旧制第一高等学校寮歌解説

仄燃ゆる

昭和14年第49回紀念祭寮歌 

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1、仄燃ゆる憧憬(あこがれ)懷き    磯の邊に立ちて思へば
  柏咲く丘に集ひて     新しき友求めつゝ
  遙かなる人世(ひとよ)旅路(たび)に 船出せし吾を認めぬ

2、花馨る橄欖の許     幾そ度靑春(はる)の日惜しみ
  友と今一つ(こころ)に      兄弟(はらから)の契り結びて
  僞善(いつはり)の多き都會(みやこ)に    我等(われ)のみは誠實欲(まことねが)ひき

3、閑寂(しめやか)の駒場の里に    吾獨り歎き秘めつゝ
  樹暗路(こぐれぢ)低徊(さまよ)ひ行けば 搖蕩(たゆたひ)の夕月沈み
  秋の夜は寂とし更けて  悲愁(かなしび)の涙こぼれぬ
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じ演奏です。

 「仄燃ゆる憧憬懷き」ソーソーー ドーレミー レーミレーード ラーラソー(1段)の主メロディーは、つい口ずさみたくなるような円滑なメロディーである。「柏咲く丘に集ひて 新しき友求めつゝ」が一番盛り上げるところ、高く力強く歌い、他のところは、感慨深く思いを込めながらも、円滑にソフトに歌ったら如何でしょう。この歌も一部の人を除き、それほど歌われていない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
仄燃ゆる憧憬(あこがれ)懷き 磯の邊に立ちて思へば 柏咲く丘に集ひて 新しき友求めつゝ 遙かなる人世(ひとよ)旅路(たび)に 船出せし吾を認めぬ 1番歌詞 向ヶ丘を出て、人生の荒波に旅立つに際し、磯辺に立って三年前に向ヶ丘に登った頃を振返ると、ほのかに燃える憧れを抱いて、柏の花の咲く向ヶ丘の寄宿寮に入寮して、新しい友を求めながら、果てしない人生の旅路に船出した自分がいた。

「仄燃ゆる憧憬懷き 磯の邊に立ちて思へば」
 「磯の邊」は、向ヶ丘を登り、下りるために船に乗り降りする場所を喩えるか。人世の旅に船出しようとして磯の辺に立って、向ヶ丘に登ったときを振返る。

「柏咲く丘に集ひて 新しき友求めつゝ 遙かなる人世の旅路に 船出せし吾を認めぬ」
 「柏咲く丘」は、向ヶ丘。「柏」は、一高の武の象徴柏葉の柏。寮歌では、同じ一高の象徴「橄欖の花咲く」はあるが、「柏咲く」の表現は極めて珍しい。柏は、4、5月頃、新葉と共に黄褐色の花が開く。駒場本館裏、護國旗のシンボルマークを見て左側に、柏の木が植栽されている。しかし、花を見た人は少ないのではなかろうか。「柏咲く丘」は、ここでは、実際の花のことでなく、尚武の心が満ちた向ヶ丘の意。「集ひて」は、入寮して。
 
花馨る橄欖の許 幾そ度靑春(はる)の日惜しみ 友と今一つ(こころ)に 兄弟(はらから)の契り結びて 僞善(いつはり)の多き都會(みやこ)に 我等(われ)のみは誠實欲(まことねが)ひき 2番歌詞 橄欖の花薫る下、青春の日々を何度も友とも語り合って過ごして友情を培い、一つ心になって兄弟の契を交わした。嘘偽りの多い世に、我等一高生だけは真実に生きようと努めてきた。

「花馨る橄欖の許 幾そ度青春の日惜しみ 友と今一つ魂に 兄弟の契り結びて」
 「橄欖」は、一高の文の象徴。「橄欖」の木は、駒場本館向かって右側に植栽されている。確か昭和8年、斎藤阿具教授が留学先からオリーブの苗木を持ち帰り自宅に植えていたものを、本郷正門前に移植した。昭和10年駒場移転に際し、再移植したもの。どんな花が咲くか知る者はほとんどいない。最近、一高同窓会の手で、駒場ファカルティハウスの庭に、これこそ本物の一高の橄欖であるとして、オリーブが植栽された。ちなみに元祖橄欖の木(すだ椎(スダジー))は、本郷・一高の面影がほとんどなくなった今も、東大農学部正門正面に鎮座して健在である。「花馨る橄欖の許」は、芸文の花の咲く。学問技芸の盛んなの意。

「僞善の多き都會に 我等のみは誠實欲ひき」
 一高は、校風として誠の心を非常に重視し、偽善を排す。
 「刺を包みて何すらん 偽善は花の刺にして」(明治36年「綠もぞ濃き」3番)
閑寂(しめやか)の駒場の里に 吾獨り歎き秘めつゝ 樹暗路(こぐれぢ)低徊(さまよ)ひ行けば 搖蕩(たゆたひ)の夕月沈み 秋の夜は寂とし更けて 悲愁(かなしび)の涙こぼれぬ 3番歌詞 静まり返った駒場の丘に、内に歎きを秘めながら、ひとり彌生道をさ迷っていると、自分と同じように傷つき片破れした夕月がゆっくりと沈んだ。秋の夜はいっそう静かに更けていき、悲しみに涙が零れた。

「閑寂の駒場の里に 吾獨り歎き秘めつゝ 樹暗路を低徊ひ行けば」
 「樹暗路」は、樹木が茂って暗い路、またその場所。構内を東西に走る彌生道のことであろう。

「搖蕩の夕月沈み 秋の夜は寂とし更けて 悲愁の涙こぼれぬ」
 「搖蕩」は、揺れる。ぐずぐずする。「夕月」は、上弦の月と解した。傷ましい姿の片割れ月。自分の傷ついた心を重ね合わせる。沈むのは深夜12時頃で、ちょうど消灯時間で寮灯が消え、「夜は寂とし更ける」。
 「『搖蕩の夕月沈み』は、ゆれて定まらなかった自分の気持ちに合わせて、ゆれ動いていると思っていた夕月も沈み。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
(うれひ)の身置く霜踏みて (あけ)近く床に憩へば 眞理(まこと)こそひたむく道か 朧なる窓の明りに 時雨(しぐ)れ來る雪の面影 眞白くも愁心(こころ)解けにき 4番歌詞 悲しみにくれながら霜が降りた寒々とした暗い路を歩いて明け方近く寮室に戻り、床に横になった。ひたむきに真理を追究することが一高生の道かと涙をこらえながら、薄暗い窓に目をやると、外は時雨れて、雪が降りそうな気配となっていた。真白な雪のような真の心を持って、どこまでも真理を追究しなければならないと気づき、愁いは晴れた。

「憂の身置く霜踏みて 曉近く床に憩へば」
 「憂の身置く霜踏みて」は、悲しみにくれながら、霜が降りた道を歩いて。「憂の身」は、3番歌詞の「悲愁の涙こぼれぬ」を承ける。

「眞理こそひたむく道か 朧なる窓の明りに 時雨れ來る雪の面影 眞白くも愁心解けにき」
 「ひたむく」は、直向く。ただ一つの態度・方針を守り続けること。「朧なる窓の明り」は、まだ暗くはっきりとしない窓の明り。前項の句に「曉近く」とある「曉」は、夜が明けようとしてまだ暗いうちのことである。「時雨」は、秋の末から冬の初め頃に、降ったり止んだりする雨。ここでは、涙を催す心地にもたとえる。「雪の面影」は、時雨が雪になりそうな気配に、真白な雪を思い浮かべるのである。「面影」は、現実でなく、想像や思い出の中にありありと現れる顔や姿。
 「『眞理こそひたむく道か』は、真理こそ『ひたむき』に求める道か。『ひたむく』は、『ひたむきに求める』の意を一語で表現したのであろうが、舌足らずの感をまぬがれない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
春霞野面に靉き 牧場(まきば)丘阜(をか)に芽生えて 櫻花茜さそへば 四十九の記念祭(うたげ)となりつ 想ほへば去年の暮より 今日の日を待ち居りしかな 5番歌詞 春霞がたなびく若駒の里向ヶ丘に春の草が芽生え、桜の花が咲き紅に照り輝くと、自治燈に茜色の火を灯す。ああ、やっと念願の第49回紀念祭を迎えたのだ。去年の暮から、今年の紀念祭は飾り物、催し物を復活して惜しいと願っていた。今日は、願いがかない待ちに待った伝統に則った紀念祭の日だ。

「春霞野面に靉き 牧場草阜丘に芽生えて 櫻花茜さそへば 四十九の記念祭となりつ」
 「牧場草」の牧場は、「若駒の嘶く」駒場。「阜丘」は向ヶ丘。「阜」の字も大きい丘の意。「茜」は、根から赤色の染料をとった蔓草の一種。「あかねさす」と美しく輝くのをほめて「日」「昼」「紫」「春」にかかる枕詞として使われる。ここでは、自治燈の灯と解した。「記念祭」は、昭和50年寮歌集で「紀念祭」に変更された。

「想ほへば去年の暮より 今日の日を待ち居りしかな」
 去年の紀念祭は、支那事変が勃発したために、飾り物・催し物は廃止され、非公開の淋しい紀念祭であった。「去年の暮れより」は、寮委員が飾り物復活等の是非を問うために、懇談会開催、アンケート調査を行った時期である。寮生の9割は飾り物復活を支持していた。
 昭和14年1月13日 緊急総大会、紀念祭飾り物と一部催し物の復活、公開を決定。
 「ゆららぐ火影なつかしき 今宵紀念祭の自治燈に あゝ思ひ出の四十九や」(昭和14年「光ほのかに」5番)
 「伝統通りの形で紀念祭を行うことにしたのは、翌年に第50回の紀念祭を控えており、一度も紀念祭を体験していない二年生、一年生に、伝統を引き継いでおく必要があったというのも一つの論據であった。」(「向陵誌」昭和13年度)
疑惑(まどひ)無く心は澄みて みつとせの追憶(おもひ)に耽る さらばいざ別離(わか)れむ、されど 再會()ふ事の易からめやは しかすがに名殘は盡きず 相共に歌はん一日(ひとひ)   6番歌詞 卒業を前に、迷いはなくなって心もすっきりした。今は、向ヶ丘三年の思い出に耽っている。友よ、さらば、いざ別れよう。しかし、ここで別れたら、もう再び会うことも難しいであろう。そう思うと、名残は尽きない。この紀念祭の一夜、一緒に寮歌を心ゆくまで高誦しよう。

「疑惑無く心は澄みて みつとせの追憶に耽る」
 「疑惑無く」は、4番歌詞の「眞白くも愁心解けにき」を承ける。「みつとせ」は、向ヶ丘三年。この年の卒業生は、三年を駒場で過ごした最初の卒業生。

「さらばいざ別離れむ、されど 再會ふ事の易からめやは」
 「やは」は、活用語の已然形(ここでは、推量の助動詞「む」の已然形「め」)を承けて反語に使う。
 「遭はむとき期すべくあらず」(昭和12年「武蔵野の」4番)
 「いま別れてはいつか見む この世の旅は長けれど 橄欖の花散る下に 再び語ることやある」(明治44年「光まばゆき」4番)

「しかすがに名殘は盡きず 相共に歌はん一日」
 「しかすがに」は、そうであるところで、の意が古い意味。転じて、そうではるが。それでも。ここでは古い意味で使っているようである。
 「『そうはいうものの、そうであっても』の意であるが、ここでは、『そうであるがゆえに』の意に誤用しているかと思われる。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
                        

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