旧制第一高等学校寮歌解説

上下茫々

昭和14年第49回紀念祭寮歌 

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1、上下茫々(しやうかばうばう)數千歳(すせんざい)      盛衰(せいすゐ)こゝに幾轉變(いくてんぺん)
  欝然(うつぜん)として皇化(くわか)()く     あはれ日本(やまと)若人(わかうど)
  久遠(くをん)(いのち)感じつゝ     (いま)(のぼ)れる(をか)(うへ)

2、皇城(くわうじやう)のもと一千の     護國旗守る丈夫(ますらを)
  (ちか)(まなこ)(はて)遠く      暗雲罩(あんうんこ)むる西の空
  (うご)めく(しこ)の影淡く      柏葉(かしは)の光いや(さか)

4、銀杏(いてふ)の道の黄昏(たそがれ)や     時計臺(うてな)(かげ)の長くして
  自治燈(あか)き窓の()に    宇宙の眞理を語る時
  松籟(しやうらい)高く雲を呼び     (ゆうべ)(をか)に迫る哉

5、あはれ三年(みとせ)の春秋を    送りて(かこ)篝火(かヾりび)
  ()ゆる今宵の詩筵(うたむしろ)     柏の(かげ)(つど)ひ寄り
  酌む玉杯(さかづき)過去(こしかた)の     (おもひ)を宿す花の色

*漢字のルビが多いが、昭和50年寮歌集で半分位ルビ無しとなった。
譜にに変更はない。MIDI演奏は、左右とも同じ演奏である。

 作曲は昭和12年東大寄贈歌「武藏野の草深き野に」の一條 茂である。前回はハ短調の哀調を帯びたメロディーであったが、今回はイ長調で「活發に」とある。漢語護国調の歌詞に合わせた。このところの寮歌は、「光ほのかに」を除き、長調が多い。時節柄であろう。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
上下茫々(しやうかばうばう)數千歳(すせんざい) 盛衰(せいすゐ)こゝに幾轉變(いくてんぺん) 欝然(うつぜん)として皇化(くわか)()く あはれ日本(やまと)若人(わかうど)が 久遠(くをん)(いのち)感じつゝ (いま)(のぼ)れる(をか)(うへ) 1番歌詞 天と地がまだ未分化の混沌とした神代の時代から、天地は幾度か興廃を繰り返してきたが、天皇の徳により草木が盛んに生茂るように徳化されてきた。天晴れ、大和男児が、護国の使命を身に負いながら、今、一高に入学し向ヶ丘にやって来た。

「上下茫々數千歳 盛衰こゝに幾轉變 鬱然として皇化布く」
 「上下」は、天と地、「茫々」は、明らかでないさま。天と地がまだ分かれていない混沌の世界をいう。「欝然」は、草木の盛んに茂っているさま。物事の盛んなさま。「皇化」は、天子の徳化。
 楚辞『天問』 「曰く、遂古の初は、誰かこれを傳へて()ふ。上下未だ(あらは)れざる 何に由りて之を考ふ。」

「あはれ日本の若人が 久遠の命感じつゝ 今し登れる丘の上」
 「久遠の命」は、真理。あるいは国を守る使命。護国調の歌詞であるので、後者と解す。
皇城(くわうじやう)のもと一千の 護國旗守る丈夫(ますらを)の (ちか)(まなこ)(はて)遠く 暗雲罩(あんうんこ)むる西の空 (うご)めく(しこ)の影淡く 柏葉(かしは)の光いや(さか) 2番歌詞 皇居のもとに一千の雄々しい一高生がが校旗・護国旗を掲げ、国を護ると誓って立っている。その遙かかなたに目を転じると、暗雲立ちこめる支那事変の戦場では、敵兵は刃向う術もなく、出征した一高生の活躍がいやが上にも光る。

「皇城のもと一千の 護國旗守る丈夫の 誓ふ眼の涯遠く」
 「皇城」は、皇居。古い年代は宮城と呼ぶ。「一千」は、一高寮生の数。「護國旗」は、一高の校旗。護国は一高の建学精神である。
 「皇城の北目白台」(明治42年学習院「大瀛の水」3番))

「暗雲罩むる西の空 蠢めく醜の影淡く 柏の光いや盛る」
 「暗雲罩むる西の空」は、支那事変の戦場。「蠢めく醜の影」は、凶悪な敵兵の姿。「柏の光いや盛る」は、柏の光が盛んに輝く。一高生から初の応召者が出たことを踏まえる。
 昭和13年9月17日、一高から初の事変応召者山田公吏(理端マネージャー)壮行会が嚶鳴堂で挙行された。「『一高健兒としてしっかりやってきます。来年の三高戦には必ず勝ってくれ』という山田の言葉に、頑入(山田の愛称)ガンバレの声と割れんばかりの拍手が嚶鳴堂に響きわたった。同夜九時、東京駅をたつ彼を数百名の寮生が次々と寮歌を歌いつつ見送った。」(「一高自治寮60年史」)
 昭和13年10月27日 武漢三鎮占領。
        12月 6日  陸軍中央部、対中作戦の打切りを決定(持久戦に移行)。
籠城四十有餘年 (あした)に仰ぐ芙蓉峰(ふようほう) 啓示(さとし)の姿燦として 男の兒胸内(むぬち)(いだ)く火の 決然立てば天翔(あまか)ける 思は燃ゆる自治の城 3番歌詞 一高生が濁世の汚れを絶ち向ヶ丘に籠城してから40有余年経った。朝に仰ぐ富士山は、寮生に黙示を囁かんとして玲瓏として光り輝いている。一高生の胸に秘めた情熱は、いったん覚悟を決めて立てば、炎と燃えて、その意気は天をも翔けるほど高い一高生が籠城する自治の城である。

「籠城四十有餘年 朝に仰ぐ芙蓉峰 啓示の姿燦として」
 「籠城四十有餘年」は、明治23年に東・西二寮を開寮してから49年経ったこと。「籠城」は、一高生は、濁世の俗塵を避けて全員が向ヶ丘の寄宿寮に入寮したことをいう。「芙蓉峰」は、富士山。「啓示」は、人間の力では知り得ないようなことをさとし示すこと。
  
「男の兒胸内に抱く火の 決然立てば天翔ける 思は燃ゆる自治の城」
 「胸内に抱く火」は、胸に秘めた情熱、意気。 「決然」は、どのような事態になろうとも、恐れない覚悟を決める様子。「思は燃ゆる」は、一高生の意気が炎と燃える。「自治の城」は、自治を邪魔する魔軍から守る城。寄宿寮のこと。
銀杏(いてふ)の道の黄昏(たそがれ)や 時計臺(うてな)(かげ)の長くして 自治燈(あか)き窓の()に 宇宙の眞理を語る時 松籟(しやうらい)高く雲を呼び (ゆうべ)(をか)に迫る哉 4番歌詞 彌生道が黄昏る頃、時計台の影が寄宿寮の方に長く伸びて、自治燈が点されて明るくなった寄宿寮の窓辺に、星が輝いて宇宙の真理を語る。松を吹く風の音が天に響いて、闇を呼びよせて、向ヶ丘は暮れてゆく。

「銀杏の道の黄昏や 時計臺の影の長くして 自治燈明き窓の邊に 宇宙の真理を語る時」
 「銀杏の道」は、構内を東西に走る彌生道。「自治燈」は、紀念祭に掲げる祭りの灯。「宇宙の眞理を語る」は、一高の象徴・時計台が自治燈のともった寄宿寮の窓辺に、宇宙の真理を語る。または、星(宵の明星)が輝いて真理を語るか。あるいは単純に、太陽が没すれば暗くなるという当然の真理をいうのかも知れない。ここでは、宇宙という語に着目して、詩的に星が輝いてと解する。
 「夕星の燦めく時計臺 仰ぎつゝたゆたふ心」(昭和14年「春毎に」3番)
 「早くも飾り物をすませ三々五々マントを引かけて出て行く者、暗くなりかけた中に自治灯等を立てる者。太陽が時計台の彼方に沈み、夕闇次第に迫れば、アーチの辺りがやがて赫々と火は燃え上る。紅の焰を回りて唱ふ寮生の影、其所此所に爆発する寮歌。天地は今や我等のものである。」(「向陵時報」昭和10年度、昭和11年1月31日紀念祭イブ)

「松籟高く雲を呼び 夕は丘に迫る哉」
 「松籟」は、松に吹く風、またその音。「雲を呼び」は、闇を呼び。風が松の梢をざわざわと音立てて吹き、暮れてゆく駒場の情景をこのように描写。
あはれ三年(みとせ)の春秋を 送りて(かこ)篝火(かヾりび)に ()ゆる今宵の詩筵(うたむしろ)  柏の(かげ)(つど)ひ寄り 酌む玉杯(さかづき)過去(こしかた)の (おもひ)を宿す花の色 5番歌詞 あゝ、向ヶ丘三年は夢のように過ぎた。最後の記念祭に篝火を囲んで寮歌を歌うのは感無量である。記念祭の宴で友と交わす一杯一杯の酒に、花の如く美しき想い出を浮べ飲み干すのであった。

「あはれ三年の春秋を 送りて圍む篝火に 映ゆる今宵の詩筵」
 「あはれ」は、讃嘆・喜びの気持ちを表す語。「三年の春秋」は、向ヶ丘みとせ。「詩筵」は、紀念祭。篝火があってもなくても寮歌を歌った。
 「想ほへば去年の暮より 今日の日を待ち居りしかな」(昭和14年「仄燃ゆる」5番)
 「ゆららぐ火影なつかしき 今宵紀念祭の自治燈に あゝ思ひ出の四十九や」(昭和14年「光ほのかに」5番) 
 昭和14年2月の紀念祭は、伝統的な紀念祭とし、飾り物・催し物復活、公開とした。公開が終了し、飾り物を焼いてた篝火を囲む時、感慨一入のものがあったという。この歌詞では、前年13年1月31日の紀念祭イーブ(イブ)に篝火を焚いて催された寮歌祭を想定して作詞されているようであるが、この年にはイーブに寮歌祭や紀念祭アーチ前で篝火を焚いたとの記録は見当たらない。2月1日は、記念式、記念講演(天野貞祐「伝統と創造」)、催し物各種の後、午後5時に飾り物を焼却後、6時半から茶話会を開催、終了したのは午前1時半と「向陵誌」は伝える。
 「筵」は、宴席を意味するが、明治の昔から茶話会等の会合には実際に筵を使用した。
 「入寮式に続き、4月22日には、新入生歓迎の茶話会が同じく嚶鳴堂で催された。この日、嚶鳴堂には、昔の粗莚にかわって薄べりのござが敷かれ、壇下に橋田校長、佐々木喜市生徒主事、新任の佐々木順三生徒主事(明治44年文科)、藤井生徒主事補らが並び、寮生は中央入口と壇上を結ぶ線を中心に左右向き合って列座した。」(「向陵誌」昭和13年度)

「柏の蔭に集ひ寄り 酌む玉杯は過去の 懷を宿す花の色」
 「柏の蔭」は向ヶ丘、ここでは一高の思い出の一杯詰まった柏の樹下蔭。ここでは紀念祭の会場。「玉杯」は、杯の美称。
金風()りて駒の()く 二千有餘の長流に 劃して立たむこの(とき)に 運命(さだめ)の力身に受けつ 颯爽として進みゆく 柏葉健兒意氣高し 6番歌詞 来年皇紀二千六百年を迎える日本、この記念すべき時に、秋風をきって疾駆して嘶く若駒のように、護国の心を身につけた一高生は、意気高くさっそうと前進する。

「金風截りて駒の嘶く 二千有餘の長流に 劃して立たむこの秋に」
 「金風」は、秋風。秋は五行(木・火・土・金・水)の金にあたる。「二千有餘の長流」は、翌年に皇紀2千6百年を迎える皇統。奇しくも寄宿寮も来年は第50回紀念祭迎える。
 「若駒の嘶く里に」(昭和11年「若駒の嘶く」序)
 「青駒の嘶く里は」(昭和13年「夕霧は」4番)
 
「運命の力身に受けつ 颯爽として進みゆく 柏葉健兒意氣高し」
 「運命の力」は、護国の心。真理探究の力とも解せるが、1番歌詞の「久遠の命」同様に、護国調の歌詞内容から前者と解す。「受けつ」の「つ」は、完了存続の助動詞。「柏葉健兒」は、向陵健児。一高生。
                        

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