旧制第一高等学校寮歌解説
丘の雲 |
昭和14年第49回紀念祭寄贈歌 東大
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1、丘の雲 光を孕み 若草に 歡びはあり はろばろと わが胸に 流るゝしらべ 2、はろかなる 地平の風に かぐはしき 心を放ち 橄欖の 花こそ匂へ 3、忍び寄る 湧き滿つる 若き歌聲 |
ニ長調・4分の4拍子、譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じである。 主メロディー ソドミ ソミ レファミレ ドミソ「丘の雲 光を孕み」は、明るく軽快、それを、ソラソ ファミ レミシラ ソ♯ファソ「若草に歡びはあり」と受ける。「歡びはあり」は少し哀調があり、この歌のクライマックスでしょうか、印象的なメロディーである。3段で主メロディーに戻り、4段は、1小節増やして5小節。ソドミ ラソ「わが胸に」と思いこめ、後半リズムを変更して、ゆったりとファミレド シレ ド「流るゝしらべ」と終わる。「春毎に」といい、メロディーは、弊衣破帽の一高寮歌とは思えないロマンティックで少女趣味的なものとなった。 |
語句の説明・解釈
「内容的には、前歌(『春毎に鳥は謳へど』)に見られるような懐疑的、厭世的陰影とは無縁のオプテイミズムに充たされている」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。とはいっても、象徴的な語句が多く、その意を正しく理解することは難しい。以下の説明・解釈は、一つの解釈として理解されたい。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
丘の雲 光を孕み 若草に 歡びはあり はろばろと わが胸に 流るゝしらべ |
1番歌詞 | 向ヶ丘の空の雲は、日の光を宿しているので、若草には芽を出す喜びがある。向ヶ丘三年の遠い日の思い出が胸に湧いてきて、走馬灯のように次から次へと浮んでは流れてゆく。 「丘の雲 光を孕み 若草に 歡びはあり」 「丘の雲」は、向ヶ丘を蔽っている暗い時勢の雲。2番歌詞の「曇日の空」の雲。「光」は、太陽の光であり、真理である。「若草」は、若い一高生を喩える。「歓びはあり」は、雲間から太陽が輝きだすのを待って芽を出す喜びの意。向ヶ丘には、まだ、わずかに真理探究の望みが残っている。あるいは「光を孕み」を、「わずかに雲間からこぼれる光があり」と解すれば、「若草の歡び」は、わずかに光りを吸う喜び、すなわち、真理を追究する喜びがあるの意となる。 「はろばろと 追憶は湧きて わが胸に 流るゝしらべ」 「追憶」は、向ヶ丘三年の思い出。「流るゝしらべ」は、思い出が走馬灯のように、次から次へと浮んで流れてゆく。 |
はろかなる 地平の風に かぐはしき 心を放ち 橄欖の 花こそ匂へ |
2番歌詞 | はるか地平の彼方から吹いてくる香しい風を胸いっぱい吸って、どんよりした曇り空に染まることなく、橄欖の花よ、一高らしく色美しく輝いてくれ。 「はろかなる 地平の風に かぐはしき 心を放ち」 「はろかなる地平の風」は、暗い世の遙か彼方の自由な風の意か。「かぐはしき」は、かんばしい。香りのよい。「心を放ち」は、心を解放して。自由な風を吸ってと解した。 「曇日の 空にまぎれず 橄欖の 花こそ匂へ」 「曇日の空にまぎれず」は、暗い世に染まることなく、真理を追究して。 「橄欖」は一高の文の象徴。ここでは、一高の伝統精神、一高そのものを意味する。「花こそ匂へ」の「匂へ」は「こそ」を承けて已然形止め。単純な強調の意。橄欖の花よ、色美しく光りに映えてくれ。一高に栄光あれの意である。 |
忍び寄る 湧き滿つる 若き歌聲 |
3番歌詞 | 足音を忍ばせて、朝が近くにやってきて、静寂の闇に包まれた向ヶ丘の空が白々としてきた。向ヶ丘に響き渡る一高生の歌声が、朝日の光を呼んでいるのかなあ。 「忍び寄る 宇宙の跫音 無音なす 森に反響けば」 「忍び寄る」は、足音を忍ばせて近寄る。「宇宙の跫音」は、朝が近づく足音。太陽が丘の雲を破って輝きだす気配をいう。「無音」は、静寂の闇につつまれた。「森」は、向ヶ丘。「反響けば」は、朝が近づく足音が響く、すなわち、しらじらと夜が明けるのを喩える。 「散りしくあたり忍びかの 春の跫音よ近きかな」(昭和17年「彌生の道に」序)) 「湧き滿つる 若き歌聲 曙の 光に呼ぶか」 「曙の光」は、朝日の光。「曙」は、夜が明けようとして、次第にものの見分けられるようになる頃をいう。丘の雲(1番歌詞)を破って顔を出し、照り輝く朝日の光りである。「か」は、一般に疑問を表すが、ここでは、推量ないし詠歎の意の終助詞。・・・かなあ。 |