川を南に下って低いところに見える。さそり座が沈む頃、秋となり秋の星座が出現する。ちなみに、名前のアンタレスは、同じ赤星の火星が近くに見えることがあることから、「火星に対抗する星Anti-Ares」と名づけられた。 「遊子の思ひさびし時 海樓あやに崩れしが」 「遊子」は、故郷の向ヶ丘を離れて他郷の東大に学ぶ旅人。作詞者本人のこと。秋の夜長、故郷の向ヶ丘への思いは募る意を「遊子」の語にこめる。「海樓」は、海辺の楼閣のことだが、ここでは蜃気楼。「あやに」は、いいようもなく。ここでは、無残にも、惜しくもの意。ところで、この蜃気楼は具体的に何をいうのか。井上司朗大先輩は、「寮生の心から、はかない野心が崩れ去って」と寮生の野心とするが(後掲の「一高寮歌私観」)、「大火」をアンタレスとする第1説では「故郷・向ヶ丘への夢」、「大火」を支那事変とする第2説では国民党南京政府、「大火」を人生の戦い(真理追究)とする第3説では、「眞理と思っていた幻、人生の迷い」と解す。ここでは、第1説が最も妥当と思われる。前掲の李白『太原早秋』の詩の中に、「夢は繞る邊城の月、心は飛ぶ故國の樓」とある。「月落ちて」の「月」、および「海樓」の「樓」は、この詩を踏んだものと考え、月に想いを馳せて思い描いた向ヶ丘三年を過ごした寄宿寮の夢と解す。 「『海樓』は海辺の高殿。『あやに』は、ひどく。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 「第二節は、大火を大陸の戦火とでも採るべきか。虞淵(日の入るところ)つまり西の方向に月もおちた寮の夜、寮生の心から、はかない野心が崩れさって、根源的なものに向おうととするという意か。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「そこで(人生の継続する戦争状態で)味わされる内面的苦難を『遊子』の『さびし』き『思ひ』として浮び上らせる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |
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三年は丘に佇みて 汝が靑春の花いくさ 草迷宮に散りかかれ |
3番歌詞 | 一高生は、青春の三年を向ヶ丘の寄宿寮で過ごして、花々しく颯爽と眞理追究の戦いに挑む。真理を追究して、さ迷って、たとえ出口のない草原の迷宮に迷い込んだとしても、真理追究を諦めてはいけない。草の根を分けても真理の場所を突き止めよ。 「三年は丘に佇みて 汝が青春の花いくさ」 「三年は丘に佇みて」は、人生の旅の途中、真理追究のために、若い三年間を向ヶ丘に旅寝すること。「青春の花いくさ」は、真理追究を花々しい人生の戦と詠う。 「三とせは岡に佇みて 煙る下界を眺めやり」(大正5年「朧に霞む」5番) 「夢夢風に融け行きて 草迷宮に散りかかれ」 「夢夢」は、遠くて明らかでないさま。「風に融け行きて」は、「花いくさ」の「花」が風に紛れて飛んで行っての意か。「草迷宮に散りかかれ」は、真理追究の花が、迷宮のように茂った草原の中に風で飛ばされて迷おうとも、どこまでも真理の場所を突きとめよの意であろう。「かかれ」は、昭和50年寮歌集で「かゝれ」に変更された。 「第三節は、一、二行で、寮生活の青春をたたえ、(『花いくさ』など心憎い言葉である)それも夢の如くに(夢は漢音ボウ)やがては融けて、(ここでは 「この三年間の青春の戦いと夢の間を、第三節において象徴的に総括しつつ」(一高同窓会「一高寮歌解説書」 |
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時代のなゐに搖ぎつつ 宴の 今日夢殿に春淡く 昔の歌に翼あり |
4番歌詞 | 世は非常時ということで、学問・思想の自由が弾圧され、大きく揺れているが、自治の灯は、決して消してはならない。今日は、春浅い寄宿寮の紀念祭の日、寮歌を歌うと、あの時この時の出来事・情景が昨日のように目の前に浮かんでくる。まるで、寮歌に翼があり、思い出を運んでくれているようだ。 「時代のなゐに搖ぎつつ 宴の灯またたけよ」 「なゐ」は、地震。「時代のなゐ」は、平賀粛学に代表される学問・思想の自由の弾圧。「搖ぎつつ」は、昭和50年寮歌集で「搖ぎつゝ」に変更された。「宴の灯」は、紀念祭の祭りの灯だが、ここでは自治の燈、自治の教え、伝統を意味する。
「今日夢殿に春淡く 昔の歌に翼あり」 「夢殿」は、寄宿寮。法隆寺夢殿を念頭においたか。本尊は救世観音であり、聖徳太子が真理を求めて籠った持仏堂である。「昔の歌に翼あり」は、寮歌を歌えば、一緒に歌った友の顔、その時の出来事、情景など、昔の思い出が目に浮かんでくる。寮歌に翼があって、思い出を運んできてくれているようだの意。 「終節は、一、二行の(に)於て寮生達も、亦時代の激動の中に激しく揉まれつつ思索した方がよいといい、三行目で寮を夢殿と抽象化し、そこに春、紀念祭がくると、『むかしの歌に翼あり』と、往年の寮歌が翅をもって飛翔し去る程秀れたものであるとたたえている。各節、おのおの具象と抽象の間をゆき、複雑な感動をさそう。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) 「最後の第四節で、紀念祭の宴で唱われる寮歌の調べに、困苦に満ちた現実からの飛翔と高揚を寿いているかのようである。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) |