旧制第一高等学校寮歌解説
光ほのかに |
昭和14年第49回紀念祭寮歌
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1、光ほのかに丘の上 黙示の星の瞬けば 彌生岡に夜は更けて 風爛漫の花を吹き 甘き香の流れては 夢は 低く 2、夢遙かなる石山の 瀬田の唐橋仰ぎつゝ 意氣天を衝く若人が 凱歌を擧げし歡びや 祝ひの酒に 晝の 3、銀杏も散りぬ彌生道 獨り静かに 霧しのび寄る秋の暮 想ひは床し 時は流れて歳は逝き 丘を去る日は近けれど 我は |
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平成16年寮歌集で、次のとおり変更された。 1、「おか」(1段3小節) シード 2、「またたけーば」(2段2小節) シーラシードーシ 3、「よはふけ」(3段1小節) ミーミミーーファ 4、「はなをふー」(3段5小節) ファーミラー シード 5、「き」(3段6小節) 4分休符を削除し、3拍子に 6、「ゆめは」(4段5小節) ミーーラードー 7、「おぼーろ」(5段2小節) ミー ドラ 8、「き」(5段3小節) 付点2分音符の付点をとり3拍子に 9、「うたごえ」(6段1小節) シードシーラー 10、「いたむかー」(6段5小節) シーラシー ドーシ 11、「な」(6段6小節) 付点2分音符の付点をとり、4分休符を挿入。 以上のほか、主メロディーのラシラードー ミファミーラー等に多用されていたスラーを大部分外した。 調・拍子は、イ短調4分の3拍子。出だしはmp(やや弱く)、moderato(中位の速さ)で3拍子、途中歌詞3行目前句を4拍子に改め、mf(やや強く)、tenuto e largetto(音を充分に延ばして、かつやや幅広くゆるやかに)と高揚し、後句でp弱く、徐々に音を強めた後に、逆にrit.徐々にゆっくりと.弱めて歌う。最後の4行目は、また3拍子でテンポをa tempo元(中位の速さ)に戻して、徐々に強く、また徐々に弱く感情の起伏を緩急自在にコントロールしながら繊細に哀調のメロディーを奏でる。かくて、「風爛漫の花を吹き」と歌う者を現実から引き離し、「甘き香の流れては 夢は現か朧月」と哀感漂う夢幻の世界へと誘いこむ。名歌である。 |
語句の説明・解釈
1番から3番は、春「風爛漫の花を吹く」、夏・「夢豊かなる石山の」、秋・「銀杏も散りぬ彌生道」と哀感漂う夢幻の向陵へ抒情豊かに繊細に誘う。イ短調の緩急自在にテンポを変えるメロディーも寮生の琴線に触れ、詩情を一層豊かに響かせる。4番・5番は、一転して支那事変の勝利に触れ、「立て柏葉の健男兒」と武漢三鎮占領を祝福し、一高生の昂ぶる意氣を示しているが、歌う者はいない。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
光ほのかに丘の上 黙示の星の瞬けば 彌生岡に夜は更けて 風爛漫の花を吹き 甘き香の流れては 夢は |
1番歌詞 | 朧に霞む月の光がほのかに向ヶ丘を照らし、黙示の星が瞬くと、彌生が岡の夜は更けていく。夜風が爛漫の桜の花を散らせて、甘い香りが流れると、丘は夢かうつつか幻想的な朧月夜の光景となった。低く口遊む寮歌が聞こえて来て、若い一高生は愁いに沈むのである。 「光ほのかに丘の上 黙示の星の瞬けば」 「光ほのかに」は、朧月夜の淡い光。「「黙示」とは、はっきりと言わず暗黙のうちに意思を表示すること。「黙示の星」は、北斗の星(北極星)であろうか。 「黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ」(明治36年「綠もぞ濃き」1番) 「彌生岡に夜は更けて 風爛漫の花を吹き」 「彌生岡」は、向ヶ丘。寮歌では、駒場も彌生が岡という。本郷への郷愁か。「爛漫」は、花の咲きみだれたさま。 「若き心の痛む哉。 「心の痛む」は、あれこれ心を悩ませる。春愁のせいか、あるいは時局を憂えてか。 |
夢遙かなる石山の 瀬田の唐橋仰ぎつゝ 意氣天を衝く若人が 凱歌を擧げし歡びや 祝ひの酒に |
2番歌詞 | 思えば、もうずいぶん前のこととなったが、石山の瀬田の唐橋を仰ぎながら、意気天を衝く一高生が、対三高端艇戦で凱歌をあげた喜びは忘れられない。勝利の美酒にほろ酔って、せせらぐ岸辺に佇んでいると、昼間、あんなに激しく声を張り上げて應援合戦を繰り広げた端艇戦の騒ぎなどなかったかのように、ひっそり静まり返っていた。川面に写った月の影がせせらぎに崩れて、銀粒が散るようにきらきらと光っていた。 「夢遙かなる石山の 瀬田の唐橋仰ぎつゝ 意氣天を衝く若人が 凱歌を擧げし歡びや」 昭和13年の対三高戦の端艇は、8月13日瀬田川で行なわれ、一高は15挺身の大差で勝利した。他の競技は、陸運棄権(負け)、庭球・野球ともに負けで、端艇のみが勝利して、辛くも四部全敗を免れた。喜びも一入であったろう。 「夢はるかなる」は、もうずいぶん前のことになったが。「石山」は、滋賀県大津市の一部。観月の勝地で、石山の秋月(歌枕)は、近江八景の一つ。「瀬田の唐橋」は、「瀬田の橋」の別称。その様式が唐風だからという。 「祝ひの酒に微醉ひて せゝらぐ岸邊に佇めば 晝の戰の跡もなく 月影冴えて銀と散る」 「晝の戰」は、上述の対三高端艇戦。「月影冴えて銀と散る」は、月光が冴えて、瀬田川のせせらぎの水面に反射して銀粒が散るように光っている。あるいは川面に写った月影が崩れて、銀粒が散るようにきらきらと光っている。この辺りは、前述のとおり古来より月の名所である。瀬田の唐橋近く西国13番霊場石山寺がある。紫式部が金勝山から昇る名月を見て、「源氏物語」の明石・須磨の巻を石山寺で綴ったという伝承は有名。 |
銀杏も散りぬ彌生道 獨り静かに |
3番歌詞 | 銀杏の葉の散ったもの寂しい彌生道を一人静かに逍遥すれば、霧が忍びよる秋の夕暮に思い出すのは、懐かしい向ヶ丘の三年のことである。光陰矢のごとし、時は流れて年は逝って、丘を去る日が近くなったが、自分は一高生であるから悲しくても嘆かない。その代り、永遠に向ヶ丘を慕うことにしよう。 「銀杏も散りぬ彌生道 獨り静かに逍遥へば」 「彌生道」は、校内を東西に貫く銀杏道。寮生の絶好の散策の道であった。「逍遥」は、これといった目的もなく気分転換のためにブラブラすること。 「霧しのび寄る秋の暮 想ひは床し三星霜」 「床し」は、行クの形容詞形、見たい行きたい。心ひかれる。「三星霜」は、向ヶ丘三年。この年の卒業生は、昭和11年4月駒場に入学し、3年間を全て駒場で過ごした最初の一高生である。 「時は流れて歳は逝き 丘を去る日は近けれど 我は歎息かじ柏葉兒 永遠に慕はん武香陵」 「丘」は向ヶ丘。「柏葉兒」は、柏葉の児。一高生。「武香陵」は、向ヶ丘の美称。 |
わが日の本の |
4番歌詞 | いざ戦いとなり我軍の将兵が怒濤の如くに進軍を開始すれば、刃向う敵の姿はなく、広東に次いで、早や武漢三鎮も陥落した。武漢三鎮陥落を祝って開かれた寮歌祭で歌う一高生の歌声は、丘に響き渡った。西洋列強の支配からアジアの国と民を解放しようとする興亜の偉業の達成の機会は、今をおいて外にない。一高健兒よ起て。 「わが日の本の丈夫が 駒の蹄の音高く 一度劔拂ひては 遮ぎるものの影もなく」 「日の本の丈夫」は、日本軍の将兵。「駒の蹄の音高く」は、元気よく勢いのあるさま。「一度劔拂ひては」は、一度剣を抜けば。戦いを始めれば。「遮るものの影なく」は、刃向う敵の影もなく。 昭和13年 5月19日 徐州占領。 10月21日 広東占領。 27日 武漢三鎮(武昌・漢口・漢陽の三市、現武漢市)占領。 「武漢の都早や陥ちて 勝鬨丘にこだまする」 早や武漢を陥落させた。この勝軍を祝って、駒場では寮歌祭を催し、歌声は駒場に高鳴り響いた。「武漢の都早や陥ちて」は、昭和13年10月27日、武漢3鎮(漢口・武昌・漢陽)を占領したこと。しかし、勝利の展望は得られず、戦線は泥沼の持久戦となった。 「勝鬨丘にこだまする」は、武漢陥落を祝って寮歌祭を催した。その歌声が勝鬨となって駒場に響き渡った。 「27日武漢陥落が伝えられると、委員は急遽寮歌祭を催し、ついで渋谷へ街頭行進を行った。29日には宮城への武装行進と奉祝式が行われたが、寮生は帰路には半数が脱落して市電等を利用して帰寮した。」 (「一高自治寮60年史」) 「興亞の偉業成るは今 立て柏葉の健男兒」 「興亞の偉業」は、日本が盟主となってアジアを起し、西欧列強の植民地となっているアジアの国を解放し、民を救うこと。 昭和13年12月16日 興亜院設置(支那事変占領地統治の中央機関)。 「立て自治寮の健男兒」(明治32年「思へば遠し」7番) 「あはれ護國の柏葉旗 其旗捧げ我起たん」(明治37年「都の空」10番) |
ゆららぐ火影なつかしき 今宵 |
5番歌詞 | 今年の紀念祭は、自治燈に灯がともって、ゆらゆらと揺れている。なんと懐かしい光景だ。今年の第49回紀念祭は思い出深い紀念祭となった。故郷・駒場を離れること何万里、正義の刃に祈りを込めて支那事変に出征した一高生を忍びながら、尽きることのない一高の誇りであると感激して、紀念祭の宵の宴を祝おう。 「ゆららぐ火影なつかしき 今宵紀念祭の自治燈に あゝ思ひ出の四十九や」 「ゆららぐ火影なつかしき 今宵紀念祭の自治燈に」は、昨年昭和13年2月の紀念祭は、支那事変勃発のために「飾り物・催し物は廃止、非公開」でさびしいものであった。それに比べ今年は、自治燈に火が灯って、ほんとうに懐かしいの意。「あゝ思ひ出の四十九や」は、思い出深い第49回紀念祭となったこと。 「故郷遙か何萬里 正義の刃釁りつゝ 征むますらを偲びては 盡きぬ誇りの感激に 宴の宵を祝はなん」 「釁りては」は、祭器や鼓に敵の血を塗って儀式を行う意味。「征むますらを」は、一高から初めて黄変に出征した端艇部マネージャー山田公吏を思い浮かべての語であろう。寮歌「都の空」に送られ、出征した。 「『征む』は『ゆかむ』であろう。その地を制圧した、ますらおたちをしのんでは。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 『戦友』 「此處は御國を何百里 離れて遠き滿洲の 赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下」(1番) 昭和13年9月17日 一高から初の事変応召者山田公吏壮行会。 「『行くことになった。一高健児としてしっかりやります。では行って参ります。尚、来年の三高戦には必ず勝って呉れ』と最後まで向陵を思って、落ち着いて而も力強く言い放ち、頑入(山田の愛称)は、ガンバレの声にわれんばかりの拍手裡に降壇。」(「向陵誌」昭和13年度) |